会社名"ひ" から始まる社史一覧 全19件中19件 1件〜19件目を表示
会社名 | 業種 | 社史タイトル(出版年) | 会社沿革と社史メモ |
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(株)肥後銀行 | 銀行 | 『肥後銀行史』(1960.11) | 細川家城下町熊本では1879年(明12)宇土郡の士族らが第百三十五国立銀行を創立。1896年(明29)普通銀行の九州商業銀行となり、1918年(大7)熊本銀行と改称。1925年(大14)飽田銀行・植木銀行と合同し、肥後協同銀行を新立した。1928年(昭3)肥後銀行と改称し、現在にいたる。本社史は前編「熊本県における銀行業の生成と発展」、本編「肥後銀行三十五年史」、附録からなる。前編に前身銀行の略史も記述、本編は章ごとに沿革と一般および熊本県内経済情勢を記載し、熊本県経済史としても充実している。[渋沢栄一は九州商業銀行発起人の一人] |
(株)肥後銀行 | 銀行 | 『肥後銀行七十年史』(1996.05) | |
(株)肥後銀行 | 銀行 | 『肥後銀行90年史 : うるおいある未来のために。 : 1925→2015』(2016.07) | |
日立化成工業(株) | 化学工業 | 『日立化成工業社史』(1982.12) | |
(株)日立製作所 | 電気機器 | 『日立要覧』(1930.08) | |
(株)日立製作所 | 電気機器 | 『日立製作所史』(1949.06) | 明治以降日本の電気事業は外国からの輸入品によって進展していた。東京帝大電気工学科を卒業した小平浪平(おだいら・なみへい、1874-1951)は東京電灯等に勤務の後、1906年(明39)久原鉱業所日立鉱山に入社、1908年(明41)から機械修理を始める。持論の国産電気機械製造を目指し1910年(明43)茨城県日立村に新工場を建設、日立製作所と称した。1920年(大9)独立して(株)日立製作所となる。発電機、変圧器を始め一般機械や鉄道関係製品の製造にも業容を拡大する。当該社史は1908年からの30年の歴史を、小平浪平と同窓の渋沢元治(しぶさわ・もとじ、1876-1975。渋沢栄一の甥、名古屋大学総長)が編纂したもの。巻末に英文略史を掲載。[1960年(昭35)に改版を『日立製作所史. 1』として刊行している] |
(株)日立製作所 | 電気機器 | 『日立製作所史. 1』(1960.10) | 日立製作所の1908年(明41)の創設から1938年(昭13)までの足跡を記した『日立製作所史』(1949)の改訂版。創業50年記念事業の一環として、初版以降1939年(昭14)から1960年(昭和35)までの足跡を記した第2巻とセットで刊行された。初版は創業者小平浪平(おだいら・なみへい、1874-1951)と同窓の渋沢元治(しぶさわ・もとじ、1876-1975。渋沢栄一の甥)が編纂したもので、巻末に英文略史を掲載。A5判縦組みであったが、改訂版はB5判横組み。初版に若干の追加訂正をしたことが巻頭に記されている。 |
(株)日立製作所 | 電気機器 | 『日立製作所史. 2』(1960.12) | 日立製作所の1939年(昭14)3月から1960年(昭35)9月までの足跡を記した社史。第1編「日華事変期および太平洋戦争期」と、第2編「戦後の復興期および躍進期」からなる。本文の間に工場や製品の写真ページを挟む。巻末に英文略史を掲載。創業50年記念事業の一環として、創業から1938年(昭13)までの足跡を記した第1巻(1949年初版の改訂版)とセットで刊行された。なお第1巻では創業者小平浪平(おだいら・なみへい、1874-1951)が電気機械の修理を始めた1908年(明41)を創業としていたが、第2巻では日立製作所と称した1910年(明43)を創業とすることに改められている。[海外向けの社史として、"50 years of Hitachi" (120p)と"50 años de Hitachi" (124p)が1960年に刊行されている] |
(株)日立製作所 | 電気機器 | 『日立製作所史. 3』(1971.01) | 日立製作所の創業60周年記念に刊行された社史。巻頭に「50年の歩み」として、既刊の第1・2巻の概要を掲載。その後の1960年(昭35)10月から1970年(昭45)9月までの10年間の歩みを、本文8章に詳述している。国際化と高度経済成長に伴う業容拡大の流れに沿い、海外進出や系列会社についても触れている。本文中に多くの写真ページを挟む。装丁は第1・2巻と同じだが、巻末に付されていた英文略史は第3巻には無い。["60 years of Hitachi 1910-1970"(118p)が1970年に刊行されている] |
