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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
(株)ジェイアール西日本メンテック サービス業 『40年のあゆみ : West Japan Railway Maintec Co., Ltd 1958-1998』(1999.02)
JFEスチール(株) 鉄鋼業 『JFE Steel : JFEスチール株式会社 : JFE 東日本製鉄所 (京浜地区)』([2003])
JFEホールディングス(株) 鉄鋼業 『JFEグループtoday : 創立10周年記念号. 2013』([2013])
塩野義製薬(株) 医薬品 『シオノギ100年』([1978]) 薬種問屋の三男初代塩野義三郎(しおの・ぎさぶろう、1854-1931)は、1878年(明11)大阪道修町に塩野義三郎商店を開業、和漢薬の販売を開始。西洋医薬の普及に伴い取扱いを洋薬に切り替える。製薬の試製を始め、1909年(明42)塩野義新薬第1号(制酸剤アンタチヂン)を発売、翌年大阪海老江に塩野製薬所を建設。1918年(大7)塩野義三郎商店と塩野製薬所が合併し、(株)塩野義商店を設立。1943年(昭18)塩野義製薬に社名変更し、戦後は近代化を進め海外にも進出する。100年史は小冊子ながら写真を多用し、創業からの歩みを簡潔な年表の形で再現している。[物語風に沿革をまとめた『シオノギ百年』(塩野義製薬、1978年、533p)の普及版と考えられる]
敷島紡績(株) 繊維 『敷島紡績七十五年史』(1968.12) 大阪財界の鈴木勝夫らは西成郡伝法村に1892年(明25)伝法紡績を創立、翌年福島区に移転し福島紡績と改称する。第一次大戦を契機に経営を確立し、積極経営で業容を拡大。1944年(昭19)企業統合政策で朝日紡績と合併し、敷島紡績と改称(敷島は大和の枕詞)。戦後復興をはかりコーンスターチ製造等新規事業や海外合弁事業へも進出する。創立からの75年史は沿革、現況、資料からなり、本文中に写真を多く掲載し、沿革の最後に事業場史も記載。50周年までは『福島紡績株式会社五十年記』(1942年刊)を要約し、以降の25年間を詳述している。[2002年(平14)シキボウ(株)に商号変更]
四国化成工業(株) 化学工業 『四国化成五十年史』(1997.10) 香川県丸亀の技術者多津白年(あきとし)と横山良一は、第二次大戦後の混乱期に事業を興すに当たり衣食住のうち「衣」に着目。化学繊維のうちビスコースレーヨンは入手の容易な硫黄と木炭から生成される二硫化炭素が原料であること、四国・中国地方にはレーヨン工場が数多くあり需要先が確保されていることから、新製法による二硫化炭素の工業化を図り、地元有力者の出資を得て1947年(昭22)四国化成工業を創立。1949年(昭24)には渋沢栄一に縁のある東邦レーヨンの出資を得る。人材を結集し時機を得た経営で事業を多角化し発展する。50年史はジャーナリストの執筆で会社の歩みを読みやすくまとめている。索引付。
(株)四国銀行 銀行 『四国銀行百年史』(1980.07) 四国土佐藩は明治に高知県となり、第七、第三十七、第八十の3国立銀行が設立された。1878年(明11)設立の第三十七国立銀行は役員5人中4人が士族で、士族救済を大きな目的の一つとした典型的な国立銀行の姿であった。1896年(明29)高知第三十七国立銀行と改称した後に、丸亀から移った高知第百二十七国立銀行と合併、翌年高知銀行と改称。日露戦後の不況や自由民権運動の煽りで苦境に陥り、経営強化のため1907年(明40)安田家に経営を委託。第七・第八十銀行が合併してできた土佐銀行を1923年(大12)に合併し、四国銀行となる。第二次大戦後は安田家から離れ、地域経済の発展と共に成長する。100年史は沿革と資料からなり、服務に厳しい士族気質を表す創立当時の誓約書として、金銭を扱う役職員全員が一死をもって自戒の決意を表明した血判書を巻頭に掲載。
四国電力(株) 電力 『四国電力20年のあゆみ』(1972.03) 四国地方では1895年(明28)ころから各地で電気事業が開始された。事業者間競争の弊害から東邦電力徳島支店、高知県営電気、土佐電気、伊予鉄道電気、四国水力電気の5社は1928年(昭3)四国電気事業統制協議会を結成。日華事変後1939年(昭14)電力国家管理政策により日本発送電が発足、1942年(昭17)四国配電が設立され、順次事業者が統合される。戦後電気事業再編成により1951年(昭26)四国電力が発足。経済開発の進展に伴い業容を拡大する。四国電力発足からの20年史は、今日のすがた、20年のあゆみ、将来の展望から構成され、年表の冒頭に創業前史を掲載。10年史(1961年刊)以降の10年に重点を置いている。
四国電力(株) 電力 『四国地方電気事業史 : 経済社会の発展を通じて』(1984.09) 明治以降農林水産業に加え製紙業や製塩業なども発展していた四国には、1895年(明28)徳島県で最初に電灯が灯り、以降4県それぞれに電気事業が普及していった。大正期に徳島県は三重合同電気(のち東邦電力徳島支店)、香川県は四国水力電気、愛媛県は伊予鉄道電気、高知県は県営電気と土佐電気、そして新居浜の住友共同電力が電気事業を集中して行うようになる。それらは戦時下の電力国家管理により日本発送電と四国配電に統合される。戦後1951年(昭26)に再編成で四国電力が発足し、経済成長と共に電気事業も発展する。この電気事業史は研究者の執筆で、まず電気事業の「再編成以降」を置き、その後「再編成以前」という構成。四国電力発足以降の年表と主要参考文献を付している。
