収録社史一覧

業種"窯業" 社史一覧 全37件中17件 21件〜37件目を表示

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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
日本セメント(株) 窯業 『七十年史. 序編』(1955.10) 『七十年史. 本編』(社史ID:04320)の序編
日本セメント(株) 窯業 『七十年史. 本編』(1955.10) 浅野総一郎(あさの・そういちろう、1848-1930)は1883年(明16)渋沢栄一の紹介で官営セメント工場の払い下げを受け、浅野工場を起こす。1898年(明31)浅野セメント設立、1912年(大1)株式会社となり外地にも進出し発展する。戦後財閥解体により1947年(昭22)日本セメントと商号変更。70年史は1940年(昭15)刊行の『浅野セメント沿革史』の不備を補い、戦時及び戦後の事績を詳細に記述。構成はセメント工業の歴史的発展をまとめた序編と、創業からの沿革や現況をまとめた本編の2冊からなり、索引付。
日本セメント(株) 窯業 『80年の歩み』(1963.03) 1883(明治16)年、浅野総一郎は、渋沢栄一らの助力により、工部省深川工作分局を借り受ける。翌年、同工場の払い下げを受け、匿名組合浅野工場を設立。1898(明治31)年、浅野セメント合資会社に改組。1912(大正元)年、浅野セメント株式会社を設立し、翌年に浅野セメント合資会社を合併。1947(昭和22)年、戦後の財閥解体に伴い、日本セメント株式会社に商号変更。本社史は、創業80周年の記念事業として社史編纂を行うにあたり、『八十年史』(1963年12月刊行)に先駆けて創業記念日に刊行された抄史版。自社PRを兼ね、目で見る社史の方針のもと写真やグラフを多用している。本文は沿革と現況の2部構成で、刊行当時の役員やOBの座談会、対談や寄稿なども掲載。[1998(平成10)年、秩父小野田株式会社と合併し、太平洋セメント株式会社となる。]
日本セメント(株) 窯業 『八十年史』(1963.12) 80年史は70年史以降の10年間を、「セメント工業この10年」「わが社10年の歩み」「事業場所・組織・資本・人および業績」の三編に分けて記述している。土屋喬雄ほかの随筆も掲載。
日本セメント(株) 窯業 『百年史 : 日本セメント株式会社』(1983.11) 100年史は通史としての総合史、80年史以降の20年の活動を記述した部門史、および資料編からなる。創業者浅野総一郎の小伝も含む。土屋喬雄監修。[1998年(平10)秩父セメントと合併し太平洋セメントとなる]
日本陶器(株) 窯業 『日本陶器七十年史』(1974.12) 輸出貿易の森村組を誕生させた森村市左衛門(もりむら・いちざえもん、1839-1919)は、市場調査の中で陶磁器の将来性に注目。義弟の大倉孫兵衛(おおくら・まごべえ、1843-1921)らが欧州で陶磁器の製法を学んで帰国し、森村と共に優れた白色硬質磁器を製造・輸出することを目的に、1904年(明37)愛知県則武(のりたけ)に日本陶器を創立。原材料の確保、技術の修得、施設の拡充などを進め、1914年(大3)ディナーセットを完成、Noritake Chinaの名で輸出する。新製品開発を積極的に進めて発展。70年史は写真を多用した現況と沿革に続き、明治以降の日本の陶磁器工業について研究者が執筆している。[1981年(昭56)ノリタケカンパニーリミテドに社名変更]
日本特殊陶業(株) 窯業 『日本特殊陶業株式会社四十年史』(1977.03) 日本碍子(株)工務部長江副孫右衛門(えぞえ・まごえもん、1885-1964)は自動車の将来性に着目し、エンジン点火装置のスパークプラグに使う絶縁体の研究開発を行う。1926年(大15)商品として発売、性能向上に努め海軍省の指定業者となる。日本碍子から独立し、江副を社長に1936年(昭11)日本特殊陶業が設立。戦後は航空機エンジン用スパークプラグ生産も開始し、海外にも進出して業績を伸ばす。また絶縁体磁器製造技術を応用した耐熱磁器や切削工具等のセラミックス(当初は特殊陶磁器と呼称)を次々と開発し、鉄鋼・紡績・セメント・化学など多くの産業に貢献する。40年史は序章を既刊の20年史と30年史の抜粋としてまとめ、最近10年間の動向を総説・営業・生産・労務・新製品の章立てで記述。製品写真や製造工程図も掲載。
