会社名"せ" から始まる社史一覧 全16件中16件 1件〜16件目を表示
会社名 | 業種 | 社史タイトル(出版年) | 会社沿革と社史メモ |
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清和綜合建物(株) | 不動産 | 『清和綜合建物50年の歩み : challenge & hospitality 1957-2007』(2008.01) | 1957年(昭32)第一銀行では不動産事業を担当する別会社として清和興業(株)を設立。名称の「清和」は渋沢栄一が好んだ言葉で、又第一銀行福利厚生施設の清和園からとったともいわれる。第一銀行の店舗や社宅等の新築と賃貸業務を行い順調に業績を伸ばし、一般顧客向けの分譲マンションなど新規事業も開始。2004年(平16)日比谷ビルディングと合併して清和綜合建物(株)と改称。首都圏だけでなく東北や関西にも事業を広げている。創業からの50年史は沿革と資料編からなり、沿革では栄一の思想や竜門社との関わりにも触れている。 |
セーレン(株) | 繊維 | 『セーレン百年史』(1990.11) | 1889年(明22)福井に京越組として創業し、合同を経て1923年(大12)創立した福井精練加工(株)は、絹織物の精練染色加工で業績を伸ばす。時代の要請に応じて人絹加工や合成繊維加工の技術革新を進める。事業拡大に伴い1973年(昭48)セーレン(株)と改称。エレクトロニクスやメディカル部門等、繊維を含めた生活関連マーケットへ経営多角化を図り、海外との合弁事業も推進する。創業からの100年史は沿革史と現況・資料からなり、沿革史は創業前史を序章に、以降の歩みを11章にまとめている。エピソードを記したコラムや多くの図版を本文中に取り入れた編集。[2005年(平17)カネボウ(株)の繊維事業を譲受しKBセーレン(株)設立] |
セーレン(株) | 繊維 | 『希望の共有をめざして : セーレン経営史』(2015.03) | 1889年(明22)福井に京越組として創業し、合同を経て1923年(大12)創立した福井精練加工(株)は、1973年(昭48)セーレン(株)と改称。委託染色加工企業として操業していたが、繊維産業の衰退とともに業績が悪化。1987年(昭和62)社長に就任した川田達男の下で企業変革を進め、新たな経営理念、経営戦略の推進によりグローバル企業として成長する。創業125年を機に編纂された社史は、東京大学社会科学研究所希望学プロジェクトの研究者による執筆で、序章と本文5章、資料編からなる。序章「企業は変われるか」では、セーレンの掲げる「夢」と希望学の関連を示し、川田達男による企業構造改革の概要を紹介。本文は時代順に第1-2章でセーレンの興隆と危機を、第3-5章で経営改革の詳細を記述。渋沢栄一が関わった鐘淵紡績(株)を継承するカネボウ(株)の繊維事業を、2005年(平成17)に買収した経緯も第4章で詳述している。 |
(株)世界貿易センタービルディング | 不動産 | 『十五年のあゆみ』(1980.06) | |
(株)銭高組 | 建設 | 『銭高組社史』(1972.10) | 大阪出身の大工銭高善造(ぜにたか・ぜんぞう、1860-1932)は、東京で洋風建築の技法を学んだ後、1887年(明20)大阪で銭高組を創業。東京の大倉土木組や大阪の藤田組の下請として、当時の新興産業であった紡績工場、東北地方の鉱業関係の工場を数多く施工。また旭川師団や対馬要塞など軍関係及び公共施設工事も多く請負い順調に業績を伸ばした。1912年(大1)合資会社、1931年(昭6)株式会社に改組。第二次大戦後の高度成長期には東京オリンピック、大阪万博などの国家的イベントや新幹線、高速道路工事も数多く手がける。当社史は巻頭に創業者らの略歴を記載し、沿革に続く後半180頁は施工作品写真が占めている。 |
(株)銭高組 | 建設 | 『銭高組百年史』(1990.02) | |
全国朝日放送(株) | 通信 | 『テレビ朝日社史 : ファミリー視聴の25年』(1984.02) | |
