収録社史一覧

業種"パルプ・紙" 社史一覧 全47件中47件 1件〜47件目を表示

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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙株式会社案内』(1926.03) 渋沢栄一らの企図で洋紙製造を目的に1972年(明5)会社設立願書提出、翌年認可され抄紙会社が創立。1876年(明9)製紙会社、1893年(明26)王子製紙(株)と改称。近代技術を導入し全国に13工場を擁するまでに発展する。この会社案内は沿革に続き、各工場や事業の概要を簡潔にまとめたもの。後半は工場や設備を写真で紹介し、最後に自社製品の使用用紙7種類の明細を記載している。[会社案内は1910年以降ほぼ隔年で7冊が刊行されている]
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙株式会社案内』(1936.09) 1872年(明5)創立の王子製紙(株)は1933年(昭8)富士製紙、樺太工業と合併し、全国に34工場、資本金3億円の大企業となる。この会社案内は絹表紙の立派な装丁で本文は神崎工場製のアート紙を使い、1926年版の2倍の大きさ。沿革13頁に続き各工場や設備を大判写真83枚で解説している。
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史. 第1巻』(1956.06) 渋沢栄一らの尽力で1872年(明5)設立出願、翌年創業した抄紙会社は後に王子製紙となり、当初より近代製紙技術を採り入れ発展。1933年(昭8)富士製紙、樺太工業を合併し、生産量は国全体の8割を占めるまでに成長する。戦後1949年(昭24)過度経済力集中排除法の適用により苫小牧製紙、十条製紙、本州製紙の3社に分割される。創業から分割までの歩みを記した社史は全4巻と附録篇からなる。第1巻は創業から日清戦争まで、第2巻は日露戦争前後、第3巻は大正期から昭和前期、第4巻は太平洋戦争前後、附録篇には明治期創業の製紙会社21社の小史、紙業年表、紙業統計を掲載。各巻に詳細な写真目録と人名索引付。[著者成田潔英(なりた・きよふさ、1884-1979)は王子製紙元社員で紙の博物館初代館長]
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史. 第2巻』(1957.05) 『王子製紙社史. 第1巻』(社史ID:02570)の第2巻
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史. 第3巻』(1958.04) 『王子製紙社史. 第1巻』(社史ID:02570)の第3巻
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史. 第4巻』(1959.10) 『王子製紙社史. 第1巻』(社史ID:02570)の第4巻
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史. 附録篇』(1959.10) 『王子製紙社史. 第1巻』(社史ID:02570)の付録篇
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙解体余聞』(1958.03) 第二次大戦後1949年(昭24)王子製紙が解体された経緯を、同社社長中島慶次(なかじま・けいじ、1894-1973)らに経済誌記者薬袋進(みない・すすむ)が取材してまとめた著作。トピックごとの25章からなり、当初GHQが要求した9分割案を最終的に3分割にとどめた会社首脳陣の働きを記録した。『日刊東洋経済』での連載を本にしたもので、王子製紙元社長藤原銀次郎(ふじわら・ぎんじろう、1869-1960)と前首相で東洋経済新報社元社長石橋湛山(いしばし・たんざん、1884-1973)が序文を寄せている。巻末追録に解体経緯を記した王子製紙文献管理委員会記録と、抄紙会社から解体に至る王子製紙の系譜概要と図を掲載。
