収録社史一覧

会社名"ほ" から始まる社史一覧 全39件中39件 1件〜39件目を表示

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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
(株)報知新聞社 サービス業 『報知七十年』(1941.06)
(株)報知新聞社 サービス業 『世紀を超えて : 報知新聞百二十年史 : 郵便報知からスポーツ報知まで』(1993.06)
宝田石油(株) 石油 『宝田二十五年史』(1920.05) 新潟県古志郡の東山油田は明治初期から開発が始まり、200もの事業者が競っていた。長岡石油会社を起こしていた山田又七は古志石油会社隣接地を入手し、1893年(明26)宝田石油(ほうでんせきゆ)を設立。1896年(明29)には古志石油を合併し古志宝田石油となるが、1899年(明32)には社名を宝田石油に戻す。1901年(明34)には小資本分立を排して合同の機運が起り、北越石油ほか24会社・組合を合併。その後も多くの会社を合併し規模を拡大する。25年史は沿革を創業期・合同期・整理期・成業期の区分で記述すると共に、各頁上部欄外に本邦石油の発見、採油法、製油の沿革、宝田鉱区の沿革と現況等を記載している。本文は総ルビ。[渋沢栄一は北越石油の発起人・相談役で、1901年の合同にも関わる][1921年(大10)日本石油に合併(現・JX日鉱日石エネルギー(株))]
豊年製油(株) 食品 『豊年製油株式会社二十年史』(1944.07) 大正期に大豆油は抽出法が発達し、菜種油を抜いて需要が増大する。1915年(大4)神戸の鈴木商店は満鉄中央試験場から大豆製油工場を譲受し、鈴木商店製油部大連工場として操業。清水・鳴尾・横浜にも工場建設し増産するが第一次大戦後の不況で事業縮小となる。製油部は独立し、満鉄時代からの商標を社名に1922年(大11)豊年製油が創立。豆粕等製品の開発と宣伝普及に努め社業が発展する。20年史は巻頭の役員・事業場写真、9章からなる沿革、巻末附録の図表と年譜で構成。沿革第1章で創業前の植物油工業界を俯瞰し、物故社員慰霊祭や現況の章も設けている。[1989年(平1)(株)ホーネンコーポレーションに社名変更(現(株)J-オイルミルズ)]
豊年製油(株) 食品 『豊年製油株式会社四十年史』(1963.12)
(株)北越銀行 銀行 『創業百年史』(1980.09) 戊辰戦争に敗戦した長岡藩の三島億二郎は士族救済に奔走し、1878年第六十九国立銀行を設立。一方渋沢栄一らが発起人となった北越鉄道(株)が認可された際、長岡にもう一つ銀行を新設する計画が具体化し、1896年長岡銀行創立。両行は1942年行政指導のもとで合併し長岡六十九銀行となり、1948年(株)北越銀行と改称。百年史には合併された多くの前身銀行の沿革と主要勘定を記載。前身銀行の一つ宮城屋貯蓄銀行は、経営破綻の際渋沢栄一の尽力で整理され東京栄銀行となり、後長岡銀行が吸収している。
(株)北越銀行 銀行 『北越銀行史 : 110年のあゆみ』(1988.06) 「百年史」以降の1979年から1988年までの10年間の推移をまとめたもの。沿革と資料編からなる。
(株)北越銀行 銀行 『北越銀行史 : 120年のあゆみ』(1998.06)
北越製紙(株) パルプ・紙 『北越製紙百年史』(2007.04) 明治以降油田開発で活況を呈した長岡には渋沢栄一らにより北越鉄道が敷かれ、近代産業創業の機運が高まる。紙商の田村文四郎(たむら・ぶんしろう、1854-1920)と書籍商の覚張治平(がくはり・じへい、1862-1927)は共に長岡商業会議所常議員として活躍、洋紙需要の増加を見て製紙会社設立に奔走する。地元と東京の有力者の協力を得て1907年(明40)北越製紙を創業、長岡に工場を建て電動抄紙機を導入し生産を開始。以降戦争による打撃や地震などの災害も克服し業績を拡大する。100年史は通史として時代ごとの歩みを記述した本編と資料編からなる。[2009年(平21)北越紀州製紙(株)と社名変更]
