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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙株式会社案内』(1926.03) 渋沢栄一らの企図で洋紙製造を目的に1972年(明5)会社設立願書提出、翌年認可され抄紙会社が創立。1876年(明9)製紙会社、1893年(明26)王子製紙(株)と改称。近代技術を導入し全国に13工場を擁するまでに発展する。この会社案内は沿革に続き、各工場や事業の概要を簡潔にまとめたもの。後半は工場や設備を写真で紹介し、最後に自社製品の使用用紙7種類の明細を記載している。[会社案内は1910年以降ほぼ隔年で7冊が刊行されている]
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙株式会社案内』(1936.09) 1872年(明5)創立の王子製紙(株)は1933年(昭8)富士製紙、樺太工業と合併し、全国に34工場、資本金3億円の大企業となる。この会社案内は絹表紙の立派な装丁で本文は神崎工場製のアート紙を使い、1926年版の2倍の大きさ。沿革13頁に続き各工場や設備を大判写真83枚で解説している。
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史. 第1巻』(1956.06) 渋沢栄一らの尽力で1872年(明5)設立出願、翌年創業した抄紙会社は後に王子製紙となり、当初より近代製紙技術を採り入れ発展。1933年(昭8)富士製紙、樺太工業を合併し、生産量は国全体の8割を占めるまでに成長する。戦後1949年(昭24)過度経済力集中排除法の適用により苫小牧製紙、十条製紙、本州製紙の3社に分割される。創業から分割までの歩みを記した社史は全4巻と附録篇からなる。第1巻は創業から日清戦争まで、第2巻は日露戦争前後、第3巻は大正期から昭和前期、第4巻は太平洋戦争前後、附録篇には明治期創業の製紙会社21社の小史、紙業年表、紙業統計を掲載。各巻に詳細な写真目録と人名索引付。[著者成田潔英(なりた・きよふさ、1884-1979)は王子製紙元社員で紙の博物館初代館長]
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史. 第2巻』(1957.05) 『王子製紙社史. 第1巻』(社史ID:02570)の第2巻
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史. 第3巻』(1958.04) 『王子製紙社史. 第1巻』(社史ID:02570)の第3巻
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史. 第4巻』(1959.10) 『王子製紙社史. 第1巻』(社史ID:02570)の第4巻
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史. 附録篇』(1959.10) 『王子製紙社史. 第1巻』(社史ID:02570)の付録篇
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙解体余聞』(1958.03) 第二次大戦後1949年(昭24)王子製紙が解体された経緯を、同社社長中島慶次(なかじま・けいじ、1894-1973)らに経済誌記者薬袋進(みない・すすむ)が取材してまとめた著作。トピックごとの25章からなり、当初GHQが要求した9分割案を最終的に3分割にとどめた会社首脳陣の働きを記録した。『日刊東洋経済』での連載を本にしたもので、王子製紙元社長藤原銀次郎(ふじわら・ぎんじろう、1869-1960)と前首相で東洋経済新報社元社長石橋湛山(いしばし・たんざん、1884-1973)が序文を寄せている。巻末追録に解体経緯を記した王子製紙文献管理委員会記録と、抄紙会社から解体に至る王子製紙の系譜概要と図を掲載。
