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業種"繊維" 社史一覧 全104件中100件 1件〜100件目を表示

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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
芦森工業(株) 繊維 『芦森工業創立二十五年史』(1964.05) 大阪の芦森武兵衛は1878年綿麻問屋を開業。紡績機械付属品ロープの将来性に目をつけ、製造を始める。1894年芦森製綱所発足、工場を拡張し増産の結果、紡績用ロープは輸入から輸出に転じる。1935年(株)芦森製綱所となり、戦争末期は東洋紡績(株)の傘下に入り軍需品も生産、1944年社名を芦森工業(株)と変更。戦後は民需に転換し新製品開発を進め、消防用ジェットホースは世界各国へ輸出し、わが国屈指のロープメーカーとなる。25年史は個人経営の時代も含めながら簡潔に編集されている。
(株)伊丹製絨所 繊維 『伊丹製絨所十年誌』(1933.11) 福井出身の谷江長は日本毛織(株)へ入り、1902年欧州へ派遣され英国の毛織工場で学ぶ。帰国後設備・製絨法を改良し多大の功績をあげ役員となる。しかし細番手の毛糸や高級服地はまだ輸入品に及ばなかったので、新たに伊丹に工場を建て資本を募り、1922年(株)伊丹製絨所設立。関東大震災後の混乱や豪州羊毛相場暴落などを経ながらも高級品を生産、業績を伸ばす。10年史は写真を多く取り入れた立派な装丁。[1941年東洋紡績(株)と合併]
市川毛織(株) 繊維 『市川毛織20年史』(1970.12) [2005年イチカワ(株)に社名変更]
NBC工業(株) 繊維 『NBC工業五十年史』(1986.07)
近江絹糸紡績(株) 繊維 『オーミケンシ外史 : 五十年のあゆみ』(1967.10) 彦根の実業家夏川熊次郎らは琵琶湖の水を利用し郷土の繁栄のため1917年近江絹綿(株)設立。1920年近江絹糸紡績(株)と社名変更し、品質向上、人材育成に努める。戦時下飛行機製作に進出し1943年近江航空工業(株)発足、零式戦闘機を製作。戦後は綿糸紡績に進出、工場を次々新設する。社史は50年の歩みをコンパクトにまとめた小冊子。[1968年オーミケンシ(株)と改称]
大阪紡績(株) 繊維 『創業二十五年沿革略史』(1908.10) 明治以降各地に設立された紡績会社はいずれも小規模で、大規模な紡績会社設立の必要性を強く感じた渋沢栄一は有志と図り、英国留学中の山辺丈夫(やまのべ・たけお、1851-1920)に紡績業の実況研究を要請。紡績技術も学んだ山辺が帰国し、資本調達と工場建設の上1882年(明15)大阪に大阪紡績会社創立、栄一は相談役。中国・インドから棉花を輸入し綿布を輸出するまでに成長、日清日露戦争を経て発展する。25年史は沿革と現況を7区分で記述し、工場写真を多く掲載。[1914年(大3)三重紡績と合併し東洋紡績(株)となる]
片倉工業(株) 繊維 『片倉工業株式会社三十年誌』(1951.03) 長野で製糸業を営む初代片倉兼太郎(かたくら・かねたろう、1849-1917)は1895年(明28)片倉組を組織し、全国に事業網を展開。1920年(大9)片倉製糸紡績(株)に組織変更し、更に事業を拡大する。戦時中は製糸事業を日本蚕糸製造へ譲渡し航空機製造等へ事業転換、1943年(昭18)片倉工業と社名変更。戦後すぐに事業再転換し、製糸・蚕種・加工部門を再開する。30年史は『片倉製糸紡績株式会社二十年誌』(1941年刊)の形式を踏襲しその続編として編集、主に1941年(昭16)以降の10年を詳述している。発刊当時完成した自社製自動操糸機を記念して、自社で製織した布を装幀に使用。
片倉製糸紡績(株) 繊維 『片倉製糸紡績株式会社二十年誌』(1941.03) 信州諏訪の片倉市助は1873年(明6)座繰製糸を開始。1878(明11)年長男兼太郎(かねたろう、1849-1917)が天竜川畔に洋式機械製糸工場を開設、事業は軌道に乗り1895年(明28)片倉組を組織する。1920年(大9)片倉製糸紡績を設立し経営を刷新。1939年(昭14)には渋沢栄一に縁のある富岡製糸所を合併。紀元二千六百年を期に編纂された20年史は、4章までが設立までの沿革、5章から20章が現況、海外での蚕糸業経営、原料繭の購入、製糸技術の変遷、生糸の販売、関連会社の小史など。[1943年(昭18)片倉工業と社名変更]
鐘淵紡績(株) 繊維 『鐘紡製糸四十年史』(1965.09) 1887年(明20)創業の鐘淵紡績(株)は綿糸だけでなく絹糸製造へ進出を企図。社長武藤山治(むとう・さんじ、1867-1934)は従来の家内工業的絹糸業から近代的な大規模絹糸工場経営を目指し、1921年(大10)群馬県の新町工場が操業を開始。その後次々と業容を拡大するが、戦後の経営合理化の一環で1958年(昭33)蚕糸部門を分離し鐘淵蚕糸(株)が設立。婦人靴下等新規事業に進出して発展する。新町工場操業からの絹糸事業の40年史は、前篇・総史と後篇・事業場史からなり千頁を超える大作。鐘紡の沿革から書き起こした総史は時代順に日本の蚕糸業の動向と会社の歩みを記述。事業場史は製糸工場、蚕種試験所、乾繭場等を扱い、附録に従業員111人の回顧録を掲載。[1965年(昭40)鐘紡繊維と改称。更に合併改称の後1998年(平10)カネボウ(株)に吸収合併。カネボウは繊維事業を2005年(平17)KBセーレン(株)に譲渡]
鐘紡(株) 繊維 『鐘紡百年史』(1988.10) 東京の繰綿問屋5店は1886年東京綿商社の設立を決議。翌1887年認可され隅田川の鐘淵に紡績所を建設、1888年鐘淵紡績会社となる(渋沢栄一は顧問)。苦境期に三井の支援を受け、多くの紡績会社を吸収し、重化学工業へも進出。繊維以外の事業を行なっていた鐘淵実業と1944年合併し、鐘淵工業(株)発足。第二次大戦後は繊維事業中心に転換し、1946年鐘淵紡績(株)と社名復帰。化粧品・食品等の事業にも次々進出、1971年鐘紡(株)となる。百年史は武藤山治・津田信吾・武藤糸治ら歴代経営者の時代を軸に編集され、千頁を越す大作。