四国配電(株) 電力 『四国配電十年史』(1953.05) 1941年(昭16)配電統制令により、高知県、土佐電気、伊予鉄道電気、四国水力電気、東邦電力が電気供給事業設備を出資して四国配電が設立。本店は新居浜、後松山に移る。戦災により設備に多くの被害を受けるが全社をあげて復旧に努める。戦後復興事業に邁進するも電気事業再編成により1951年(昭26)解散、事業は同年発足の四国電力に引き継がれる。10年史は総説、経理、営業、工務、労務、四国の電気事業の各編からなり、附録に年表ほかの資料を収載。巻頭には60頁に及ぶ写真を載せている。
四国旅客鉄道(株) 鉄道・バス 『JR四国20年のあゆみ : 皆様とともに20年』([2007])
(株)時事通信社 サービス業 『建業弐十年』(1965.11) 戦前の国家代表通信社であった同盟通信社が解散し、新聞・放送に対する通信事業は共同通信社として分離、個人に対する通信事業が時事通信社として1945年(昭20)創立された。時事通信では当初、速報通信、出版、写真通信に注力し、1946年(昭21)からUP、ロイター、AFP各通信社と順次通信契約を締結。1950年台に最初の海外特派員派遣、「官庁速報」創刊、海外向け英文放送と超短波ボイス同報開始、ホーガン式ファクス同報開始、1960年台には旧西独DMT通信社とニュース交換契約発効、マスメディア・サービス開始、東京・ニューヨーク・ロンドンに専用電信回線開通、と事業拡大している。20年史は5章までが全社の沿革、6-14章が事業ごとの歩み。前身の一つで渋沢栄一が関わった国際通信社にも触れている。人名索引付。先行社史は『建業十有五年』(1960年刊)がある。
(株)時事通信社 サービス業 『時事通信社50年史』(1995.11)
(株)静岡銀行 銀行 『静岡銀行史』(1960.05) 静岡銀行は静岡市に本店を置く静岡三十五銀行と浜松市に本店を持つ遠州銀行とが、銀行合同政策により1943年(昭18)合併して発足。静岡三十五銀行は1877年(明10)設立の静岡第三十五国立銀行、遠州銀行は1880年(明13)創立の西遠商会をそれぞれ母体としつつ、各々30~40有余の本店銀行の集合体である。静岡銀行発足後も多くの銀行を合併し発展する。創立15周年記念に編纂された当該社史は本文を4篇に分け、総説篇として維新前後のわが国の金融機関と幣制並びに静岡県の銀行と重要産業について記述、続いて静岡三十五銀行篇、遠州銀行篇、現在の静岡銀行篇となっている。総説編では渋沢栄一の提唱で設立された静岡の商法会所にも10頁にわたり触れている。
(株)静岡銀行 銀行 『静岡銀行史 : 創業百十五年の歩み』(1993.03)
(株)資生堂 化学工業 『資生堂社史 : 資生堂と銀座のあゆみ八十五年』(1957.11) 千葉出身で薬学を修めた福原有信(ふくはら・ありのぶ、1848-1924)は、海軍薬剤監を辞して1872年(明5)三田田町で薬局開業、火事のため銀座出雲町に移る。一方友人らと三精社を興し、西洋薬舗会社資生堂を設立、個人の薬舗にも資生堂を号した。出雲町の資生堂薬局二階に回陽医院を設けるも医薬分業を実践し、製薬事業に尽力。1887年(明20)日本初の煉歯磨、1897年(明30)化粧品の製造販売にも乗り出す。欧米に学んだ三男福原信三(ふくはら・しんぞう、1883-1948)が化粧品を充実させ、1921年(大10)合資会社資生堂となる。1927年(昭2)株式会社に改組し、戦禍を乗り越え業容拡大する。85年史は銀座と共に歩んだ資生堂の変遷を、製品・広告・風俗など多くの写真図版や寄稿文を取り入れ多面的に描いている。
(株)資生堂 化学工業 『資生堂百年史』(1972.06) 1872年(明5)東京銀座に洋薬薬局として創業し、1897年(明30)から化粧品製造販売を始めた資生堂は、福原信三(ふくはら・しんぞう、1883-1948)社長の元で1915年(大4)経営の主体を薬品から化粧品に転換。合資会社を経て1927年(昭2)株式会社に改組、販売組織を整え内外に発展する。戦後は経営近代化を進め、常に最高の品質を追求するとともに消費者との共存共栄を目指している。85年史に続くこの100年史は、巻頭に5項目の経営理念と西欧文化吸収の窓口である銀座の写真を配置。本文は沿革を10章にまとめ、製品や広告宣伝物のカラー写真をふんだんに取り入れた編集。巻末資料も各項目を視覚的にわかりやすく表現している。
(株)資生堂 化学工業 『資生堂宣伝史. 1』(1979.07) 化粧品制作に独特の美を追求してきた資生堂の、宣伝部門の発展史を3冊にまとめたもの。1「歴史」では1872年(明5)の創業から1960年(昭35)までを時代順に追い、意匠部が発足した1916年(大5)以降を詳細に記述。宣伝表現の基本に使用した「女性像」と「唐草」は特に章を立てている。巻末に人名索引付。2「現代」ではキャンペイン方式の宣伝を始めた1961年(昭36)以降の、新聞雑誌広告や製品デザイン等の制作物写真を掲載。3年ごとにまとめた略史を間に挟む。担当した歴代宣伝部員28名の寄稿と、コミュニケーションの研究者4名の座談会も載せ、巻末に制作者や催事等の一覧付。3「花椿抄」は、1924年(大13)に『資生堂月報』として創刊され『資生堂グラフ』を経て『花椿』と改称したPR誌からの抜粋記事。500冊以上の中から約120の寄稿を選び、挿絵やグラビア写真と共に年代順に再録している。既刊の85年史と100年史に対し、この宣伝史は部門史の位置づけ。
