収録社史一覧

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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
内外綿(株) 繊維 『内外綿株式会社五十年史』(1937.09) 紡績工業の興隆をみた大阪の棉花問屋秋葉新三郎、渋谷庄三らは、取引の近代化を図るため1887年(明20)内外綿会社を興す。中国・インドから棉を輸入し、国内及び上海に紡績工場を作り業容を拡大する。支配人渋谷正十郎は1893年(明26)来日したタタ商会のJ.N.タタ(Jamsetji Nusserwanji Tata, 1839-1904)を、紡績聯合会の渋沢栄一に紹介している。1902年(明35)にはN.D.タタが内外綿の監査役就任。50年史は沿革と現況からなり、商標やグラフは鮮明なカラー印刷。[第二次大戦により資産の大半を失うが、1948年(昭23)に新内外綿として新たに発足]
内国通運(株) 陸運 『内国通運株式会社発達史』(1918.10) 江戸時代より陸上運輸は飛脚問屋が担っていた。明治政府が飛脚問屋の仕事であった郵便事業を国営化するかわりに、荷物の運送業を飛脚問屋にまかせるという裁断をし、1872年(明5)定飛脚問屋により陸運元会社が設立される。陸運元会社は街道各駅の陸運会社の元締めとなり、陸上運輸の便益を図った。1875年(明8)政策により各駅の陸運会社は解散し、陸運元会社は内国通運会社と改称して全国の陸運輸送を扱う。鉄道貨物や汽船運行業にも進出し、1893年(明26)商法改正で株式会社となる。当社史は江戸定飛脚問屋時代、陸運元会社時代、内国通運会社時代、内国通運株式会社時代の区分で沿革を記述。[1928年(昭3)合同により国際通運(株)となる(現・日本通運)]
長岡商工会議所 経済団体 『長岡商工人百年の軌跡 : 不死鳥のまちを支えた商工人名録』(2011.09) 越後国の中心に位置し古来から商工業の発達した長岡は、戊辰戦争により焦土と化す。長岡の商工人は藩士らと協同して復興を計り、諸産業を勃興させた。1905年(明治38)には長岡商業会議所が設立され、産業開発と地域振興に大きな役割を果たす。1927年(昭和2)の法改正により長岡商工会議所と改称。第二次大戦で長岡は再び戦火に見舞われるが、市政や商工会議所活動等に参加する市民の力により戦後復興を果たす。2004年(平成16)に発生した新潟県中越地震においても、商工会議所は復興の主導的役割を担い、翌年100周年を迎える。本書は長岡商工会議所創立100周年記念誌としてまとめられた、長岡商工人の奮闘の軌跡。本文6章と資料編からなり、執筆は長岡郷土史研究会の有志。第1章は古代から現代までの長岡商工人らの足跡を描いたもので、本書の約半分を占める。各節の末尾には各時代に活躍した人物の情報を写真付で掲載。第2章は各時代に行われた商工会の40近いプロジェクトについて、概要を項目ごとに紹介。会議所を支えた歴代専務理事についても業績をまとめている。第3章は金物卸業から酒造業まで営々と継続している長岡の産業25を取り上げ、各業界代表者の証言を写真と共に記録したもの。第4章は先駆的でユニークな活動を展開した長岡商工人24人を取り上げ、その事績を写真付で紹介している。第5章は現在活躍中で長岡に縁のある23人へのインタビュー。第6章は歴代会頭・副会頭40名の人物像と、現職役員・議員の紹介。資料編には設立経緯などの資料の他、2009年(平成21)の渋沢栄一らをとりあげたシンポジウム「長岡と近代日本社会のリーダーたち」の記録も11ページにわたり収載されている。