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙南方事業史』(1964.06) 1933年(昭8)の合併で国内最大の製紙会社となった王子製紙は、1941年(昭16)太平洋戦争勃発後に軍部の要請で南方地域へ進出。マレー半島、スマトラ、ジャワ、フィリピン、ニューギニア等の地域に工場を建設し、抄紙機械と技術者・工員計400名以上を送り込む。現地人も採用し現地の木材で生産開始するが、1945年(昭20)の敗戦で全ての工場を喪失する。南方事業史は各地に派遣された社員約40名から原稿を集め、7つの地域ごとに工場建設から帰還までの状況をまとめたもの。本文中に派遣された人々や現地の写真を取り込み、巻末に人名索引付。
王子製紙(株) ; 十条製紙(株) ; 本州製紙(株) パルプ・紙 『製紙業の100年 : 紙の文化と産業』(1973.06) 紙幣類や新聞・書籍用の国産洋紙製造のため、渋沢栄一らの尽力で1873年(明6)抄紙会社が誕生。後に王子製紙と改称し近代技術を導入して発展する。本書は創業100年記念に、旧王子製紙が戦後3分割されて誕生した王子製紙(当初は苫小牧製紙)、十条製紙、本州製紙の3社が共同出版したもので、4つの部分からなる。「紙と文化」では紙の役割を歴史的にたどり、「製紙業100年のあゆみ」では明治以降の近代的製紙業の発達と変遷を記述。「製紙業をになった人びと」では製紙業の発展に関わった40人を取り上げ、写真と共に業績を紹介。「現状と将来の展望」と題した座談会では3社社長が忌憚なく論じあっている。巻末に資料付。[王子製紙は新王子製紙と改称後、1996年(平8)本州製紙と合併し再び王子製紙と改称(現・王子ホールディングス)。十条製紙は合併により1993年(平5)日本製紙となる]
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙山林事業史』(1976.06) 明治初頭より製紙業を経営した旧王子製紙の山林事業を体系的にまとめたもの。原料の調達と製造からなる製紙事業のうち、森林資源を原料として供給していく山林事業の発展が、安定経営に不可欠であった。本書は第1部総説で本州から北海道、樺太はじめ海外に広がった旧王子製紙の山林事業を地域ごとに概観した上で、業務機構の変遷を記述。第2部各説では会社の創設期、成立期、発展期、合併期、戦後の1949年(昭24)旧王子製紙解体までと時代順に事業の推移を記述し、最後に伐採と並行して行ってきた造林事業に触れる。戦後の解体で発足した王子製紙、十条製紙、本州製紙3社の共同編集で、巻末に編集委員会、共同執筆者、資料提供者・協力者名を掲載。
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史 : 戦後三十年の歩み』(1982.02) 敗戦後占領政策により1949年(昭24)旧王子製紙は3社に分割される。その中の苫小牧製紙は、新聞用紙の単一品種生産ながら最大規模であった苫小牧工場を引き継ぎ発足。旧王子製紙の伝統を継承し、1952年(昭27)王子製紙工業、1960年(昭35)王子製紙と改称。外地引揚者の受入や大規模労働争議等の問題を克服し、全国に工場を建設。海外にも進出して業界首位の製紙会社に発展する。苫小牧製紙発足からの30年史は6編に渡って沿革を詳述し、巻末に資料編を付す。『王子製紙社史』(1956-59)と同様の装丁。[1993年(平5)神崎製紙を合併し、新王子製紙(株)となる]
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史 : 1873-2000. 本編』(2001.08) 1873年(明6)創立の王子製紙は戦後3分割される。苫小牧工場を引き継いで1949年(昭24)発足した苫小牧製紙は、近代化を進め経営環境の変化に対応して発展。王子製紙工業、王子製紙、新王子製紙と変遷後、本州製紙との合併により1996年(平8)三たび王子製紙となる。苫小牧製紙発足から50年を記念して発刊された社史は、本編・合併各社編・資料編の3冊からなる。本編は30年史(1982)以降の20年に重点を置きつつも、創立からの足跡を通史として記述。合併会社編には北日本製紙、日本パルプ工業、東洋パルプ、神崎製紙、本州製紙の各社史及び、本州製紙に合併した5社の社史を収録。資料編には業界統計も含めた各種資料を掲載。[2012年(平24)持株会社制に移行し王子ホールディングス(株)と改称][社史本編は全文がDNP「社史の杜」サイトで公開されている]
