収録社史一覧

業種"その他製造業" 社史一覧 全46件中46件 1件〜46件目を表示

並び替え
表示切替
表示件数
会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
(株)安藤七宝店 その他製造業 『鏤采摛文 : 安藤七宝店百年史』(1981.09)
(株)イトーキ その他製造業 『イトーキのあゆみ : イトーキ80年史』(1970.10) 大阪生まれの小野五十三郎(おの・いそさぶろう)は養子縁組で伊藤喜十郎(いとう・きじゅうろう、1855-1936)となり、財界人事務所に勤務していた1890年(明23)、東京で開催された第3回内国勧業博覧会を見学。展示されていた発明特許品を世に広めるための販売店創設を決意、多くの賛同を得て同年大阪に伊藤喜商店を開業。看板は渋沢栄一が揮毫。金庫・謄写版・事務用品など多品目を扱い業績を伸ばす。1937年(昭12)東京へ進出、戦後はオフィスシステムの開発を手掛け1963年(昭37)イトーキと改称。80年史には創業の頃の商品写真を種々載せている。
(株)イトーキ その他製造業 『イトーキ100年史』(1991.03) 100年史は1~4章が80年史を踏まえた前史、5~7章が以降20年の発展を詳述した本史、資料編という構成。渋沢栄一揮毫の「伊藤喜商店」看板写真も掲載。
大塚製靴(株) その他製造業 『大塚製靴百年史』(1976.01)
大塚製靴(株) その他製造業 『大塚製靴百年史. 資料』(1976.03) 『大塚製靴百年史』(社史ID:07020)の資料編
大塚製靴(株) その他製造業 『大塚製靴株式会社五十年 : 老舗の近代化』(2003.08) 1950年に個人商店大塚商店を株式会社に改組してからの50年史。創業からの沿革は1976年「大塚製靴百年史」として刊行している。「株式会社五十年」では、序章として1872年大塚岩次郎が開業した大塚商店の歴史を記述。本章は戦後の歩みを5章に分け、経営史を中心に述べている。多角経営せず技術を誇る製靴一筋に歩んだこと、同族による独立経営を維持したことが特徴。執筆は外部研究者に委託、索引付。
オーベクス(株) その他製造業 『オーベクス100年史』(1993.03) 明治初期洋風化が鼓舞され、渡欧した益田孝が帽子の国産化を着想し、帰国後1889年渋沢栄一らと共に有限責任日本製帽会社設立。生産開始したものの業績不振により1892年解散し、新たに東京帽子(株)を設立して権利義務を継承、栄一は初代取締役会長。社史は戦前のフェルト帽製造の歴史と戦後の経営多角化、1985年にオーベクス(株)と社名変更して経営改革するまでの通史を4章に分けて記載。第5章部門史では、「帽子」「アパレル」「ヘルメット」「ペン先」の製品別に歴史と現状を記載している。
オーロラ(株) その他製造業 『The course of hundred years : 1896-1996』([1996])
小川写真製版所 その他製造業 『創業紀念三十年誌』(1913.08)
オリエンタル写真工業(株) その他製造業 『オリエンタル写真工業株式会社三十年史』(1950.05) 明治期から輸入に依存していた写真感光材料の国産化を志した菊池東陽(きくち・とうよう、1883-1939)は、米国で乳剤研究の後に感光乳剤製法を完成。帰国して会社設立準備にかかり渋沢栄一の紹介で植村澄三郎(うえむら・ちょうざぶろう、1862-1941)を会長に、1919年(大8)オリエンタル写真工業を設立。渋沢家の写真師江木写真店の五十嵐与七が役員に加わる。印画紙を発売し好評を得、輸出も開始する。業績を伸ばし工場を拡張し、写真の啓蒙雑誌『フォトタイムス』を発行、人材育成のためオリエンタル写真学校を創設。新製品を開発して業容を拡大する。渋沢栄一等の写真入り30年史は写真材料の解説や創業者の交友関係を含め、創業前後からの歩みを5章にわたり丁寧に記述。巻末に役員小伝、関係会社略史付。渋沢秀雄(しぶさわ・ひでお、1892-1984、栄一四男)は監査役。[2000年(平12)サイバーグラフィックス(株)と社名変更]