(株)資生堂 化学工業 『資生堂宣伝史. 2』(1979.07) 『資生堂宣伝史. 1』(社史ID:03310)の2巻
(株)資生堂 化学工業 『資生堂宣伝史. 3』(1979.07) 『資生堂宣伝史. 1』(社史ID:03310)の3巻
(株)七十七銀行 銀行 『七十七年史』(1954.05) 宮城県の士族が金禄公債を集めて資本金とし、第一国立銀行頭取渋沢栄一に相談の上、1878年仙台に第七十七国立銀行を創立。1898年営業満期により(株)七十七銀行となる。1932年東北実業銀行、五城銀行と合併、新立の(株)七十七銀行が発足。77年史は国立銀行時代、旧株式会社時代、新立株式会社時代、戦後の現況、合併銀行小史の5編および巻末資料編からなる。
(株)七十七銀行 銀行 『七十七銀行小史』(1954.05) 「七十七年史」と章立てはほぼ同じで、読みやすいハンディな形にして同時期に出版したもの。執筆は外部研究者に委嘱。
(株)七十七銀行 銀行 『七十七銀行百年史』(1979.04)
(株)七十七銀行 銀行 『七十七銀行120年史』(1999.03)
(株)実業之日本社 サービス業 『『実業之日本』の六十年と創立者増田義一』([1957])
(株)実業之日本社 サービス業 『実業之日本社七十年史』(1967.06)
(株)実業之日本社 サービス業 『実業之日本社百年史』(1997.12) 1895(明治28)年、東京専門学校出身の光岡威一郎が帝国実業の発達振興を図るために大日本実業学会を創立。1897年に雑誌「実業之日本」を創刊。その後光岡は健康を害し、発行権と経営権を同窓の増田義一に譲り、増田は1900年実業之日本社を設立。「実業之日本」誌は経済雑誌として成長していく。別冊「百年図書総目録」には、書籍、ムック、コミックス、ビデオ、教育関係図書等の出版物を刊行年順に記載、書名・著訳者名索引つき。
(株)実業之日本社 サービス業 『実業之日本社百年図書総目録』(1997.12) 『実業之日本社百年史』(社史ID:14570)の別冊
品川白煉瓦(株) 窯業 『創業100年史』(1976.12) 1836年江戸生まれの武士西村勝三は維新後東京会議所委員となる。国産煉瓦製造をめざし1875年渋沢栄一らの協力を得て東京会議所瓦斯製造所内に工場を作り、ガス発生炉用の耐火煉瓦(白煉瓦)の製造を始める。1884年工部省所管の白煉化石製造所の払下げを受け、伊勢勝白煉瓦製造所を設立。1887年品川へ移転し、品川白煉瓦製造所と改称。1903年品川白煉瓦(株)へ改組。栄一は相談役(1907-09)。100年史は総合史、部門史・現況、資料から成り、千ページを超える大作。
(株)芝浦製作所 電気機器 『株式会社芝浦製作所』([1936.02])
渋沢倉庫(株) 倉庫・運輸関連 『渋沢倉庫株式会社三十年小史』(1931.09)
渋沢倉庫(株) 倉庫・運輸関連 『渋沢倉庫株式会社創立三十周年記念小史』(1939.08)
渋沢倉庫(株) 倉庫・運輸関連 『渋沢倉庫六十年史』(1959.08) 1876(明治9)渋沢栄一が深川区福住町の近江屋喜左衛門の寮を譲り受け改築し本拠とする。敬三はここで生まれ育ち、倉庫の間で遊んでいた(以上敬三序文より)。1897年渋沢倉庫部発足、1909年渋沢倉庫株式会社。1933年大阪を本拠とする浪華倉庫を合併し、我が国の主要港湾を結ぶ本支店網を完成。社史は三十年史の後を受けて1957年3月までの内容。B5判479ページ。
渋沢倉庫(株) 倉庫・運輸関連 『渋沢倉庫の80年. 1』(1977.03) 1897(明治30)年渋沢倉庫部開業、営業主渋沢栄一、倉庫部長渋沢篤二。1909年渋沢倉庫株式会社創立、会長渋沢篤二、専務八十島親徳。第1巻は栄一の略歴に始まり、戦後復興期の1955年まで。第2巻は1977年までの飛躍展開を記述、株式買占め事件などにもふれる。読みやすい文体で物語風に綴っている。2巻合わせて755ページ(A5判)。
渋沢倉庫(株) 倉庫・運輸関連 『渋沢倉庫の80年. 2』(1977.03) 『渋沢倉庫の80年. 1』(社史ID:13000)の2巻
渋沢倉庫(株) 倉庫・運輸関連 『渋沢倉庫百年史』(1999.03) 創業から1997年までの100年の歩みを通史で記述。本文・資料編・年表からなり、B5判662ページ。三十年小史から百年史まで執筆はすべて社内スタッフが行っている。
(株)島津製作所 機械 『改組二十年記念帖』(1937.09)
(株)島津製作所 機械 『島津製作所改組三十五年記念誌』(1952.11)
(株)島津製作所 機械 『島津製作所史』(1967.09) 1875年(明8)初代島津源蔵(しまづ・げんぞう、1839-1894)が京都で理化学器械の製作を開始。長男の二代源蔵(1869-1951)と共に、京都舎密局に着任したドイツ人技師ワグネル(Gottfried Wagener, 1831-1892)の指導を受ける。個人経営の島津製作所は1917年(大6)株式会社に改組。以来、蓄電池、標本製作、日本初の医療用X線装置、実験機材など多くの製品開発を行い発展する。本社史は株式会社改組50周年記念誌として、個人経営時代からの90余年の沿革と、主要な機種別製品の生成発展過程を示す技術・製品から成る。これ以前に『改組二十年記念帖』『改組三十五年記念誌』『改組四十年記念誌』を刊行している。