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史. 資料編』(2001.08) 『王子製紙社史 : 1873-2000. 本編』(社史ID:02670)の資料編
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史. 合併各社編』(2001.08) 『王子製紙社史 : 1873-2000. 本編』(社史ID:02670)の合併会社編。北日本製紙、日本パルプ工業、東洋パルプ、神埼製紙、本州製紙、福岡製紙、東信製紙、佐賀板紙、本州ダンボール工業、鶴崎パルプ各社の社史、資料集、年表、索引を収録。
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙の軌跡 : Kami, 紙, paper』(2004.08) 1873年(明6)創業の王子製紙の歩みを左ページに、明治以降の日本の紙と文化の関わりを右ページに配した写真集。左ページには工場、原料木の山林、関わった人々等の写真を置き、右ページには新聞、教科書、広告、包装紙等の各種紙製品の写真を置いている。2003年(平15)の創業130周年記念事業の一環として編集されたもので、中国を始め海外への事業展開にも触れている。本文は日本語・中国語・英語併記。巻末の「東洋に咲いた“華”」で自社の沿革を概観している。
王子製紙(株)苫小牧工場 パルプ・紙 『五十年の歩み : 1910-1960』(1960.12) 王子製紙(株)は1904年(明37)新工場建設地を求めて北海道へ進出、支笏湖周辺に理想的な土地を発見。まず発電所を建設し、1909年(明42)に苫小牧工場建物落成、翌年から操業開始。近代設備で新聞用紙を生産する。50年史は工場施設、原木を切り出す原野、発電所、製品の積出港、工場の様々な出来事や従業員の生活などを写真で綴っている。巻末に年表付。
王子製紙(株)苫小牧工場 パルプ・紙 『王子製紙苫小牧工場創業100年のあゆみ : スエズ以東にかかる大工場なく、日本製紙界に一大改革を起こす』(2010.09) 洋紙の国内自給を目指して1910年(明43)操業開始した王子製紙苫小牧工場は、最新鋭の設備導入と技術革新で世界最大の新聞用紙工場として発展する。100年史は操業開始からの歩みを時代順に7章で綴り、多くの図版やエピソードを本文中に取り入れている。巻末に資料付。社史はこれまでに『五十年の歩み』(1960)が出ている。
王子電気軌道(株) 鉄道・バス 『王子電気軌道株式会社二十五年史』(1935.10) 東京の都市交通機関創設を目指した松本錬蔵らは1906年(明39)王子を中心に大塚~三輪間の軌道敷設・営業を出願。翌年特許を得るが、日露戦後の不況で資金難に会い渋沢栄一等の後援を得て漸く1910年(明43)王子電気軌道を創立。翌年開業し、沿線と隣接地域への電灯電力供給事業も開始。資金難が続くが事業は漸次進捗し、景気回復と共に増資も行い発展。関東大震災の被災は軽微に収まり、1929年(昭4)乗合自動車業を開始、翌年に電車は三輪早稲田間直通運転を開始する。25年史は創業準備時代からの沿革と、回顧、現状、附録の資料からなる。口絵に役員と停留場等の写真を掲載。[1942年(昭17)東京市営になる(現在の都電荒川線)]
王子油化合成紙(株) 化学工業 『王子油化合成紙30年史』(2000.03) 1968年(昭43)政府は森林資源確保を目的に合成紙産業の育成努力を勧告し、紙パルプ・繊維・石油化学業界等に合成紙ブームが起きる。政府勧告よりも前から合成紙開発を進めていた三菱油化樹脂研究所は、勧告に刺激を受けた王子製紙との提携を進め、1969年(昭44)王子油化合成紙研究所が誕生。開発と事業化を進め1970年(昭45)王子油化合成紙(株)を設立。工場を稼働させショッピングバッグやステッカー、地図など水に強い合成紙の特徴を活かした製品を次々生産し、海外にも進出する。30年史は本文用紙に自社製合成紙を使用し、写真・エピソードを随所に取り入れ沿革をまとめている。[2001(平13)ユポ・コーポレーションと社名変更]