(株)日立製作所 | 電気機器 | 『日立製作所史. 4』(1985.10) | 日立製作所の創業75周年記念に刊行された社史。第3巻(1971年刊)以降1970年(昭45)から1985年(昭60)までの15年間の足跡を記載している。本文は第3巻同様の8章からなる構成で、石油危機から産業構造変革期を経て安定成長時代へ入った時期の業容を詳述。エネルギー部門の進展や高度情報化社会の到来によるエレクトロニクス部門の発展、研究開発部門の充実、新製品の拡大等に触れている。1-3巻と同様の装丁で、写真ページを本文中に挟む。年表は創業期1908年(明41)からの内容。 |
(株)日立製作所 | 電気機器 | 『日立製作所史. 5』(2010.12) | 日立製作所の創業100周年記念に刊行された社史。第4巻(1985年刊)以降1985年(昭60)から2010年(平22)3月までの25年間の足跡を記載している。本文は第4巻同様の8章からなる構成で、東西冷戦終結とバブル崩壊期を経てグローバルな環境変化に対応した社業の歩みを記載。巻頭「日立製作所史に見る100年」には、既刊5巻の社史の目次を年代順に並べ、創業者小平浪平(おだいら・なみへい、1874-1951)および第1巻編纂者である渋沢元治(しぶさわ・もとじ、1876-1975)の序文を第1・2巻から再掲している。装丁は1-4巻と同様だが、4巻までは裏表紙にあった日立マークが表紙に移動している。 |
日立造船(株) | 造船 | 『日立造船株式会社七十五年史』(1956.04) | 神戸のキルビー商会小野浜鉄工所で木造汽船の建造に携わった英国人E.H.ハンター(Edward Hazlett Hunter, 1843-1917)は、1881年(明14)大阪鉄工所を創業。船舶の建造・修理とともに特殊船や鋳鉄管事業等にも力を注ぎ、その特技と権威とを誇った。1914年(大3)株式会社に改組、1934年(昭9)日本産業(株)へ合併し(株)日本産業大阪鉄工所となる。1936年(昭11)全株式を日立製作所が取得し、1943年(昭18)日立造船に改称。戦後は施設の近代化と合理化を進め、創業以来の活況を呈する。大阪鉄工所創業からの75年史は4篇からなり、第1-3篇は未定稿の60年史を中心に編集、第4篇は戦後の記録をまとめている。製品写真や工場図面など多くの図表を掲載。[2002年(平14)造船事業を日本鋼管(現JFEエンジニアリング)との共同出資会社ユニバーサル造船に営業譲渡] |
日立造船(株) | 造船 | 『八十周年を迎えて』(1961.04) | |
日立造船(株) | 造船 | 『堺工場竣工・創業85周年』(1966.04) | |
日立造船(株) | 造船 | 『日立造船90周年を迎えて : インテグレーター』(1971.04) | |
日立造船(株) | 造船 | 『日立造船百年史』(1985.03) | |
広島ガス(株) | ガス | 『広島ガス80年史』(1990.06) | 横浜に日本初のガス灯が点火してから34年後の1906年(明39)、広島でガス事業の計画が起る。しかし日露戦争後の不況で地元での資金調達は断念、計画は大阪の財界へ持ち込まれた。1909年(明42)大阪銀行集会所において、大阪財界発起人による創立総会が開かれ、広島瓦斯が発足。ガス需要増大に伴い設備を拡充する。第二次大戦で壊滅的被害を受けるが1946年(昭21)には供給再開。1970年(昭45)広島ガスに社名変更。需要側ニーズの多様化に対応しLNG(液化天然ガス)導入を進める。80年史は研究者の執筆で、既刊の60年史(序章~7章)と70年史(8~9章)を要約した「広島ガス70年通史」と、直近10年の歩みを詳述した10~11章からなる。原爆被害にも写真入りで触れている。 |
広島電気(株) | 電力 | 『広島電気沿革史』(1934.11) | 広島では1889年(明22)地元有志により広島電灯が設立され、近隣会社を合併して業容を拡大。一方1897年(明30)設立の広島水力電気(初代会長渋沢栄一)は、1911年(明44)呉電気鉄道と合併し広島呉電力と改称。両社は同一地域での事業合理化のため1921年(大10)合併し、広島電気が創立。発電設備を増設し山陰地方及び岡山県と愛媛県島嶼部にも事業を拡大する。当該社史では第1章に前身2社の沿革、第2章以下で広島電気の沿革と現況を記述。合併各社の略史も記載し、巻頭に役員と事業所写真、巻末に重役小伝を掲載している。姉妹篇の『感想録』は3代社長守屋義之(もりや・よしゆき、1867-1938)による回想録。[1941年(昭16)配電統制令により解散し中国配電となる] |
広島電気(株) | 電力 | 『感想録 : 広島電気沿革史. 姉妹篇』(1934.11) | 『広島電気沿革史』(社史ID:13980)の姉妹篇 |
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