(株)島津製作所 機械 『21世紀をひらく : 創業110周年島津技術の発展』(1985.04)
(株)島津製作所 機械 『島津製作所百十年史』(1985.07)
(株)島津製作所 機械 『科学とともに百二十年 : 島津製作所の歩み』(1995.11)
(株)シマノ その他輸送機器 『シマノ70年史』(1991.03) 大阪府堺市の旋盤工島野庄三郎(しまの・しょうざぶろう、1894-1958)は第一次大戦後の不況で失職した仲間と共に、1921年(大10)島野鉄工所を創業。翌年下請けとして自転車部品のフリーホイールの生産を開始。製品改良に注力し1939年(昭14)にはフリーホイール生産で市場占拠率60%に達し、海外にも進出。1940年(昭15)株式会社に改組、戦災で一時解散するが終戦後まもなく生産再開する。1946年(昭21)設立の島野自転車を1950年(昭25)島野鉄工所と合併し、翌年島野工業に改称。研究開発を重ねて業態を広げ欧米へ進出を果たし、1991年(平3)社名をシマノに変更。70年史は『シマノ工業60年史』(1982年刊)後の10年を詳述し、巻末に70年の通史を簡潔にまとめている。別冊の資料編と映像編付。
(株)シマノ その他輸送機器 『シマノ70年史. 資料編』(1991.03) 『シマノ70年史』(社史ID:06870)の資料編
清水建設(株) 建設 『清水建設百五十年』(1953.11) 越中国出身の初代清水喜助(しみず・きすけ、1783-1859)は1804年(文化元)江戸神田鍛冶町で大工を開業、清水屋と号す。清水屋は幕末明治期に築地ホテル館、三井組ハウスなど洋風建物を建築、渋沢栄一邸も手掛け栄一の信頼を得る。1887年(明治20)には栄一を相談役に迎え、日清日露戦争期を経て業容を拡大、1915年(大正4)合資会社清水組に改組。技術向上と経営合理化に努め、1937年(昭和12)株式会社となる。第二次大戦後1948年(昭和23)清水建設(株)と改称し、復興工事に邁進する。創業150年記念に刊行された本書は、歴史学者丸山二郎(1899-1972)に委嘱した「清水建設株式会社社史原本」を基に編纂されたもので、時代ごとの5篇と附録からなる。本文中に錦絵・図面・写真を多数使用し、各時代の施工写真とその他の主な施工リストを入れた「竣工写真集成」が本文と別のページ立てで挟み込まれている。巻頭の総目次のほか、各篇冒頭に詳細目次を置く。第1篇「江戸時代」には、初代清水喜助の足跡と幕末にかけての事業展開を記載。第2篇「明治時代」では維新後の時代における新たな事業の広がりと共に、渋沢栄一との関わりも詳しく触れている。第3-5篇はその後の躍進と戦後の展開について記載。第6篇附録には年表や各種資料がまとめられ、事項索引付。
清水建設(株) 建設 『清水建設百七十年』(1973.04) 1804年(文化元)創業の清水建設(株)の170年史で、本文5編と資料編からなる。本文は第1-4編が創業時代、個人経営時代、合資会社時代、株式会社時代と経営形態別に時代を区切ったもので、既刊の150年史を1/3に書き改めた内容。第5編は戦後の27年分を新たに書き起こしたもので、事業の発展と国際化の歩みを詳述している。全編各章末に、その時代の主要工事一覧を載せている。また第5編の前には、戦後の主な工事竣工写真が置かれている。
清水建設(株) 建設 『清水建設百八十年』(1984.06) 1804年(文化元)創業の清水建設(株)の180年史で、本文2編、施工作品集、資料編からなる。本文第1編は既刊の170年史を踏まえた「創業から170年まで」で、全体の1/3の量。第2編「最近10年の歩み」では1973-1983年(昭和48-58)の間の経営革新、多角化、海外展開について詳述している。続く施工作品集には、最近10年の国内外の施工写真をカラーで掲載。資料編の末尾に索引を置く。
清水建設(株) 建設 『清水建設二百年. 経営編』(2003.11) 1804年(文化元)創業の清水建設(株)の200年史。外部研究者の監修のもと、既刊の150年史、170年史、180年史のデータを洗いなおし、社内外の新たな資料も参照して編纂。『経営編』のほかに『生産編』と『作品編』があり、沿革を経営分野からの視点でまとめたこの『経営編』は、年代順に経営の節目で区切った9章からなる。創業期の第1-2章は初代清水喜助(しみず・きすけ、1783-1859)を始めとする経営者を軸に、事業の発展を記す。第3章以下は各章とも総論と各論の構成で経営の足跡を詳述している。本文に関連する資料や写真を欄外に収めるほか、関連事項をまとめたコラムを挟みこんでいる。巻末に資料、年表、索引付。
清水建設(株) 建設 『清水建設二百年. 生産編』(2003.11) 清水建設(株)200年史(社史ID:00500)の『生産編』で、ほかに『経営編』と『作品編』がある。沿革を建設生産分野からの視点でまとめたこの『生産編』は9章からなり、町場大工から総合建設業に至る建築組織と技術の変遷を詳述。第4章までの章区切りは『経営編』の区切りとは多少ずれているが、各章はそれぞれ「総合的記述」「国内外の動向」「生産組織の変遷」「生産技術の変遷」「特徴あるプロジェクト」の5節から構成されている。巻末に主要工事一覧、技術のあゆみ(年表)、主な受賞一覧、索引付。