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙南方事業史』(1964.06) 1933年(昭8)の合併で国内最大の製紙会社となった王子製紙は、1941年(昭16)太平洋戦争勃発後に軍部の要請で南方地域へ進出。マレー半島、スマトラ、ジャワ、フィリピン、ニューギニア等の地域に工場を建設し、抄紙機械と技術者・工員計400名以上を送り込む。現地人も採用し現地の木材で生産開始するが、1945年(昭20)の敗戦で全ての工場を喪失する。南方事業史は各地に派遣された社員約40名から原稿を集め、7つの地域ごとに工場建設から帰還までの状況をまとめたもの。本文中に派遣された人々や現地の写真を取り込み、巻末に人名索引付。
王子製紙(株) ; 十条製紙(株) ; 本州製紙(株) パルプ・紙 『製紙業の100年 : 紙の文化と産業』(1973.06) 紙幣類や新聞・書籍用の国産洋紙製造のため、渋沢栄一らの尽力で1873年(明6)抄紙会社が誕生。後に王子製紙と改称し近代技術を導入して発展する。本書は創業100年記念に、旧王子製紙が戦後3分割されて誕生した王子製紙(当初は苫小牧製紙)、十条製紙、本州製紙の3社が共同出版したもので、4つの部分からなる。「紙と文化」では紙の役割を歴史的にたどり、「製紙業100年のあゆみ」では明治以降の近代的製紙業の発達と変遷を記述。「製紙業をになった人びと」では製紙業の発展に関わった40人を取り上げ、写真と共に業績を紹介。「現状と将来の展望」と題した座談会では3社社長が忌憚なく論じあっている。巻末に資料付。[王子製紙は新王子製紙と改称後、1996年(平8)本州製紙と合併し再び王子製紙と改称(現・王子ホールディングス)。十条製紙は合併により1993年(平5)日本製紙となる]
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙山林事業史』(1976.06) 明治初頭より製紙業を経営した旧王子製紙の山林事業を体系的にまとめたもの。原料の調達と製造からなる製紙事業のうち、森林資源を原料として供給していく山林事業の発展が、安定経営に不可欠であった。本書は第1部総説で本州から北海道、樺太はじめ海外に広がった旧王子製紙の山林事業を地域ごとに概観した上で、業務機構の変遷を記述。第2部各説では会社の創設期、成立期、発展期、合併期、戦後の1949年(昭24)旧王子製紙解体までと時代順に事業の推移を記述し、最後に伐採と並行して行ってきた造林事業に触れる。戦後の解体で発足した王子製紙、十条製紙、本州製紙3社の共同編集で、巻末に編集委員会、共同執筆者、資料提供者・協力者名を掲載。
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史 : 戦後三十年の歩み』(1982.02) 敗戦後占領政策により1949年(昭24)旧王子製紙は3社に分割される。その中の苫小牧製紙は、新聞用紙の単一品種生産ながら最大規模であった苫小牧工場を引き継ぎ発足。旧王子製紙の伝統を継承し、1952年(昭27)王子製紙工業、1960年(昭35)王子製紙と改称。外地引揚者の受入や大規模労働争議等の問題を克服し、全国に工場を建設。海外にも進出して業界首位の製紙会社に発展する。苫小牧製紙発足からの30年史は6編に渡って沿革を詳述し、巻末に資料編を付す。『王子製紙社史』(1956-59)と同様の装丁。[1993年(平5)神崎製紙を合併し、新王子製紙(株)となる]
