収録社史一覧

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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
(株)横河橋梁製作所 建設 『横河橋梁五十年史』(1960.05) 帝国大学造家学科出身の横河民輔(よこがわ・たみすけ、1864-1945)は三井元方でわが国初の鉄骨構造の三井総本店の設計・施行を担当、渡米してアメリカの工法を学ぶ。1903年(明36)横河工務所を設立。鉄骨構造物を主体とする建築物の鉄材の自給および鉄材による橋梁の建設を目指し、1907年(明40)製作組立て部門を分離独立させ、横河橋梁製作所を創業。1918年(大7)株式会社へ改組、各地の鉄道橋梁や無線電信塔など鉄骨建造物を数多く建設する。50年史は1章から7章は時代順に会社の発展過程を記述、8章から11章は部門別の資料と現況。随所に製品写真を多数盛り込んでいる。[1991年(平3)横河ブリッジと社名変更]
(株)横河橋梁製作所 建設 『横河橋梁八十年史』(1987.11) 1907年(明40)創業からの80年史。創業者横河民輔の伝記を序章とし、戦前編4章、戦後編5章、資料編からなり、人名・製品・事項索引付。1960年(昭35)刊行の50年史の不足を補い、経営上の失敗や過誤も記述している。執筆は社内だが、社史作りの専門家との共同作業の過程を編集後記に詳述。[1991年(平3)横河ブリッジに社名変更]
(株)横河建築設計事務所 建設 『横河建築設計事務所 : 80年の流れ』(1983.10) 1890年(明23)帝国大学造家学科を卒業した横河民輔(よこがわ・たみすけ、1864-1945)は、三井元方の建築掛技師として三井総本店の設計監督にあたる。その完成を機に三井を退社し、1903年(明36)日本橋に建設の設計・監理を行なう横河工務所を開設。三越呉服店などを建築し、帝国劇場の設計を劇場創立委員会(委員長渋沢栄一)より依頼され、1911年(明44)に竣成。その他日本工業倶楽部・東京株式取引場など数多くの建築にあたる。1953年(昭28)株式会社となり、1969年(昭44)横河建築設計事務所と改称。80年史は創立からの歩みを概観した後、建築作品写真を各時代ごとに掲載している。
(株)横河電機製作所 電気機器 『計測器ひとすじに : 横河電機の50年』(1965.09) 1903年(明36)横河工務所を起こした建築家横河民輔(よこがわ・たみすけ、1864-1945)は、建築と関係の深い電気設備に着目。欧州で技術を学んだ甥の横河一郎(よこがわ・いちろう、1885?-1938)と技術者青木晋(あおき・しん、1888?-1938)を中心に1915年(大4)電気計器研究所を設立。翌年横河電機製作所と改称し、第一次大戦の影響で欧州産電力計の輸入が途絶すると、電気計器国産化の旗手として急成長。さらに工業計器、オートメーションの自動制御装置などの開発により工業化の波に乗る。50年史は序章で創立者横河民輔の人物に触れ、第1-10章では時代を追って沿革をまとめている。[1983年(昭58)北辰電機製作所と合併し横河北辰電機となり、1986年(昭61)横河電機に社名変更]
(株)横河ブリッジ 建設 『横河ブリッジ百年史』(2008.04)
横浜生糸取引所 その他金融業 『横浜と絹の百年』(1994.04) 明治以降横浜から積み出される生糸は輸出商品の花形であった。横浜の蚕糸貿易商は生糸価格の安定と需給の円滑化を目的に取引所設立を計画。1894年(明27)蚕糸、製茶、綿布、織物、海産物を対象とした横浜蚕糸外四品取引所が設立。1910年(明43)横浜株式米穀取引所と合併し横浜取引所と改称。戦時下蚕糸業の縮小により経営悪化し1943年(昭18)解散。戦後GHQは蚕糸業復興を支援し生糸取引が再開、1951年(昭26)横浜生糸取引所が創立される。明治期の取引所開設からの100年史は開国から昭和前期の生糸貿易最盛期に重点をおき、蚕糸取引業の歩みを簡潔にまとめたもの。[1998年(平10)前橋乾繭取引所と合併し横浜商品取引所となる(現(株)東京穀物商品取引所。2009年(平21)生糸取引は休止)]
(株)横浜銀行 銀行 『横浜銀行四十年史』(1961.04) 1878年横浜に設立された第七十四国立銀行(後に七十四銀行)は、大正期に経営不振から休業。原富太郎ら横浜の財界人が奔走し、七十四および横浜貯蓄銀行を整理して1920年新たに(株)横浜興信銀行を設立。神奈川県下の銀行と次々合同し、1957年(株)横浜銀行と改名。40年史は1950年に出版された「横浜興信銀行三十年史」以降の10年間の歩みを詳述し、後半に30年略史を載せている。