(株)北洋銀行 銀行 『北洋銀行 百年史』(2018.03)
(株)北洋相互銀行 銀行 『北洋相互銀行50年史』(1970.06) 第一次大戦期の好況時に北海道経済中心の小樽で、中小商工業者の為の庶民金融機関として地元有力者により1917年(大6)北海道無尽が創立。翌年免許が下りるが函館の北海無尽と商号類似のため、小樽無尽と改称し営業開始。第二次大戦時下の金融統制で1944年(昭19)全道の無尽会社を合併し北洋無尽となる。戦後1951年(昭26)相互銀行法施行により、北洋相互銀行となった。50年史では創業前史として明治初年からの北海道における金融事業と無尽の沿革を記述。本史は小樽無尽・北洋無尽・北洋相互の時代区分で沿革を詳述。最後に合併各無尽会社の小史を記載している。付録に相互銀行法・無尽業法を掲載。[1989年(平1)普通銀行に転換、北洋銀行に商号変更。1998年(平10)北海道拓殖銀行より北海道地区の営業を譲受]
(株)北陸銀行 銀行 『創業百年史』(1978.03) 金沢の士族らが1877年(明10)設立の第十二国立銀行は、売薬業者と密接な関係があった富山の第百二十三国立銀行と1884年(明17)合併し、本店を富山に移す。また1889年(明22)設立の高岡銀行は米穀・肥料商や綿商、1894年(明27)設立の中越銀行は地主主体の企業家、1896年(明29)設立の富山橋北銀行(後富山銀行)は中小商業者をそれぞれ主な取引先としていた。4行はそれぞれ富山県内の多くの銀行を吸収しながら発展するが、1943年(昭18)戦時下の政策で合併し、北陸銀行が誕生。1200頁を越える100年史は本編、産業編、資料編からなり、本編は創立前史、前身銀行史、北陸銀行史の3部構成。産業編は海運、売薬ほか北陸の地場産業の盛衰を詳述。合併の1943年を起点とする10年史、20年史、30年史が刊行されており、1877年の創業からの100年史では合併後の部分は簡潔にまとめている。
(株)北陸銀行 銀行 『北陸銀行50年史』(1994.03)
北陸電力(株) 電力 『北陸電力30年史』(1982.03)
北陸電力(株) 電力 『北陸電力40年史』(1992.03)
北陸電力(株) 電力 『北陸地方電気事業百年史』(1998.03)
北陸配電(株) 電力 『北陸配電社史』(1956.05)
保険銀行時報社 保険 『本邦生命保険業史』(1933.09)
北海道瓦斯(株) ガス 『北海道瓦斯55年史』(1966.11) 日露戦争後の1909年に北海道の拓殖計画が立てられ、各都市で都市ガス経営の計画が相次ぐ。渋沢栄一ら東京瓦斯関係者は出願を一本化して設立を申請、1911年北海道瓦斯(株)創立、本店東京、支店札幌。事業地域は札幌市・小樽市・函館市。1963年に本社を札幌に移転。55年史は総合史を東京瓦斯出身者が執筆、資料・年表は社内で編纂。
北海道瓦斯(株) ガス 『北海道ガス100年史』(2012.03) 創立100周年を記念して編纂された社史。第1編は創立から1962(昭和37)年まで、第2編は東京から札幌へ本社を移した1963(昭和38)年から2011(平成23)年末までを記述。第1編は前史『北海道瓦斯五十五年史』を要約、再構成したもの。巻頭口絵にカラー写真による特集、巻末に資料編を掲載。
(株)北海道新聞社 サービス業 『北海道新聞十年史』(1952.08)
(社)北海道石炭鉱業会 鉱業 『北海道鉱業誌. 昭和3年版』(1928.09)
(株)北海道拓殖銀行 銀行 『北海道拓殖銀行創業十年誌』(1910.10)
(株)北海道拓殖銀行 銀行 『北海道拓殖銀行五十年史』(1950.04) 明治以降発展しつつあった北海道産業界の開発振興に寄与するため、北海道拓殖銀行法により1900年(明33)特殊銀行として北海道拓殖銀行が創立。渋沢栄一は設立委員。長期金融を主に業容を拡大し、北海道内の銀行を次々合併する。開発が農業から商工業へ移行するに従い短期金融業務が発展。戦後北海道拓殖銀行法の廃止に伴い1950年(昭25)普通銀行に転換する。50年史は設立時、満州事変まで、太平洋戦争終末まで、終戦後、という時代区分で陣容と業務の変遷を記述している。[1998年北海道地区営業を北洋銀行へ、本州地区営業を中央信託銀行へ譲渡、1999年解散]