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史 : 1873-2000. 本編』(2001.08) 1873年(明6)創立の王子製紙は戦後3分割される。苫小牧工場を引き継いで1949年(昭24)発足した苫小牧製紙は、近代化を進め経営環境の変化に対応して発展。王子製紙工業、王子製紙、新王子製紙と変遷後、本州製紙との合併により1996年(平8)三たび王子製紙となる。苫小牧製紙発足から50年を記念して発刊された社史は、本編・合併各社編・資料編の3冊からなる。本編は30年史(1982)以降の20年に重点を置きつつも、創立からの足跡を通史として記述。合併会社編には北日本製紙、日本パルプ工業、東洋パルプ、神崎製紙、本州製紙の各社史及び、本州製紙に合併した5社の社史を収録。資料編には業界統計も含めた各種資料を掲載。[2012年(平24)持株会社制に移行し王子ホールディングス(株)と改称][社史本編は全文がDNP「社史の杜」サイトで公開されている]
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史. 資料編』(2001.08) 『王子製紙社史 : 1873-2000. 本編』(社史ID:02670)の資料編
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史. 合併各社編』(2001.08) 『王子製紙社史 : 1873-2000. 本編』(社史ID:02670)の合併会社編。北日本製紙、日本パルプ工業、東洋パルプ、神埼製紙、本州製紙、福岡製紙、東信製紙、佐賀板紙、本州ダンボール工業、鶴崎パルプ各社の社史、資料集、年表、索引を収録。
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙の軌跡 : Kami, 紙, paper』(2004.08) 1873年(明6)創業の王子製紙の歩みを左ページに、明治以降の日本の紙と文化の関わりを右ページに配した写真集。左ページには工場、原料木の山林、関わった人々等の写真を置き、右ページには新聞、教科書、広告、包装紙等の各種紙製品の写真を置いている。2003年(平15)の創業130周年記念事業の一環として編集されたもので、中国を始め海外への事業展開にも触れている。本文は日本語・中国語・英語併記。巻末の「東洋に咲いた“華”」で自社の沿革を概観している。
王子製紙(株)苫小牧工場 パルプ・紙 『五十年の歩み : 1910-1960』(1960.12) 王子製紙(株)は1904年(明37)新工場建設地を求めて北海道へ進出、支笏湖周辺に理想的な土地を発見。まず発電所を建設し、1909年(明42)に苫小牧工場建物落成、翌年から操業開始。近代設備で新聞用紙を生産する。50年史は工場施設、原木を切り出す原野、発電所、製品の積出港、工場の様々な出来事や従業員の生活などを写真で綴っている。巻末に年表付。
王子製紙(株)苫小牧工場 パルプ・紙 『王子製紙苫小牧工場創業100年のあゆみ : スエズ以東にかかる大工場なく、日本製紙界に一大改革を起こす』(2010.09) 洋紙の国内自給を目指して1910年(明43)操業開始した王子製紙苫小牧工場は、最新鋭の設備導入と技術革新で世界最大の新聞用紙工場として発展する。100年史は操業開始からの歩みを時代順に7章で綴り、多くの図版やエピソードを本文中に取り入れている。巻末に資料付。社史はこれまでに『五十年の歩み』(1960)が出ている。
(株)大倉博進 パルプ・紙 『創業90年年表』(1979.11) 日本橋の出版業者大倉孫兵衛(おおくら・まごべえ、1843-1921)は洋紙需要拡大を見抜き、1889年(明22)大倉孫兵衛洋紙店(後に大倉洋紙店)を開業。一方博文館勤務の山本留次(やまもと・とめじ、1872-1852)は叔父の社長大橋佐平の勧めで独立し、1897年(明30)洋紙販売の博進堂(後に博進社)を創業。両社は時勢に乗って躍進し、業容を広げる。大倉洋紙店は1962年(昭37)名古屋の愛知洋紙店を、1964年(昭和39)横浜の五輪堂洋紙店を合併。1971年(昭46)には業界安定を目指して博進社と合併し、(株)大倉博進が誕生。大倉洋紙店創業からの90年史は、見開き2ページ単位で上部に年表、下部に沿革をまとめ、随所に写真や図表を掲載。[1985年(昭60)大倉紙パルプ商事(株)と改称、その後合併を経て2005年(平17)新生紙パルプ商事(株)となる]
