収録社史一覧

会社名"ふ" から始まる社史一覧 全41件中41件 1件〜41件目を表示

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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
風帆船会社 海運 『風帆船会社明治15年度報告計算書』([188-?])
風帆船会社 海運 『風帆船会社創立要旨並定款』([1880.11])
(株)福井銀行 銀行 『福井銀行六十年史』(1965.05) 日本有数の産米地帯である福井県では、明治初期の地租改正により地主が蓄積した資本を、近代産業へ投資する熱が高まる。進歩的地主らは市橋保治郎(いちはし・やすじろう、1864-1954)を中心に1899年(明32)福井銀行を創立、殖産興業の国策に応じ羽二重機業の育成に努めた。繊維業の変遷に応じた金融措置、関連産業の助成、農業の体質改善に伴う農村金融などにも応じる。県内多数の銀行を合併し1945年(昭20)には一県一行を実現する。60年史は時代ごとの事業史と現況からなる。
福井精練加工(株) 繊維 『福井精練70年史 : 1889-1959』(1961.01) 明治期に福井の羽二重は需要が伸びたが、精練染色加工は京都で行われていた。京都の黒川栄次郎(1866-1948)らは1889年(明22)福井に京越組を創立し精練加工を開始。続いて多くの精練業者が乱立し競争する中、京越組を継承した黒川練工場は2度の合同を経て1923年(大12)福井精練加工(株)が創立。輸出用絹織物の生産を伸ばし人絹加工にも進出。戦時中は落下傘等軍需用品を生産。戦後は衣料の需要増と輸出再開で復興する。京越組創立からの70年史は沿革、現況、回想、資料という構成で、戦災を免れた多くの史料や図版を本文中に取り入れた編集。[1973年(昭48)セーレン(株)と改称][羽二重=上質の白い絹織物][精練=繊維中の夾雑物を除き、繊維の特性を発揮させて、漂白・染色をするための準備工程]
福助(株) その他製造業 『フクスケ100年のあゆみ』(1984.05)
福助足袋(株) その他製造業 『福助足袋の六十年 : 近世足袋文化史』(1942.10)
(株)福武書店 サービス業 『福武書店30年史 : 1955~1985』(1987.04)
富国生命保険(相) 保険 『富国生命五十五年史』(1981.11) 日本では明治初期に徴兵制度が導入され、日清戦争で外国と戦火を交えると、兵士と家族救済のための徴兵保険が考案される。徴兵保険(株)勤務の吉田義輝(1874-1943)は相互組織の会社設立を目指し、郷里の先輩根津嘉一郎(ねづ・かいちろう、1860-1940)の賛同を得て1923年(大12)富国徴兵保険(相)を設立。業績を拡大し1937年(昭12)業界1位の保険契約高を獲得。1945年(昭20)終戦で徴兵制度が廃止されて徴兵保険の存在意義が無くなり富国生命保険(相)と改称、生命保険会社に生まれ変わる。55年史は第1部徴兵保険時代と第2部生命保険時代からなり、末尾に新本店ビルの詳細を掲載。保険料や配当率の変遷等の詳細資料付。創業50年記念の略史『フコク生命50年の歩み』(1973)あり。
(資)冨山房 サービス業 『冨山房』(1932.10) 土佐出身の坂本嘉治馬(さかもと・かじま、1866-1938)は18歳で上京後、同郷の小野梓(おの・あずさ、1852-1886)主宰の出版社東洋館で実務に携わる。小野没後その志を継ぎ、1886年(明19)冨山房を設立。人文社会科学分野の教科書や辞典類を次々出版し、『大日本地名辞書』『大言海』『大日本国語辞典』等図書雑誌3000点余を世に出す。社屋新築記念に出版した社史は、設計図や写真入りの本店新築工事概要、各界名士53人からの祝辞、冨山房47年史、社員一覧、冨山房出版年史からなる。渋沢栄一は同社の雑誌『新日本』に顧問として関わる。[1993年(平5)冨山房4代目坂本嘉広は(株)冨山房インターナショナルを新たに創立し、新刊出版とともに明治大正期の冨山房出版物を復刻再版している]