清水建設(株) 建設 『清水建設二百年. 作品編』(2003.11) 清水建設(株)200年史(社史ID:00500)の『作品編』で、ほかに『経営編』と『生産編』がある。この『作品編』は1804年(文化元)の創業から2003年(平成15)までの建築竣工写真を、『生産編』の章構成に準じた7つの時代区分で掲載。収録写真は既刊社史および、社内資料と自社刊行物掲載写真、社外表彰作品の中から選定。各章の初めに作品画像の「Index」ページを置き、「業務・商業」「生活・文化」「生産・研究」「エネルギー・インフラ」の用途別に作品を概観できるようになっている。本文では用途分類によらず竣工年順に作品を配置し、それぞれ写真・名称・所在地・竣工年・発注者・設計者・主な受賞を載せている。巻末に索引付。
清水建設(株) 建設 『棟梁から総合建設業へ : 清水建設200年の歴史』(2003.11) 清水建設(株)200年史の普及版。1804年(文化元)の創業から2003年(平成15)までの歴史の中から、エポックとなった大きな出来事やプロジェクトとその技術を合わせて43件選び、年代順に掲載。一つのテーマを図版入りで見開き2ページにまとめている。また本文中に「建設文化とシミズの伝統」と題した9つのコラムをはさみ、建設にまつわる儀式や会社マークの変遷などを紹介。続く「200年の感謝に代えて」には、渋沢栄一や歴代役員等28人の言葉を抜粋して載せている。巻末の簡略な年表には該当記事のページを記し、索引も兼ねる。
清水建設(株)名古屋支店 建設 『清水建設株式会社名古屋支店100年の歩み : Discover 100』(1991.12)
清水建設兼喜会 建設 『清水建設兼喜会五十年』(1969.02)
清水建設名古屋兼喜会 建設 『清水建設名古屋兼喜会70年の歩み : Link 70』(1991.12)
ジャスコ(株) 小売業 『ジャスコ三十年史』(2000.12) 1758(宝暦8)年四日市で初代岡田惣左衛門が商売を始める(後の岡田屋)。1937(昭和12)年姫路市で二木一一がフタギ洋品店開業。1955年大阪に井上次郎が服地小売業創業。三者は1969年合併して大阪にジャスコ(株)設立、会長二木一一、社長岡田卓也、副社長井上次郎。その後も次々と合併、業務提携で大きくなった。ローラアシュレイ、タルボット、ツヴァイ、ボディショップも提携先。35歳からの雇用もあり。タイ、マレーシア、中国進出。災害寄付(落果リンゴ)やリサイクル運動も行う。
シヤチハタ工業(株) その他製造業 『飛翔 : シヤチハタ60年のあゆみ』(1986.03) 連続捺印できるスタンプ台製造販売の舟橋商会は1925年(大14)名古屋に創立、名古屋城の鯱を旗に描いたマークを使う。1940年(昭15)販売部門を独立させシヤチハタ商事設立、海外にも進出。翌年には舟橋商会を改組し、シヤチハタ工業を設立する。第二次大戦後は工場を再建し大量生産方式を確立。1965年(昭40)スタンプ台のいらない「Xスタンパー」の印鑑を発売しヒット商品となる。60年史はイベント編、読みもの編、祝賀編、社業編、資料編、年表編からなり、会社のプロフィールをビジュアルに表現。社名の由来である「シャチ物語」や、姓氏と家紋についての読物も掲載。[1999年(平11)シヤチハタ工業とシヤチハタ商事が合併し社名をシヤチハタ(株)に変更]
蛇の目ミシン工業(株) 機械 『蛇の目ミシン創業五十年史』(1971.10) 大正初期に実業家穴水要七の元で小瀬与作はゴム業を営み、ゴム長の内側にメリヤス布を張るのにミシンを使用。当時市場を席捲していたシンガーに対し国産ミシンの製造を志し、1921年亀松茂・飛松謹一と共にパイン裁縫機械製作所を設立。月賦販売方式を採りいれ業績を伸ばし、1935年帝国ミシン(株)と改称。このときから商標名を蛇の目ミシンとし、1949年社名も蛇の目ミシン(株)に改称、1954年現社名となる。50年史は前史に英国の産業革命以来のミシン産業の発達を述べ、本編で沿革と現況を記す。
(株)ジャパン・タイムズ サービス業 『The Japan Times ものがたり : 文久元年(1861)から現代まで』(1966.07) 日本初の英字紙は1861年(文久1)英国人により創刊されたが、日本人による初の英字紙は1897年(明30)創刊の日刊英字新聞『ジャパンタイムズ』。主筆は伊藤博文首相の秘書官であった鳥取出身の頭本元貞(ずもと・もとさだ、1863-1943)で、日本郵船を退職した同郷の山田季治(やまだ・すえじ、1848-1916)が社長として経営を支えた。英語界の俊秀を集め創刊1ヶ月後にはロイター電報と契約し、世界ニュースを掲載。紙名は The Japan Times and Mail → The Japan Times and Advertiser → Nippon Times と変遷し、1956年(昭31)から再び The Japan Times となる。社史はコンパクトながら日本の英字新聞の歴史にも触れ、巻末に英文社史を収録。
(株)秀英舎 その他製造業 『株式会社秀英舎創業五十年誌』(1927.03)