近江絹糸紡績(株) 繊維 『オーミケンシ外史 : 五十年のあゆみ』(1967.10) 彦根の実業家夏川熊次郎らは琵琶湖の水を利用し郷土の繁栄のため1917年近江絹綿(株)設立。1920年近江絹糸紡績(株)と社名変更し、品質向上、人材育成に努める。戦時下飛行機製作に進出し1943年近江航空工業(株)発足、零式戦闘機を製作。戦後は綿糸紡績に進出、工場を次々新設する。社史は50年の歩みをコンパクトにまとめた小冊子。[1968年オーミケンシ(株)と改称]
(株)大分銀行 銀行 『大分銀行百年史』(1994.01) 農業県大分では明治以降繊維工業を中心に産業が発展、1877年(明10)第二十三国立銀行(後二十三銀行)が商業資本で設立される。商工業の更なる発展と円滑な資金供給のため、大分町の名士らが発起人となり1893年(明26)大分銀行を設立。1927年(昭2)二十三銀行を合併し、商号を大分合同銀行と変更。更に第二次大戦下の銀行合同施策のもと県内20余銀行を合併する。1953年(昭28)大分銀行と改称、現在に至る。100年史は沿革編、営業店小史、資料編からなり、沿革編では創立前史で明治政府の金融政策から記述。既刊の『大分合同銀行五十年史』『大分銀行七十年史』『八十年小史』の3史に諸資料を補足しつつ、最近20年間の動きを加筆している。[渋沢栄一は第二十三国立銀行の設立指導]
(株)大垣共立銀行 銀行 『地域とともに歩んで : 大垣共立銀行九十年史』(1986.03)
大倉電気(株) 電気機器 『大倉電気五十年史』(1987.05)
(株)大倉博進 パルプ・紙 『創業90年年表』(1979.11) 日本橋の出版業者大倉孫兵衛(おおくら・まごべえ、1843-1921)は洋紙需要拡大を見抜き、1889年(明22)大倉孫兵衛洋紙店(後に大倉洋紙店)を開業。一方博文館勤務の山本留次(やまもと・とめじ、1872-1852)は叔父の社長大橋佐平の勧めで独立し、1897年(明30)洋紙販売の博進堂(後に博進社)を創業。両社は時勢に乗って躍進し、業容を広げる。大倉洋紙店は1962年(昭37)名古屋の愛知洋紙店を、1964年(昭和39)横浜の五輪堂洋紙店を合併。1971年(昭46)には業界安定を目指して博進社と合併し、(株)大倉博進が誕生。大倉洋紙店創業からの90年史は、見開き2ページ単位で上部に年表、下部に沿革をまとめ、随所に写真や図表を掲載。[1985年(昭60)大倉紙パルプ商事(株)と改称、その後合併を経て2005年(平17)新生紙パルプ商事(株)となる]
大阪瓦斯(株) ガス 『大阪瓦斯五十年史』(1955.10) 1871年大阪造幣局で、貨幣鋳造に使う金銀溶解用にガス発生炉が設けられ、余剰ガスを利用して局内外に我が国初のガス灯が点火された。扱いが不便な石油ランプや高価な電灯に対し、低廉安全なガスを供給しようと1897年に松田平八らにより大阪瓦斯(株)設立。大阪市内に白熱ガス灯が点じられた1905年から50年目を記念して刊行された社史。渋沢栄一は1901年2月から翌年7月まで監査役。1945年近畿の14社を併合し、それらの略史も掲載。社史は戦後のあゆみと現状の事業概要に重点が置かれている。
大阪瓦斯(株) ガス 『大阪ガス最近の10年 : 60周年を迎えて』(1966.10) 1955年刊行の50年史以降、1966年9月までの10年間に焦点を当てた社史。エネルギー源が石炭から石油へ転換し、需要の増大に伴って設備投資も営業も拡大していく時期が描かれている。
大阪瓦斯(株) ガス 『明日へ燃える : 大阪ガス80年』(1986.06) 1905年の創業から1985年までの80年の歩みを通史として編纂。第1部は創業から1965年までの60年間をエピソードを交えながら述べる。第2部は以降1985年までの20年間に、石油危機を乗り越え、都市ガス燃料としてLNGを選択し事業展開した歩みを詳述。
大阪瓦斯(株) ガス 『大阪ガス100年史 : 1905~2005』(2005.10) 1905年の創業からの100年史。後半では既刊の社史に継続して、1991年以降の出来事を詳述している。