(資)冨山房 サービス業 『冨山房五十年』(1936.10)
富士瓦斯紡績(株) 繊維 『富士紡生るゝ頃』(1933.03)
(株)富士銀行 銀行 『富士銀行七十年誌』(1952.03) 安田善次郎は事実上銀行であった安田商店を改組し、1880年東京日本橋に合本安田銀行を設立。1893年合資会社、1900年合名会社、1912年株式会社へ改組。1923年に11行が合同し新たに安田銀行が発足。渋沢栄一が相談役を務めた帝国商業銀行は1927年第三銀行となり、1944年安田銀行が買収。戦後安田保善社の解体に付随して1948年(株)富士銀行と改称。70年史は1935年に刊行された『安田銀行六十年史』以降の10年の歩みを、戦時篇、戦後篇、現況に分けて記述、巻末に「六十年略誌」も載せている。
(株)富士銀行 銀行 『富士銀行八十年史』(1960.11) 1880年安田銀行の発足からの80年史。前半は安田商店誕生からの「八十年通史」で、組織の変遷ごとの章立てで富士銀行の発足経緯も詳述。後半は1948年改称した「富士銀行史」で、戦後の経済状況の中での銀行経営の歩みを述べる。
(株)富士銀行 銀行 『富士銀行の百年』(1980.11) 1880年安田銀行の発足からの100年史。第1~3編は創業者安田善次郎と銀行業の創設からの歩みを述べ、第4~7編では戦後1948年改称した富士銀行の成長と発展を詳述している。[2002年第一勧業銀行、日本興業銀行と合併統合し、(株)みずほ銀行及び(株)みずほコーポレート銀行となる]
(株)富士銀行 銀行 『富士銀行百年史』(1982.03)
(株)富士銀行 銀行 『富士銀行百年史. 別巻』(1982.03) 『富士銀行百年史』(社史ID:09700)の別巻
藤倉電線(株) 非鉄金属・金属製品 『フジクラ100年の歩み : 1885-1985』(1987.12)
藤沢薬品工業(株) 医薬品 『藤沢薬品七十年史』(1966.12) 三重出身の初代藤沢友吉(ふじさわ・ともきち、1866-1932)は大阪道修町の薬種問屋に奉公し、1894年(明27)独立して売薬業の藤沢商店を開業。樟脳事業の有望性に目をつけ家庭用防虫剤として開発生産し、販売高を伸ばす。新薬開発も進めて業容を拡大し1930年(昭5)(株)藤沢友吉商店に改組。戦時下医薬品生産の拡充に伴い1943年(昭18)藤沢薬品工業(株)と改称。戦後は組織改革や研究開発、海外企業との連携を進め発展する。70年史は沿革を記した主篇、定款など資料をまとめた副篇、創業者の伝記である特集篇からなる。[2005年(平17)山之内製薬と合併し、アステラス製薬(株)となる]
藤沢薬品工業(株) 医薬品 『藤沢薬品八十年史』(1976.03)
富士写真フイルム(株) 化学工業 『創業25年の歩み』(1960.01) 1919年(大8)発足の大日本セルロイドでは、セルロイドの新しい需要先として写真フィルム・映画用フィルムの将来性に着目。その国産化を社会的責務であると考え、写真乳剤の研究のため写真用乾板の工業化を進めていた東洋乾板と提携。セルロイドとは製造販売共に異なる知識を要するので別会社を計画、政府の助成金も受け1934年(昭9)富士写真フイルムが誕生する。東洋乾板を統合し、写真フィルムをフィルムベースから一貫製造するとともに、乾板・印画紙の製造も行なう。戦後は不燃性ベースへ転換し、総合写真工業会社として発展する。25年史は現況・沿革・資料の3編からなり、沿革編では準備時代から創立25周年までを7時代に分け、設備拡張・技術革新・販売活動・労務事業等を記載。各頁掲載の写真はすべて自社のフィルム・印画紙・写真薬品による。[2006年(平18)富士フイルムホールディングスの事業会社の一つである富士フイルムとなる]
