収録社史一覧

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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
鹿島建設(株) 建設 『鹿島建設社史 : 1970年~2000年. 付録・年表』(2003.05) 『鹿島建設社史 : 一九七〇年~二〇〇〇年』(社史ID:00380)の付録
鹿島建設(株) 建設 『鹿島の軌跡 : 歴史の中から見えてくるものがある』(2021.10) 1840(天保11)年、鹿島岩吉により創業。1880(明治13)年、鹿島岩蔵を初代組長として鹿島組が創立。江戸時代から続けていた建築業に加え鉄道工事を請け負うようになる。1909(明治42)年にはダム、発電所工事に進出。1930(昭和5)年、株式会社鹿島組設立。全国の建築・土木工事にかかわり、災害や戦災の復旧工事にも従事している。1947(昭和22)年、鹿島建設株式会社に改称。本社史は社内報『KAJIMA』に連載し、その後同社ホームページで公開しているコンテンツ『鹿島の軌跡 : 歴史の中から見えてくるものがある』をまとめて、加筆再編集したもの。本編は人、建築、鉄道などテーマ別の全6章構成。巻頭には「渋沢栄一と鹿島岩蔵」を掲載している。鹿島岩吉・岩蔵親子は、渋沢栄一が設立にかかわった抄紙会社の王子工場建設を請け負っている。岩蔵は工場の建設場所選定にもかかわり、のちに同社の監査役、取締役も務めた。栄一が朝鮮半島でかかわった京仁鉄道、京釜鉄道の工事では鹿島組が施工に加わっている。
柏井紙業(株) パルプ・紙 『清流永遠に : 柏井紙業株式会社・80年史』(1992.04) 明治以降貿易港として発展していた神戸は和紙の集積地でもあった。鈴木商店で商売を学んだ柏井慶治(1889?-1964)は紙の需要に着目し、1910年(明43)柏井紙店を開業。和紙販売を軌道に乗せ、1936年(昭11)には合名会社柏井商店を設立。戦争を経て1947年(昭22)設立の柏井紙業(株)に事業を移し、需要の変化に合わせ洋紙販売に転換。1971年(昭46)には東京支店を開設し、全国に営業拠点を広げる。王子製紙と上質紙の共同開発を進めるなど、洋紙専門商社として発展する。80年史は創業期からの歩みを時代順に13章にまとめ、14章は資料編。各章扉にその時期の年表を記載。[2007年(平19)国際紙パルプ商事(株)と合併]
片倉工業(株) 繊維 『片倉工業株式会社三十年誌』(1951.03) 長野で製糸業を営む初代片倉兼太郎(かたくら・かねたろう、1849-1917)は1895年(明28)片倉組を組織し、全国に事業網を展開。1920年(大9)片倉製糸紡績(株)に組織変更し、更に事業を拡大する。戦時中は製糸事業を日本蚕糸製造へ譲渡し航空機製造等へ事業転換、1943年(昭18)片倉工業と社名変更。戦後すぐに事業再転換し、製糸・蚕種・加工部門を再開する。30年史は『片倉製糸紡績株式会社二十年誌』(1941年刊)の形式を踏襲しその続編として編集、主に1941年(昭16)以降の10年を詳述している。発刊当時完成した自社製自動操糸機を記念して、自社で製織した布を装幀に使用。
片倉製糸紡績(株) 繊維 『片倉製糸紡績株式会社二十年誌』(1941.03) 信州諏訪の片倉市助は1873年(明6)座繰製糸を開始。1878(明11)年長男兼太郎(かねたろう、1849-1917)が天竜川畔に洋式機械製糸工場を開設、事業は軌道に乗り1895年(明28)片倉組を組織する。1920年(大9)片倉製糸紡績を設立し経営を刷新。1939年(昭14)には渋沢栄一に縁のある富岡製糸所を合併。紀元二千六百年を期に編纂された20年史は、4章までが設立までの沿革、5章から20章が現況、海外での蚕糸業経営、原料繭の購入、製糸技術の変遷、生糸の販売、関連会社の小史など。[1943年(昭18)片倉工業と社名変更]
片倉チッカリン(株) 化学工業 『八十年史』(2000.10) 大分の蚕種製造家古椎文夫と片倉合名会社大分製糸所長の片倉耕介(片倉合名社長2代片倉兼太郎の三男)は、1920年(大9)桑園用専用肥料製造販売会社の日支肥料を創業。しかし第一次大戦後恐慌の影響を受け、創業後わずか3年で会社は解散寸前となる。片倉合名会社の経営参加によって会社は存続し、1924年(大13)片倉米穀肥料と改称。養蚕業の発展に伴い事業を拡張するが、戦時下の統制で1943年(昭18)片倉化学工業と改称。戦後八洲産業、片倉肥料と改称の後、1957年(昭32)日本チッカリン肥料、昭和肥料工業との合併により商号を片倉チッカリンとする。80年史は既刊の40年史・60年史を踏まえ、1980年(昭55)以降の事業展開を詳述している。