岸和田紡績(株) 繊維 『岸和田紡績株式会社五十年史』(1942.03) 明治初期に大阪の実業家寺田甚与茂(てらだ・じんよも、1853-1931)は岸和田の泉州木綿問屋らと紡績会社設立を図り、同業者からの出資を受け1892年(明25)岸和田紡績を創立。日清戦争景気で業績を上げ、株主配当は常に高水準を保つ。1941年(昭16)経済統制による企業統合で大日本紡績と合併し解散。創業から合併までの50年史は前篇・明治時代、後篇・大正昭和時代、余録、余記からなり、商標と製品は余録に、年譜・役員等は余記に掲載。[1964年(昭39)ニチボー(株)に社名変更(現・ユニチカ(株))]
京都織物(株) 繊維 『京都織物株式会社五十年史』(1937.11)
京都織物(株) 繊維 『京都織物株式会社全史』(1969.04)
倉敷紡績(株) 繊維 『回顧六十五年』(1953.09) 古来綿業が栄えた倉敷の3青年が1886年紡績所の設立を企画。発起人が上京、会社設立について調査し、渋沢栄一や益田孝の助言を得る。地元の実業家大原孝四郎が頭取となり1888年有限責任倉敷紡績所創立。工場を建設し紡機を英国より輸入、英国人技師を雇い入れ1889年創業開始。1893年倉敷紡績(株)と改称。1906年就任した2代社長大原孫三郎は業務刷新と事業発展に着手、労働科学研究所・病院・図書館等を作り、理想の具体化を進める。65年史は主に戦前戦中の事業の発展と戦後の事業復興までを編年体で記述。
倉敷紡績(株) 繊維 『倉敷紡績百年史』(1988.03) 百年史は創業から戦後の成長と経営多角化までを編年体で記述。1930年大原孫三郎が設立した大原美術館についても触れている。65年史と同様社史の表紙には自社製品の布地を使用。人名・事項索引付。
(株)クラレ 繊維 『創新 : クラレ80年の軌跡 1926-2006』(2006.06)
呉羽紡績(株) 繊維 『呉羽紡績30年 : 1929-1959』(1960.05) 近江商人伊藤忠兵衛(1842-1903)の次男2代目忠兵衛(1886-1973)は、英国留学後紡績経営を志し、自ら経営する伊藤忠商事の出資で1921年(大10)富山紡績の創立に関わる。1929年(昭4)富山県西呉羽村に工場を作り呉羽紡績(株)設立、1934年(昭9)富山紡績を合併する。1944(昭19)年国策で三興、大同貿易と合併し大建産業(株)となる。戦後解体され繊維部門は1950年(昭25)呉羽紡績(株)として再発足。30年史は富山紡績の沿革を記した前史と、沿革・現況・回想・資料からなる。30年史のカタカナ表記はカナモジカイ会長を務めた伊藤忠兵衛の意向か。[1966年(昭41)東洋紡績(株)と合併]
郡是製糸(株) 繊維 『郡是四十年小史 : 創立四十年記念』(1935.05) 丹波地方は古くから養蚕が行われていたが、1885年(明18)の全国五品共進会で酷評されたのを契機に京都府官民は改良に奮起。何鹿(いかるが)郡蚕糸業組合長波多野鶴吉(はたの・つるきち、1858-1918)らは1896年(明29)郡是製糸を創立。何鹿郡内の大小製糸家の協賛で起業したことから社名は郡是とした。人材育成と品質改良に励み、大正年間には全国へ工場増設し、三井三菱も株主に加わり発展する。40年史は創立経緯を簡潔に記述後、会社の業績・教育・組織・生産・販売等の詳細を、図表や写真を取り入れながらまとめている。[1967年(昭32)グンゼ(株)に社名変更]
興和紡績(株) 繊維 『興和のあゆみ : 写真集』(1988.12)
興和紡績(株) ; 興和(株) 繊維 『興和百年史』(1994.11)
蚕糸業同業組合中央会 繊維 『蚕糸業同業組合中央会史』(1932.12)
敷島紡績(株) 繊維 『敷島紡績七十五年史』(1968.12) 大阪財界の鈴木勝夫らは西成郡伝法村に1892年(明25)伝法紡績を創立、翌年福島区に移転し福島紡績と改称する。第一次大戦を契機に経営を確立し、積極経営で業容を拡大。1944年(昭19)企業統合政策で朝日紡績と合併し、敷島紡績と改称(敷島は大和の枕詞)。戦後復興をはかりコーンスターチ製造等新規事業や海外合弁事業へも進出する。創立からの75年史は沿革、現況、資料からなり、本文中に写真を多く掲載し、沿革の最後に事業場史も記載。50周年までは『福島紡績株式会社五十年記』(1942年刊)を要約し、以降の25年間を詳述している。[2002年(平14)シキボウ(株)に商号変更]
セーレン(株) 繊維 『セーレン百年史』(1990.11) 1889年(明22)福井に京越組として創業し、合同を経て1923年(大12)創立した福井精練加工(株)は、絹織物の精練染色加工で業績を伸ばす。時代の要請に応じて人絹加工や合成繊維加工の技術革新を進める。事業拡大に伴い1973年(昭48)セーレン(株)と改称。エレクトロニクスやメディカル部門等、繊維を含めた生活関連マーケットへ経営多角化を図り、海外との合弁事業も推進する。創業からの100年史は沿革史と現況・資料からなり、沿革史は創業前史を序章に、以降の歩みを11章にまとめている。エピソードを記したコラムや多くの図版を本文中に取り入れた編集。[2005年(平17)カネボウ(株)の繊維事業を譲受しKBセーレン(株)設立]
セーレン(株) 繊維 『希望の共有をめざして : セーレン経営史』(2015.03) 1889年(明22)福井に京越組として創業し、合同を経て1923年(大12)創立した福井精練加工(株)は、1973年(昭48)セーレン(株)と改称。委託染色加工企業として操業していたが、繊維産業の衰退とともに業績が悪化。1987年(昭和62)社長に就任した川田達男の下で企業変革を進め、新たな経営理念、経営戦略の推進によりグローバル企業として成長する。創業125年を機に編纂された社史は、東京大学社会科学研究所希望学プロジェクトの研究者による執筆で、序章と本文5章、資料編からなる。序章「企業は変われるか」では、セーレンの掲げる「夢」と希望学の関連を示し、川田達男による企業構造改革の概要を紹介。本文は時代順に第1-2章でセーレンの興隆と危機を、第3-5章で経営改革の詳細を記述。渋沢栄一が関わった鐘淵紡績(株)を継承するカネボウ(株)の繊維事業を、2005年(平成17)に買収した経緯も第4章で詳述している。