共同印刷(株) その他製造業 『創造の系譜 : 共同印刷の80年』(1977.06) 長岡出身の大橋佐平(おおはし・さへい、1834-1901)は1887年(明20)出版社博文館を設立、その自家用印刷工場として1897年(明30)博文館印刷工場を創設した。後に博文館以外のものも印刷、さらに美術印刷のため設立した精美堂を合併し1925年(大14)共同印刷を設立、初代社長は娘婿の大橋光吉(おおはし・こうきち、1875-1946)。海外から最新の印刷機を積極的に導入し発展、紙以外に布や金属の印刷も開始し「東洋一の印刷のデパート」と称される。80年史は日本工業新聞に連載した「共同印刷・社史挿話」をまとめて出版したもの。
共同印刷(株) その他製造業 『共同印刷90年史』(1987.06)
共同印刷(株) その他製造業 『共同印刷百年史』(1997.06)
共同印刷(株) その他製造業 『共同印刷百二十年史』(2017.10) 出版社、博文館の専用工場として、1897(明治30)年、博文館印刷工場が創設される。翌年、工場移転を機に合資会社博進社工場と改称。1905(明治38)年、合資会社博文館印刷所と改称し、博文館以外の発注も受けるようになる。1918(大正7)年に株式会社に改組。1925(大正14)年に株式会社精美堂と合併し、共同印刷株式会社となる。本社史は博文館印刷工場創設から数えて120周年を記念し制作された。第1部では既刊『共同印刷百年史』の内容を再編集し、第2部で近20年について詳述する構成となっている。巻末には資料編のほか、コラム、社長と若手社員の座談会を掲載。
(株)キングジム その他製造業 『鷲 : キングジム60年史 : 創業60周年記念誌』(1987.05)
シヤチハタ工業(株) その他製造業 『飛翔 : シヤチハタ60年のあゆみ』(1986.03) 連続捺印できるスタンプ台製造販売の舟橋商会は1925年(大14)名古屋に創立、名古屋城の鯱を旗に描いたマークを使う。1940年(昭15)販売部門を独立させシヤチハタ商事設立、海外にも進出。翌年には舟橋商会を改組し、シヤチハタ工業を設立する。第二次大戦後は工場を再建し大量生産方式を確立。1965年(昭40)スタンプ台のいらない「Xスタンパー」の印鑑を発売しヒット商品となる。60年史はイベント編、読みもの編、祝賀編、社業編、資料編、年表編からなり、会社のプロフィールをビジュアルに表現。社名の由来である「シャチ物語」や、姓氏と家紋についての読物も掲載。[1999年(平11)シヤチハタ工業とシヤチハタ商事が合併し社名をシヤチハタ(株)に変更]
(株)秀英舎 その他製造業 『株式会社秀英舎創業五十年誌』(1927.03)
須賀工業(株) その他製造業 『須賀工業90年史』(1992.11)
大日本印刷(株) その他製造業 『DNP : 1876-2001』(2002.06)
大日本印刷(株) その他製造業 『大日本印刷株式会社史 : 七十五年の歩み』(2003.10) 旧幕臣の佐久間貞一(さくま・ていいち、1848-1898)は1873年(明6)築地の大教院で宗教新聞発行に関わり、大内青巒(おおうち・せいらん、1845-1918)らと1876年(明9)活版印刷の秀英舎を創業。印刷設備が貧弱なため、渋沢栄一の援助で製紙会社の印刷機械を借用。新聞・雑誌・単行本の印刷と業容を拡げ1894年(明27)株式会社となる。1935年(昭10)に日清印刷と合併、大日本印刷と改称。75年史は秀英舎創業からの歩みを元役員が執筆し1952年(昭27)に出版された。本文と巻末資料からなる簡素な体裁で、複製版は大きさがやや縮小されている。
大日本印刷(株) その他製造業 『大日本印刷百三十年史』(2007.04)
大日本印刷(株) その他製造業 『大日本印刷百三十年史. 資料編』(2007.04) 『大日本印刷百三十年史』(社史ID:07190)の資料編
