業種"商社" 社史一覧 全60件中60件 1件〜60件目を表示
会社名 | 業種 | 社史タイトル(出版年) | 会社沿革と社史メモ |
---|---|---|---|
(株)浅沼商会 | 商社 | 『浅沼商会百年史』(1971.10) | |
安宅産業(株) | 商社 | 『安宅産業六十年史』(1968.10) | 金沢出身の安宅弥吉(あたか・やきち、1873-1949)は東京高商(現一橋大)卒業後外国貿易を志し、1895年(明28)日下部商店入店、砂糖取引に携わる。1904年(明37)大阪に安宅商会を創業、香港に支店を置き世界各地と多品目の貿易を行う。1908年(明41)の銃器貿易に関わる辰丸事件、翌年の砂糖取引に関わる日糖事件も克服、信用を重ねて発展し1919年(大8)株式会社へ改組。戦時下1943年(昭18)安宅産業と改称、戦後再建を果たし総合商社として発展する。60年史は創業時からの沿革と現況をそれぞれの社会状況と共に記し、海外支店の変遷も掲載している。[1977年(昭52)伊藤忠商事に吸収合併。東洋陶磁器の安宅コレクションは大阪市に寄贈され大阪市立東洋陶磁美術館となる] |
(株)新井清太郎商店 | 商社 | 『株式会社新井清太郎商店九十年史』(1979.11) | |
伊藤忠商事(株) | 商社 | 『伊藤忠商事100年』(1969.10) | 近江の繊維商初代伊藤忠兵衛(いとう・ちゅうべえ、1842-1903)は1858年(安政5)から近江麻布の行商を始め、1872年(明5)大阪に呉服太物商の紅忠(1884年(明17)伊藤本店と改称)、1893年(明26)に綿糸卸商の伊藤糸店を開店、日清戦後の活況期に東京や海外へ進出。2代忠兵衛(1886-1973)は英国留学後経営改革を行い、1918年(大7)伊藤忠商事設立。第二次大戦時に丸紅商店他との合併により三興、大建産業となるが、1949年(昭24)分割により伊藤忠商事が再発足、総合商社として発展する。100年史の編集には2代忠兵衛が直接関わり、記述には事務能率向上のため社内で使用していた当用漢字・新仮名遣い・カタカナ表記を採用。 |
岩井産業(株) | 商社 | 『岩井百年史』(1964.02) | 京都出身の岩井文助は大阪の加賀屋に奉公、1862年独立して雑貨商を開業し、貿易商として発展する。養子の勝次郎は1896年独立、欧米を視察して本格的貿易業を開始、1912年(株)岩井商店となり業容を拡大する。戦時下1943年岩井産業(株)と改称、終戦後は総合商社として発展する。百年史は「岩井家家憲」等の文書資料も含み、索引付。[1968年日商と合併し日商岩井(株)となる] |
江間忠木材(株) | 商社 | 『商人の道 : 江間忠70年のあゆみ』(1995.12) | |
大阪小間物卸商同業組合 | 商社 | 『大阪小間物卸商同業組合沿革史』(1928..05) | |
兼松(株) | 商社 | 『兼松回顧六十年』(1950.05) | |
兼松(株) | 商社 | 『兼松六十年の歩み』(1955.04) | |
兼松江商(株) | 商社 | 『KG物語 : 1889-1969 兼松江商80周年記念』(1970.08) | 大阪商船の設立に参加した兼松房次郎(かねまつ・ふさじろう、1845-1913)は豪州との直貿易を志し、1889年(明22)大阪に豪州貿易兼松房次郎商店設立。取扱商品は当初からの羊毛・牛皮に加え小麦・木材と広げ中国大陸にも進出、1943年(昭18)に兼松(株)となる。一方滋賀県生まれの綿花商北川商店の北川与平(きたがわ・よへい、1855-1929)は江州(近江)の有志と1905年(明38)大阪に江商(資)設立。1917年(大6)株式会社に改組し、繊維商社として発展する。両社は1967年(昭42)合併し兼松江商誕生。80年史は簡潔な沿革の後に全社員の写真と名簿入りの現況が綴られている。[1990年(平2)兼松に商号変更] |
