会社名"あ" から始まる社史一覧 全50件中50件 1件〜50件目を表示
会社名 | 業種 | 社史タイトル(出版年) | 会社沿革と社史メモ |
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(株)アウルホールディングス | サービス業 | 『10年のあゆみ : 株式会社アウルホールディングス : これからも心地よい生活環境をカタチに。』([2013]) | |
(株)青森銀行 | 銀行 | 『青森銀行史』(1968.09) | 青森県では明治以降小野組から三井組が公金を扱っていた。旧弘前藩士らは禄券保全の銀行を発起し、渋沢栄一の勧奨により1878年(明11)第五十九国立銀行を創立。また地元資本の金融機関も漸次設立され、経済発展と共に躍進する。1943年(昭18)戦時下の金融統制のもと銀行合同が勧奨され、青森県では第五十九銀行を中心に八戸銀行、津軽銀行、板柳銀行、青森銀行(旧)の5行が合同し、青森銀行(新)が創設された。本社史第1部は研究者の執筆で明治以降の青森県の銀行業生成と発展を記述。第2部が新立の青森銀行の20年史、第3部で県内44行および県外16行の県内支店の沿革に触れ、付編で青森銀行の現況を紹介。 |
(株)秋田銀行 | 銀行 | 『創立三十周年記念誌』([1926]) | 1895年に第一国立銀行秋田支店の廃止決定を受け、翌1896年同支店の営業部門を譲り受け秋田県内の有力者が協同して設立。30周年を記念して出された社史は小冊子ながら写真入で上質の装丁。[渋沢栄一は相談役(1897)] |
(株)秋田銀行 | 銀行 | 『秋田銀行百年史』(1979.12) | 1879年秋田に創立された第四十八国立銀行と、1896年第一国立銀行秋田支店の営業部門を譲り受けて創立された旧秋田銀行、1897年創立の湯沢銀行の3行が、1941年戦時統制により合併して新たに設立。百年史は1879年からの歩みを節目ごとの10章に分け編集。合併した多くの銀行の小史も含む。旧秋田銀行ほか県内6行は第一国立銀行秋田支店の廃止に際し、県内産業の開発振興に尽くしたとして、第一銀行頭取渋沢栄一あての感謝状を出しており、それに対する栄一の礼状も社史に載っている。 |
(株)秋田銀行 | 銀行 | 『秋田銀行110年のあゆみ』(1990.01) | 「百年史」の後を受け、「110年史」は最近10年の歩みに焦点を当てた小冊子。 |
曙ブレーキ工業(株) | 自動車・自動車部品 | 『半世紀の歩み』(1979.05) | 岡山出身で同志社に学んだ納三治(おさめ・さんじ、1873-?)は、米国留学後自動車のブレーキライニング(摩擦材)製造の将来性に着目。1929年(昭4)東京に曙石綿工業所を設立、曙は故郷の景色から、社章は同志社の許可を得て校章と同じ三稜とした。外国車だけでなく国産車にも部品供給し1936年(昭11)株式会社に改組。戦時中は軍需物資供給元として業績拡大。戦後米国ベンディックス社との技術提携を機に1960年(昭35)曙ブレーキ工業と改称。自動車だけでなく鉄道車輛や産業機械用の総合ブレーキメーカーとして、時代の要請に応える。50年史は巻頭グラビアに各種交通機関とブレーキの発達史を載せ、本文は沿革編と部門別の技術編、資料、年表で構成。 |
(株)浅沼組 | 建設 | 『浅沼組100年 : 100 years of growth』(1992.12) | |
(株)浅沼商会 | 商社 | 『浅沼商会百年史』(1971.10) | |
アサノコンクリート(株) | 窯業 | 『アサノコンクリート「40年のあゆみ」』(1991.11) | |
浅野セメント(株) | 窯業 | 『浅野セメント沿革史』(1940.12) | 1848年富山生まれの浅野総一郎は横浜で石炭売買に成功、王子の抄紙部へ石炭を納めたことから渋沢栄一に見出される。コークス納入先の深川の官営セメント工場を、栄一の紹介で1883年払下を受ける。栄一は出資者、監査役(1898-1909)。1930年総一郎没後浅野泰治郎が社長を継ぎ、総一郎と改名。沿革史は第1部は本邦セメント工業発祥の事情から1939年までの主要史実を編年体で記述。第2部は各工場や支店営業所の沿革・現況、商標などを横断的に記述。[1947年日本セメントに社名変更、1998年秩父セメントと合併] |