ダイニック(株) 繊維 『新しい流れのなかで : 日本クロス創立55周年-ダイニック元年』(1974.08) 1919年京都に創立された日本クロス工業(株)は、創立55周年の1974年にダイニック(株)と社名変更。55年史は図版を多用し、書籍クロスからインテリア関連製品等に広がる多彩な商品群を視覚的に描いている。[『渋沢栄一伝記資料』の表紙クロスも日本クロス工業製]
ダイニック(株) 繊維 『ダイニック60年史』(1980.08) 京都生まれの坂部三次は、渋沢栄一らが1887年設立した京都織物会社に1893年入社。当時書籍の洋式装幀が広まり、装幀用クロスの需要が高まる。絹織物で作るクロスの将来性を見抜いた坂部は製造法を研究し、退社して1919年日本クロス工業(株)の設立に加わる。国産クロスの製造に成功し、出版業界の発展と共に業績を伸ばす。戦後は衣料・生活産業などにも進出。海外にも展開し、1974年の創立55周年を期に社名をダイニック(株)に変更。60年史は創業からの歩みを10章に分けて記述している。
ダイニック(株) 繊維 『ダイニック70年史』(1990.08) クロス製造と絹織物染色加工の専業から出発したダイニック(株)は、ビニール・不織布・合成皮革などの新製品製造、海外進出などグループ経営による複合企業として発展。70年史は全体を「時代をみつめて70年」「日本クロスの時代」「ダイニックの時代」「専業から複合へ」の4つに分けて記述。
ダイニック(株) 繊維 『ダイニック創立75周年記念誌』(1995.08) 75年史は創立75周年に開催されたイベント「ダイニック・グループ総合展示会」を、多くの図版を使い紙上で再現。各種商品とグループ企業の現状を紹介している。
ダイニック(株) 繊維 『ダイニック80年史』(2000.08) 80年史は全体を「創立80周年、ダイニックの新世紀」「創社の時代」「拡大の時代」「変革の時代」の4つに分けて記述。60年史・70年史・80年史は同じ社員が執筆している。80年史はCD-ROMでも出版し、自社ウェブサイトからも本文全文を読むことができる(https://www.dynic.co.jp/company/80/d_index.html)。これまで出版した社史の表紙・箱クロスは全て自社製品。
ダイニック(株) 繊維 『ダイニック90年史』(2010.08)
大日本織物協会 繊維 『染織五十年史 ; 大日本織物協会五十年業績史』(1935.06)
(社)大日本蚕糸会 繊維 『日本蚕糸業史. 第1巻』(1935.02) 古来連綿と続いてきた日本の蚕糸業は明治以降空前の発展を遂げた。1892年(明25)創設の業界団体である大日本蚕糸会は、昭和天皇即位記念に皇室の保護のもとに発展した蚕糸業史を5巻にまとめ編纂。各巻の内容は、第1巻「総論、宮中御養蚕史、生糸貿易史」、第2巻「生糸貿易史(続)、製糸史」、第3巻「養蚕史、蚕種史」、第4巻「栽桑史、政策史」、第5巻「学術史、年表」。本書第1巻は「総論」と「生糸貿易史」からなり、「総論」は神代から江戸時代までの蚕糸業史の概要をまとめた8章と、明治以降の皇室の養蚕と蚕糸業奨励のための行啓等を記載した「宮中御養蚕史」で構成される。「生糸貿易史」は江戸末期の開港を境に前半8章と後半7章からなり、前半は古代から開港までの中国から欧州にいたる生糸貿易史を簡潔にまとめ、後半は開港以降関東大震災ころまでの生糸貿易発展の歴史を6章40節に詳述している。それに続く第7章「第七期革釐時代は製本の便宜上」第2巻末尾に掲載。[渋沢栄一は大日本蚕糸会評議員、後に顧問。日本蚕糸業史刊行委員会の顧問もつとめた][(社)大日本蚕糸会は1942年(昭17)合併改組により(財)大日本蚕糸会となる]
(社)大日本蚕糸会 繊維 『日本蚕糸業史. 第2巻』(1985.08) 業界団体である大日本蚕糸会編纂『日本蚕糸業史』全5巻中の第2巻で、内容は「製糸史」と、第1巻掲載の「生糸貿易史」の続編。「製糸史」は製糸業発達の沿革、技術史、経営史の3編9章で構成され、古代からの生糸生産の歩みを多面的に記述している。巻末の「生糸貿易史(続編)」には1924-1933年(大13-昭8)の時期を扱った第7章が置かれ、関東大震災以降世界恐慌や人造絹糸(人絹)の発達等による生糸貿易の衰微の実態が記されている。第1-6章は第1巻に掲載。本書は初版(1935年刊)の再版(復刻版)。
(社)大日本蚕糸会 繊維 『日本蚕糸業史. 第3巻』(1936.02) 業界団体である大日本蚕糸会編纂『日本蚕糸業史』全5巻中の第3巻で、「蚕種史」と「養蚕史」からなる。「蚕種史」では古代から昭和期に至る各時代各地域の蚕の種類と製造技術の変遷を、3章8節に記述。「養蚕史」では養蚕の発達史、技術史、経営史を3編29章にまとめている。発達史には北海道から沖縄に至る47都道府県別の養蚕沿革と発達概要を含む。
(社)大日本蚕糸会 繊維 『日本蚕糸業史. 第4巻』(1935.06) 業界団体である大日本蚕糸会編纂『日本蚕糸業史』全5巻中の第4巻で、「栽桑史」と「政策史」からなる。8章からなる「栽桑史」では蚕の餌となる桑の栽培法発達概要を述べた後に、桑樹の品種、繁殖法、栽植法、培養法それぞれの変遷を記載。更に桑樹の病害と桑園経営法の変遷にも触れている。「政策史」は3章からなり、第1章「奨励及取締施設」では、徳川時代及び明治以降の養蚕奨励策や調査試験機関、税金等について記述。第2章「政策の樹立及実施に関する諮問」では、明治以降の各種諮問機関20を挙げ、答申項目や会員名を記している。第3章「行政、教育、研究及検査機関」には、種類ごとに種々の機関の概要をまとめている。
(社)大日本蚕糸会 繊維 『日本蚕糸業史. 第5巻』(1985.08) 業界団体である大日本蚕糸会編纂『日本蚕糸業史』全5巻中の第5巻で、「学術史」として主題ごとの研究成果の抄録集。「桑」「蚕」「生糸」の3編17章からなり、本文は膨大な数の研究成果の論考を主題ごとにまとめ、各々のタイトル、著者、掲載誌、抄録を記載している。巻末に紀元前から1935年(昭10)までの蚕糸業の54ページに渡る年表と、1~4巻の本文中に引用した資料をまとめた「引用書目」を掲載。更に1926年(大15)から準備を開始した『日本蚕糸業史』の刊行顛末と、刊行事務概要を付している。本書は初版(1936年刊)の再版(復刻版)。