高島(株) | 商社 | 『高島五十年史』(1966.12) | |
中日実業(株) | 商社 | 『中日実業株式会社三十年史』(1943.08) | 日清戦争後中国富源開発の為の日中合作の機運が高まり、1913年(大2)中国側代表を孫文(そんぶん、1866-1925)、日本側代表を渋沢栄一として中国興業(株)が創立された。1914年(大3)孫文に代わり中華民国大総統に就任した袁世凱(えんせいがい、1859-1916)の申し入れで、組織を強化し中日実業(株)に改組・改称。日中双方の法人格を有する会社として、鉱山、油田、炭礦、電気、綿業等の事業を展開する。30年史は創立以前の諸情勢、会社の創立、渋沢の訪中、桃冲鉄山や東洋製鉄などの事業活動の概況、会社整理問題とその回復等を10章にまとめている。巻頭に関係者揮毫や肖像・書簡の写真を、巻末の附輯に定款、役員表、営業所所在地を掲載。[1945年以降の消息不明] |
朝鮮興業(株) | 商社 | 『朝鮮興業株式会社二十五年誌』(1929.10) | 日露戦争直後の1904年(明37)9月、朝鮮半島の農業改良事業を目的に渋沢栄一ら実業家の提唱により韓国興業が設立。1909年(明42)韓国倉庫を合併し倉庫業に進出、1910年(明43)には同様の拓殖事業を行っていた韓国拓殖を合併し事業を拡張する。同年の韓国併合により韓国興業は1913年(大2)朝鮮興業と改称。各地に農場を配置し安定した農業経営にあたる。25年史は沿革と農業・倉庫・畜産事業等を記述した13章からなり、特に農業を詳述。多数の事業写真と統計表を含む。[1945年(昭20)北緯38度線以南の耕作地は新韓公社が接収、それ以外の消息は不明] |
朝鮮興業(株) | 商社 | 『朝鮮興業株式会社三十周年記念誌』(1936.10) | |
東京廻米問屋組合 | 商社 | 『東京廻米問屋組合深川正米市場五十年史』(1937.12) | |
東京廻米問屋市場 | 商社 | 『東京廻米問屋市場沿革』(1918.07) | |
東京青果実業組合聯合会 | 商社 | 『東京青果実業組合聯合会沿革史』(1930.04) | |
(株)東食 | 商社 | 『東食 : 50年のあゆみ』(1997.01) | |
東洋拓殖(株) | 商社 | 『東洋拓殖株式会社創立顛末書』(1912.10) | |
東洋拓殖(株) | 商社 | 『東拓十年史』(1918.12) | 日露戦争後に日本は殖産興業のため韓国での拓殖事業を目的とする会社創立を企図。1908年(明41)公布の東洋拓殖株式会社法により東洋拓殖(株)が創立され、農業及び拓殖地経営事業を開始、渋沢栄一は設立委員を務める。1910年(明43)韓国併合後事業資金を拡充。1917年(大6)法律の改正により営業地域の制限が撤廃され、南洋や中国方面へ進出する。10年史は沿革、業務、法律及定款からなり、業務には金融事業、土地の経営、殖産事業、殖民事業、計算及庶務がある。布表紙の優美な装丁で拓殖地写真入り。[紙表紙装丁のものもあり][1945年(昭20)連合国により閉鎖機関に指定、1952年(昭27)解散] |
東洋拓殖(株) | 商社 | 『東洋拓殖株式会社業務要覧』(1927.02) | |
東洋拓殖(株) | 商社 | 『東洋拓殖株式会社三十年誌』(1939.08) | |