(株)岡山製紙 パルプ・紙 『岡山製紙100年史 : 1907-2007』(2008.02)
加賀製紙(株) パルプ・紙 『加賀製紙百年』(2016.03)
柏井紙業(株) パルプ・紙 『清流永遠に : 柏井紙業株式会社・80年史』(1992.04) 明治以降貿易港として発展していた神戸は和紙の集積地でもあった。鈴木商店で商売を学んだ柏井慶治(1889?-1964)は紙の需要に着目し、1910年(明43)柏井紙店を開業。和紙販売を軌道に乗せ、1936年(昭11)には合名会社柏井商店を設立。戦争を経て1947年(昭22)設立の柏井紙業(株)に事業を移し、需要の変化に合わせ洋紙販売に転換。1971年(昭46)には東京支店を開設し、全国に営業拠点を広げる。王子製紙と上質紙の共同開発を進めるなど、洋紙専門商社として発展する。80年史は創業期からの歩みを時代順に13章にまとめ、14章は資料編。各章扉にその時期の年表を記載。[2007年(平19)国際紙パルプ商事(株)と合併]
樺太工業(株) パルプ・紙 『真岡工場要覧』([1925]) 輸入に頼っていたパルプの国産化を目指し、大川平三郎(おおかわ・へいざぶろう、1860-1936)は原料木材と燃料石炭の豊富な樺太に1913年(大2)樺太工業(株)を創立。泊居(とまりおる)工場に続いて1924年(大13)恵須取(えすとる)工場も操業し、両工場合わせ年間8万トンのパルプを生産する。一方で上質洋紙生産を目指し1919年(大8)真岡工場を操業。模造紙、印刷用紙、半紙など年間4千万ポンド(約2万トン)を生産し国内やアジア各地で販売。行啓記念として刊行された真岡工場要覧は、小冊子ながら沿革と現況を写真・図表入りでわかりやすく記述している。[1933年(昭8)王子製紙(株)に合併(現・王子ホールディングス(株))]
神崎製紙(株) パルプ・紙 『神崎製紙の歩み』(1971.01) 幕府開成所に学んだ真島襄一郎(1852-1912)は1894年(明27)大阪淀川の支流神崎川にのぞむ地区に真島製紙所を創立。後に野田製紙、富士製紙を経て1933年(昭8)王子製紙に吸収される。戦後1948年(昭23)王子製紙から分離独立し、神崎製紙(株)創立。アート紙を生産していた神崎工場を中心に発展する。真島製紙所創立から書き起こした社史は7章からなり、巻末に資料。[1993年(平5)王子製紙と合併し新王子製紙(株)となる]
小林記録紙(株) パルプ・紙 『記録の記録 : 小林記録紙50周年記録誌』(1988.04) 工業計器や気象観測器用の輸入記録紙卸店に勤務していた小林日吉は、記録紙の国産化を目指し1937年(昭12)東京田端に小林商店を設立。高品質の記録紙を生産販売し、1939年(昭14)小林記録紙製造所と改名。戦後株式会社となり業容を拡大、1986年(昭61)販売会社を合併して小林記録紙となる。50年史は自社の沿革のほか、「ビジネス・からだ・気象・音・映像・生産・地球・交流・天災・移動・発明・ことば・真理・世相」それぞれの記録の歴史を記録している。「移動」の記録には渋沢栄一著『航西日記』も紹介。人名・事項・写真索引付。[2007年(平19)小林クリエイトと社名変更]
山陽パルプ(株) パルプ・紙 『20年誌』(1966.11) 王子製紙の傍系会社として1937年(昭12)発足した山陽パルプ工業は、工場を山口県岩国に建設し人絹パルプを製造。戦時中は軍需転換したが、戦後に紙・パルプの需給が逼迫し、立地条件の優れた岩国工場の再建が強く要望された。1946年(昭21)大川鉄雄(おおかわ・てつお、1897-1975)らが発起人となり山陽パルプを創立、岩国工場の設備を復旧して製紙パルプ生産を開始。20年史はハンディな体裁ながら多くの図表と写真を取り入れている。社史は『十年誌』(1956)が出ている。[1972年(昭47)国策パルプと合併し山陽国策パルプとなる(現・日本製紙)]
