収録社史一覧

会社名"い" から始まる社史一覧 全28件中28件 1件〜28件目を表示

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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
(株)郁文堂 サービス業 『株式会社郁文堂創業八十年記念誌』(1979.10)
(株)池田銀行 銀行 『池田銀行十年史』(1961.10)
石川島重工業(株) 機械 『石川島重工業株式会社108年史』(1961.02) 1853(嘉永6)年、江戸幕府は欧米列強に対抗すべく、水戸藩に委託して石川島(現在の東京都中央区佃)に石川島造船所を設立。明治維新後は新政府の管理下となり、1872(明治5)年に石川島修船所が発足するが、1876(明治9)年、石川島における官営事業廃止に伴い閉鎖。同年、平野富二が修船所の施設、土地を借用し石川島平野造船所を創立。1889(明治22)年、有限責任石川島造船所となる。1893(明治26)年には、株式会社東京石川島造船所へと発展した。1945(昭和20)年6月、造船だけでなく総合機械メーカーとしてふさわしい名称とすべく、石川島重工業株式会社と改称。1960(昭和35)年、株式会社播磨造船所と合併し、石川島播磨重工業株式会社となる。本社史は水戸藩の石川島造船所設立から石川島播磨重工業株式会社となるまでの108年間を記した。現況編、沿革史編、技術発展史編、諸表からなる1000ページを超える大著。沿革史編では、石川島飛行機製作所など同社が設立した関連会社についても詳しく書かれている。また巻頭グラビアや各ページのコラムなど本文以外の掲載情報も多数。監修は『渋沢栄一伝記資料』編纂主任でもある土屋喬雄。
石川島播磨重工業(株) 機械 『石川島播磨重工業社史. 技術・製品編』(1992.04) 『石川島播磨重工業社史. 沿革・資料編』(社史ID:05260)の技術・製品編
石川島播磨重工業(株) 機械 『石川島播磨重工業社史. 沿革・資料編』(1992.04) 1853(嘉永6)年ペリーが来航し、幕府は海防に狂奔。大船建造を命じられた水戸藩は隅田川河口の石川島に造船所を建設、12月に石川島造船所が創設された。その後石川島平野造船所を経て、渋沢栄一らが出資し1889年有限責任石川島造船所が設立される。1907(明治40)年設立の播磨造船所と1960年に合併して石川島播磨重工業(株)となる。陸海空に渡って技術の蓄積を図り、総合重工業企業に成長。本編「沿革・資料編」と別冊「技術・製品編」あり。
石川島播磨重工業(株)技術研究所 機械 『石川島播磨重工業技術研究所史 : 挑み、拓き、ものづくりを担った技術開発 : 1951年~1999年』(2001.09) 石川島重工業が1951年土光敏夫社長時代に技術研究所を設立。1960年の合併に伴い播磨造船所研究部を統合。1999年に基盤技術研究所と機械・プラント開発センターに分離・改組されるまでの研究所史。沿革編、技術編、資料編からなる。
石津製薬(株) 医薬品 『石津回顧八十年』(1959.04)
石津製薬(株) 医薬品 『石津回顧八十年. 続編』(1965.05)
(株)いすゞカーライフ 自動車・自動車部品 『いすゞカーライフの30年』(1991.02) 朝鮮戦争需要を契機に自動車の供給台数が増加。いすゞ自動車(株)では需要増加した自動車補修用部品の純正品を販売推進する為、それまで部品特約販売店として指定していた折橋商事、帝国部品、親和興業の3社との共同出資で、1958年(昭33)協同産業(株)を設立。高度経済成長期に国内外へ発展する。1984年(昭59)社名を(株)いすゞカーライフに変更。30年史では序章の創立前史で戦後の復興と自動車産業、いすゞ自動車と部品流通事情に触れ、前身3社の略史も記載。コラム記事をはさむハンディな体裁で、巻末索引付。[1994年(平6)社名を(株)アイ・シー・エルに変更]
