収録社史一覧

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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
大塚製靴(株) その他製造業 『大塚製靴株式会社五十年 : 老舗の近代化』(2003.08) 1950年に個人商店大塚商店を株式会社に改組してからの50年史。創業からの沿革は1976年「大塚製靴百年史」として刊行している。「株式会社五十年」では、序章として1872年大塚岩次郎が開業した大塚商店の歴史を記述。本章は戦後の歩みを5章に分け、経営史を中心に述べている。多角経営せず技術を誇る製靴一筋に歩んだこと、同族による独立経営を維持したことが特徴。執筆は外部研究者に委託、索引付。
(株)大林組 建設 『大林組八十年史』(1972.10) 1864年大阪の商家に生まれた大林芳五郎が1883年に上京、宮内省出入りの請負業者の下で働く。皇居工事・鉄道工事・陸軍兵舎工事などに精勤した後、大阪に戻る。1892年製紙所工場工事を落札したのを機に独立、請負業を創業する。1903年大阪で開催された内国勧業博覧会の会場建設を請負い、また1970年大阪万博でも多くの施設を建設する。80年史は第1編創業と成長の時代、第2編発展の時代、第3編戦後の再建と新発展の時代、第4編最近10年の大林組、の4部構成、索引付。
(株)大林組 建設 『大林組百年史 : 1892-1991』(1993.06) 「百年史」は第1部創業から終戦まで、第2部戦後復興から高度経済成長まで、第3部東京本社設置から創業100年まで、の3部構成で、別冊資料編付。どの時代もあらゆる産業分野での建築工事に進出していった様子が描かれている。
(株)大林組 建設 『大林組百年史. 資料編』(1993.06) 『大林組百年史 : 1892-1991』(社史ID:00320)の資料編
大林道路(株) 建設 『大林道路五十年史』(1983.08)
オーベクス(株) その他製造業 『オーベクス100年史』(1993.03) 明治初期洋風化が鼓舞され、渡欧した益田孝が帽子の国産化を着想し、帰国後1889年渋沢栄一らと共に有限責任日本製帽会社設立。生産開始したものの業績不振により1892年解散し、新たに東京帽子(株)を設立して権利義務を継承、栄一は初代取締役会長。社史は戦前のフェルト帽製造の歴史と戦後の経営多角化、1985年にオーベクス(株)と社名変更して経営改革するまでの通史を4章に分けて記載。第5章部門史では、「帽子」「アパレル」「ヘルメット」「ペン先」の製品別に歴史と現状を記載している。
オーロラ(株) その他製造業 『The course of hundred years : 1896-1996』([1996])
岡谷鋼機(株) 鉄鋼業 『鉄一筋 : 岡谷鋼機三百年の歩み』(1968.11)
(株)岡山製紙 パルプ・紙 『岡山製紙100年史 : 1907-2007』(2008.02)
小川写真製版所 その他製造業 『創業紀念三十年誌』(1913.08)
沖電気工業(株) 電気機器 『沖電気100年のあゆみ』(1981.11)
沖電気工業(株) 電気機器 『進取の精神 : 沖電気120年のあゆみ』(2001.11) 広島出身の沖牙太郎は1874(明治7)年27歳で銀細工師の腕を資本に上京、工部省で電信技術に携わる。1881(明治14)年に電機製造・販売の明工社を創立、電話機を製造する。沖電機工場、沖商会と組織変更し、浅野総一郎(後に会長)・渋沢栄一らの出資を得、1912年沖電気株式会社となる。社史はこれまでに50年史、90年史、100年史が刊行されており、120年史ではコンピュータ・ネットワークが出現した1960年以降の40年間を詳述。
(株)沖縄海邦銀行 銀行 『沖縄海邦銀行55年史』(2006.12)