十条製紙(株) パルプ・紙 『十条製紙社史 : 自昭和二十四年八月至昭和四十八年五月』(1974.03) 1873年(明6)に発足した王子製紙は戦後の過度経済力集中排除法により1949年(昭24)苫小牧製紙、十条製紙、本州製紙の3社に分割。十条、釧路、小倉など7工場と研究所を引き継いだ十条製紙は堅実経営で業績を伸ばす。1960年代から森林開発や清涼飲料販売など経営を多角化、1968年(昭43)には東北パルプを合併し規模を拡大。海外にも進出して発展する。王子製紙発足100年を機に編纂した十条製紙のこの社史は、王子製紙の略史を含めた会社発足のいきさつから書き起こし、会社発展の歩みを簡潔にまとめている。本文中に図表を載せ、巻末に資料付。[1993年(平5)山陽国策パルプと合併し日本製紙(株)となる]
十条製紙(株) パルプ・紙 『十条製紙社史. 続』(1998.03) 1949年(昭24)王子製紙の分割により発足した十条製紙は、1993年(平5)山陽国策パルプと合併し日本製紙(株)となる。1974年(昭49)出版の『十条製紙社史』の続編として刊行された本書は、まず第1集で十条製紙の発足から合併までの足跡を編年で記述している。続く第2集では工場移転や技術革新、新会社設立といった重大な出来事を4つの挿話としてノンフィクション作家がまとめ、更にそれを補完する取材余話を加えている。巻末に資料集付。
十条製紙(株)石巻工場 パルプ・紙 『五十年史』(1990.06) 1938年(昭13)創立の東北振興パルプは石巻と秋田に人絹用パルプ製造工場を建設し1940年(昭15)操業開始。終戦後1949年(昭24)東北パルプと社名変更し、石巻工場は製紙用パルプと上質紙生産に重点を移す。1968年(昭43)十条製紙に合併し、同社石巻工場となる。以降十条製紙の基幹工場として設備を増強し、印刷用紙生産では世界最大の規模に発展する。操業開始からの50年史は、巻頭の90頁近い写真集に続き工場の50年概史を8章にわたって記述。次に福利厚生や労働組合史を「折々の記」としてまとめ、歴代工場長や従業員の声を本文中にコラムとして取り入れ、巻末に資料を付している。[1993年(平5)山陽国策パルプと合併し日本製紙(株)が誕生、同社石巻工場となる]
東海パルプ(株) パルプ・紙 『東海パルプ六十年』(1968.04) 古来木材の産地であった静岡県大井川の源の井川山林を、大倉組頭取大倉喜八郎(おおくら・きはちろう、1837-1928)が1895年(明28)に入手。大井川水利権も入手し発電所を建設、1907年(明40)パルプ製造を目的に東海紙業創立。戦時中は航空機部品の製造を手がけ1943年(昭18)東海事業と社名変更。戦後は産業需要の傾向をとらえてクラフトパルプ事業に進出、1951年(昭26)東海パルプと社名変更。60年史はコンパクトな体裁ながら沿革と関係会社の略史、座談会、資料編からなる。[渋沢栄一が計画に関わった日英水力電気の発電所を引継いでいる]
東海パルプ(株) パルプ・紙 『東海パルプ90年史』(1998.10) 創立からの90年史であるが、60年史以降の30年を中心に、様々な産業用紙製造へ業容を拡大した歩みを記述している。表紙カバーには起業の原点である井川山林の写真を使用。
東缶興業(株) パルプ・紙 『東缶興業五十年の歩み』(1993.07)
東北パルプ(株) パルプ・紙 『社史』(1952.10) 王子製紙社長藤原銀次郎(ふじわら・ぎんじろう、1869-1960)は東北の豊富なブナからパルプを生産するため、東北興業と協力して1938年(昭13)東北振興パルプを設立。石巻と秋田に工場を建設し、1940年(昭15)操業開始する。終戦後占領軍指示で様々な制限を受けたが、1949年(昭24)それらが解除されたのを期に東北パルプと社名変更。操業10年を記念して出された社史には、設立関係者の談話・手記が取り入れられている。[1968年(昭43)十条製紙と合併、1993年(平5)日本製紙となる]