(株)浅野造船所 | 造船 | 『我社の生立』(1935.12) | 1896年(明29)東洋汽船を設立した浅野総一郎(あさの・そういちろう、1848-1930)は、自ら手掛けた東京湾大規模埋立事業地に造船所設立を計画。当初は横浜造船所として1916年(大5)創立し、同年浅野造船所と改称。造船工事に着手し第一次大戦による船舶需要に応じる。1918年(大7)浅野製鉄所を合併し製鉄業を始め、船渠も築造し船舶修繕業にも事業を広げる。創立から20年を経て編纂された社史は、創立の経緯と現況を8章に分けて元役員が執筆し、浅野総一郎が関わった幅広い事業の流れを概観している。[1936年(昭11)鶴見製鉄造船と改称、1940年(昭15)日本鋼管に合併] |
旭化成(株) | 化学工業 | 『旭化成八十年史』(2002.12) | 1922年レーヨンの製造を目的に設立された旭絹織と、日本窒素肥料による我が国最初のアンモニア合成工場の2つが出発点。1933年に旭ベンベルグ絹糸として統合、1946年から旭化成となる。創業者野口遵は技師として水力発電に関わり、ジーメンス社で経験をつむ。欧米に伍して近代化学工業を発展させ、現在は繊維、ケミカル、住宅・建材、エレクトロニクス、医薬・医療、酒類等と多角化経営。 |
旭化成(株) | 化学工業 | 『旭化成八十年史 : 資料編』(2002.12) | 『旭化成八十年史』(社史ID:03010)の資料編 |
旭化成(株) | 化学工業 | 『旭化成の80年 : Asahi Kasei: the first 80 years』(2003.06) | |
旭硝子(株) | 窯業 | 『社史』(1967.12) | 我が国の窓ガラス製造業は1900年頃には企業化が試みられたがいずれも頓挫していた。岩崎弥之助の次男俊弥は国産窓ガラスの製造を志し、1907年兵庫県尼崎に旭硝子(株)を設立、社長となる。社名は弥之助の発案、社章は岩崎家の家紋菱印を図案化したもの。板ガラス、その原料のソーダ、耐火炉材の3事業の国産化を図る。1944年日本化成工業と合併し三菱化成工業(株)となるが、戦後財閥解体により1950年旭硝子(株)として再発足。社史は設立から1966年までの60年史で、編年体の総合史と事業ごとの部門史からなる。 |
旭硝子(株) | 窯業 | 『旭硝子100年の歩み : 伝統・創造・革新』(2007.09) | |
旭硝子(株) | 窯業 | 『旭硝子100年の歩み : 伝統・創造・革新. 資料編』(2007.09) | 『旭硝子100年の歩み : 伝統・創造・革新』(社史ID:04130)の資料編 |
朝日生命保険(相) | 保険 | 『朝日生命八十年史 : 1888-1968』(1968.03) | 海軍会計学舎で英国の経済学等を学んだ加唐為重(かから・ためしげ、1855-1892)は、英国を発祥とする科学的生命保険理論に基づく生命保険会社設立に奔走、福原有信(ふくはら・ありのぶ、1848-1924)らを創立委員に1888年(明21)帝国生命保険(株)を創業した。福原は設立前に、渋沢栄一ら財界人とも交際のある海軍軍医総監高木兼寛(たかき・かねひろ、1849-1920)に、生命保険会社設立の計画を相談、全面的な支援の約束を得る。1910年(明43)経営権安定のため大株主として古河家が加わる。第二次大戦後の再建整備のため1947年(昭22)第二会社の帝国生命保険(相)を設立、すぐに朝日生命保険(相)と改称。80年史では前半で帝国生命60年、後半で朝日生命20年を記載している。[別冊の資料編(1969年刊)あり] |
朝日生命保険(相) | 保険 | 『朝日生命百年史. 上巻』(1990.03) | |
朝日生命保険(相) | 保険 | 『朝日生命百年史. 下巻』(1990.03) | 『朝日生命百年史. 上巻』(社史ID:10310)の下巻 |
朝日生命保険(相) | 保険 | 『朝日生命百年史. 資料編』(1992.03) | 『朝日生命百年史. 上巻』(社史ID:10310)の資料編 |
旭電化工業(株) | 化学工業 | 『社史 : 旭電化工業株式会社』(1968.03) | |
旭電化工業(株) | 化学工業 | 『旭電化七十年史』(1989.07) | |