(株)大阪株式取引所 その他金融業 『大株五十年史』(1928.11)
(社)大阪銀行協会 銀行 『大阪銀行協会史』(1967.11)
大阪穀物取引所 その他金融業 『10周年誌』(1963.10)
大阪穀物取引所 その他金融業 『20年史』(1973.11)
大阪穀物取引所 その他金融業 『30年史』(1983.03)
大阪穀物取引所 その他金融業 『40年史』(1995.03)
大阪小間物卸商同業組合 商社 『大阪小間物卸商同業組合沿革史』(1928..05)
大阪砂糖取引所 その他金融業 『大阪砂糖取引所沿革史 : 昭和27年~平成5年』(1994.02)
大阪証券取引所 その他金融業 『大阪証券取引所十年史. 統計』(1961.12) 『大阪証券取引所十年史』(社史ID:11180)の統計
大阪証券取引所 その他金融業 『大阪証券取引所十年史』(1964.12)
大阪証券取引所 その他金融業 『大阪証券取引所20年史 : 統計』(1969.12)
大阪証券取引所 その他金融業 『大阪証券取引所史. 第3巻 統計』(1980.01)
大阪商工会議所 経済団体 『大阪商工会議所史』(1941.07)
大阪商工会議所 経済団体 『大阪商工会議所八十五年史』(1965.07)
大阪商船(株) 海運 『大阪商船株式会社五十年史』(1934.06) 幕府が神戸・大阪を開港して以来、瀬戸内海の航路は次第に拡張。西南戦争後船舶が供給過剰となり、群小船主間の競争が激烈となる。住友家総理人広瀬宰平(ひろせ・さいへい、1828-1914)らは有志を糾合して1884年(明17)大阪商船会社を開業。日清・日露戦、第一次大戦を契機に世界各地へ航路を広げる。50年史は「沿革・航路・船舶・資本・事務組織・営業所・業績及財産・附録」からなり、渋沢栄一の関わった日清汽船にも触れる。
大阪商船(株) 海運 『大阪商船株式会社80年史』(1966.05) 1884年(明17)の創業から、1964年(昭39)に海運業の再建整備に関する法律により、三井船舶と合併して大阪商船三井船舶となるまでの80年史。構成は、沿革・航路・船舶・経営資本・組織及び制度・営業所・経理・関係会社・資料及び年表からなり、日本海運史、世界海運史との関連にも注目している。社史編纂のために収集した「航路別港別貨物品別統計表」など主な資料の一覧を編集後記に掲載。
大阪商船三井船舶(株) 海運 『創業百年史. [本編]』(1985.07) 1877(明治10)年、三井物産が三池炭の海外向け輸送を手がける。三井物産船舶部は不定期航路から定期航路へ進出、1942年三井船舶(株)として独立。一方1882年瀬戸内船主の大同団結によって大阪商船会社が設立、沿岸・近海から遠洋航路へ進出。両者は第2次大戦で大きな被害を受けるが、1964年に合併、大阪商船三井船舶(株)となる。別冊資料編あり。[1999年(平11)ナビックスラインと合併し、商船三井となる]
大阪商船三井船舶(株) 海運 『創業百年史. 資料』(1985.07) 『創業百年史. [本編]』(社史ID:12500)の資料編
大阪曹達(株) 化学工業 『大曹70年のあゆみ』(1986.05) 明治末期に関東州の豊富な塩を原料としたかせいソーダ製造を政府が計画し、水銀法電解ソーダの工業化が図られる。関西財界重鎮の中橋徳五郎(なかはし・とくごろう、1864-1934)を委員長に、かせいソーダの製造販売のため1915年(大4)大阪曹達が創立。第一次大戦中でソーダ類の輸入が不足、ソーダを使用する各種化学工業の急激な興隆もあり事業が発展する。第二次大戦後は水銀公害規制に対応し製法をイオン交換膜法へ転換、有機化学分野にも進出する。70年史は写真を多用し、第1編に近年の躍進、第2編に創業からの回顧、第3編に資料という構成。未完の50年史草稿を土台にしている。[1988年(昭63)ダイソーに社名変更]
