収録社史一覧

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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
浦賀船渠(株) 造船 『浦賀船渠六十年史』(1957.06) 1853年ペリーが浦賀沖に来航、衝撃を受けた幕府は浦賀に造船所開設。軍艦で来所していた榎本武陽らは後に船渠会社設立に奔走し、浅野総一郎等の賛同を得て1897年浦賀船渠(株)設立。1902年東京石川島造船所の浦賀分工場を買収した時から渋沢栄一との関係が強まり、同年経営不振に陥った際栄一の尽力で再建する。60年史は創業前後から太平洋戦争後の復興発展期までを年代を追って記述。50年史編集のために戦前から収集した資料を元に社内で執筆。
栄養食(株) 小売業 『会社五十年の歩み』(1989.03) 冷凍魚を扱っていた関法之(1905?-)が職場の集団給食を専門に請け負う目的で、1938年(昭13)栄養食会社を設立。軍需工場の増加に伴い全国の食堂の委託経営を引受ける。戦後休業していたが1949年(昭24)ごろから再出発の準備にかかり、翌年社員食堂の請負を始める。縁のある渋沢敬三(しぶさわ・けいぞう、1896-1963)の計らいもあり漸次発展する。50年史は創業者の弟で現会長関誠三郎(せき・せいざぶろう、1911-)の執筆。第1部は設立から第2次大戦終了まで、第2部は戦後の再出発と会社の現況、第3部は著者自身の経営哲学で、渋沢栄一の訓言にも触れる。[関兄弟の祖父関直之は渋沢家洲崎養魚場管理人で、後に洲崎養魚を設立した]
AIU保険会社 保険 『AIU45年史』(1991.11)
(株)江木写真店 サービス業 『江木五十嵐写真店百年の歩み』(1985.02) 福山藩士の学者の家に育った江木保男(えぎ・やすお、1856-1898)は写真術に注目し、弟の松四郎をアメリカへ留学させ技術を習得、1884年(明17)東京神田に江木写真店を創設。1889年(明22)には新橋に支店を開設、華族や政財界人で繁盛する。1943年(昭18)に軍部の圧力で解散したが、直後の1944年(昭19)、かつて江木写真店の技術者であり経営にも参加していた五十嵐与七(1885-1967)らが五十嵐写真店を設立し、伝統を継承。1963年(昭38)株式会社となり、都内のホテル、結婚式場などで写真店を展開する。100年史は両社の沿革を通して扱い、技術の変化や顧客の著名人のエピソードを随筆風に記述。また渋沢栄一を含む多くの内外要人の写真、五十嵐与七への追悼文、五十嵐与七の遺稿などを収録し、栄一とオリエンタル写真工業との関連にも触れている。
NBC工業(株) 繊維 『NBC工業五十年史』(1986.07)
江間忠木材(株) 商社 『商人の道 : 江間忠70年のあゆみ』(1995.12)
遠州鉄道(株) 鉄道・バス 『遠州鉄道40年史』(1983.12) 1889年(明22)の東海道線開通以来、浜松は近代産業が次々発展していた。甲州財閥の雨宮敬次郎(あめみや・けいじろう、1846-1911)は地元財界人と共に浜松鉄道を発起。他に敷設の7社を合同し1909年(明42)大日本軌道(株)を設立、浜松鉄道はその浜松支社(後の遠州電気鉄道)とした。一方浜名郡と引佐郡の有志は1912年(大1)浜松軽便鉄道(後の浜松鉄道)を設立、2年後に開業。第二次大戦下の政策により遠州電気鉄道と県内バス事業者は統合し、1943年(昭18)遠州鉄道が設立。終戦後1947年(昭22)浜松鉄道を合併し、遠州鉄道は地域の民営交通機関として発達する。40年史は第1部前史に合併以前の鉄道とバス事業のあゆみを記載、第2部に設立以来の沿革を述べる。
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙株式会社案内』(1926.03) 渋沢栄一らの企図で洋紙製造を目的に1972年(明5)会社設立願書提出、翌年認可され抄紙会社が創立。1876年(明9)製紙会社、1893年(明26)王子製紙(株)と改称。近代技術を導入し全国に13工場を擁するまでに発展する。この会社案内は沿革に続き、各工場や事業の概要を簡潔にまとめたもの。後半は工場や設備を写真で紹介し、最後に自社製品の使用用紙7種類の明細を記載している。[会社案内は1910年以降ほぼ隔年で7冊が刊行されている]
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙株式会社案内』(1936.09) 1872年(明5)創立の王子製紙(株)は1933年(昭8)富士製紙、樺太工業と合併し、全国に34工場、資本金3億円の大企業となる。この会社案内は絹表紙の立派な装丁で本文は神崎工場製のアート紙を使い、1926年版の2倍の大きさ。沿革13頁に続き各工場や設備を大判写真83枚で解説している。
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史. 第1巻』(1956.06) 渋沢栄一らの尽力で1872年(明5)設立出願、翌年創業した抄紙会社は後に王子製紙となり、当初より近代製紙技術を採り入れ発展。1933年(昭8)富士製紙、樺太工業を合併し、生産量は国全体の8割を占めるまでに成長する。戦後1949年(昭24)過度経済力集中排除法の適用により苫小牧製紙、十条製紙、本州製紙の3社に分割される。創業から分割までの歩みを記した社史は全4巻と附録篇からなる。第1巻は創業から日清戦争まで、第2巻は日露戦争前後、第3巻は大正期から昭和前期、第4巻は太平洋戦争前後、附録篇には明治期創業の製紙会社21社の小史、紙業年表、紙業統計を掲載。各巻に詳細な写真目録と人名索引付。[著者成田潔英(なりた・きよふさ、1884-1979)は王子製紙元社員で紙の博物館初代館長]
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史. 第2巻』(1957.05) 『王子製紙社史. 第1巻』(社史ID:02570)の第2巻