いすゞ自動車(株) 自動車・自動車部品 『いすゞ自動車史』(1957.04) (株)東京石川島造船所自動車部では1922年(大11)ウーズレーA9型国産第1号乗用車を完成させ、1929年(昭4)(株)石川島自動車製作所として独立。初代社長は渋沢正雄(しぶさわ・まさお、1888-1942)。1933年(昭8)ダット自動車製造を合併して自動車工業(株)と改称。この時期から製品の自動車の名称に、伊勢の五十鈴川に因んだ「いすゞ」を採用。自動車製造を企画していた東京瓦斯電気工業(株)との合併で1937年(昭12)東京自動車工業(株)を創立、1941年(昭16)にヂーゼル自動車工業(株)と改称。1949年(昭24)再建整備の過程でいすゞ自動車(株)に社名変更する。当社史では第1部が石川島自動車製作所創業時からヂーゼル自動車工業まで、第2部が戦後の復興といすゞ自動車の発展の軌跡。本文中に製品写真等を多数掲載している。
いすゞ自動車(株) 自動車・自動車部品 『いすゞ自動車80年史』(2017.08)
井関農機(株) 機械 『井関農機60年史』(1989.06)
(株)伊勢丹 小売業 『新世紀への翔き : 伊勢丹100年のあゆみ』(1986.10)
(株)伊勢丹 小売業 『伊勢丹百年史 : 三代小菅丹治の足跡をたどって』(1990.03) 相模出身で東京湯島の呉服店に奉公していた初代小菅丹治(こすげ・たんじ、1859-1916)は、1886年(明19)神田に伊勢屋丹治呉服店を創業。創意工夫を重ね「帯の伊勢丹」の評判をかち得、1907年(明40)商号を伊勢丹呉服店に改称。関東大震災で被災するが、呉服店から百貨店化を目指し1930年(昭5)(株)伊勢丹設立。1933年(昭8)には有望な商圏の新宿へ進出する。戦後は駐留軍による接収を経て、近代的百貨店として成長する。創業からの100年史は戦後のファッションビジネス形成史を主体とし、これを推進した三代小菅丹治(1918-1984)のリーダーシップを軸に写真を多用して記述。資料編には新宿店の増築工事やフロア構成の変遷が掲載されている。[2008年(平20)三越と共に三越伊勢丹ホールディングスを設立し、その子会社となる]
(株)伊丹製絨所 繊維 『伊丹製絨所十年誌』(1933.11) 福井出身の谷江長は日本毛織(株)へ入り、1902年欧州へ派遣され英国の毛織工場で学ぶ。帰国後設備・製絨法を改良し多大の功績をあげ役員となる。しかし細番手の毛糸や高級服地はまだ輸入品に及ばなかったので、新たに伊丹に工場を建て資本を募り、1922年(株)伊丹製絨所設立。関東大震災後の混乱や豪州羊毛相場暴落などを経ながらも高級品を生産、業績を伸ばす。10年史は写真を多く取り入れた立派な装丁。[1941年東洋紡績(株)と合併]
市川毛織(株) 繊維 『市川毛織20年史』(1970.12) [2005年イチカワ(株)に社名変更]
(名)一誠堂書店 小売業 『古書肆100年 : 一誠堂書店』(2004.07)
伊藤忠商事(株) 商社 『伊藤忠商事100年』(1969.10) 近江の繊維商初代伊藤忠兵衛(いとう・ちゅうべえ、1842-1903)は1858年(安政5)から近江麻布の行商を始め、1872年(明5)大阪に呉服太物商の紅忠(1884年(明17)伊藤本店と改称)、1893年(明26)に綿糸卸商の伊藤糸店を開店、日清戦後の活況期に東京や海外へ進出。2代忠兵衛(1886-1973)は英国留学後経営改革を行い、1918年(大7)伊藤忠商事設立。第二次大戦時に丸紅商店他との合併により三興、大建産業となるが、1949年(昭24)分割により伊藤忠商事が再発足、総合商社として発展する。100年史の編集には2代忠兵衛が直接関わり、記述には事務能率向上のため社内で使用していた当用漢字・新仮名遣い・カタカナ表記を採用。