(株)横浜銀行 銀行 『横浜銀行六十年史』(1980.12) 1920年の(株)横浜興信銀行設立からの60年の歩みを通史で述べる。第1部は神奈川県の中枢金融機関として横浜開港から記述を始め、1957年の(株)横浜銀行への行名変更まで。第2部では以降の20年間の躍進について詳述。
(株)横浜銀行 銀行 『横浜銀行の歩み : 地域とともに141年 : 創立90周年記念誌』(2011.05)
(株)横浜銀行 銀行 『写真でみる横浜銀行の歩み : 地域とともに141年』(2011.05)
横浜護謨製造(株) ゴム 『四十年史』(1959.01)
横浜正金銀行 銀行 『横浜正金銀行全史. 第1巻』(1980.09) 横浜正金銀行は貿易に係わる為替金融の商権を外国人の独占から取り戻すため、政府の強力な支援のもと国立銀行条例に準拠する外国為替、貿易金融専門銀行として1880年(明13)神奈川に設立。第一次大戦を経て国際金融取引が飛躍的に伸長し、1930年(昭5)の金解禁に当り国策遂行機関となる。第二次大戦では必然的に臨戦体制の中に組込まれ、戦後はGHQにより閉鎖清算を命ぜられる。正金の国内資産負債の新勘定と整理済旧勘定をもって1946年(昭21)東京銀行が新たに設立され、正金は営業を停止し1964年(昭39)清算事務結了。当該社史は全6巻7冊からなり、第1巻は諸資料・史料を含む概説、第2-5巻は創立から清算までの沿革、第6巻は年表、年表索引(事項・人名)、調査統計資料、史話。第2巻前半は『横浜正金銀行史』(1920年刊)を書き改めたもの。[東京銀行は1996年(平8)三菱銀行と合併し東京三菱銀行となる(現・三菱東京UFJ銀行)]
横浜正金銀行 銀行 『横浜正金銀行全史. 第2巻』(1981.04) 『横浜正金銀行全史. 第1巻』(社史ID:10100)の第2巻
横浜正金銀行 銀行 『横浜正金銀行全史. 第3巻』(1981.08) 『横浜正金銀行全史. 第1巻』(社史ID:10100)の第3巻
横浜正金銀行 銀行 『横浜正金銀行全史. 第4巻』(1982.03) 『横浜正金銀行全史. 第1巻』(社史ID:10100)の第4巻
横浜正金銀行 銀行 『横浜正金銀行全史. 第5巻 上』(1983.01) 『横浜正金銀行全史. 第1巻』(社史ID:10100)の第5巻上
横浜正金銀行 銀行 『横浜正金銀行全史. 第5巻 下』(1983.01) 『横浜正金銀行全史. 第1巻』(社史ID:10100)の第5巻下
横浜正金銀行 銀行 『横浜正金銀行全史. 第6巻』(1984.03) 『横浜正金銀行全史. 第1巻』(社史ID:10100)の第6巻
横浜商工会議所 経済団体 『横浜商工会議所百年史』(1981.02)
横浜倉庫(株) 倉庫・運輸関連 『横浜倉庫九十年史 : ハマ・ヒト・モノ』(1995.02) 明治後期八王子に集積された生糸を横浜へ運ぶため横浜財界人により横浜鉄道が設立され、運ばれた生糸の保管のため姉妹会社として1906年(明39)横浜倉庫が創立。役員の浅野総一郎の助言で土地事業にも進出し業績を伸ばす。戦時中は日本倉庫統制(株)に吸収され、戦後は米軍による施設接収のため休眠状態となる。1963年(昭38)東京へ進出し営業再開、倉庫業を拡大する。90年史は沿革の中に政財界著名人の談話コラムをはさみ、社長講演録・経営者列伝も含む親しみやすい構成。倉の文化史というコラムでは、日本史の中に登場する倉、倉庫という言葉や概念を紹介している。創業前の横浜倉庫業史の中で渋沢栄一の関わった倉庫会社・均融会社にも触れている。
吉沢石灰工業(株) 窯業 『100年のあゆみ』(1973.11)
吉田工業(株) 非鉄金属・金属製品 『YKK五十年史』(1984.05)
ヨシモトポール(株) その他製造業 『美しいくにづくりの半世紀』(2011.12)
(株)読売新聞社 サービス業 『読売新聞八十年史』(1955.12)
(株)読売新聞社 サービス業 『読売新聞百年史』(1976.11)
(株)読売新聞社 サービス業 『読売新聞百年史. 資料・年表』(1976.11) 『読売新聞百年史』(社史ID:15310)の資料・年表
(株)読売新聞社 サービス業 『読売新聞発展史』(1987.11)
(株)読売新聞社 サービス業 『読売新聞百二十年史』(1994.11) 洋学と英語を学んだ子安峻、本野盛亨、柴田昌吉が1870年横浜で活版印刷所の日就社創設。1874年に読売新聞を創刊。その号から漢字にルビのごとく「傍訓」をふる。1917年読売新聞社に社名変更。警視庁出身の正力松太郎、報知新聞出身の務台光雄、そして渡辺恒雄が率いる。発行1000万部はギネス認定の世界最多。本社は銀座を経て大手町へ移転し、製版は1986年CTSに移行。読売巨人軍、日本テレビなどの関連会社の略史も含む。
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