日本特殊陶業(株) 窯業 『日本特殊陶業株式会社60年史』(1997.03)
日本ヒューム管(株) 窯業 『日本ヒューム管70年史 : Human Hume』(1995.10)
日本煉瓦製造(株) 窯業 『95年の歩み』(1983.07) 5年後に100周年を迎えるに当たり、歴史資料の蒐集整理を行い小冊子としてまとめたもの。写真や年表を使いコンパクトに全容を描いている。
日本煉瓦製造(株) 窯業 『日本煉瓦100年史』(1990.03) 明治政府は不燃性の洋風煉瓦造りの官庁街を計画。千葉で煉瓦造りに携わった池田栄亮と隈山尚徳はこれに応じ、渋沢栄一や益田孝の協力とドイツ人技師の指導の下、日本で最初の機械による煉瓦製造を目的として1887年日本煉瓦製造会社を設立。栄一は故郷埼玉に優良な原土があることから工場を誘致し、理事・会長として経営にも積極的に関わる。100年史は煉瓦の発生と普及から戦後セラミック建材事業へ進出するまでを編年体で記述。二代会長諸井恒平が1902年に著した「煉瓦要説」も再録。[2006年6月廃業]
(株)ノリタケカンパニーリミテド 窯業 『Noritake 100 : 1904-2004』(2004.10)
(株)ノリタケカンパニーリミテド 窯業 『ノリタケ100年史』(2005.03)
播磨耐火煉瓦(株) 窯業 『三十年史』(1980.04) 1934年(昭9)国策で発足した日本製鉄(株)の製鉄所増設に伴う耐火煉瓦需要に応じるため、黒崎窯業(株)は兵庫県播州地区と北海道室蘭に工場を建設。日本製鉄は炉材確保のため黒崎窯業と提携し両工場を独立させ、1938年(昭13)日本炉材製造(株)を設立。同社は1942年(昭17)日本製鉄の傘下に入り日鉄炉材製造(株)となり、1944年(昭19)日本製鉄に吸収合併。戦後の再建整備計画で日本製鉄の炉材工場は分離して1950年(昭25)播磨耐火煉瓦(株)が発足。以降工場を広畑、東海、室蘭、大分に設置し発展する。30年史は創業前史を含む沿革史と、10章からなる部門史で構成されている。[1998年(平10)ハリマセラミック(株)と改称、2000年(平12)黒崎窯業(株)と合併し黒崎播磨(株)となる]
三河セメント(株) 窯業 『三河セメント社史』(1937.07) 窯業を学んだ斎藤実堯(さいとう・さねたか、1844-1898)は石灰石の産地である愛知県田原町で、県令の斡旋により藩士授産事業として1882年(明15)東洋組を起こしセメント製造開始。東洋組を引継いだ実業家水谷孫左衛門(1850-1913)は事業を拡張し、1888年(明21)三河セメント会社として操業。しかし経営難で第一銀行四日市支店の担保となり、渋沢栄一の委嘱で1891年(明24)浅野セメント工場の委託経営とされ、三河セメント工場として営業。その後名古屋の実業家に譲渡され、1898年(明31)株式会社となる。当該社史では冒頭の特別篇でセメント発明の起源から日本におけるセメント工業の発達を概観。個人経営篇で東洋組から三河セメント工場までの沿革、会社篇で三河セメント(株)の40年の沿革を記述。[1940年(昭15)東海セメントと合併し東洋産業となる(現・太平洋セメント)]
三菱鉱業(株) 窯業 『三菱鉱業社史』(1976.06) 1871年三菱合資会社の前身である九十九商会が和歌山県で炭砿経営を始める。1918年三菱合資会社より鉱山・炭坑部門の業務一切を継承して三菱鉱業(株)設立。国内外へ事業を広げるが、戦後は占領政策により事業縮小し、1950年金属部門を分離、石炭部門は1969年三菱高島炭砿、三菱大夕張炭砿として分離。他部門は1973年三菱セメント(株)・豊国セメント(株)と合併し三菱鉱業セメント(株)となる。社史の第1編は三菱創業より三菱鉱業設立まで、第2編は以後金属部門分離まで、第3編は三菱鉱業セメント発足まで。
吉沢石灰工業(株) 窯業 『100年のあゆみ』(1973.11)
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