(財)大日本蚕糸会 繊維 『大日本蚕糸会百年史』(1992.03) 明治初期に産業振興の中心にあった蚕糸業の改良進歩をはかることを目的に、農商務省蚕業試験場出身技術者らの提唱で1892年(明25)大日本蚕糸会が設立され、蚕糸業の調査や技術指導に貢献する。1905年(明38)社団法人に改組。不況対策や政策提言にも重要な役割を果たすと共に、全5巻の『日本蚕糸業史』(1935-36)を刊行。1942年(昭17)蚕糸科学研究所と合併し財団法人となる。戦後は蚕糸業の研究推進に力を注ぐ。渋沢栄一は社団法人時代に顧問、評議員を務めた。100年史は時代順の3編からなり、技術改良が中心であった戦前と、研究開発に重点を移した戦後の足跡をまとめている。なお戦前の主な蚕糸業団体としては、他に蚕糸業同業組合中央会、帝国蚕糸組合、日本中央蚕糸会等がある。
大日本紡績(株) 繊維 『大日本紡績株式会社五十年記要』(1941.03) 上質の綿花産地尼崎では、明治初期に産業振興と士族救済のため綿花商らが紡績工場設立を発起。1889年尼崎紡績会社創立認可、工場を建設し1891年営業開始。東洋紡織、東京紡績、日本紡績、摂津紡績を合併し、1918年大日本紡績(株)と社名変更、業容を拡大する。50年史は沿革と、合併会社を含む各工場の略史、各種資料から成る。見返しには河内木綿の生産と販売を描いた大日本物産図会が使われている。[1964年ニチボー(株)に社名変更]
大和紡績(株) 繊維 『大和紡績30年史』(1971.04) 1887年(明20)旧田辺藩士赤城友次郎は、地元和歌山の産業振興のために和歌山紡績を起こす(後の和歌山紡織)。1912年(明45)和歌山県日高郡に大阪紡績取締役大川英太郎(おおかわ・えいたろう、1856-1933)が日出紡織を創立(渋沢栄一は発起人)。1917年(大6)三井財閥の重鎮早川千吉郎(はやかわ・せんきちろう、1863-1922)が出身地金沢に金沢紡績を設立(後の錦華紡績)。1920年(大9)出雲出身の宍道政一郎(しんじ・まさいちろう、1876-1938)が出雲製織を設立。4社はそれぞれに業績を伸ばしていたが日華事変後の戦時体制下、1941年(昭16)に合併し大阪に大和紡績を設立。4社合同の真髄を表現しようと、社名の「大和(だいわ)」は“和を以て貴しと為す”からとられた。30年史は最近3年間の躍進を記述した「現況編」と、合併前の4社の小史も含む「沿革編」からなる。
大和紡績(株) 繊維 『ダイワボウ60年史』(2001.09)
朝鮮棉業(株) 繊維 『朝鮮棉業株式会社沿革史』(1917.07) 明治後期に大日本紡績聯合会は朝鮮半島での紡績原料綿栽培を企図し、現地での綿試作を経て1905年(明治38)棉花栽培協会を設立、韓国政府の同意と予算を得て栽培の普及拡大をはかる。聯合会書記長庄司乙吉(しょうじ・おときち、1873-1944)らは綿花栽培の拡充をめざし、1906年(明治39)韓国棉花(株)を設立、棉花栽培協会の事業を補佐し、栽培人への貸金や綿花の買収などの任務を行う。1911年(明治44)韓国併合により社名を朝鮮棉業(株)と改称。1912年(明治43)綿売買が自由解放され、協会は解散し所管は各道庁に移され、朝鮮棉業は一般の営利会社として営業を継続する。多くの同業者が勃興する中に創立趣旨の達成をみて、1916年(大正5)世界各国の綿花を扱っていた日本綿花(株)に事業を譲渡して解散。8章からなる沿革史は第1~3章で朝鮮における綿花栽培の沿革、当社の創立と営業を概観し、第4章に創立から棉花栽培協会解散までの営業、第5章に以降会社解散までの営業、第6~7章に工場経営と営業成績、第8章に解散経緯を記載。小冊子ながら朝鮮半島での20世紀初期の綿花栽培の実態が克明に綴られている。[渋沢栄一は棉花栽培協会の評議員を務めた]
帝国蚕糸(株) 繊維 『大正九、十年第二次蚕糸業救済の顛末』(1924.12)
帝国人造絹糸(株) 繊維 『当社の沿革と化学繊維工業の概観 : 創立三十周年記念』(1949.06) 東京帝大に学んだ久村清太(くむら・せいた、1880-1951)と秦逸三(はた・いつぞう、1880-1944)は鈴木商店子会社の東工業(株)で人造絹糸製造の研究を進め、1915年(大4)分工場の米沢人造絹糸製造所が発足。第一次大戦景気で生産が伸び、1918年(大7)東工業から分離して帝国人造絹糸(株)が創立。広島、岩国、三原にも工場を建設して設備を増強し、昭和期には需要の変化に対応しスフの生産を拡大する。戦災を蒙るが、占領期GHQの承認を得た政府の繊維産業再建計画により戦後復興を果たす。30年史は会社史、国内外の化学繊維工業史、各種資料、回顧録等からなり、会社史では会社と各工場、研究所、調査課それぞれの沿革の後に、鈴木商店の破綻や関係会社、労働組合等の状況に触れている。巻末統計表の多くは英文併記。[1962年(昭37)帝人(株)と改称][スフ(ステープル・ファイバー=staple fiber):人造絹糸(人絹)を短く裁断したもの。人絹製造の際大量に発生する屑糸であったが、羊毛や綿と混紡することで従来の織物に種々の変化を与え、かつ安価で提供できたので、広く需要が伸びた]
帝国製麻(株) 繊維 『帝国製麻株式会社写真帖 : 東宮殿下行啓紀念』(1911.07)
帝国製麻(株) 繊維 『日本の製麻業』(1936.08)
帝国製麻(株) 繊維 『帝国製麻株式会社三十年史』(1937.10) 内務省技師吉田健作(よしだ・けんさく、1852-1892)はフランスで亜麻紡績を学び、1881年(明14)帰国して製麻業創立を各地に企画。1884年(明17)近江麻糸紡績、1887年(明20)北海道製麻会社、下野麻紡織会社の創立に関わる。日清戦後の不況を乗り切るため近江、下野の両社と大阪麻糸が合同し1903年(明36)日本製麻設立。1907年(明40)には北海道製麻も合併し帝国製麻が誕生、朝鮮や満州にも工場を作り業容を拡大する。(渋沢栄一は北海道、下野、帝国各製麻会社に関わる。)30年史は創立以前の沿革も含み、軍需品や衣服・蚊帳など各種麻製品の写真を巻頭に掲載。巻末に古代中世西洋の亜麻業の解説を図入りで載せている。[1941年(昭16)太陽レーヨンを合併して帝国繊維と改称し、その後も変遷している]
帝国製麻(株) 繊維 『五十年史』(1959.10)