沖縄電力(株) 電力 『沖縄電力30年史』(2003.03) 沖縄の電気事業は1910年(明43)那覇市に設立の沖縄電気に始まり、大正から昭和にかけ名護電灯、宮古電灯、八重山電気が開業。戦時下配電統制令により1943年(昭18)沖縄の4社も九州配電に統合され、同社の沖縄支店および営業所となる。戦災で電気事業は全て崩壊。戦後沖縄が米軍施政権下に置かれる中、民間の群小電気供給業者が起こる。1954年(昭29)米国民政府は発送電を運営する琉球電力公社を設立、配電は民間が運営する方針をとる。1972年(昭47)本土復帰により、琉球電力公社を継承し発送配電を一体化した特殊法人沖縄電力(株)が設立される。1988年(昭63)民営に移行。30年史は既刊の15年史を要約した「15年のあらまし」、以降の歩みをまとめた通史と部門史、資料からなる。付属のCD-ROMには30年史全頁PDFと、映像にまとめた沿革等が入っている。
小田急電鉄(株) 鉄道・バス 『小田急五十年史』(1980.12) 大分出身の衆院議員利光鶴松(としみつ・つるまつ、1863-1945)は東京市街鉄道の設立に関わり実業界へ進出。鉄道の動力確保に1910年(明43)鬼怒川水力電気を創立。1923年(大13)には小田原急行電鉄を創立し沿線開発などの事業を進めるが、1941年(昭16)鬼怒川水力電気と合併して小田急電鉄と改称。業績向上を図り翌年東京横浜電鉄に合併して東京急行電鉄となる。戦後1948年(昭23)には分離し新たな小田急電鉄を設立。路線の拡張や経営多角化を図り発展する。50年史は沿革・現況・資料からなり、交通網と地域社会・産業の発展に貢献してきた経営努力の歩みを綴る。西武鉄道との間に起った“箱根山戦争”についても一節を割く。社史編纂の経緯をあとがきに詳述。
小田急電鉄(株) 鉄道・バス 『小田急75年史』(2003.03)
小野田セメント(株) 窯業 『回顧七十年』(1952.12) 1881年創業のセメント製造会社は1891年有限責任小野田セメント製造(株)と改称。内外に業容を拡大するが敗戦により海外の工場を失う。しかし積極経営で損失を克服、1951年小野田セメント(株)と社名変更する。70年史は前半が年代ごとの沿革、後半は工場・品質・福利厚生等の資料編。[1994年秩父セメントと合併し、秩父小野田セメント(株)となる]
小野田セメント(株) 窯業 『小野田セメント百年史』(1981.08)
小野田セメント製造(株) 窯業 『小野田セメント製造株式会社創業五十年史』(1931.09) 1881年山口藩の理財家笠井順八は士族救済と授産のために、わが国初の民間セメント会社として山口県原狭郡西須恵村(今の小野田市)にセメント製造会社を創設。1891年有限責任小野田セメント製造(株)と改称。輸出により外貨を獲得し、朝鮮・満州にも進出。50年史は前半で沿革を述べ、後半は支社・工場の現況と資料編。写真・図表目次と総索引付。
オリエンタル写真工業(株) その他製造業 『オリエンタル写真工業株式会社三十年史』(1950.05) 明治期から輸入に依存していた写真感光材料の国産化を志した菊池東陽(きくち・とうよう、1883-1939)は、米国で乳剤研究の後に感光乳剤製法を完成。帰国して会社設立準備にかかり渋沢栄一の紹介で植村澄三郎(うえむら・ちょうざぶろう、1862-1941)を会長に、1919年(大8)オリエンタル写真工業を設立。渋沢家の写真師江木写真店の五十嵐与七が役員に加わる。印画紙を発売し好評を得、輸出も開始する。業績を伸ばし工場を拡張し、写真の啓蒙雑誌『フォトタイムス』を発行、人材育成のためオリエンタル写真学校を創設。新製品を開発して業容を拡大する。渋沢栄一等の写真入り30年史は写真材料の解説や創業者の交友関係を含め、創業前後からの歩みを5章にわたり丁寧に記述。巻末に役員小伝、関係会社略史付。渋沢秀雄(しぶさわ・ひでお、1892-1984、栄一四男)は監査役。[2000年(平12)サイバーグラフィックス(株)と社名変更]
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