(株)北海道拓殖銀行 銀行 『北海道拓殖銀行史』(1971.04)
北海道炭礦汽船(株) 鉱業 『五十年史』(1939.06) 薩摩出身の北海道庁理事官堀基(ほり・もとい、1844-1912)は、自由かつ弾力性ある炭礦経営をめざして設立された北有社の事業を受け継ぎ、1889年(明22)北海道炭礦鉄道会社を設立(渋沢栄一は発起人)。石炭資源の開発と鉄道運輸を軸に、自給自足経営のため植林、製材、発電、窯業を手がけ、海運、荷役等の分野に事業を拡張。1906年(明39)鉄道国有化に伴い北海道炭礦汽船と改称し、製鉄、製鋼の重工業にも進出する。50年史は沿革と事業からなり、日本製鋼所や輪西鉱山等の関係事業にも触れる。時局がら軍用資源に関する記事・写真は割愛している。[1995年(平7)国内炭礦を全て閉山し、現在は石炭の輸入・販売事業等を行っている]
北海道炭礦汽船(株) 鉱業 『七十年史』(1958.11) 1889(明治22)年、北海道庁より幌内炭鉱と幌内鉄道の払い下げを受け、北海道炭礦鉄道会社を設立。1893(明治26)年の商法施行により、社名を北海道炭礦鉄道株式会社に変更。1896(明治29)年より回漕業の兼営を開始。1906(明治39)年、鉄道国有法の制定により鉄道事業の国有化が決定。社名を北海道炭礦汽船株式会社とする。炭鉱、海運のほか植林、製材、発電、製鉄、化学など多角経営を行う。本社史は、刊行当時1958(昭和33)年の「現況」から始まり、時代別の「縦観」、業務別の「横観」、専門家による「特輯」および「資料」の五部構成である。その他巻頭に「石炭の手びき」、各章ごとに元社員ら関係者の回想録が挿入されている。
北海道電力(株) 電力 『北海道電力の10年 : 1951-1961』(1962.03) 第二次世界大戦後電気事業の再編成が行なわれ、北海道では北海道配電と日本発送電北海道支店との事業を併せて、1951年(昭26)北海道電力が創立された。初代会長は関東配電副社長等を歴任した藤波収(ふじなみ・おさむ、1888-1972)。当時電力事情はきわめて逼迫した状況にあり、最大急務は電源拡充であった。10年史はジャーナリストの執筆編纂で、北海道の開発と共に歩んできた北海道電力の姿を客観的に眺め、写真、図を多く採り入れて構成されている。
北海道電力(株) 電力 『北のあかり : 北海道電力創立三十周年記念誌』(1982.03) 北海道初の電気事業は1889年(明22)設立の札幌電灯舎で、その後数多くの民営電気事業が起こる。戦時下には民営の発電と送電事業は日本発送電北海道支店に、配電事業は北海道配電に全て統合され、戦後1951年(昭26)両者の事業を併せ、北海道電力が創立された。30年史は北海道の「電灯事始め」から創立後30年までの歩みの他に、「暮らしの博物図鑑」「明治の洋館」「北海道横断」などの記事と資料編からなる。単なる電気事業史ではなく、電気が北海道の産業や道民の生活にどのように関わってきたかを、1000点を超える写真を使って描いている。
北海道電力(株) 電力 『北のあかりを灯し続けて : 北海道電力五十年の歩み』(2001.12)
北海道電力(株) 電力 『北のあかりを灯し続けて : 北海道電力五十年の歩み. 資料編』(2001.12) 『北のあかりを灯し続けて : 北海道電力五十年の歩み』(社史ID:14060)の資料篇
北海道東北開発公庫 その他金融業 『北海道東北開発公庫二十年史』(1977.03) 明治以降北海道は政府の様々な計画のもとで開発が進んでいた。1956年(昭31)北海道開発公庫法により、政府関係金融機関として北海道開発公庫が設立。気象条件が厳しく産業開発の遅れがちであったこの地方において、産業の振興開発を推進するために必要な長期、低利の財政資金を提供することが目的であった。1957年(昭32)新潟県を含む東北7県を業務対象地域に加えて北海道東北開発公庫に改組。20年史は第1部(設立・改組の経緯)、第2部(業務活動の推移)、資料編の3部により構成。[1999年(平11)日本開発銀行と共に日本政策投資銀行へ一切の業務を継承し解散]