富士写真フイルム(株) 化学工業 『富士フイルム50年のあゆみ』(1984.10)
富士重工業(株) 自動車・自動車部品 『富士重工業三十年史』(1984.07)
富士重工業(株) 自動車・自動車部品 『六連星はかがやく : 富士重工業50年史 : 1953-2003 : Six stars shining briliantly』(2004.07) 前史として1917年設立の中島飛行機が数々の名機を生み、戦争で爆撃の対象とされ、戦後の財閥解体で12社に分割するまでを描く。戦後その中の主要5社が1953年合併し富士重工業(株)設立(社史タイトルには6社を象徴して六連星(ムツラボシ)を使用)、飛行機・自動車・二輪車・鉄道車両などの総合輸送機器メーカーとしてスタートする。1957年に完成したスバル360は最初の「国民車」と評価され、ロングセラーとなる。輸出産業として成長するが、1990年代から販売不振となり、1999年にGMと包括提携。別冊資料編あり。
富士重工業(株) 自動車・自動車部品 『富士重工業50年史 : 資料集 : 1953-2003』(2004.07) 『六連星はかがやく : 富士重工業50年史 : 1953-2003 : Six stars shining briliantly』(社史ID:06760)の資料編
富士製鉄(株) 鉄鋼業 『炎とともに : 富士製鉄株式会社史』(1981.03) 1950年過度経済力集中排除法の適用により日本製鉄(株)が解体され、八幡製鉄(株)・日鉄汽船(株)・播磨耐火煉瓦(株)とともに富士製鉄(株)が発足。以降日本経済の発展に沿って成長し、輪西(室蘭)・釜石・広畑・川崎の各製鉄所に加え東海・大分にも製鉄所を建設。1970年八幡製鉄(株)と合併、新日本製鉄(株)となる。社史は20年間の歩みを総合史と部門史に分けて記述。同時に刊行された「八幡製鉄株式会社史」「新日本製鉄株式会社十年史」は「炎とともに」の共通タイトルを持つ。
富士製鉄(株)室蘭製鉄所 鉄鋼業 『室蘭製鉄所50年史』(1958.07) 渋沢栄一らによって設立された北海道炭礦鉄道は1906年国有化され、鉄道以外の事業部門は北海道炭礦汽船(株)と社名変更、買収金を元に製鉄業に進出。北海道の豊富な砂鉄を精錬する溶鉱炉を室蘭に建設し1909年操業開始。1917年輪西製鉄場を分離し、三井との共同出資で北海道製鉄(株)発足、その後1931年~輪西製鉄(株)、1934年~日本製鉄(株)を経て1950年富士製鉄(株)設立、傘下の工場となる。50年史は前半が創業からの総合史、後半は部門史。写真や図版を多く取り入れた編集で、校閲土屋喬雄。
富士ゼロックス(株) 機械 『富士ゼロックスの歴史 : <1962~1992> : The Document Company』(1994.10)
(株)藤田組 建設 『藤田組の五十年』(1960.04)
富士通(株) 電気機器 『社史. 2. 昭和36年~50年』(1976.12)
富士通(株) 電気機器 『社史. 3. 昭和50年~60年』(1986.05)
富士電機製造(株) 電気機器 『富士電機社史 : 1923-1956』(1957.12)
富士電機製造(株) 電気機器 『富士電機社史. 2 (1957-1973)』(1974.07)
富士電機製造(株) 電気機器 『富士電機二十二年の記録 : 主要経営問題を中心として』(1986.06)