全国銀行協会連合会 | 銀行 | 『銀行協会20年史』(1965.11) | |
全国銀行協会連合会 | 銀行 | 『銀行協会30年史』(1979.03) | |
全国銀行協会連合会 | 銀行 | 『銀行協会五十年史』(1997.04) | 1877(明治10)年、渋沢栄一の呼びかけにより銀行業者の団体である択善会が創立。1880(明治13)年、択善会と銀行懇親会が合同して新たに東京銀行集会所が設立。1884(明治17)年、銀行集会所と改称。1890(明治23)年、再び東京銀行集会所と改称。1910(明治43)年、社団法人となる。1945(昭和20)年、社団法人東京銀行協会に改組。一方同年、東京銀行協会はじめ全国の銀行協会が加盟する全国銀行協会聯合会が創立。同聯合会は1953(昭和28)年より全国銀行協会連合会と改称。[1999(平成11)年、全国銀行協会連合会は全国銀行協会に改称。2011(平成23)年、全国銀行協会の事業を東京銀行協会に移行し一般社団法人全国銀行協会を発足させた。]全国銀行協会連合会(全銀協)と社団法人東京銀行協会(東銀協)の創立50周年を記念して制作された年史。巻頭口絵、本文全4編と資料編からなる。明治期の銀行協会創立前史から1996(平成8)年までを記述対象としたうえで、既刊の『二十年史』『三十年史』を踏まえ、1976(昭和51)年以降の20年間と既刊年史で記述されなかった部分について詳述している。東銀協内に設置された為替取組所と銀行倶楽部の変遷についても詳しい記述あり。1879年(明治12)年、渋沢栄一は推挙され択善会会頭となる。「択善会」は栄一の命名。東京銀行集会所では常委員、のち委員長、会長を務めた。為替取組所も栄一の主唱によって設立されている。 |
千住金属工業(株) | 非鉄金属・金属製品 | 『四十年のあゆみ』(1978.09) | 1923年(大12)から錫や鉛の非鉄金属販売を手がけていた佐藤保は、納入先の森永製菓から錫箔製造を勧められる。そこで鈴木合金所、内山鉛板と共同し、錫・鉛製品を生産する(株)千住鉛工場を1938年(昭13)に設立。水道用鉛管や各種ハンダ生産を本格化し、1944年(昭19)千住金属工業と改称。戦後は主力製品ハンダの研究を進めるほか、自動車用軸受やスプリンクラーヘッドなど新製品も開発し経営基盤を固める。40年史は「経営の理念」「四十年のあゆみ」「明日へのあゆみ」「錫と鉛」「資料」からなり、主要原料の錫と鉛についてはその由来や特性を記載している。 |
センチュリリサーチセンタ(株) | サービス業 | 『センチュリリサーチセンタ二十年史』(1979.03) | 伊藤忠商事が米国Bendix社のコンピュータを導入し開設した計算センタ。伊藤忠の販売促進をバックアップし、受託計算による収益を目指す。 |
セントラル硝子(株) | 窯業 | 『セントラル硝子三十五年史』(1972.07) | 炭鉱経営者から山口県宇部市長となった国吉信義(くによし・のぶよし、1882-1972)は、郷土の産業振興を目論む。宇部セメント幹部にソーダ工業の事業化を勧められ、アンモニア法ソーダ製造の宇部曹達工業を1936年(昭11)創立。戦時期は統制を受けるが、戦後は化成肥料や板ガラス事業等へ進出。1958年(昭33)設立したセントラル硝子を1963年(昭38)合併、新商号をセントラル硝子とし、総合化学企業として発展する。35年史は通史と部門史からなり、冒頭で日本のソーダ工業の歴史を概観し、板ガラス工業の歴史にも触れている。 |
全日本空輸(株) | 空運 | 『限りなく大空へ : 全日空の30年』(1983.03) | |
全日本空輸(株) | 空運 | 『限りなく大空へ : 全日空の30年. 資料編』(1983.03) | 『限りなく大空へ : 全日空の30年』(社史ID:12880)の資料編 |
全日本空輸(株) | 空運 | 『大空への挑戦 : ANA50年の航跡』(2004.05) |
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