アサヒビール(株) | 食品 | 『Asahi 100』(1990.08) | 明治初期、輸入ビールに対抗して近畿財界、醸造界の有力者が集まり、1889年有限責任大阪麦酒会社を設立。1892年「アサヒビール」初出荷。1906年札幌麦酒、日本麦酒と合併し、大日本麦酒(株)設立。戦後分割され1949年朝日麦酒(株)発足。1989年アサヒビール(株)に社名変更。100年史は現況、沿革、広告、技術、資料編の章立てで、本文中に豊富な図版が含まれている。 |
アサヒビール(株) | 食品 | 『アサヒビールの120年 : その感動を、わかちあう。』(2010.11) | |
朝日放送(株) | 通信 | 『ABC十年』(1961.03) | |
朝日放送(株) | 通信 | 『朝日放送の50年. 1 本史』(2000.03) | |
朝日放送(株) | 通信 | 『朝日放送の50年. 2 番組おもしろ史』(2000.03) | 『朝日放送の50年. 1 本史』(社史ID:13180)の2巻 |
朝日放送(株) | 通信 | 『朝日放送の50年. 3 資料集』(2000.03) | 『朝日放送の50年. 1 本史』(社史ID:13180)の3巻 |
(株)足利銀行 | 銀行 | 『創立四十年誌 : 昭和十年十月』(1935.12) | |
(株)足利銀行 | 銀行 | 『足利銀行史』(1985.10) | |
味の素(株) | 食品 | 『味の素沿革史』(1951.03) | 1907年(明治40)設立の鈴木製薬所でヨード等を製造していた[2代]鈴木三郎助(すずき・さぶろうすけ、1867-1931)は、昆布から抽出したうま味で特許を得た池田菊苗(いけだ・きくなえ、1864-1936)博士と協力し工業化を図る。商品名を「味の素」とし、1909年(明治42)発売開始。各地に代理店を置き、1912年(大正元)合資会社鈴木商店と改称。商品開発を進め販売体制も拡充し、1917年(大正6)株式会社に改組。国外にも販路を開くが戦時中は一時生産を中断。戦後再び生産開始し、1946年(昭和21)味の素(株)と改称して資本金を増強し発展する。工業化着手から40年に当たって編纂した社史は、調味料と文化から書き起こした沿革と記録を1-2章に、海外発展史や部門史を3-7章にまとめ、回顧録を最後に付している。広告宣伝物や製造工程図等を本文中に取り入れた編集。[鈴木三郎助は渋沢栄一らが発起した日本化学工業(株)の専務を務めた] |
味の素(株) | 食品 | 『味の素株式会社社史. 1』(1971.06) | 「味の素」発売60年を機に編纂された社史で、1.戦前編と2.戦後編の2冊からなる。1.は1888年(明治21)に始まる鈴木家のヨード事業から書き起こし、戦時下の経営難まで。2.は戦後の復興から1960年代の多角化と国際化までの内容。既刊の『味の素沿革史』は社内の編集であったのに対し、本社史は経済学者土屋喬雄の監修のもとに日本経営史研究所が制作した。各編巻頭には有機化学の権威である坂口謹一郎、赤堀四郎両博士の随想を載せ、さらに民俗学者宮本常一の「日本における調味料の歴史」も1.に掲載している。 |
味の素(株) | 食品 | 『味の素株式会社社史. 2』(1972.09) | 『味の素株式会社社史. 1』(社史ID:00970)の2巻 |
味の素(株) | 食品 | 『味をたがやす : 味の素八十年史』(1990.07) | |
味の素グループ | 食品 | 『味の素グループの百年 : 新価値創造と開拓者精神 : 1909→2009』(2009.09) | |
味の素グループ | 食品 | 『味の素グループの百年 : 新価値創造と開拓者精神. 索引』(2012.03) | 『味の素グループの百年 : 新価値創造と開拓者精神』(社史ID:01000)の索引 |
芦森工業(株) | 繊維 | 『芦森工業創立二十五年史』(1964.05) | 大阪の芦森武兵衛は1878年綿麻問屋を開業。紡績機械付属品ロープの将来性に目をつけ、製造を始める。1894年芦森製綱所発足、工場を拡張し増産の結果、紡績用ロープは輸入から輸出に転じる。1935年(株)芦森製綱所となり、戦争末期は東洋紡績(株)の傘下に入り軍需品も生産、1944年社名を芦森工業(株)と変更。戦後は民需に転換し新製品開発を進め、消防用ジェットホースは世界各国へ輸出し、わが国屈指のロープメーカーとなる。25年史は個人経営の時代も含めながら簡潔に編集されている。 |