中北薬品(株) 医薬品 『中北薬品二百五十年史』(1977.11) 名古屋伝馬町の油屋の2代井筒屋(中北)伊助(1722-1807)は薬種問屋で修業し、1747年(延享4)薬種業を兼業。1793年(寛政5)には薬業者の多い京町に進出して薬種専業となる。井筒屋は栄枯盛衰を経て明治期に洋薬の取り扱いを始め、1877年(明10)屋号を中北商店と改める。業界の進歩と近代化に合わせ、1914年(大3)合名会社となる。1944年(昭19)製薬部門を分離して中北製薬(株)を設立するが、戦後1950年(昭25)同社を合併し中北薬品(株)と改組改称。医療機器等の販売にも進出し総合医療産業を目指して発展する。中北家文書と社内資料から編纂した250年史は井筒屋伊助時代、中北商店時代、合名会社時代、中北薬品時代という区分で沿革を記述。各時代の薬業界の状況を、多くの史資料を使って描き出している。
(株)長崎新聞社 サービス業 『激動を伝えて一世紀 : 長崎新聞社史』(2001.09)
(株)中村塗装店 建設 『株式会社中村塗装店120年のあゆみ』(1990.03) 成田出身の中村八十吉(1846-1912)は徳川家御用漆師に弟子入りし、1870年(明3)独立。工部省鉄道寮で洋式塗装技術を習得、日本最初の新橋横浜間の汽車塗装を行う。辰野金吾、横河民輔らに学び、田中製造所(現東芝)の製品塗装、東大赤門・日本銀行・旧三井本社・帝国劇場・東京電灯発電所などの塗装を手掛ける。満州にも進出し、満州鉄道や日本人社宅の塗装も行う。1946年(昭21)商号を中村塗装店と定め、塗装業界の発展にも貢献する。120年史は沿革と現況を斬新な編集でまとめている。表紙は朱色に金文字の鮮やかな装丁。
(株)ナブコ その他輸送機器 『ナブコ70年史 : 1925-1996』(1997.10) 鉄道省の斡旋、神戸製鋼所・発動機製造・東京瓦斯電気事業の3社で設立。鉄道車両のエアブレーキを生産。駅のホームの自動ドア、義足義手なども作っている。
(株)名村造船所 造船 『造船55年』(1967.04)
南海鉄道(株) 鉄道・バス 『南海鉄道発達史』(1938.09) 大阪財界の藤田伝三郎(ふじた・でんざぶろう、1841-1912)らは大阪難波から堺までの鉄道敷設を目的に、1884年(明17)大阪堺間鉄道会社(後に阪堺鉄道)を設立。一方和歌山に1889年(明22)創業の南海鉄道は、阪堺鉄道を1898年(明31)合併。大阪和歌山間や高野山への鉄道網を整備し、バス事業や電気事業にも進出する。当該社史は沿革、事業の組織、資本及建設費、運輸、線路及停車場、車輛、土地建物経営、電気、という章立てで創立からの歩みと現況を詳述。車輛や沿線等の写真・図表を数多く掲載している。[1944年(昭19)関西急行鉄道と合併し近畿日本鉄道となる。1947年(昭22)南海電気鉄道に旧南海鉄道の鉄軌道事業を譲渡]
(株)南都銀行 銀行 『南都銀行五十年史』(1985.06) 奈良県では1879年(明12)郡山郡の士族らの発起で第六十八国立銀行が設立。高市郡八木町の地元有力者は1894年(明27)八木銀行を設立。吉野郡の素封家らは1895年(明28)吉野銀行を設立。大和木綿産地の御所(ごせ)地方商工業者は1896年(明29)御所銀行を設立。六十八、八木、吉野の3行はそれぞれ近隣の銀行を合同し業容を拡大。政府の銀行統制政策により、1934年(昭9)御所銀行を加えた4行が合併して県内唯一の普通銀行である南都銀行が設立された。50年史は創立前史、前身銀行史、南都銀行史からなる本編と資料編から構成され、前身銀行史では前身4行と関係銀行について解説。南都銀行史では設立からの50年を時代ごとの7章に分け詳述。資料編では南都銀行設立と結びつかなかった奈良県所在銀行の略史も掲載している。[渋沢栄一は第六十八国立銀行の設立を指導]
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