帝人(株) 繊維 『帝人の歩み. 1』(1968.05) 貿易商鈴木商店の金子直吉(かねこ・なおきち、1866-1944)は人造絹糸(人絹)の将来性に目をつけ、1915年(大4)子会社の東工業(株)に分工場米沢人造絹糸製造所を設立。第一次大戦景気で生産が伸び、1918年(大7)東工業から分離して帝国人造絹糸(株)が創立(本社は大阪)。工場を次々と建設し、人絹およびスフの製造で躍進。戦後は種々の合成繊維製造に業容を拡大し、1957年(昭32)本社を東京へ移す。1962年(昭37)帝人(株)と改称。1968年(昭43)の50周年を機に編纂を開始した社史『帝人の歩み』は、時代順のトピックごとに沿革をまとめた編集で、1977年(昭52)までに11巻を刊行している(内容は創業時から1961年(昭36)頃まで)。
帝人(株) 繊維 『帝人の歩み. 2』(1968.10) 『帝人の歩み. 1』(社史ID:02000)の2巻
帝人(株) 繊維 『帝人の歩み. 3』(1969.06) 『帝人の歩み. 1』(社史ID:02000)の3巻
帝人(株) 繊維 『帝人の歩み. 4』(1969.11) 『帝人の歩み. 1』(社史ID:02000)の4巻
帝人(株) 繊維 『帝人の歩み. 5』(1970.09) 『帝人の歩み. 1』(社史ID:02000)の5巻
帝人(株) 繊維 『帝人の歩み. 6』(1971.09) 『帝人の歩み. 1』(社史ID:02000)の6巻
帝人(株) 繊維 『帝人の歩み. 7』(1972.10) 『帝人の歩み. 1』(社史ID:02000)の7巻
帝人(株) 繊維 『帝人の歩み. 8』(1973.11) 『帝人の歩み. 1』(社史ID:02000)の8巻
帝人(株) 繊維 『帝人の歩み. 9』(1974.11) 『帝人の歩み. 1』(社史ID:02000)の9巻
帝人(株) 繊維 『帝人の歩み. 10』(1975.12) 『帝人の歩み. 1』(社史ID:02000)の10巻
帝人(株) 繊維 『帝人の歩み. 11』(1977.06) 『帝人の歩み. 1』(社史ID:02000)の11巻
東亜紡織(株) 繊維 『東亜紡織七十年史』(1993.02)
東邦レーヨン(株) 繊維 『東邦レーヨン二十五年史』(1959.12) 紡績業界の大島亮治は欧米視察でスフ業の実情を知り、帰国後協力者を募って1934年(昭9)東邦人造繊維を創立。徳島に工場を建設しスフを生産開始。1940年(昭15)日本油脂と合併、同社繊維部となる。1945年(昭20)2月繊維部は帝国繊維に譲渡され、終戦後もスフの生産を行うが、財閥解体により1950年(昭25)東邦レーヨン、中央繊維、帝国製麻の3社に分割。25年史は序章「スフの歴史」の後、東邦人造繊維・日本油脂・帝国繊維・東邦レーヨン其々の時代の沿革を記述。索引付。[2001年(平13)東邦テナックスと商号変更]
東洋紡績(株) 繊維 『東洋紡績株式会社要覧 : 創立二十年記念』(1934.06) 渋沢栄一指導の下に発展した三重紡績、大阪紡績両社は1914年(大正3)合併し、東洋紡績(株)創立。栄一は相談役。創立20年を記念して出版された社史は天金が施され、前半に沿革と製品設備等の現況を簡潔に記述し、後半に詳細な統計とカラーの図解を掲載。本文中にも多くの図版を取り入れた編集で、見返しには明治初頭の紡績工程や機械を描いた版画を使用。
東洋紡績(株) 繊維 『東洋紡績七十年史』(1953.05) 日本初の蒸気を動力とした大規模な紡績会社である大阪紡績が、民間の会社組織として1882年(明治15)創業、渋沢栄一は発起人、相談役。同年創業の三重紡績所は水力利用の小規模な紡績業を営んだが、栄一の助言により1886年(明治19)新たに株式組織の三重紡績会社を設立しこれに併合。両社は1914年(大正3)合併し、東洋紡績(株)が誕生した。創業からの70年史は、歴史、現況、資料の3篇からなる。歴史篇では大阪紡績と三重紡績の創立から合併後の発展、そして多くの困難を乗り越え戦後の再建までを20章に詳述。現況篇には教育研究施設や工場、本支店それぞれの足跡をまとめ、歴代商標等のカラー図版を掲載。資料篇には廃止工場の概要や各種統計、関係会社総覧等を載せている。人名、会社工場名、団体名索引付。見返しは製品のリバーレース写真。
東洋紡績(株) 繊維 『百年史 : 東洋紡. 上』(1986.05) 東洋紡績が日本初の民営紡績会社として発足してからの100年史。沿革と資料を上下2巻におさめている。上巻は前身の大阪紡績と三重紡績が1882年(明治15)に創業してから、両社合併で1914年(大正3)設立した東洋紡績の戦前の興隆と、終戦後化繊に進出した1956年(昭和31)までを収録。下巻は以降の四半世紀に拡大した合繊からプラスチック事業など、非繊維事業への歩みに触れる。資料には定款や役員任期表の他、詳細な系譜図や廃止事業場一覧なども掲載。2巻で計1200ページを超える大作で、各巻末に主要人名と主要会社・事業所名索引付。
東洋紡績(株) 繊維 『百年史 : 東洋紡. 下』(1986.05) 『百年史 : 東洋紡. 上』(社史ID:02150)の下巻
東洋紡(株) 繊維 『東洋紡百三十年史』(2015.03) 2012年(平成24)に創立130年を迎えた東洋紡の130年史で、沿革編と資料編を1冊に収めている。沿革編は4章からなり、第1章「つむぎ織り染めなす夢の一〇〇年」は既刊の70年史と100年史を元に新たに書き下ろして、1982年(昭和57)までの100年を綴る。続く30年間、常に市場の変化に対応し新製品新事業を創出してきた企業活動は、第2~4章に詳述。第2章「繊維の安定収益構造と非繊維の拡大を目指す:1982-1989」では、繊維事業の構造改革とフィルム事業、バイオ・医療事業等の模索に触れる。第3章「大改革への挑戦:1989-2007」では、縮小する繊維事業と拡大するフィルム、バイオ、医薬、膜事業等を描く。第4章「「二正面作戦」から新たな成長へ:2007-2011」では、CSRも踏まえたグローバルな事業展開を記し、飛躍への布石について語っている。資料編に収められた各事業所のデータには、それぞれの所在地と写真に加え沿革と系譜図も収録。人名と事業所名索引付。編纂に関わった外部研究者4名と社内担当者81名の氏名と分担を編集後記に記載。表紙は自社製クロスで、同じく自社製のラミネートフィルムをカバーに使用。全文を収録したCD-ROM付。