(株)トーメン | 商社 | 『翔け世界に : トーメン70年のあゆみ』(1991.02) | 彦根出身の三井物産棉花部長児玉一造(こだま・いちぞう、1881-1930)は、棉花部を専門商社として飛躍させるため、1920年(大9)独立して東洋棉花を創立。綿花は投機性の高い商品なので三井の名前を汚すのではという懸念、また日本を付けた企業の上をいこうという構想から社名を東洋棉花と決定した。1970年(昭45)トーメンと社名変更。1990年(平2)に棉花部門を分社化し東洋棉花の名称を継承。70年史は明治期の繊維貿易から書き起こし、繊維専門商社が総合商社に変貌するポイントの一つである戦後の苦闘の軌跡を、関係者のインタビューやメモより読み物としてまとめてある。[トーメンは2006年(平18)豊田通商と合併、東洋棉花は豊田通商の関連会社となる] |
日商(株) | 商社 | 『日商四十年の歩み』(1968.09) | 神戸の鈴木商店は大正期に金子直吉の采配で大商社に発展するが、昭和金融恐慌で破綻。直系の日本商業に営業譲渡し、高畑誠一ら幹部社員は1928年日商(株)設立、難関を超え発展する。戦時下製造部門へ進出し1943年日商産業(株)と改称するが、終戦後1949年日商(株)へ復帰。総合商社として業績を伸ばし、1968年岩井産業(株)と合併、日商岩井(株)となる。40年史は鈴木商店の破綻をまとめた創立篇と、戦前篇、戦後篇、資料篇からなり、索引付。渋沢栄一は鈴木商店に第一銀行頭取として関わる。[2004年双日(株)となる] |
日商(株)鉄鋼貿易部 | 商社 | 『Tetsubo : 日商鉄鋼貿易部のあゆみ』(1997.08) | 日商(株)鉄鋼貿易課設立50年を記念し、元部員らが綴った記録をまとめたもの。1947年から1968年岩井産業と合併するまでを、戦後復興期と鉄鋼輸出揺籃期、鉄鋼輸出開拓期、鉄鋼輸出高度成長期、鉄鋼貿易部と受渡部門の4部構成で扱っている。 |
日本出版販売(株) | 商社 | 『日販三十年のあゆみ』(1980.03) | |
日本出版販売(株) | 商社 | 『日販50年のあゆみ : 第3の創業へ』(2000.01) | |
日本出版貿易(株) | 商社 | 『六十年のあゆみ』(2002.01) | |
(社)日本貿易会 | 商社 | 『日本貿易会三十年史 : 日本経済の発展と通商政策の歩み』(1980.06) | |
(社)日本貿易会 | 商社 | 『日本貿易会50年史. [本編]』(1998.05) | |
(社)日本貿易会 | 商社 | 『日本貿易会50年史. 別冊 統計集』(1998.05) | 『日本貿易会50年史. [本編]』(社史ID:07750)の別冊 |
(社)日本貿易協会 | 商社 | 『日本貿易協会五十年史』(1936.01.25) | |
松下電器貿易(株) | 商社 | 『松下電器貿易50年のあゆみ : 家電貿易のパイオニアをめざして』(1985.12) | |
丸紅(株) | 商社 | 『丸紅前史』(1977.03) | 近江商人初代伊藤忠兵衛(1842-1903)は1858年(安政5)初めて大坂へ近江麻布行商に行く。1872年(明5)には関東織物も扱う呉服太物商の紅忠を大阪に開店、1884年(明17)に伊藤本店と改め、暖簾は丸に紅とした。貿易を目指し会社の制度を整え、2代忠兵衛(1886-1973)に引き継ぐ。1914年(大3)伊藤忠合名会社発足、1921年(大10)合併により丸紅商店となり、織物問屋として内外に積極経営を広げる。戦時下合併により三興、大建産業と社名変更するが、戦後1949年(昭24)分割により丸紅として再発足。1977年(昭52)刊の『前史』は創業から再発足までの沿革と資料で、1984年(昭59)の『本史』刊行時に復刻印刷版が出ている。 |
丸紅(株) | 商社 | 『丸紅本史 : 三十五年の歩み』(1984.12) | 1949年(昭24)大建産業は過度経済力集中排除法の適用により丸紅、伊藤忠商事、呉羽紡績、尼崎製釘所に分割。再発足した丸紅は日本経済の成長とともに総合商社として業容を拡大する。創業25周年記念事業で社史編纂が開始されるが、1976年(昭51)ロッキード事件が発生し、『前史』のみ刊行して作業凍結。その後の経営改革と体質強化の歩みも掲載した『本史』を1984年(昭59)に刊行。同時に『前史』を復刻印刷し、合わせて『丸紅社史』とした。 |