日本紙パルプ商事(株) パルプ・紙 『百三十年史』(1975.12) 1845年中井三平が京都で和紙商の越三商店を創業。明治初年に洋紙の製造が開始されるといち早くその取扱いを始め、1876年中井商店と改称、王子製紙と長年にわたり取引。1902年個人商店から合名会社に改組、その相談を受けた渋沢栄一は顧問に就任。1916年株式会社となる。戦後1963年に中井(株)となり、北興産業、北陸紙業、富士洋紙店と合併して1970年日本紙パルプ商事(株)が発足。社史は1975年までの歩みを編年体で記載している。
日本紙パルプ商事(株) パルプ・紙 『百五十年史』(1996.12) 1845年からの150年史で、1975年までの記述は「130年史」の要約。本史は5つの章に分けられ、1970年日本紙パルプ商事(株)として発足してからの歩みを詳述。巻末に資料編。
日本製紙(株) パルプ・紙 『日本製紙株式会社十五年史』(1933.11) 第1次大戦時の好景気の影響で、紙価が高騰。国定教科書発行所の一つである東京書籍(株)は用紙を従来王子製紙等から仕入れていたが、1917年に用紙が不足し、他の出版業者と共同して新たに製紙会社の設立を計画。翌1918年に設立登記完了し、東京府北豊島郡岩淵町(現北区)に工場を建設。社史は15年の歩みを編年体で述べた後、附録として設立に功績のあった物故役員の略伝を掲載。[1963年大昭和製紙(株)の系列に入るが、経営不振のため1971年解散]
(株)博進社 パルプ・紙 『紙業界五十年 : 創業四十周年記念』(1937.07) 長岡出身の山本留次(やまもと・とめじ、1872-1852)は叔父大橋佐平(おおはし・さへい、1836-1901)の起こした博文館に創業時から勤務し支配人を務める。創立10年を機に大橋の勧めで独立し、1897年(明30)洋紙販売の博進堂を創業。1909年(明42)姉妹会社として文具製造販売の文運堂を設立。山本は翌年欧米紙業界を視察し、1911年(明44)博進堂を(株)博進社と改組、増資を行い事業を拡大する。創業40年を機にまとめた当該社史は、明治以降の日本の紙業界の歩みを19章にまとめ、博進社及び関係事業の沿革と山本留次の随想を付している。[1971年(昭46)大倉洋紙店と合併し、(株)大倉博進(現・新生紙パルプ商事(株))となる]
(株)服部紙店 パルプ・紙 『社史』(1963.06) 伊勢商人の服部家初代仁平治は江戸へ出て1659年(万治2)煙草屋を開業。3代八左衛門(?-1774)が紙商を始め、明治以降は洋紙販売も開始。1887年(明20)設立の富士製紙の販売店となり業績を上げる。経営拡充のため1901年(明34)合資会社服部紙店を設立し、1918年(大7)には株式会社に改組。1933年(昭8)富士製紙が王子製紙と合併し、服部紙店は王子製紙の代理店となる。終戦後は紙業界の復興と共に業容を拡大する。開業300年を記念して出版した社史は12章からなり、1-4章は紙の伝播、江戸の問屋、伊勢商人について触れる。5-8章は服部紙店の創業と発展を紙業界の中に位置づけて記述。9-12章は支店や福利厚生、服部家等についてまとめている。初版(1959)に300年記念行事等の写真を追加した増補版。[1974年(昭49)服部紙商事(株)と改称、2006年(平18)国際紙パルプ商事(株)と合併]
北越製紙(株) パルプ・紙 『北越製紙百年史』(2007.04) 明治以降油田開発で活況を呈した長岡には渋沢栄一らにより北越鉄道が敷かれ、近代産業創業の機運が高まる。紙商の田村文四郎(たむら・ぶんしろう、1854-1920)と書籍商の覚張治平(がくはり・じへい、1862-1927)は共に長岡商業会議所常議員として活躍、洋紙需要の増加を見て製紙会社設立に奔走する。地元と東京の有力者の協力を得て1907年(明40)北越製紙を創業、長岡に工場を建て電動抄紙機を導入し生産を開始。以降戦争による打撃や地震などの災害も克服し業績を拡大する。100年史は通史として時代ごとの歩みを記述した本編と資料編からなる。[2009年(平21)北越紀州製紙(株)と社名変更]