東洋棉花(株) 繊維 『東棉四十年史』(1960.11) 紡績業の発展に伴い三井物産は棉花の輸入と国内取引を扱い、1894年(明27)棉花部が発足(初代部長馬越恭平)。取引の増大により1920年(大9)棉花部は独立して東洋棉花が創立される。綿貿易を中心に業績を伸ばし世界各地に支店網を広げる。第二次大戦後は経済の復興とともに機械・金属・食品等の取引にも進出し、総合商社として発展する。40年史は発足までの前史と時代ごとに5つに区切った沿革、現況からなり、索引付。[1970年(昭45)トーメンと改称、1990年(平2)トーメン棉花部門を分社化し、東洋棉花が新発足。他部門は2006年(平18)豊田通商と合併][棉を紡ぐと綿になる]
東洋レーヨン(株) 繊維 『東洋レーヨン35年の歩み : 1926-1961』(1962.04)
東レ(株) 繊維 『東レ70年史 : 1926~96年』(1997.12) 19世紀の綿糸紡績に対し20世紀前半は化学繊維のレーヨン(人絹)が発展。明治の中ごろから日本でも生産が開始。レーヨン糸を輸入していた三井物産が需要増大を見越して東洋レーヨンを設立。戦後は総合繊維メーカーとして、更にはプラスチック事業、ケミカル事業へと多角化経営。
東レ(株) 繊維 『東レ70年史 : 1926~96年. 資料編』(1997.12) 『東レ70年史 : 1926~96年』(社史ID:02190)の資料編
東レ(株) 繊維 『時代を拓く : 東レ70年のあゆみ』(1999.05)
東レ・デュポン(株) 繊維 『東レ・デュポン30年史』(1995.09)
富岡製糸所 繊維 『富岡製糸所史』(1943.09) 明治初期に富岡製糸所が官営により設立されてから、三井家に払い下げられ原合名会社を経て1939年(昭14)片倉製糸紡績の経営となり、戦時下1943年(昭18)国策により日本蚕糸製造(株)に設備を提供するまでの沿革史。1873年(明6)の英照皇太后と昭憲皇太后行啓から70年を記念して編纂されたもの。巻頭に両皇太后行啓の詳細を置き、本文1-4章に沿革、第5章に業績と日本蚕糸製造設立の経緯を簡潔にまとめている。[1945年(昭20)終戦により日本蚕糸製造は解散し、設備は片倉製糸紡績が改称した片倉工業(株)に復帰][著者藤本実也(1875-1970)は生糸貿易研究者で、稿本『原三渓翁伝』の著者]
富岡製糸場 繊維 『富岡製糸場誌. 上』(1977.01) 明治維新後の主要輸出品として生糸に注目が集まり、良質な生糸生産を目標に官営工場設立が計画される。大蔵少輔伊藤博文、租税頭渋沢栄一らはフランス人技術者ブリュナを雇い入れ、気候の適した富岡に工場を建設、1872年(明5)富岡製糸場が操業開始。1876年(明9)富岡製糸所と改称。1893年(明26)三井家に払い下げられ民営となる。その後三井は生糸生産から手を引き、製糸所を1902年(明35)原合名会社に売却。1938年(昭13)片倉製糸紡績(株)の経営となり(株)富岡製糸所と改組、翌年片倉に合併する。製糸場開設100年を機に富岡市が中心となり編纂された『富岡製糸場誌』上下2巻は、官営期から三井を経て原合名会社経営期までの沿革を概観した100頁ほどの第1部と、1800頁を超える第2部資料編からなる。資料編には公文書や日誌など官営期の資料、女工和田英の記した「富岡日記」、製糸場関連の新聞記事等700件の資料が13章にまとめられている。[片倉製糸紡績(株)は1943年(昭18)片倉工業(株)と改称。富岡製糸所は1987年(昭62)に操業を停止、2005年(平17)建物を富岡市に寄付、翌年土地を富岡市に売却]
富岡製糸場 繊維 『富岡製糸場誌. 下』(1977.01) 『富岡製糸場誌. 上』(社史ID:02240)の下巻
内外綿(株) 繊維 『内外綿株式会社五十年史』(1937.09) 紡績工業の興隆をみた大阪の棉花問屋秋葉新三郎、渋谷庄三らは、取引の近代化を図るため1887年(明20)内外綿会社を興す。中国・インドから棉を輸入し、国内及び上海に紡績工場を作り業容を拡大する。支配人渋谷正十郎は1893年(明26)来日したタタ商会のJ.N.タタ(Jamsetji Nusserwanji Tata, 1839-1904)を、紡績聯合会の渋沢栄一に紹介している。1902年(明35)にはN.D.タタが内外綿の監査役就任。50年史は沿革と現況からなり、商標やグラフは鮮明なカラー印刷。[第二次大戦により資産の大半を失うが、1948年(昭23)に新内外綿として新たに発足]
ニチボー(株) 繊維 『ニチボー75年史』(1966.02) 1889年創立の尼崎紡績会社は1918年大日本紡績(株)と改称、絹・羊毛・人絹生産にも進出、中国にも工場を設立する。1940年以降企業合同が促進され、多くの同業者を合併。戦後すぐに工場再開、生産開始し再建を進める。1964年には創立75周年を期にニチボー(株)と改称、同年の東京オリンピックでは貝塚工場のバレーボールチームが金メダルを獲得。75年史は時代ごとの沿革と資料編からなり、索引付。[1969年日本レイヨンを合併しユニチカ(株)と社名変更][ユニチカ(株)沿革 https://www.unitika.co.jp/company/history.html]
ニチメン(株) 繊維 『ニチメン100年 : 1892-1992』(1994.02) 1892年(明25)大阪に設立の日本綿花(株)は棉花輸入から出発して取扱品目を拡大し、1943年(昭18)日綿実業(株)と改称。戦争で海外取引網を全て失うが、戦後は海外各地の取引網を再構築し総合商社として発展。1982年(昭57)ニチメン(株)と改称。100年史は時代順に各時代の代表的部門に焦点を当てて書き起こした「通史」と、職能部門、営業部門、国内支店、海外支店をまとめた「部門史」からなる。支店の部門では国内は支店ごとに、海外は地域ごと国ごとに沿革と取扱い品目等について記載している。[2004年(平16)日商岩井と合併し双日(株)となる]