神奈川電気(株) 電気機器 『神奈川電気社史 : 創立75周年』(1982.12)
神奈川トヨタ自動車(株) 自動車・自動車部品 『モビリティライフの創造 : 神奈川トヨタ50年の軌跡』(1998.02) 渋沢栄一の下で帝国劇場の創設に参画した上野芳太郎の息子上野建は、財界人との交流の中で日本GMの神谷正太郎と出会う。神谷は豊田喜一郎からトヨタ車の販売をまかされ、神奈川地区の販売を上野建に依頼、1939年神奈川トヨタ販売(株)設立。戦後販売会社が再編成され、1946年神奈川トヨタ販売(株)再設立、1948年神奈川トヨタ自動車(株)に社名変更。50年史は創業からの歩みを経営者の人物像を織り込みながら記述。
鐘淵化学工業(株) 化学工業 『化学を超えて : カネカ40年の技術水脈』(1990.10)
鐘淵紡績(株) 繊維 『鐘紡製糸四十年史』(1965.09) 1887年(明20)創業の鐘淵紡績(株)は綿糸だけでなく絹糸製造へ進出を企図。社長武藤山治(むとう・さんじ、1867-1934)は従来の家内工業的絹糸業から近代的な大規模絹糸工場経営を目指し、1921年(大10)群馬県の新町工場が操業を開始。その後次々と業容を拡大するが、戦後の経営合理化の一環で1958年(昭33)蚕糸部門を分離し鐘淵蚕糸(株)が設立。婦人靴下等新規事業に進出して発展する。新町工場操業からの絹糸事業の40年史は、前篇・総史と後篇・事業場史からなり千頁を超える大作。鐘紡の沿革から書き起こした総史は時代順に日本の蚕糸業の動向と会社の歩みを記述。事業場史は製糸工場、蚕種試験所、乾繭場等を扱い、附録に従業員111人の回顧録を掲載。[1965年(昭40)鐘紡繊維と改称。更に合併改称の後1998年(平10)カネボウ(株)に吸収合併。カネボウは繊維事業を2005年(平17)KBセーレン(株)に譲渡]
金子架設工業(株) 建設 『百年史』(1990.07)
鐘紡(株) 繊維 『鐘紡百年史』(1988.10) 東京の繰綿問屋5店は1886年東京綿商社の設立を決議。翌1887年認可され隅田川の鐘淵に紡績所を建設、1888年鐘淵紡績会社となる(渋沢栄一は顧問)。苦境期に三井の支援を受け、多くの紡績会社を吸収し、重化学工業へも進出。繊維以外の事業を行なっていた鐘淵実業と1944年合併し、鐘淵工業(株)発足。第二次大戦後は繊維事業中心に転換し、1946年鐘淵紡績(株)と社名復帰。化粧品・食品等の事業にも次々進出、1971年鐘紡(株)となる。百年史は武藤山治・津田信吾・武藤糸治ら歴代経営者の時代を軸に編集され、千頁を越す大作。
兼松(株) 商社 『兼松回顧六十年』(1950.05)
兼松(株) 商社 『兼松六十年の歩み』(1955.04)
兼松江商(株) 商社 『KG物語 : 1889-1969 兼松江商80周年記念』(1970.08) 大阪商船の設立に参加した兼松房次郎(かねまつ・ふさじろう、1845-1913)は豪州との直貿易を志し、1889年(明22)大阪に豪州貿易兼松房次郎商店設立。取扱商品は当初からの羊毛・牛皮に加え小麦・木材と広げ中国大陸にも進出、1943年(昭18)に兼松(株)となる。一方滋賀県生まれの綿花商北川商店の北川与平(きたがわ・よへい、1855-1929)は江州(近江)の有志と1905年(明38)大阪に江商(資)設立。1917年(大6)株式会社に改組し、繊維商社として発展する。両社は1967年(昭42)合併し兼松江商誕生。80年史は簡潔な沿革の後に全社員の写真と名簿入りの現況が綴られている。[1990年(平2)兼松に商号変更]
(株)歌舞伎座 サービス業 『歌舞伎座百年史. 本文篇 上巻』(1993.07)
(株)歌舞伎座 サービス業 『歌舞伎座百年史. 本文篇 下巻』(1998.11) 『歌舞伎座百年史. 本文篇 上巻』(社史ID:14370)の下巻
(株)歌舞伎座 サービス業 『歌舞伎座百年史. 資料篇』(1995.04) 『歌舞伎座百年史. 本文篇 上巻』(社史ID:14370)の資料編
神岡鉱業(株) 鉱業 『第1期営業報告』(1950.11)
(株)亀井商店 小売業 『風調雨順 : 亀井商店の八十年』(1984.03)
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