田島ルーフィング(株) その他製造業 『わが国建材の100年と三星の50年』(1969.06) 蔵前高等工業学校出身の田島武長(たじま・たけなが、1890-1977)は、塗料の仕事を経て1919年(大8)応用化学研究所を創設。外国品に依存していたルーフィング(屋根の防水材)の国産化に成功し、製品ブランドを三星とした。1926年(大15)防水材料ギルソイドルーフィングの特許権を獲得、翌年合資会社に改組し防水工事材料の分野に本格的に進出。1938年(昭13)田島応用化工(株)に改組・改称、戦時中は軍管理工場となる。戦後タイル部門にも進出し1952年(昭27)三星アスファルトタイル(後に三星プラスタイル)を新設。社内体制を整備し1965年(昭40)田島応用化工を田島ルーフィングに、三星プラスタイルを田島応用化工に改称、建材界トップメーカーとして発展する。本史は日本の建材の100年、三星グループの50年、創業者田島武長、現況、資料からなり、明治以降の建材界の推移を概観することができる。
東京写真材料商業協同組合 その他製造業 『東京写真材料商業協同組合100年史 : 1906-2006』(2006.05)
東京文具商報社 その他製造業 『東京文具発展史』(1929.06)
東京帽子(株) その他製造業 『東京帽子八十五年史』(1978.11) 明治維新後、西洋帽子の需要が高まったことから、渋沢栄一らは日本製帽会社を設立するも1892(明治25)年、業績不振により解散。同年、同社の事業を継承し、益田克徳、馬越恭平らとともに東京帽子株式会社を設立。帽子のほか紳士用品、ペン先の製造、販売を行う。本社史の序章では創立前史としてフェルト帽子の起源や明治期の帽子事情、前身の日本製帽会社の成り立ちについて触れる。沿革は明治、大正・昭和(終戦迄)、昭和(終戦後)の3章に分け、各時代背景や帽子の流行の変化についても記述している。[1985(昭和60)年、オーベクス株式会社に商号変更。2007(平成19)年、アパレル事業帽子部門をオーロラ株式会社に譲渡。]
東洋ランル(資) その他製造業 『創立弐拾週年記念帖 : 御大典之佳辰』(1928.11)
東洋ランル(資) その他製造業 『創立弐拾週年記念会の状況』(1928.12)
凸版印刷(株) その他製造業 『凸版印刷株式会社60年のあゆみ : leardership through quality since 1900 Toppan Printing Co.』(1960)
凸版印刷(株) その他製造業 『凸版印刷株式会社六拾年史』(1961.10)
凸版印刷(株) その他製造業 『TOPPAN1985 : 凸版印刷株式会社史』(1985.05)
凸版印刷(株) その他製造業 『凸版百年』(2001.06)
凸版印刷(株) その他製造業 『百年百刷』(2001.06)
(株)トミー その他製造業 『トミー75年史 : 真の国際優良企業を目指して』(2000.07)
(株)ニッピ その他製造業 『ニッピ八十五年史. 上巻』(1992.04) 古代より我が国の皮革業は発達していたが、明治初期西欧の製革法が導入され、軍納品を中心に皮革製品の製造が増大。1907年日露戦争後の不況時に(株)桜組、(名)大倉組皮革製造所、東京製皮(資)が合併し、日本皮革(株)創立、会長大倉喜八郎、相談役渋沢栄一。戦後は経営多角化し、1974年(株)ニッピと社名変更。85年史の上巻は土屋喬雄監修1957年発行「日本皮革株式会社五十年史」の復刻で、我が国皮革産業の発達史から書き起こす。下巻は以降1991年までの35年史で、関連会社小史、資料編、用語解説付。
(株)ニッピ その他製造業 『ニッピ八十五年史. 下巻』(1992.04) 『ニッピ八十五年史. 上巻』(社史ID:07320)の下巻
(株)ニッピ その他製造業 『ニッピ110年史』(2017.09) 1907(明治40)年、株式会社桜組、合名会社大倉組皮革製造所、東京製皮合資会社が合併し、日本皮革株式会社を設立。1974(昭和49)年、株式会社ニッピへ社名変更。2007(平成19)年、皮革製造事業を終了し、ゼラチン、コラーゲン・ケーシング事業を中心とした企業となる。本社史は『ニッピ八十五年史』から四半世紀を経て制作されたもの。前社史以降の期間は、創業事業の皮革製造の終了など同社にとって大きな転換期となった。資料編には同社事業に関わる用語解説付き。『110年史』と『八十五年史』を収録したDVD-ROMを付属。
