収録社史一覧

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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
明治火災保険(株) 保険 『明治火災保険株式会社五十年史』(1942.06) 1881年明治生命保険会社を設立した荘田平五郎と阿部泰蔵は、火災保険業の創設を計画し1888年火災保険会を設立。株式会社に改め1891年明治火災保険(株)創立、渋沢栄一は発起人。わが国の経済活動拡大に沿って営業躍進し、1915年には東京海上保険と資本の交流を行い、又海外にも支店を設置する。1941年の創立50年に社名を明治火災海上保険(株)と改める。[1944年東京海上火災保険、三菱海上火災保険と合併し、東京海上火災保険(株)となる]
明治製菓(株) 食品 『明治製菓株式会社二十年史 : 創立二十周年記念』(1936.04) 1906年(明39)台湾に設立の明治製糖では砂糖消費増進のため、1916年(大5)大正製菓を設立。同時期設立の東京菓子へ翌年合併し製造開始、キャラメルやビスケットを発売し好評を博す。1920年(大9)房総練乳を合併し製乳事業を開始。1924年(大13)明治製菓と改称、全国に工場を作り朝鮮、満州、スマトラにも進出する。20年史は会社設立の経緯の後、製菓部と製乳部それぞれの工場略史を掲載。また明治製乳(株)ほか傍系会社にも触れ、工場や商品の写真、製品名一覧等を記載している。[2009年(平21)明治乳業との共同持株会社明治ホールディングスを設立し、子会社となる]
明治製糖(株) 食品 『十五年史』(1921.04)
明治製糖(株) 食品 『明治製糖株式会社三十年史』(1936.04) 欧米で糖業研究を学んだ相馬半治(そうま・はんじ、1869-1946)は台湾で糖業指導に当たり、渋沢栄一らの協力を得て1906年(明39)台南に明治製糖設立。栄一は発起人、創立委員長、相談役を務める。台湾及び内地に工場を建設、同業他社を次々合併し業容を拡大。30年史はコンパクトな装丁ながら工場等の写真を多く掲載し、沿革・現況のほか脱税嫌疑を掛けられた1932年(昭7)の明糖事件や、明治製菓、明治乳業等の傍系事業にも触れている。[戦後内地資産で明糖(株)設立、後に明治製糖を経て1996年(平8)大日本製糖と合併、大日本明治製糖となる]
明治生命保険(株) 保険 『明治生命五十年史』(1933.12)
明治生命保険(株) 保険 『明治生命保険株式会社六十年史』(1942.12)
明治生命保険(相) 保険 『明治生命七十年史』(1955.07)
明治生命保険(相) 保険 『明治生命の九十年』(1973.07)
明治生命保険(相) 保険 『明治生命百年史』(1981.07)
明治生命保険(相) 保険 『目でみる明治生命の110年』(1993.03)
明治生命保険(相) 保険 『創業第二世紀の明治生命110年史』(1993.03)
明治生命保険(相) 保険 『創業第二世紀の明治生命110年史. 資料編』(1993.03) 『創業第二世紀の明治生命110年史』(社史ID:11010)の資料編
明治生命保険(相) 保険 『明治生命百二十年史 : 1881~2001』(2003.03) 1881年に設立された、日本で最初の近代的生命保険会社。岩崎弥太郎の下で仕事をしていた荘田平五郎と、福沢諭吉門下の小泉信吉の話合いが始まり。発起人は小幡篤次郎、朝吹英二、阿部泰蔵、荘田平五郎ら11名。当初は株式会社だったが、戦後は1947年にGHQの勧奨もあり、相互会社組織となる。2004年に安田生命と合併する経緯にもふれている。社史は40年記念誌以降10年ごとに7回刊行されていて、この120年史では1982年以降の事項に多くページを割いている。
明治乳業(株) 食品 『おいしさと健康を求めて : 明治乳業70年史 : 激動と変化のこの10年』(1987.12) 明治乳業の一方のルーツである明治製糖は、1917年(大6)房総練乳に資本参加。房総練乳は1920年(大9)東京菓子に合併、東京菓子は1924年(大13)明治製菓に商号変更する。他方静岡の花島練乳場と北海道の札幌練乳場が合併し1917年(大6)極東練乳設立。各地に工場を開設し事業展開するが、不況による業績悪化のため1935年(昭10)明治製菓が経営に参加。戦時の統制強化の中で1940年(昭15)明治製菓は製乳部門を分離独立させ経営を極東練乳に委任、商号を明治乳業とした。戦後はアイスクリームなどの新商品を開発し技術革新を重ねる。50年史、60年史に続く70年史は読みやすさを重視した編集で、現況、創業からの60年史、それ以降の10年史、社員座談会という構成。[2009年(平21)明治製菓との共同持株会社明治ホールディングスを設立し、子会社となる]
(株)明治屋 小売業 『明治屋百年史』(1987.12) 津山出身の磯野計(いその・はかる、1858-1897)は東大法学部卒業後1880年(明13)三菱の援助で英国に留学し、3年間商業実務を学ぶ。後に郵便汽船三菱会社で食料品等の納入実務を経験。1885年(明18)日本郵船創立を機に、外国人が握っていた同社の食料品・雑貨の納入権を獲得し、同年横浜で明治屋を創業。1888年(明21)にはキリンビールの一手販売権を獲得、明治屋の基礎を強固なものにした。1903年(明36)合名会社、1911年(明44)株式会社に改組。第二次大戦後は占領軍家族向け日用品販売でいち早く復興を遂げ発展。100年史は社内で編集し、食文化向上を目指した創業者の開拓者精神を詳述。資料にある明治末期の取扱商品リストには当時の価格が掲載されている。
(株)明電舎 電気機器 『明電舎100年史. 沿革・資料編』(1998.06) 三吉電機工場で電気機械製造を修業した重宗芳水(しげむね・ほうすい、1873-1917)は、1897年(明30)有志と共に明電舎を創設。当初は輸入発電機・電動機などの修理やスイッチ等の製造を行っていたが、変圧器、配電盤、発電機、電動機の製造へと事業を拡大。明治末期に高圧遠距離送電時代を迎えると明電舎モートル(電動機)の需要は一層高まり「モートルの明電」の礎を築く。1966年(昭41)住友グループに入り経営体質の改善を図り、トータルシステムエンジニアリング企業を目指す。100年史は沿革・資料編と技術製品編からなり、沿革の冒頭に「明電舎100年の歩み」として各時代の製品・工場等の写真を掲載。別冊の技術製品編では分野ごとの技術の変遷を詳述している。
(株)明電舎 電気機器 『明電舎100年史. 技術製品編』(1998.06) 『明電舎100年史. 沿革・資料編』(社史ID:06140)の技術製品編
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