富士紡績(株) 繊維 『富士紡績株式会社五十年史』(1947.12) 明治以降富士山系の水力を利用した産業創設の機運が起る。1890年(明23)開業の富士製紙の成功をみた事業家らは紡績会社起業を図り、日清戦争後資本家の出資を得て1896年(明29)富士紡績を創立。1906年(明39)東京瓦斯紡績を合併し、富士瓦斯紡績と改称。1945年(昭20)12月再び富士紡績と改称する。50年史は創立から現況までを9章に分け記述、会社再建に尽くした和田豊治(わだ・とよじ、1861-1924)についても詳述している。当初1945年刊行予定で印刷されたが戦災で全焼、初稿刷全文を再印刷して2年後に刊行したもので、1944年上期までの内容。[2005年(平17)持株会社へ移行し富士紡ホールディングス(株)と改称][渋沢栄一は協調会理事として富士瓦斯紡績労働争議に与る]
(株)武州銀行 銀行 『武州銀行史』(1988.04) 埼玉県では明治以降小規模な銀行が数多く設立される。地元有力者は県の中央銀行を株式組織により設立することを図り、尾高惇忠次男の尾高次郎東洋生命保険社長を創立委員長に選出、1918年(株)浦和町に武州銀行設立。渋沢栄一が関わった黒須銀行・熊谷銀行を含む県内6行を、大正の不況期に吸収合併。1943年に政府の一県一行主義の方針により、第八十五銀行、忍商業銀行、飯能銀行と合併し(株)埼玉銀行となる。武州銀行設立には渋沢栄一は尽力したものの表には出なかった、という関係者の談話も掲載。
婦女新聞社 サービス業 『婦人界三十五年』(1935.05) 福島四郎(1874-1945)は1900年(明治33)『婦女新聞』を創刊。創刊から35年を祝して刊行された本書は、福島が『婦女新聞』誌上に掲載した記事から約1/3を選び、9編に分類して掲載したもの。第1-4編は婦人論、婦人運動、女子教育、家庭等、女性の関わる問題に焦点を置いた記事。第5編は明治からの時代ごとの時事問題で、第6編は津田梅子(1864-1929)ら傑出した女性達および渋沢栄一(1840-1931)を含む関連人物のエピソード集。第7編は江戸時代の歌人井上通女(1660-1738)らの小伝集で、第8編は随筆などの著作。第9編「婦人界女教界小史」は、創刊以来35年間の婦人界女子教育界の主な事件を年月順に列記したもの。以上本書は福島個人の著作にとどまらず、日本の婦人問題変遷の資料となっている。なお渋沢栄一は婦女新聞後援会の相談役を務めた。また栄一長女の穂積歌子(1863-1932)は『婦女新聞』の熱心な読者であった縁で、本書序文は歌子長男の穂積重遠(1883-1951)が執筆している。[『婦女新聞』は1942年3月22日の2185号を以て廃刊]
ブリヂストンタイヤ(株) ゴム 『ブリヂストンタイヤ五十年史』(1982.03)
ブリヂストンタイヤ(株) ゴム 『ブリヂストンタイヤ五十年史 : 資料』(1982.03) 『ブリヂストンタイヤ五十年史』(社史ID:04093)の資料編
古河鉱業(株) 鉱業 『創業100年史』(1976.03) 小野組の生糸貿易で活躍した古河市兵衛は、小野組破綻後1875年に新潟の草倉銅山の経営に乗り出し、足尾銅山も譲り受ける。誠実な人柄で第一銀行総監渋沢栄一の信任厚く、援助を受ける。諸鉱山を譲り受け関連事業へも進出し、組織改革にも務め、1891年に「古河家仮家訓」を制定。市兵衛没後の1905年合名組織の古河鉱業会社設立、経営多角化し古河コンツェルン形成。第二次大戦後は事業基盤を金属・石炭から機械・化学他へ移す。百年史は経営史研究者の執筆で、古河電気工業はじめ多くの関連会社の略史も含む。
古河電気工業(株) 非鉄金属・金属製品 『創業100年史』(1991.09)
(株)文祥堂 小売業 『感謝を乗せて知的航海 : 文祥堂創業80周年記念社史』(1994.08)
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