日本楽器製造(株) その他製造業 『社史』(1977.07) 医療機械修理をしていた山葉寅楠(やまは・とらくす、1851-1916)は、小学校のオルガン修理をきっかけに1888年(明21)静岡県浜松で山葉風琴製造所を創業。1897年(明30)には日本楽器製造となり、オルガンやピアノを始め種々の楽器製造を手掛け、内外の博覧会で好評を得る。第一次大戦後の不況等で経営悪化した同社は1927年(昭2)住友から川上嘉市(かわかみ・かいち、1885-1964)を社長に迎え、急速に立ち直る。第二次界大戦後は経営多角化をはかり家具、住宅関連産業へも進出。ピアノも世界的評価を得る。社史は創業からの歩みを読みやすくまとめ、巻末に関係者の回顧を掲載。[1987年(昭62)創業100年を記念しヤマハと社名変更]
日本製靴(株) その他製造業 『Steps : 日本製靴の歩み 1902~1989』(1990.01) 西村勝三(にしむら・かつぞう、1836-1907)の合資会社桜組、大倉喜八郎(おおくら・きはちろう、1837-1928)の合名会社大倉組皮革製造所のほか福島合名会社、東京製皮合資会社の4社は製靴部門を統合し、1902(明治35)年、日本製靴株式会社を創立。戦後は「リーガル」ブランド等の靴の生産、販売を行う。1990(平成2)年、商号を株式会社リーガルコーポレーションに変更。本社史では前半二章を使い、桜組など日本製靴創立までの前史、および日本靴産業の発展について記述。商号変更直前の1989(平成元)年までの社史で、結びでは新しい社名の検討を開始したことに触れている。巻末では「靴とファッション史」を特集するとともに、各年代の日本製靴の広告やカタログ写真を掲載。参照文献として『青淵先生六十年史』『竜門雑誌』(第138号、第240号)の記載あり。
日本皮革(株) その他製造業 『日本皮革株式会社五十年史』(1957.04) 『ニッピ八十五年史. 上巻』(社史ID:07320)に復刻されている。
福助(株) その他製造業 『フクスケ100年のあゆみ』(1984.05)
福助足袋(株) その他製造業 『福助足袋の六十年 : 近世足袋文化史』(1942.10)
三木産業(株) その他製造業 『出藍録 : 三木産業小誌』(1955.04) 徳島の雑貨商三木家は1674年(延宝2)阿波藍の取扱を開始。後に江戸に支店を構え、明治期には印度藍やドイツ産人造藍を扱う。染料業界へ進出し、1918年(大7)三木与吉郎商店を継承して(株)三木商店創立。外地へも発展し1943年(昭18)三木産業(株)と改称。第二次大戦後は染料と化学製品を幅広く取扱う問屋として復興する。当該社史は三木家文書により研究者が執筆。藍商の創業から戦後の復興までの280年の歩みを簡潔に記し、(株)三木商店創立以降の詳細年譜、役員一覧等を付す。本文中に藍製造装置等の図版入り。
三菱鉛筆(株) その他製造業 『時代を書きすすむ三菱鉛筆100年』(1986.10) 佐賀出身の真崎仁六は東京の貿易会社に務め、1878年(明11)パリ万博に出張、出展されていた鉛筆に感動し独学で製造法を研究する。1887年(明20)真崎鉛筆製造所を設立、鉛筆の製造販売を開始。改良を重ねて1901年(明34)逓信省御用品となり、真崎が考案した三菱マークの商標を登録。1925年(大14)色鉛筆生産の大和鉛筆と合併し真崎大和鉛筆(株)誕生。戦後解体された三菱財閥とは無関係のため商標は残る。1952年(昭27)三菱鉛筆(株)と改称し、鉛筆以外の筆記具にも進出。100年史の第1部は「書く・描く」ことの歴史を、第2部で沿革を記述している。
ヨシモトポール(株) その他製造業 『美しいくにづくりの半世紀』(2011.12)
(株)リーガルコーポレーション その他製造業 『Step with you : 100』([2002])
表示件数
PAGE TOP