北海道東北開発公庫 その他金融業 『北海道東北開発公庫三十年史』(1988.03)
北海道東北開発公庫 その他金融業 『北海道東北開発公庫史』(2002.03)
(株)北国銀行 銀行 『北国銀行四十年小史』(1983.12) 石川県の北前船問屋米谷半平(こめたに・はんべい)は1891年(明24)小松町に米谷銀行(後に加能合同銀行)を設立。一方第一国立銀行金沢支店の業務を引継いで1892年(明25)設立された加州銀行(旧)は、加賀実業銀行と合併し加州銀行(新)となる。また能登地方7銀行の合同により1938年(昭13)能和銀行が設立。加能合同銀行、加州銀行(新)、能和銀行の3行は、戦時経済下の銀行1県1行体制実現の要請を受け合併、1943年(昭18)北国銀行が誕生した。以後敗戦や2度にわたる石油危機を克服し、経済安定成長期に発展する。コンパクトな体裁の40年史は前身銀行の簡単な沿革の後、合併後の経営の歩みを記述。後半の付編に営業店小史や財務データ等を簡潔にまとめている。
本州製紙(株) パルプ・紙 『本州製紙社史』(1966.02) 1949年(昭24)過度経済力集中排除法により旧王子製紙は3社に分割。本州の7工場を引き継ぎ本州製紙が発足、高級板紙や上質紙を主力とする。1957年(昭32)北海道釧路地区に新鋭工場を建設し、産業用ダンボール原紙を製造。成長度の高い製品に重点を置き、合理化を進め発展する。社史は本社編と工場編からなり、本社編には発足からの歩みを6章に記述。工場編には釧路工場はじめ全国8工場および関連会社5社の沿革を載せている。[1996年(平8)新王子製紙と合併し、王子製紙(株)設立]
本州製紙(株) パルプ・紙 『本州製紙社史 : 48年の軌跡』(1999.04) 旧王子製紙の分割により1949年(昭24)発足した本州製紙が、1996年(平8)新王子製紙と合併し新たな王子製紙となるまでの足跡をまとめたもの。48年間の歴史を10年ごとの5部に編成し、第6部は研究開発・管理部門の動き、第7部は合併の経緯と意義を記している。巻頭に沿革図を置き、本文欄外に関連する写真を配置するほか、種々のエピソードをコラムとして本文にはさみ込んでいる。資料編では事業部や関係会社の変遷をわかりやすい図で表示し、紙製品、電気材料、段ボール、不織布など多岐にわたる製品写真も掲載。表紙の色はシンボルカラーの緑。
本田技研工業(株) 自動車・自動車部品 『語り継ぎたいこと : チャレンジの50年 : 総集編『大いなる夢の実現』』(1999.03) 静岡で自動車のピストン製造を行っていた本田宗一郎(1906-1991)は、戦後自転車の補助エンジンを開発し1946年(昭和21)本田技術研究所設立。1948年(昭和23)株式会社となり、翌年藤沢武夫(1910-1988)が常務として入社し営業を担当、東京へ進出。世界一のオートバイメーカーを目指して開発製造に邁進し、1958年(昭和33)スーパーカブ発売、翌年マン島TTレース出場を果たす。創立からの50年史は『大いなる夢の実現』と題した冊子体の総集編、別冊の年表・資料、2枚のCD-ROM「12の部門で綴る50年」「映像と音で綴る50年」からなる。総集編はものづくりの夢と情熱を具体的なエピソードからまとめたもので、創業者精神が隅々に行き渡っている社風を浮かび上がらせている。
本田技研工業(株) 自動車・自動車部品 『語り継ぎたいこと : チャレンジの50年 : 年表・資料版』(1999.03) 『語り継ぎたいこと : チャレンジの50年 : 総集編『大いなる夢の実現』』(社史ID:06780)の資料編
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