十条製紙(株) パルプ・紙 『十条製紙社史 : 自昭和二十四年八月至昭和四十八年五月』(1974.03) 1873年(明6)に発足した王子製紙は戦後の過度経済力集中排除法により1949年(昭24)苫小牧製紙、十条製紙、本州製紙の3社に分割。十条、釧路、小倉など7工場と研究所を引き継いだ十条製紙は堅実経営で業績を伸ばす。1960年代から森林開発や清涼飲料販売など経営を多角化、1968年(昭43)には東北パルプを合併し規模を拡大。海外にも進出して発展する。王子製紙発足100年を機に編纂した十条製紙のこの社史は、王子製紙の略史を含めた会社発足のいきさつから書き起こし、会社発展の歩みを簡潔にまとめている。本文中に図表を載せ、巻末に資料付。[1993年(平5)山陽国策パルプと合併し日本製紙(株)となる]
十条製紙(株) パルプ・紙 『十条製紙社史. 続』(1998.03) 1949年(昭24)王子製紙の分割により発足した十条製紙は、1993年(平5)山陽国策パルプと合併し日本製紙(株)となる。1974年(昭49)出版の『十条製紙社史』の続編として刊行された本書は、まず第1集で十条製紙の発足から合併までの足跡を編年で記述している。続く第2集では工場移転や技術革新、新会社設立といった重大な出来事を4つの挿話としてノンフィクション作家がまとめ、更にそれを補完する取材余話を加えている。巻末に資料集付。
十条製紙(株)石巻工場 パルプ・紙 『五十年史』(1990.06) 1938年(昭13)創立の東北振興パルプは石巻と秋田に人絹用パルプ製造工場を建設し1940年(昭15)操業開始。終戦後1949年(昭24)東北パルプと社名変更し、石巻工場は製紙用パルプと上質紙生産に重点を移す。1968年(昭43)十条製紙に合併し、同社石巻工場となる。以降十条製紙の基幹工場として設備を増強し、印刷用紙生産では世界最大の規模に発展する。操業開始からの50年史は、巻頭の90頁近い写真集に続き工場の50年概史を8章にわたって記述。次に福利厚生や労働組合史を「折々の記」としてまとめ、歴代工場長や従業員の声を本文中にコラムとして取り入れ、巻末に資料を付している。[1993年(平5)山陽国策パルプと合併し日本製紙(株)が誕生、同社石巻工場となる]
(株)十八銀行 銀行 『九十年の歩み』(1968.11)
(株)十八銀行 銀行 『百年の歩み』(1978.03)
(株)十八銀行 銀行 『110年の歩み』(1988.06)
(株)十六銀行 銀行 『ふるさとの100年』(1977.10)
(株)十六銀行 銀行 『十六銀行百年史』(1978.03) 岐阜の織物商に生れた渡辺甚吉(わたなべ・じんきち、1856-1925)は明治初めに銀行創立を目指し、第一国立銀行の指導を受け1877年(明10)第十六国立銀行を設立。1896年(明29)銀行条例に基づき私立銀行に転換、十六銀行と改称。その後銀行合同を推進して岐阜県の中心金融機関となる。100年史は5部と資料編からなり、第1部明治、第2部大正、第3部昭和(戦前)、第4部昭和(戦後)、第5部合同銀行小史、という構成。経済金融情勢の変遷に伴う銀行の歩みを、岐阜の地域特性と合わせつつ記述している。千頁を越える大作。[1977年(昭52)に小冊子『ふるさと100年』を刊行]
(株)十六銀行 銀行 『十六銀行百二十年史』(1998.03)
(株)主婦の友社 サービス業 『主婦の友社の五十年』(1967.02) 大分出身の石川武美(いしかわ・たけよし、1887-1961)は東京で雑誌編集に携わり、第一次大戦による景気変動の中1916年(大5)東京家政研究会を興す。翌年中流家庭の主婦の生活を焦点とした雑誌『主婦之友』を創刊、1921年(大10)主婦之友社と改称。第二次大戦中も日本の家庭と主婦を守るという編集姿勢を貫き、戦後は雑誌を中心とした関連事業にも歩を進める。50年史は年代ごとに沿革と当時の『主婦の友』(1953年社名と共に改称)の記事及び関係者の寄稿を掲載し、雑誌と主婦像の変遷を見ることができる。巻末に創業者石川武美のエピソードと年譜、石川が創立した(財)お茶の水図書館(現・(財)石川文化事業財団お茶の水図書館)の概要を記載。
(名)商業興信所 サービス業 『三十年之回顧』(1922.05) 日銀の初代大阪支店長外山脩造(とやま・しゅうぞう、1842-1916)は欧米で信用取引発達ための信用調査機関の重要性を知る。関西地区の銀行30行の協力を得て、日本初の興信業として1892年(明25)商業興信所を大阪に設立。1894年(明27)には東京興信所創立のため渋沢栄一が視察に訪れる。1920年(大9)合名会社に改組。副所長執筆の30年史は編年体で経済界概況と大阪地区を中心とした商業動向を詳述し、商業興信所記事では人事や海外との提携にも触れる。[1944年(昭19)東京興信所と合併し(株)東亜興信所となる]
昭和電工(株) 非鉄金属・金属製品 『昭和電工アルミニウム五十年史』(1984.10) アルミニウム工業は明治期に日本に到来し各地に製錬事業計画が起こる。東信電気の高瀬川発電建設部長だった森矗昶(もり・のぶてる、1884-1941)は長野県大町でアルミニウム製造研究に出会い、困難な国産化に挑む。1926年(昭1)日本沃度を設立し、設備・技術・原料・資金すべて独自の知恵と力で実験を推進、1934年(昭9)に国産化成功。日本沃度は日本電気工業を経て合併により1939年(昭14)昭和電工となる。戦後も生産規模を拡大するがオイルショックにより事業縮小し、アルミニウム事業を1976年(昭51)昭和軽金属として独立させる。50年史は昭和電工のみならず日本のアルミニウム産業史の一面もあり、初めてアルミニウムをパリ万博で見た日本人として徳川昭武と渋沢栄一を紹介している。