大阪紡績(株) 繊維 『創業二十五年沿革略史』(1908.10) 明治以降各地に設立された紡績会社はいずれも小規模で、大規模な紡績会社設立の必要性を強く感じた渋沢栄一は有志と図り、英国留学中の山辺丈夫(やまのべ・たけお、1851-1920)に紡績業の実況研究を要請。紡績技術も学んだ山辺が帰国し、資本調達と工場建設の上1882年(明15)大阪に大阪紡績会社創立、栄一は相談役。中国・インドから棉花を輸入し綿布を輸出するまでに成長、日清日露戦争を経て発展する。25年史は沿革と現況を7区分で記述し、工場写真を多く掲載。[1914年(大3)三重紡績と合併し東洋紡績(株)となる]
大塚製靴(株) その他製造業 『大塚製靴百年史』(1976.01)
大塚製靴(株) その他製造業 『大塚製靴百年史. 資料』(1976.03) 『大塚製靴百年史』(社史ID:07020)の資料編
大塚製靴(株) その他製造業 『大塚製靴株式会社五十年 : 老舗の近代化』(2003.08) 1950年に個人商店大塚商店を株式会社に改組してからの50年史。創業からの沿革は1976年「大塚製靴百年史」として刊行している。「株式会社五十年」では、序章として1872年大塚岩次郎が開業した大塚商店の歴史を記述。本章は戦後の歩みを5章に分け、経営史を中心に述べている。多角経営せず技術を誇る製靴一筋に歩んだこと、同族による独立経営を維持したことが特徴。執筆は外部研究者に委託、索引付。
(株)大林組 建設 『大林組八十年史』(1972.10) 1864年大阪の商家に生まれた大林芳五郎が1883年に上京、宮内省出入りの請負業者の下で働く。皇居工事・鉄道工事・陸軍兵舎工事などに精勤した後、大阪に戻る。1892年製紙所工場工事を落札したのを機に独立、請負業を創業する。1903年大阪で開催された内国勧業博覧会の会場建設を請負い、また1970年大阪万博でも多くの施設を建設する。80年史は第1編創業と成長の時代、第2編発展の時代、第3編戦後の再建と新発展の時代、第4編最近10年の大林組、の4部構成、索引付。
(株)大林組 建設 『大林組百年史 : 1892-1991』(1993.06) 「百年史」は第1部創業から終戦まで、第2部戦後復興から高度経済成長まで、第3部東京本社設置から創業100年まで、の3部構成で、別冊資料編付。どの時代もあらゆる産業分野での建築工事に進出していった様子が描かれている。
(株)大林組 建設 『大林組百年史. 資料編』(1993.06) 『大林組百年史 : 1892-1991』(社史ID:00320)の資料編
大林道路(株) 建設 『大林道路五十年史』(1983.08)
オーベクス(株) その他製造業 『オーベクス100年史』(1993.03) 明治初期洋風化が鼓舞され、渡欧した益田孝が帽子の国産化を着想し、帰国後1889年渋沢栄一らと共に有限責任日本製帽会社設立。生産開始したものの業績不振により1892年解散し、新たに東京帽子(株)を設立して権利義務を継承、栄一は初代取締役会長。社史は戦前のフェルト帽製造の歴史と戦後の経営多角化、1985年にオーベクス(株)と社名変更して経営改革するまでの通史を4章に分けて記載。第5章部門史では、「帽子」「アパレル」「ヘルメット」「ペン先」の製品別に歴史と現状を記載している。
オーロラ(株) その他製造業 『The course of hundred years : 1896-1996』([1996])
岡谷鋼機(株) 鉄鋼業 『鉄一筋 : 岡谷鋼機三百年の歩み』(1968.11)
(株)岡山製紙 パルプ・紙 『岡山製紙100年史 : 1907-2007』(2008.02)
小川写真製版所 その他製造業 『創業紀念三十年誌』(1913.08)
沖電気工業(株) 電気機器 『沖電気100年のあゆみ』(1981.11)
沖電気工業(株) 電気機器 『進取の精神 : 沖電気120年のあゆみ』(2001.11) 広島出身の沖牙太郎は1874(明治7)年27歳で銀細工師の腕を資本に上京、工部省で電信技術に携わる。1881(明治14)年に電機製造・販売の明工社を創立、電話機を製造する。沖電機工場、沖商会と組織変更し、浅野総一郎(後に会長)・渋沢栄一らの出資を得、1912年沖電気株式会社となる。社史はこれまでに50年史、90年史、100年史が刊行されており、120年史ではコンピュータ・ネットワークが出現した1960年以降の40年間を詳述。