麻生セメント(株) | 窯業 | 『麻生百年史』(1975.04) | 筑前の庄屋の息子麻生太吉は1872年石炭採掘事業に着手。1881年嘉麻社を設立、次々と業容を拡大し、筑豊有数の炭鉱主として産業基盤づくりをはかる。銀行・電力・鉄道事業から医療関連事業にも発展。太吉没後1934年に孫の太賀吉が(株)麻生商店と産業セメント鉄道(株)の社長に就任。石炭からセメント事業へ重心を移し、1966年麻生セメント(株)発足、麻生グループは40社に及ぶ。1973年から社長に麻生太郎就任。百年史は本史の他、多くの寄稿文に加え膨大な資料を1冊にまとめた1500頁を超える大作。 |
安宅産業(株) | 商社 | 『安宅産業六十年史』(1968.10) | 金沢出身の安宅弥吉(あたか・やきち、1873-1949)は東京高商(現一橋大)卒業後外国貿易を志し、1895年(明28)日下部商店入店、砂糖取引に携わる。1904年(明37)大阪に安宅商会を創業、香港に支店を置き世界各地と多品目の貿易を行う。1908年(明41)の銃器貿易に関わる辰丸事件、翌年の砂糖取引に関わる日糖事件も克服、信用を重ねて発展し1919年(大8)株式会社へ改組。戦時下1943年(昭18)安宅産業と改称、戦後再建を果たし総合商社として発展する。60年史は創業時からの沿革と現況をそれぞれの社会状況と共に記し、海外支店の変遷も掲載している。[1977年(昭52)伊藤忠商事に吸収合併。東洋陶磁器の安宅コレクションは大阪市に寄贈され大阪市立東洋陶磁美術館となる] |
(株)尼崎製鋼所 | 鉄鋼業 | 『尼鋼十年史』(1942.05) | |
尼崎築港(株) | 建設 | 『尼崎築港70年史』(1999.03) | 渋沢栄一の援助で実業家として活躍していた浅野総一郎(あさの・そういちろう、1843-1930)は、欧米視察から近代的港湾設備の整備を痛感し、鶴見・川崎に大規模な臨界工業地帯を造成。続いて大阪湾に面した尼崎に臨海工業地帯を造成することを目的として、1929年(昭4)尼崎築港を設立。これは一万トン級の外航船舶の停泊できる港を民間の力で建設し、わが国産業の発展に寄与しようとするものであった。第二次大戦後埋立事業は公営化されて事業全体を失ったが、埋立造成地の一部を所有し、土地・建物などの賃貸業を主な事業として再生した。70年史は創業者浅野総一郎の経歴と尼崎の沿革を「創立前史」として詳述し、創立以来の経営の軌道を時代の動向と共に記述している。[現在の英文社名: Amachiku Co., Ltd.] |
(株)新井清太郎商店 | 商社 | 『株式会社新井清太郎商店九十年史』(1979.11) | |
荒川林産化学工業(株) | 化学工業 | 『荒川林産百年史 : 松脂と共に』(1977.04) | 大阪出身の荒川政七(あらかわ・まさひち、1825-1904)は薬問屋に奉公の後1856年(安政3)和薬商の玉屋を開業、1876年(明9)荒川政七商店と改称。松脂を必要とする製紙産業の興隆や、農薬・塗料用などの需要増に伴い、取扱い品目が次第に松脂中心となる。品質向上に努め1920年(大9)頃からは「松脂の荒川」として業界に知られる。1943年(昭18)荒川林産化学と改称、第二次大戦後は製紙業界向けにインキのにじみを止める強化サイズ剤を提供し好評を得る。100年史は歴代経営者の時代ごとに沿革をまとめ、「日本松脂産業小史」にも多くの頁を割いている。[1977年(昭52)荒川化学工業と改称。100年史は日本経営史研究所主催第1回優秀会社史賞特別賞を受賞している] |
アルプス電気(株) | 電気機器 | 『アルプス50年のあゆみ』(1998.12) | |
(株)阿波銀行 | 銀行 | 『阿波銀行七十年小史』(1967.12) | |
(株)阿波銀行 | 銀行 | 『阿波銀行百年史』(1997.05) | |
安全自動車(株) | 自動車・自動車部品 | 『交通報国 : 安全自動車70年のあゆみ』(1989.04) | |
(株)安藤七宝店 | その他製造業 | 『鏤采摛文 : 安藤七宝店百年史』(1981.09) | |
アンリツ(株) | 電気機器 | 『アンリツ100年の歩み』(2001.06) |
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