本州製紙(株) パルプ・紙 『本州製紙社史』(1966.02) 1949年(昭24)過度経済力集中排除法により旧王子製紙は3社に分割。本州の7工場を引き継ぎ本州製紙が発足、高級板紙や上質紙を主力とする。1957年(昭32)北海道釧路地区に新鋭工場を建設し、産業用ダンボール原紙を製造。成長度の高い製品に重点を置き、合理化を進め発展する。社史は本社編と工場編からなり、本社編には発足からの歩みを6章に記述。工場編には釧路工場はじめ全国8工場および関連会社5社の沿革を載せている。[1996年(平8)新王子製紙と合併し、王子製紙(株)設立]
本州製紙(株) パルプ・紙 『本州製紙社史 : 48年の軌跡』(1999.04) 旧王子製紙の分割により1949年(昭24)発足した本州製紙が、1996年(平8)新王子製紙と合併し新たな王子製紙となるまでの足跡をまとめたもの。48年間の歴史を10年ごとの5部に編成し、第6部は研究開発・管理部門の動き、第7部は合併の経緯と意義を記している。巻頭に沿革図を置き、本文欄外に関連する写真を配置するほか、種々のエピソードをコラムとして本文にはさみ込んでいる。資料編では事業部や関係会社の変遷をわかりやすい図で表示し、紙製品、電気材料、段ボール、不織布など多岐にわたる製品写真も掲載。表紙の色はシンボルカラーの緑。
三菱製紙(株) パルプ・紙 『三菱製紙六十年史 : 1898-1958』(1962.03) 貿易商の米国人Walsh兄弟は製紙材料輸出から製紙業進出を図り、1872年(明5)頃神戸にJapan Paper Making Co., Ltd.を設立、1877年(明10)Japan Paper Millと改称。資金難から岩崎弥太郎が出資、1898年(明31)には買収し(資)神戸製紙所となる。1904年(明37)(資)三菱製紙所と改称、台湾へも進出し業容拡大、1917年(大6)三菱製紙(株)となる。60年史は創業時代、基礎確立時代、昭和戦前期・戦時期・戦後期、現況と資料からなり、1000頁近い大作。
三菱製紙(株) パルプ・紙 『三菱製紙七十年史』(1970.04) 60年史を圧縮して掲載した後に、10年間の歩みを工場ごとに詳述した70年史。1966年(昭41)には白河パルプ工業(株)と合併、パルプから紙に至る一貫生産体制を確立。
三菱製紙(株) パルプ・紙 『更上一層楼 : 三菱製紙90年のあゆみ』(1990.05) 創業からの歩みを90の章立てで記述した90年史。直近30年に重点をあて、読みやすくコンパクトに編集。書名は「さらに一段と高見に上がって千里の目を窮め、次への飛翔を果たしたい」という意を込めたもの。
三菱製紙(株) パルプ・紙 『三菱製紙百年史』(1999.06) 創業100周年を記念し、創業からの通史として編纂した百年史。巻末索引と別冊資料編付。
三菱製紙(株) パルプ・紙 『三菱製紙百年史. 資料編』(1999.06) 『三菱製紙百年史』(社史ID:02980)の資料編
レンゴー(株) パルプ・紙 『レンゴー株式会社八十年史 : 1909-1989』(1995.04) 兵庫出身の井上貞治郎(いのうえ・ていじろう、1882-1963)は奉公・流転の末、1909年(明42)東京で段ボール製作の三盛舎を起こす。設備を拡充し順調に発展、1920年(大9)には関係5社が合併し聯合紙器を創立。関東大震災で主力工場を失い、日本製紙を合併し大阪へ本社を移す。戦後も業容を拡大し総合包装企業へ転換、1972年(昭47)レンゴーと社名変更。80年史は沿革と資料編からなり、索引付。What is past is prologue (過ぎ去りし事は序幕なのである)というシェークスピアの台詞を引用した米国立公文書館入口の言葉で締め括られている。
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