(株)伊東屋 小売業 『銀座伊東屋百年史 : one hundred years in stationery』(2004.10) 東京・銀座生まれの伊藤勝太郎(いとう・かつたろう、1875-1964)は築地居留地で英語を学び西欧文明に触れる。1901年(明34)帝国博品館の勧工場(かんこうば)に洋品小間物店を出店、1904年(明37)には和漢洋文房具店の伊東屋を銀座通りに開業。一般事務の主流は明治後期でも大福帳に算盤であったが、勝太郎は洋帳簿を伊東屋オリジナルとして考案、製造販売した。1910年(明43)の営業品目録には洋式帳簿80種以上を掲載している。第二次大戦後は銀座2丁目に移転し、高度経済成長と共に発展する。100年史は沿革のほか鼎談・座談会・写真で見る百年史など様々な角度で文房具販売の歩みを記述している。
(株)イトーキ その他製造業 『イトーキのあゆみ : イトーキ80年史』(1970.10) 大阪生まれの小野五十三郎(おの・いそさぶろう)は養子縁組で伊藤喜十郎(いとう・きじゅうろう、1855-1936)となり、財界人事務所に勤務していた1890年(明23)、東京で開催された第3回内国勧業博覧会を見学。展示されていた発明特許品を世に広めるための販売店創設を決意、多くの賛同を得て同年大阪に伊藤喜商店を開業。看板は渋沢栄一が揮毫。金庫・謄写版・事務用品など多品目を扱い業績を伸ばす。1937年(昭12)東京へ進出、戦後はオフィスシステムの開発を手掛け1963年(昭37)イトーキと改称。80年史には創業の頃の商品写真を種々載せている。
(株)イトーキ その他製造業 『イトーキ100年史』(1991.03) 100年史は1~4章が80年史を踏まえた前史、5~7章が以降20年の発展を詳述した本史、資料編という構成。渋沢栄一揮毫の「伊藤喜商店」看板写真も掲載。
(株)イトー急行 陸運 『物流と地域にかける : イトー急行創業者史』(2000.03)
稲畑産業(株) 化学工業 『稲畑八十八年史 : 1890~1978』(1978.01) 京都生まれの稲畑勝太郎(いなばた・かつたろう、1862-1949)は師範学校からフランスへ留学、8年間染色を学び1885年(明18)帰国し京都府に奉職。渋沢栄一発起の京都織物へ入社し染色技師長として重責を果たすが、1890年(明23)退職し京都に稲畑染料店を設立。フランスから材料と機械を輸入、東京・天津にも支店を設け業容を拡大し、1943年(昭18)稲畑産業と社名変更。勝太郎は1926年(昭1)渋沢栄一が相談役を務めた日本染料製造の社長に就任。日本染料製造が住友化学工業と合併後、稲畑産業は住友化学工業の染料・化学・医薬品の特約販売店となる。88年史は写真・図版を数多く取り入れ「見る社史」として編集。
今治造船(株) 造船 『今治造船史』(1977.03) 瀬戸内、来島海峡に面した波止浜湾(現・今治市)は南北朝の頃より造船業が発達していた。檜垣正一(ひがき・しょういち、1901-)は父が1901年(明34)に波止浜に興した檜垣造船所で修業。1924年(大13)独立し自営、1940年(昭15)には今治造船(有)を設立。同年今治の有力者により設立された今治船渠(株)と1943年(昭18)合併し、今治造船(株)を設立した。木造船から鋼造船、内航船、近海船、さらに大型遠洋船を手掛け急成長する。1970年(昭45)には丸亀に進出。当社史は檜垣造船所創業からの沿革や檜垣一族の足跡をジャーナリストが執筆し、郷土史のコラムも掲載。建造船はじめ多くの写真付。
(株)伊予銀行 銀行 『伊予銀行五十年史』(1992.06)
岩井産業(株) 商社 『岩井百年史』(1964.02) 京都出身の岩井文助は大阪の加賀屋に奉公、1862年独立して雑貨商を開業し、貿易商として発展する。養子の勝次郎は1896年独立、欧米を視察して本格的貿易業を開始、1912年(株)岩井商店となり業容を拡大する。戦時下1943年岩井産業(株)と改称、終戦後は総合商社として発展する。百年史は「岩井家家憲」等の文書資料も含み、索引付。[1968年日商と合併し日商岩井(株)となる]
岩田塗装機工業(株) 機械 『岩田塗装機工業株式会社五十年史』(1978.10)
(株)岩波書店 サービス業 『岩波書店八十年』(1996.12)
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