日綿実業(株) 繊維 『日綿70年史』(1962.11) 政府と紡績業界は1889年(明22)インドに調査団派遣、インド綿花の高品質を確認し輸入が拡大する。外務書記官として調査に参加した佐野常樹は、外国商に頼っていた綿花輸入の国内機関として、関西の綿花商らと共に1892年(明25)大阪に日本綿花を設立。中国・米国からも綿花輸入を開始、海外支店を設け取扱い品目が増加、1943年(昭18)日綿実業と改称。同年刊行の50年史を全面的に書き改め、最近20年の歩みと現況を追加して70年史としている。索引付。[1982年(昭57)ニチメンと改称、2004年(平16)日商岩井と合併し双日となる]
日清紡績(株) 繊維 『日清紡績六十年史』(1969.12) 日露戦争後の好景気の中、東京日本橋の綿糸布商日比谷平左衛門・岩崎清七・福沢桃介・安部幸兵衛らは紡績会社設立を計画、1907年日清紡績(株)の創立総会が開かれる。後発の紡績企業であったが優れた経営により急速に発展。繊維以外の業種にも多角化をはかり業績を伸ばす。60年史には合併した多くの会社の略史も含む。土屋喬雄監修。[日清紡績(株)沿革 https://www.nisshinbo.co.jp/profile/history.html]
日東紡績(株) 繊維 『回顧参拾年』(1953.04) 1878年片倉兼太郎ら天竜川畔に製糸場創設、1895年片倉組が組織される。一方渋沢栄一らが1898年創立した郡山絹糸紡績(株)は経営難のため1915年紡績部を片倉組へ買却。また1918年設立の福島製練製糸(株)は後に福島紡織(株)となり、不況期の1921年片倉の傘下に入る。片倉組から設立された片倉製糸紡績(株)は、製糸と紡績では経営方法等が異なるため紡績業を独立させ、1923年日東紡績(株)を設立。30年史は1953年までのあゆみを写真を多用して簡潔にまとめている。表紙には製品の化繊織物を使用。
日本毛糸紡績(株) 繊維 『十五年史』(1936.09) 1873年(明6)岐阜生まれの河崎助太郎(かわさき・すけたろう、1873-1943)は、大阪で1895年(明28)河崎商店を創立、洋反物・毛織物の問屋を営み、欧米の毛織物事情を視察する。産業報国の熱意に燃え財界活動から衆議院議員も務め、引退後は岐阜市商工会議所会頭に就任。地元の産業発展と本邦羊毛工業の世界的躍進を目指し、毛斯綸紡織(もすりんぼうしょく)の技術者を工場長に招いて1921年(大10)日本毛糸紡績を設立。15年史は創業後の発展を追った沿革のほか、福利施設や行事にも頁を割いている。[1942年(昭17)戦時下の企業統合で東洋紡績に合併。河崎助太郎次男の邦夫は後に東洋紡績社長・会長を務める]
日本毛織(株) 繊維 『日本毛織三十年史』(1931.01) 日清戦争後の好況期に神戸出身の川西清兵衛(かわにし・せいべえ、1865-1947)は毛織事業の将来性を見越し、神戸の実業家を募って1896年(明29)に日本毛織を起こす。加古川に工場を建設、東京製絨から技師長を招いて職工を養成し、毛布の製造を開始する。東京に販路を拡大、原毛を中国から輸入し羅紗の生産も開始。輸入品に対抗するため技術員を欧州に派遣し製絨術を学ばせ、第一次大戦後の不況期も事業を拡大する。30年史は沿革と現況・資料編の他、外史として毛織物工業界の歴史も詳述している。[2008年(平20)から通称社名を「ニッケ」とした]
日本毛織(株) 繊維 『日本毛織六十年史 : 1896-1956』(1957.05)
日本フエルト(株) 繊維 『日本フエルト80年史』(1998.12) ヨーロッパで発達した製紙技術は、漉きあげた湿紙をフエルト状の織物の上で圧搾するものだった。明治初期に渋沢栄一が製紙機械を輸入して以来、製紙用フエルトも輸入に依存していたが、第1次大戦期に国産化が図られる。王子製紙の藤原銀次郎(ふじわら・ぎんじろう、1869-1960)、樺太工業の大川平三郎(おおかわ・へいざぶろう、1860-1936)らは東京毛織のフエルト事業を独立させ、1917年(大6)日本フエルト設立、初代社長は田中栄八郎(たなか・えいはちろう、1863-1941)。東京・王子に工場を建設し1919年(大8)生産開始。70年史はこれまでに刊行した社史を踏まえた黎明編・興隆編と、最近10年に焦点をあてた飛翔編という構成。
日本紡績協会 繊維 『紡協百年史 : 紡績協会創立100年記念』(1982.10) 明治期各地に設立された紡績会社は技術と経営の知識経験を相互に交換するため、1882年(明治15)大阪に紡績聯合会を結成。1888年(明治21)大日本綿糸紡績同業聯合会、1902年(明治35)大日本紡績聯合会と改称。綿糸紡績に関わる内外事情を紹介する月報を刊行し、綿花綿糸輸出入税減免に関する運動や操短に取り組むなど、紡績業の興隆に伴い業界の発展に寄与する。戦時体制を経て1946年(昭和21)発足の日本紡績同業会が事業を継承し、1948年(昭和23)日本紡績協会となる。[渋沢栄一は本会に相談役として、また東京商業会議所会頭として輸出入税免除請願などに関わった]
日本綿花(株) 繊維 『日本綿花株式会社五十年史』(1943.09) 明治期に勃興した紡績業の原料棉花の輸入は、外国商館に依存していた。政府と紡績業者は渋沢栄一の協力を得てインド棉花の調査団を派遣し、インド棉輸入を図る。外務書記官として調査に参加した佐野常樹(さの・つねき、1853-1899)は関西の紡績業者らと共に、棉花輸入の自給機関として1892年(明25)日本綿花(株)を大阪に設立。紡績業の発展に伴い世界各国に取引範囲を広げ、食品や雑貨も取扱い発展する。1943年(昭18)日綿実業(株)と改称。日本綿花時代を扱った50年史は第1編沿革に続き、第2編に海外各地の事業を地域別に記述、第3~8編に取扱品目や関係会社等の資料をまとめている。[1982年(昭57)ニチメン(株)と改称、2004年(平16)日商岩井と合併し双日(株)となる]