(株)沖縄海邦銀行 銀行 『沖縄海邦銀行55年史』(2006.12)
沖縄電力(株) 電力 『沖縄電力30年史』(2003.03) 沖縄の電気事業は1910年(明43)那覇市に設立の沖縄電気に始まり、大正から昭和にかけ名護電灯、宮古電灯、八重山電気が開業。戦時下配電統制令により1943年(昭18)沖縄の4社も九州配電に統合され、同社の沖縄支店および営業所となる。戦災で電気事業は全て崩壊。戦後沖縄が米軍施政権下に置かれる中、民間の群小電気供給業者が起こる。1954年(昭29)米国民政府は発送電を運営する琉球電力公社を設立、配電は民間が運営する方針をとる。1972年(昭47)本土復帰により、琉球電力公社を継承し発送配電を一体化した特殊法人沖縄電力(株)が設立される。1988年(昭63)民営に移行。30年史は既刊の15年史を要約した「15年のあらまし」、以降の歩みをまとめた通史と部門史、資料からなる。付属のCD-ROMには30年史全頁PDFと、映像にまとめた沿革等が入っている。
小田急電鉄(株) 鉄道・バス 『小田急五十年史』(1980.12) 大分出身の衆院議員利光鶴松(としみつ・つるまつ、1863-1945)は東京市街鉄道の設立に関わり実業界へ進出。鉄道の動力確保に1910年(明43)鬼怒川水力電気を創立。1923年(大13)には小田原急行電鉄を創立し沿線開発などの事業を進めるが、1941年(昭16)鬼怒川水力電気と合併して小田急電鉄と改称。業績向上を図り翌年東京横浜電鉄に合併して東京急行電鉄となる。戦後1948年(昭23)には分離し新たな小田急電鉄を設立。路線の拡張や経営多角化を図り発展する。50年史は沿革・現況・資料からなり、交通網と地域社会・産業の発展に貢献してきた経営努力の歩みを綴る。西武鉄道との間に起った“箱根山戦争”についても一節を割く。社史編纂の経緯をあとがきに詳述。
小田急電鉄(株) 鉄道・バス 『小田急75年史』(2003.03)
小野田セメント(株) 窯業 『回顧七十年』(1952.12) 1881年創業のセメント製造会社は1891年有限責任小野田セメント製造(株)と改称。内外に業容を拡大するが敗戦により海外の工場を失う。しかし積極経営で損失を克服、1951年小野田セメント(株)と社名変更する。70年史は前半が年代ごとの沿革、後半は工場・品質・福利厚生等の資料編。[1994年秩父セメントと合併し、秩父小野田セメント(株)となる]
小野田セメント(株) 窯業 『小野田セメント百年史』(1981.08)
小野田セメント製造(株) 窯業 『小野田セメント製造株式会社創業五十年史』(1931.09) 1881年山口藩の理財家笠井順八は士族救済と授産のために、わが国初の民間セメント会社として山口県原狭郡西須恵村(今の小野田市)にセメント製造会社を創設。1891年有限責任小野田セメント製造(株)と改称。輸出により外貨を獲得し、朝鮮・満州にも進出。50年史は前半で沿革を述べ、後半は支社・工場の現況と資料編。写真・図表目次と総索引付。
オリエンタル写真工業(株) その他製造業 『オリエンタル写真工業株式会社三十年史』(1950.05) 明治期から輸入に依存していた写真感光材料の国産化を志した菊池東陽(きくち・とうよう、1883-1939)は、米国で乳剤研究の後に感光乳剤製法を完成。帰国して会社設立準備にかかり渋沢栄一の紹介で植村澄三郎(うえむら・ちょうざぶろう、1862-1941)を会長に、1919年(大8)オリエンタル写真工業を設立。渋沢家の写真師江木写真店の五十嵐与七が役員に加わる。印画紙を発売し好評を得、輸出も開始する。業績を伸ばし工場を拡張し、写真の啓蒙雑誌『フォトタイムス』を発行、人材育成のためオリエンタル写真学校を創設。新製品を開発して業容を拡大する。渋沢栄一等の写真入り30年史は写真材料の解説や創業者の交友関係を含め、創業前後からの歩みを5章にわたり丁寧に記述。巻末に役員小伝、関係会社略史付。渋沢秀雄(しぶさわ・ひでお、1892-1984、栄一四男)は監査役。[2000年(平12)サイバーグラフィックス(株)と社名変更]
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