三井 | 商社 | 『三井事業史. 資料篇 1』(1973.12) | 三井家の創業から第二次世界大戦後の財閥解体までの三井関係事業に関わる、江戸期ならびに明治期の制度や組織、財務に関わる重要資料を、選択的に収録した4巻5冊の資料篇。1は創業から文化・文政期まで、2は幕末維新期、3は1876年(明9)三井銀行の創立から1909年(明42)三井合名会社の設立まで、4上下は三井商店理事会と三井営業店重役会の議事録全文。資料は全て(財)三井文庫が所蔵するもので、配列は事項別作成年代順。各巻末に解題付。後に刊行された本篇3巻5冊と共に「三井事業史」を構成する。 |
三井 | 商社 | 『三井事業史. 資料篇 2』(1977.02) | 『三井事業史. 資料篇 1』(社史ID:07800)の2 |
三井 | 商社 | 『三井事業史. 資料篇 3』(1974.07) | 『三井事業史. 資料篇 1』(社史ID:07800)の3 |
三井 | 商社 | 『三井事業史. 資料篇 4 上』(1971.08) | 『三井事業史. 資料篇 1』(社史ID:07800)の4上 |
三井 | 商社 | 『三井事業史. 資料篇 4 下』(1972.07) | 『三井事業史. 資料篇 1』(社史ID:07800)の4下 |
三井 | 商社 | 『三井事業史. 本篇 第1巻』(1980.09) | 江戸時代初期の三井家の創業から、第二次世界大戦後の財閥解体までの約300年にわたる三井関係事業の展開を、膨大な史料に基づき記述した3巻5冊の事業史。第1巻は創業から幕末まで、第2巻は明治維新から1909年(明42)三井合名会社成立まで、第3巻上は第一次大戦期まで、第3巻中は日中戦争期まで、第3巻下は三井財閥の解体までの内容。各巻末に三井家略系図(第3巻中は三井財閥傘下主要企業の会計年度一覧)、三井事業略年表、事項・人名索引付。先行して刊行された資料篇4巻5冊と共に「三井事業史」を構成する。 |
三井 | 商社 | 『三井事業史. 本篇 第2巻』(1980.09) | 『三井事業史. 本篇 第1巻』(社史ID:07850)の第2巻 |
三井 | 商社 | 『三井事業史. 本篇 第3巻 上』(1980.09) | 『三井事業史. 本篇 第1巻』(社史ID:07850)の第3巻上 |
三井 | 商社 | 『三井事業史. 本篇 第3巻 中』(1994.03) | 『三井事業史. 本篇 第1巻』(社史ID:07850)の第3巻中 |
三井 | 商社 | 『三井事業史. 本篇 第3巻 下』(2001.03) | 『三井事業史. 本篇 第1巻』(社史ID:07850)の第3巻下 |
三井物産(株) | 商社 | 『回顧録 : 三井物産株式会社』(1976.07) | 三井物産(株)に様々な形で関わった財界人(石坂泰三、佐藤喜一郎、江戸英雄、郷司浩平、岩佐凱実、向井忠晴、石田礼助、伊藤与三郎、田代茂樹)と、歴代経営者(新関八洲太郎、水上達三、若杉末雪、橋本栄一、池田芳蔵)の回顧録。研究者によるインタビューをまとめたもので、創業100周年記念行事の一環として刊行された。 |
三井物産(株) | 商社 | 『挑戦と創造 : 三井物産一〇〇年のあゆみ』(1976.07) | 大蔵省から渋沢栄一と共に下野した井上馨は、貿易業の先収会社を益田孝らと1874年設立。井上が政界復帰し先収会社は三井が引受け、益田を社長に1876年三井物産会社設立。日本経済の成長と共に内外に発展するが、第二次大戦後三井財閥の解体と共に解散。分割した資産で多くの会社が作られ、1959年に再合同して三井物産(株)新発足。戦前に「沿革史」の稿本が作られたが出版できず、百年史はジャーナリストの執筆で簡潔にまとめられている。 |