(社)日本綿花協会 繊維 『綿花百年. 上巻』(1969.06) 日本に綿花(棉花)が渡来したのは平安時代だが、庶民の衣料として大きく普及したのは江戸時代で、全国で綿花が栽培され、手工業で綿布が生産されていた。明治に入り綿花・綿糸・綿布(綿三品)の輸入が急増し、政府の綿業育成等により大規模な綿紡績会社が設立。輸出も盛んになり多くの綿貿易会社が設立され、1898年(明治31)に国内外の綿花商20社により日本棉花同業会が発足。以降第二次大戦期に統制会社となるまで、同業者の利益を守り取引週報や月報を発行し、業界発展に貢献した。戦後は綿花輸入業者を中心とする民間団体として1947年(昭和22)(社)日本綿花倶楽部が発足、輸入綿花輸送に関わる業務と日報・月報刊行を刊行する調査業務を行う。1949年(昭和24)(社)日本綿花協会と改称。本書は日本綿花協会が創立20周年を機に、明治以降の綿業・綿貿易の歴史を上下2巻にまとめたもので、足跡を記した第1部綿花百年史、業界人20人に取材した第2部綿花人二十話、資料編である第3部参考諸表からなる。第1部には「前史」として明治以前の世界と日本の綿作と綿業の歩みが含められている。第2部には各文の末尾に筆者略歴を付す。第3部の会員会社要覧には、正・準会員計55社について社歴、綿花部門歴、歴代の綿花担当部長名、綿花部門の特色がまとめられている。[(社)日本綿花協会は2013年(平成25)一般社団法人となる]
(社)日本綿花協会 繊維 『綿花百年. 下巻』(1969.06) 『綿花百年. 上巻』(社史ID:02370)の下巻
(社)日本綿業倶楽部 繊維 『本邦綿糸紡績史. 第1巻』(1937.06) 中外商業新報社で紡績事情を研究し、日清紡績等で紡績業に従事した絹川太一が日本綿業倶楽部に入り、その研究成果を出版した著作。機械紡績以前の糸車の時代から書き起こし、始祖時代、奨励時代、勃興時代、濫興時代、という順で全国約80の紡績会社の沿革をまとめている。会社の掲載順は、始祖時代は創立順、他は調査順。各社ごとの章の他に時代ごとの綿業の状況を記述した章も含み、1937年(昭12)から1944年(昭19)までに7巻を刊行。各巻末に年譜と事項索引付。凡例は第2巻巻頭にあり。
(社)日本綿業倶楽部 繊維 『本邦綿糸紡績史. 第2巻』(1937.09) 『本邦綿糸紡績史. 第1巻』(社史ID:02390)の第2巻
(社)日本綿業倶楽部 繊維 『本邦綿糸紡績史. 第3巻』(1938.04) 『本邦綿糸紡績史. 第1巻』(社史ID:02390)の第3巻
(社)日本綿業倶楽部 繊維 『本邦綿糸紡績史. 第4巻』(1939.02) 『本邦綿糸紡績史. 第1巻』(社史ID:02390)の第4巻
(社)日本綿業倶楽部 繊維 『本邦綿糸紡績史. 第5巻』(1941.10) 『本邦綿糸紡績史. 第1巻』(社史ID:02390)の第5巻
(社)日本綿業倶楽部 繊維 『本邦綿糸紡績史. 第6巻』(1942.12) 『本邦綿糸紡績史. 第1巻』(社史ID:02390)の第6巻
(社)日本綿業倶楽部 繊維 『本邦綿糸紡績史. 第7巻』(1944.01) 『本邦綿糸紡績史. 第1巻』(社史ID:02390)の第7巻
(社)日本綿業倶楽部 繊維 『日本綿業倶楽部五十年誌』(1982.09) 綿業の中心大阪に関係者の倶楽部をという、東洋紡績(株)役員の岡常夫(1863-1927)の遺志を継ぎ、大阪の綿業者らは1928年(昭3)(社)日本綿業倶楽部を創立。渋沢栄一は名誉顧問に推される。1931年(昭6)には船場に綿業会館が竣工。会員の親睦活動の他、機関誌『綿業時報』や『内外綿業年鑑』『本邦綿糸紡績史』を次々発行。会館には大日本紡績聯合会が事務所を置き、多くの海外使節団が来館し綿業者と交流する。戦時下1943年(昭18)(社)綿業協会と改称。戦後1950年(昭25)に名称を(社)日本綿業倶楽部と復旧する。会館は占領期に接収されるが、返還後は内外の関係者に大いに利用され、2003年(平15)重要文化財の指定を受ける。50年史は草創期、非常時下、戦後復興という3つの章からなり、巻末に座談会や回顧録を置いている。[2012年(平24)一般社団法人へ移行]
福井精練加工(株) 繊維 『福井精練70年史 : 1889-1959』(1961.01) 明治期に福井の羽二重は需要が伸びたが、精練染色加工は京都で行われていた。京都の黒川栄次郎(1866-1948)らは1889年(明22)福井に京越組を創立し精練加工を開始。続いて多くの精練業者が乱立し競争する中、京越組を継承した黒川練工場は2度の合同を経て1923年(大12)福井精練加工(株)が創立。輸出用絹織物の生産を伸ばし人絹加工にも進出。戦時中は落下傘等軍需用品を生産。戦後は衣料の需要増と輸出再開で復興する。京越組創立からの70年史は沿革、現況、回想、資料という構成で、戦災を免れた多くの史料や図版を本文中に取り入れた編集。[1973年(昭48)セーレン(株)と改称][羽二重=上質の白い絹織物][精練=繊維中の夾雑物を除き、繊維の特性を発揮させて、漂白・染色をするための準備工程]
富士瓦斯紡績(株) 繊維 『富士紡生るゝ頃』(1933.03)
富士紡績(株) 繊維 『富士紡績株式会社五十年史』(1947.12) 明治以降富士山系の水力を利用した産業創設の機運が起る。1890年(明23)開業の富士製紙の成功をみた事業家らは紡績会社起業を図り、日清戦争後資本家の出資を得て1896年(明29)富士紡績を創立。1906年(明39)東京瓦斯紡績を合併し、富士瓦斯紡績と改称。1945年(昭20)12月再び富士紡績と改称する。50年史は創立から現況までを9章に分け記述、会社再建に尽くした和田豊治(わだ・とよじ、1861-1924)についても詳述している。当初1945年刊行予定で印刷されたが戦災で全焼、初稿刷全文を再印刷して2年後に刊行したもので、1944年上期までの内容。[2005年(平17)持株会社へ移行し富士紡ホールディングス(株)と改称][渋沢栄一は協調会理事として富士瓦斯紡績労働争議に与る]
三菱レイヨン(株) 繊維 『30年史』(1964.08) 大阪・新興毛織の河崎助太郎と賀集盆蔵は人造繊維工業に関心を寄せ、1933年新興人絹(株)設立。レーヨンステープル生産を開始、繊維会社を持たなかった三菱が経営参加を申し入れ、1937年日本化成工業(株)の傘下に入る。1944年三菱化成工業(株)となるが、戦後財閥解体により繊維部門は1950年新光レイヨン(株)として新発足。1952年三菱レイヨン(株)と改称、総合化繊メーカーとして発展する。30年史は創業からの沿革と資料編からなる。[三菱レイヨン(株)沿革 https://www.mrc.co.jp/company/history.html]
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