(株)白木屋 小売業 『白木屋の歴史』(1937.08) 近江長浜の大村彦太郎(おおむら・ひこたろう、1636-1689)が大志を抱いて上京、1662年(寛文2)江戸日本橋に白木屋(しろきや)を創業。次第に店を広げ越後屋(現・三越)と並ぶ呉服店として繁盛する。明治期から百貨店として設備を整え、1911年(明44)日本初のエレベーターを設置。関東大震災で被災するが復興し、1933年(昭8)には全館改修落成。本社史は江戸期の文書を始め創業からの資料の写真を解説と共に掲載、1932年(昭7)の火災や1935年(昭10)の日米親善人形使節の写真も含む。[1958年(昭33)東急百貨店と合併し(株)東横に商号変更、店舗名は白木屋で営業。1967年(昭42)(株)東急百貨店に改称し東急百貨店日本橋店となる。1999年(平11)閉店。]
(株)白木屋 小売業 『白木屋三百年史』(1957.03)
信越化学工業(株) 化学工業 『未来への軌跡 : 昭和とともに60年』(1986.10)
新キャタピラー三菱(株) 機械 『新キャタピラー三菱25年史』(1991.02) 新三菱重工業の主力事業所であった神戸造船所は1959年(昭34)建設機械事業へ進出、明石工場で油圧ショベルを製造開始する。1963年(昭38)米国キャタピラー社と合弁でトラクタ生産のキャタピラー三菱を設立。1964年(昭39)新三菱重工業は合併で三菱重工業となる。キャタピラー三菱は1987年(昭62)三菱重工業(株)明石製作所と合併し、総合建設機械製造の新キャタピラー三菱が誕生。25年史は「キャタピラー三菱の歩み」「三菱重工業明石製作所の歩み」「新キャタピラー三菱の誕生」の3編からなり、それぞれ沿革と部門別の概要を記述。本文中に製品写真等を多数掲載。[2008年(平20)キャタピラージャパンに社名変更]
新日鉱グループ 鉱業 『新日鉱グループの百年 : ビジュアル社史1905-2005』(2006.04)
新日鉱グループ 鉱業 『社史 : 1986-2005 : 新日鉱グループ創業100周年記念』(2006.05) 1905年(明38)創業の久原鉱業は非鉄金属と石油事業で躍進。1928年(昭3)持株会社の日本産業(株)と改組後、鉱業部門は日本鉱業(株)となる。第二次大戦後日本鉱業の石油部門は共同石油の設立を経てジャパンエナジーとなり、金属部門は日鉱金属として発展。両社は2002年(平14)持株会社新日鉱ホールディングス設立により新日鉱グループとして体制を整える。100年史は日本鉱業の『五十年史』と80年史『社史:1956-1985』、及び『共同石油20年史』の続編として、1986年以降のグループ経営・事業の変遷を記録したもの。時代ごとの本編と資料編からなり、同時にビジュアル社史『新日鉱グループの100年』を刊行。[2010年(平22)新日鉱ホールディングスは新日本石油と経営統合してJXホールディングスとなり、傘下の企業はJXグループを形成]
新日本製鉄(株) 鉄鋼業 『炎とともに : 新日本製鉄株式会社十年史』(1981.03) 1970年に八幡製鉄(株)と富士製鉄(株)が合併して発足。この10年史は「炎とともに」の共通タイトルのもとに、「八幡製鉄株式会社史」「富士製鉄株式会社史」と同時に刊行された。第1部はわが国近代製鉄業の成立から日本製鉄(株)の設立と解体、第2部は八幡製鉄(株)と富士製鉄(株)合併の経緯、第3部が新日本製鉄(株)の10年の歩み。
新日本製鉄(株) 鉄鋼業 『生きることのすべてに : 鉄とともに、時代とともに : 新日鉄20周年記念誌』(1990.08) 1970年の創業から20周年を記念して出版されたコンパクトな冊子。図・写真を豊富に使い、広報の視点から現状と将来展望を描いている。
新日本製鉄(株)大分製鉄所 鉄鋼業 『未来を拓く : 大分製鉄所20年史』(1992.04) 古来砂鉄を多く産した大分では弥生時代から鉄の文化が興隆しており、日本刀や鉄砲製造に鍛冶技術が応用されていた。1876年の廃刀令以降は産業を支える製鉄業に転換していく。1970年設立の新日本製鉄(株)は高度経済成長に伴い増大した鉄鋼需要に応えるべく、従来の室蘭・釜石・君津・名古屋・堺・広畑・光・八幡の製鉄所に加え、新たな製鉄所として1972年大分製鉄所を建設。20年史は建設の経緯からを記述した総合史と部門史、別冊の資料集からなる。
新日本製鉄(株)大分製鉄所 鉄鋼業 『未来を拓く : 大分製鉄所20年史. 資料集』(1992.04) 『未来を拓く : 大分製鉄所20年史』(社史ID:04620)の資料編
新日本製鉄(株)釜石製鉄所 鉄鋼業 『釜石製鉄所九十年史 : この十年の歩み』(1976.09) 1886年の創業から90年を記念して編纂。80年史に続く10年の歩みを、多くのエピソードと写真・グラフで綴った社史。