三菱 | 商社 | 『三菱の百年』(1970.10) | |
三菱 | 商社 | 『三菱のあゆみ』(1997.03) | |
三菱 | 商社 | 『A brief history of Mitsubishi』(1997.03 printing) | 三菱『三菱のあゆみ』(1997.03)(社史ID:07940)の英語版。 |
三菱商事(株) | 商社 | 『三菱商事25年のあゆみ』(1980.01) | |
三菱商事(株) | 商社 | 『三菱商事社史. 上巻』(1986.11) | 1873年岩崎弥太郎は三菱商会を設立。海運業から貿易、鉱山と多角化し、1893年三菱合資会社設立。営業部門が独立し1918年三菱商事(株)となり、世界中に事業を広げる。1947年財閥解体により100以上の新会社に分散するが、1954年大合同し新たな三菱商事(株)が誕生。再び業容を拡大し総合商社として発展する。大合同以来25年を記念して出版された社史は、上巻が三菱創業から戦後の新会社時代、下巻が現三菱商事時代で、別冊の「資料編」と「通商年表」付。 |
三菱商事(株) | 商社 | 『三菱商事社史. 下巻』(1986.11) | 『三菱商事社史. 上巻』(社史ID:07960)の下巻 |
三菱商事(株) | 商社 | 『三菱商事社史. 資料編』(1987.06) | 『三菱商事社史. 上巻』(社史ID:07960)の資料編 |
三菱商事(株) | 商社 | 『三菱商事社史. 資料編 別冊』(1987.05) | 『三菱商事社史. 上巻』(社史ID:07960)の資料編別冊 |
三菱商事(株) | 商社 | 『三菱商事50年史 : 1954-2004』(2008.03) | |
森村商事(株) | 商社 | 『森村百年史』(1986.10) | 江戸京橋の商家に生まれた森村市左衛門(六代)(もりむら・いちざえもん、1839-1919)と弟の森村豊(もりむら・とよ、1854-1899)は輸出貿易を志し、1876年(明9)東京銀座四丁目に匿名組合森村組を設立。第一次世界大戦下の好況期、1904年(明37)日本陶器合名会社(現・ノリタケカンパニーリミテド)、1917年(大6)東洋陶器(現・TOTO)、1919年(大8)日本碍子(現・日本ガイシ)を設立し、セラミック分野に一王国を築く。1946年(昭21)社名を森村商事に改称し敗戦後の再建に着手、窯業関連品・香料・インキ等の輸入業務に進出する。また1910年(明43)に市左衛門が自邸に幼稚園と小学校を設立、今日の森村学園の礎となる。「編集後記」には百年史編纂に使用した『森村翁言行録]』などの参考文献・資料とそれらの所在、さらに証言を得た関係者などについて詳述されている。 |
安田保善社 | 商社 | 『安田保善社とその関係事業史』(1974.06) | 1838年富山の下級士族の家に生まれた初代安田善次郎は、商人として身を立てるため江戸へ出、1864年両替商安田屋を開業。1880年に安田銀行を設立、また生命保険事業を行う共済五百社を結成。1887年には資産を維持し一族の繁栄に資するため私盟組織保善社が発足。1912年合名会社保善社設立、1925年に合名会社安田保善社と改称。以後戦後の財閥解体により解散までの事業史を編年体で記述した社史は、1960年から13年かけて関係者により編纂される。1988年には別冊で詳細な人名・企業名索引が出版されている。 |
安田保善社 | 商社 | 『安田保善社とその関係事業史. 人名索引,企業・団体名索引』(1988.12) | 『安田保善社とその関係事業史』(社史ID:08020)の索引 |
ユサコ(株) | 商社 | 『ユサコ55年の歩み』(2004.08) |
- 1