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史. 第3巻』(1958.04) 『王子製紙社史. 第1巻』(社史ID:02570)の第3巻
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史. 第4巻』(1959.10) 『王子製紙社史. 第1巻』(社史ID:02570)の第4巻
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史. 附録篇』(1959.10) 『王子製紙社史. 第1巻』(社史ID:02570)の付録篇
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙解体余聞』(1958.03) 第二次大戦後1949年(昭24)王子製紙が解体された経緯を、同社社長中島慶次(なかじま・けいじ、1894-1973)らに経済誌記者薬袋進(みない・すすむ)が取材してまとめた著作。トピックごとの25章からなり、当初GHQが要求した9分割案を最終的に3分割にとどめた会社首脳陣の働きを記録した。『日刊東洋経済』での連載を本にしたもので、王子製紙元社長藤原銀次郎(ふじわら・ぎんじろう、1869-1960)と前首相で東洋経済新報社元社長石橋湛山(いしばし・たんざん、1884-1973)が序文を寄せている。巻末追録に解体経緯を記した王子製紙文献管理委員会記録と、抄紙会社から解体に至る王子製紙の系譜概要と図を掲載。
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙南方事業史』(1964.06) 1933年(昭8)の合併で国内最大の製紙会社となった王子製紙は、1941年(昭16)太平洋戦争勃発後に軍部の要請で南方地域へ進出。マレー半島、スマトラ、ジャワ、フィリピン、ニューギニア等の地域に工場を建設し、抄紙機械と技術者・工員計400名以上を送り込む。現地人も採用し現地の木材で生産開始するが、1945年(昭20)の敗戦で全ての工場を喪失する。南方事業史は各地に派遣された社員約40名から原稿を集め、7つの地域ごとに工場建設から帰還までの状況をまとめたもの。本文中に派遣された人々や現地の写真を取り込み、巻末に人名索引付。
王子製紙(株) ; 十条製紙(株) ; 本州製紙(株) パルプ・紙 『製紙業の100年 : 紙の文化と産業』(1973.06) 紙幣類や新聞・書籍用の国産洋紙製造のため、渋沢栄一らの尽力で1873年(明6)抄紙会社が誕生。後に王子製紙と改称し近代技術を導入して発展する。本書は創業100年記念に、旧王子製紙が戦後3分割されて誕生した王子製紙(当初は苫小牧製紙)、十条製紙、本州製紙の3社が共同出版したもので、4つの部分からなる。「紙と文化」では紙の役割を歴史的にたどり、「製紙業100年のあゆみ」では明治以降の近代的製紙業の発達と変遷を記述。「製紙業をになった人びと」では製紙業の発展に関わった40人を取り上げ、写真と共に業績を紹介。「現状と将来の展望」と題した座談会では3社社長が忌憚なく論じあっている。巻末に資料付。[王子製紙は新王子製紙と改称後、1996年(平8)本州製紙と合併し再び王子製紙と改称(現・王子ホールディングス)。十条製紙は合併により1993年(平5)日本製紙となる]
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙山林事業史』(1976.06) 明治初頭より製紙業を経営した旧王子製紙の山林事業を体系的にまとめたもの。原料の調達と製造からなる製紙事業のうち、森林資源を原料として供給していく山林事業の発展が、安定経営に不可欠であった。本書は第1部総説で本州から北海道、樺太はじめ海外に広がった旧王子製紙の山林事業を地域ごとに概観した上で、業務機構の変遷を記述。第2部各説では会社の創設期、成立期、発展期、合併期、戦後の1949年(昭24)旧王子製紙解体までと時代順に事業の推移を記述し、最後に伐採と並行して行ってきた造林事業に触れる。戦後の解体で発足した王子製紙、十条製紙、本州製紙3社の共同編集で、巻末に編集委員会、共同執筆者、資料提供者・協力者名を掲載。
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史 : 戦後三十年の歩み』(1982.02) 敗戦後占領政策により1949年(昭24)旧王子製紙は3社に分割される。その中の苫小牧製紙は、新聞用紙の単一品種生産ながら最大規模であった苫小牧工場を引き継ぎ発足。旧王子製紙の伝統を継承し、1952年(昭27)王子製紙工業、1960年(昭35)王子製紙と改称。外地引揚者の受入や大規模労働争議等の問題を克服し、全国に工場を建設。海外にも進出して業界首位の製紙会社に発展する。苫小牧製紙発足からの30年史は6編に渡って沿革を詳述し、巻末に資料編を付す。『王子製紙社史』(1956-59)と同様の装丁。[1993年(平5)神崎製紙を合併し、新王子製紙(株)となる]
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史 : 1873-2000. 本編』(2001.08) 1873年(明6)創立の王子製紙は戦後3分割される。苫小牧工場を引き継いで1949年(昭24)発足した苫小牧製紙は、近代化を進め経営環境の変化に対応して発展。王子製紙工業、王子製紙、新王子製紙と変遷後、本州製紙との合併により1996年(平8)三たび王子製紙となる。苫小牧製紙発足から50年を記念して発刊された社史は、本編・合併各社編・資料編の3冊からなる。本編は30年史(1982)以降の20年に重点を置きつつも、創立からの足跡を通史として記述。合併会社編には北日本製紙、日本パルプ工業、東洋パルプ、神崎製紙、本州製紙の各社史及び、本州製紙に合併した5社の社史を収録。資料編には業界統計も含めた各種資料を掲載。[2012年(平24)持株会社制に移行し王子ホールディングス(株)と改称][社史本編は全文がDNP「社史の杜」サイトで公開されている]
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