新日本製鉄(株)釜石製鉄所 鉄鋼業 『鉄と共に百年. 本編』(1986.10) 古来鉄作りの伝統がある岩手県釜石の大橋に1727年磁鉄鉱石が発見される。1878年官営製鉄所が操業開始するが挫折し1883年廃業。東京の鉄屋田中長兵衛と横山久太郎は設備の払下げを受け、1886年出銑に成功、翌年釜石鉱山田中製鉄所設立。1924年三井鉱山の傘下に入り釜石鉱山(株)創立。以降1934年~日本製鉄(株)、1950年~富士製鉄(株)を経て1970年新日本製鉄(株)釜石製鉄所となる。百年史は前半が創業からの総合史、後半が付設の病院史も含めた部門史。別冊は写真集と資料編。
新日本製鉄(株)釜石製鉄所 鉄鋼業 『鉄と共に百年. 写真・資料』(1986.10) 『鉄と共に百年. 本編』(社史ID:04650)の資料編
新日本製鉄(株)堺製鉄所 鉄鋼業 『堺製鉄所二十年史』(1984.11) 1950年発足の八幡製鉄(株)は経済の高度成長に伴う鉄鋼需要の急伸に対応するため、一大消費地である関西経済圏を後背に製鉄所建設を計画。堺市に1961年堺製鉄所が開設され、1970年に新日本製鉄(株)堺製鉄所となる。20年史は発足からの歩みを記述した総合史と、部門史・資料編からなる。
新日本製鉄(株)製品技術研究所 鉄鋼業 『製品技術研究所20年史』(1981.04) 第二次大戦後の鉄鋼業界では、自主的な技術研究の振興のために研究体制の確立が望まれていた。1959年富士製鉄(株)は中央研究所設置、1962年相模原市に研究所を建設し、研究活動を開始。1970年八幡製鉄との合併により、新日本製鉄(株)研究開発本部製品技術研究所となる。20年史は富士製鉄時代の10年と新日鉄発足後の10年に区切り、所員の座談会と回想録も取り入れた編集。
新日本製鉄(株)中央研究所 鉄鋼業 『中央研究所10年史』(1971.05)
新日本製鉄(株)名古屋製鉄所 鉄鋼業 『躍進 : 銑鋼一貫20年史. 総合史』(1984.09) 急増する鉄鋼需要へ対応し中部地方産業構造の重化学工業化を図るために、1958年富士製鉄(株)と地元経済界の共同出資により東海製鉄(株)創立。1964年高炉に火が入り銑鋼一貫体制を確立する。1967年合併により富士製鉄(株)名古屋製鉄所となり、1970年には八幡製鉄と合併し、新日本製鉄(株)名古屋製鉄所となる。20年史は創業からの歩みを4編に分けて述べた「総合史」と、別冊の「部門史」からなる。
新日本製鉄(株)名古屋製鉄所 鉄鋼業 『躍進 : 銑鋼一貫20年史. 部門史』(1984.09) 『躍進 : 銑鋼一貫20年史. 総合史』(社史ID:04700)の部門史
新日本製鉄(株)広畑製鉄所 鉄鋼業 『30年史』(1970.09) 1934年国策により日本製鉄(株)が発足。第4次拡充計画で原産地から遠くても消費地に近い阪神地区に製鉄所建設が計画される。瀬戸内海沿岸の兵庫県飾磨郡広村広畑が選ばれ、1939年に高炉に火が入る。世界最新鋭の鋼板工場として稼動するが、戦後は全面休止となる。再開の交渉がみのり1950年再び高炉に火が入れられ、日本製鉄が解体し新発足した富士製鉄(株)の元で再スタートを切る。1970年からは新日本製鉄(株)広畑製鉄所となる。30年史は総合史と詳細な部門史から構成されている。
新日本製鉄(株)広畑製鉄所 鉄鋼業 『広畑製鉄所50年史 : 創造と挑戦. 総合史』(1990.07)
新日本製鉄(株)広畑製鉄所 鉄鋼業 『広畑製鉄所50年史 : 創造と挑戦. 部門史』(1990.07) 『広畑製鉄所50年史 : 創造と挑戦. 総合史』(社史ID:04730)の部門史
新三菱重工業(株) 機械 『新三菱重工業株式会社史』(1967.06) 旧三菱重工業の解体により1950年発足した中日本重工業(株)は、神戸造船所・名古屋製作所・水島製作所・京都製作所・三原車輌製作所の事業を継承。1952年新三菱重工業(株)に社名変更、1964年3社の合併により再び三菱重工業(株)となる。この15年史は他2社の「三菱造船株式会社史」「三菱日本重工業株式会社史」と同じ監修者の元に同時に刊行された。第1編では総論と沿革、第2編では経営・製品・生産体制を詳述。詳細な図表目次と索引付。
新三菱重工業(株)神戸造船所 造船 『新三菱神戸造船所五十年史』(1957.05) 三菱社は三菱造船所(長崎)の拡張とともに神戸港の有望な将来性に着眼し、1905年三菱合資会社神戸三菱造船所発足。1917年三菱造船(株)発足に伴いその傘下に入り、1934年三菱航空機会社を合併し三菱重工業(株)となる。1950年財閥解体により中日本重工業(株)神戸造船所となり、1952年新三菱重工業(株)と社名変更。社史は1955年までの50年史で、沿革、経営、生産、勤労の4編と附録の資料からなる。
新和海運(株) 海運 『新和海運三十年史』(1992.09) 1901年(明34)に操業開始した官営八幡製鉄所は大量の原料鉄鉱石を中国大陸から調達し、社有船で運送していた。当時満州では1906年(明39)発足の南満州鉄道が、大連から物資を輸送するため大連汽船を買収し海運に進出。八幡製鉄所は1934年(昭9)国策により日本製鉄となり、第二次大戦後の占領政策で船舶部が分離独立し1950年(昭25)日鉄汽船となる。一方閉鎖機関に指定された大連汽船の資産は1947年(昭22)発足の東邦海運が引き継ぎ、同社は1962年(昭37)日鉄汽船と合併し新和海運が誕生した。30年史は序章と第1章で、日鉄汽船と東邦海運の創立から合併までの経緯を記述している。
新和海運(株) 海運 『新和海運史』(2011.12)
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