収録社史一覧

業種"機械" 社史一覧 全44件中20件 1件〜20件目を表示

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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
石川島重工業(株) 機械 『石川島重工業株式会社108年史』(1961.02) 1853(嘉永6)年、江戸幕府は欧米列強に対抗すべく、水戸藩に委託して石川島(現在の東京都中央区佃)に石川島造船所を設立。明治維新後は新政府の管理下となり、1872(明治5)年に石川島修船所が発足するが、1876(明治9)年、石川島における官営事業廃止に伴い閉鎖。同年、平野富二が修船所の施設、土地を借用し石川島平野造船所を創立。1889(明治22)年、有限責任石川島造船所となる。1893(明治26)年には、株式会社東京石川島造船所へと発展した。1945(昭和20)年6月、造船だけでなく総合機械メーカーとしてふさわしい名称とすべく、石川島重工業株式会社と改称。1960(昭和35)年、株式会社播磨造船所と合併し、石川島播磨重工業株式会社となる。本社史は水戸藩の石川島造船所設立から石川島播磨重工業株式会社となるまでの108年間を記した。現況編、沿革史編、技術発展史編、諸表からなる1000ページを超える大著。沿革史編では、石川島飛行機製作所など同社が設立した関連会社についても詳しく書かれている。また巻頭グラビアや各ページのコラムなど本文以外の掲載情報も多数。監修は『渋沢栄一伝記資料』編纂主任でもある土屋喬雄。
石川島播磨重工業(株) 機械 『石川島播磨重工業社史. 技術・製品編』(1992.04) 『石川島播磨重工業社史. 沿革・資料編』(社史ID:05260)の技術・製品編
石川島播磨重工業(株) 機械 『石川島播磨重工業社史. 沿革・資料編』(1992.04) 1853(嘉永6)年ペリーが来航し、幕府は海防に狂奔。大船建造を命じられた水戸藩は隅田川河口の石川島に造船所を建設、12月に石川島造船所が創設された。その後石川島平野造船所を経て、渋沢栄一らが出資し1889年有限責任石川島造船所が設立される。1907(明治40)年設立の播磨造船所と1960年に合併して石川島播磨重工業(株)となる。陸海空に渡って技術の蓄積を図り、総合重工業企業に成長。本編「沿革・資料編」と別冊「技術・製品編」あり。
石川島播磨重工業(株)技術研究所 機械 『石川島播磨重工業技術研究所史 : 挑み、拓き、ものづくりを担った技術開発 : 1951年~1999年』(2001.09) 石川島重工業が1951年土光敏夫社長時代に技術研究所を設立。1960年の合併に伴い播磨造船所研究部を統合。1999年に基盤技術研究所と機械・プラント開発センターに分離・改組されるまでの研究所史。沿革編、技術編、資料編からなる。
井関農機(株) 機械 『井関農機60年史』(1989.06)
岩田塗装機工業(株) 機械 『岩田塗装機工業株式会社五十年史』(1978.10)
(株)クボタ 機械 『クボタ100年 : 1890-1990』(1990.10)
久保田鉄工(株) 機械 『久保田鉄工八十年の歩み』(1970.10) 大阪で鋳物の修業をした久保田権四郎(くぼた・ごんしろう、1870-1959、旧姓大出)は、鉄管需要の将来性を見越して1890年(明23)大出鋳物を創業。1897年(明30)久保田鉄工所と改称。鋳鉄管事業へ進出して画期的な製法を次々開発し、至難の事業とされていた水道鉄管の製造を成功させた。1930年(昭5)株式会社に改組、海外へも進出して発展する。戦後は鋳物と機械製造を再興し、下水用ヒューム管や建材等の新製品開発も進める。80年史は本文15章と資料、年表からなり、製品写真等を本文中に掲載。渋沢栄一が関わった日本鋳鉄(資)にも触れている。[1990年(平2)(株)クボタに社名変更]
久保田鉄工(株) 機械 『久保田鉄工最近十年の歩み : 創業九十周年』(1980.10)
(株)小松製作所 機械 『小松製作所五十年の歩み : 略史』(1971.05) 土佐出身で佐賀の芳谷炭坑(後の竹内鉱業)を経営していた竹内明太郎(たけうち・めいたろう、1860-1928)は、1902年(明35)石川県小松町の銅山開発に進出。欧米視察や炭坑経営の経験から機械工業の重要性に着目し、1917年(大6)小松鉄工所を開設。工作機械と鉱山用機械生産を開始し、1921年(大10)竹内鉱業から分離独立して(株)小松製作所が誕生。プレス機、農業用トラクタ、ブルドーザ等の国産化を進め、建設機械を主軸とした総合機械メーカーとして発展する。50年史は創業からの歩みを5章にまとめ、工場や製品等の写真と図表で現況を紹介している。[登記社名とは別に会社表記をコマツとしている]
(株)島津製作所 機械 『改組二十年記念帖』(1937.09)
(株)島津製作所 機械 『島津製作所改組三十五年記念誌』(1952.11)
(株)島津製作所 機械 『島津製作所史』(1967.09) 1875年(明8)初代島津源蔵(しまづ・げんぞう、1839-1894)が京都で理化学器械の製作を開始。長男の二代源蔵(1869-1951)と共に、京都舎密局に着任したドイツ人技師ワグネル(Gottfried Wagener, 1831-1892)の指導を受ける。個人経営の島津製作所は1917年(大6)株式会社に改組。以来、蓄電池、標本製作、日本初の医療用X線装置、実験機材など多くの製品開発を行い発展する。本社史は株式会社改組50周年記念誌として、個人経営時代からの90余年の沿革と、主要な機種別製品の生成発展過程を示す技術・製品から成る。これ以前に『改組二十年記念帖』『改組三十五年記念誌』『改組四十年記念誌』を刊行している。
(株)島津製作所 機械 『21世紀をひらく : 創業110周年島津技術の発展』(1985.04)
(株)島津製作所 機械 『島津製作所百十年史』(1985.07)
(株)島津製作所 機械 『科学とともに百二十年 : 島津製作所の歩み』(1995.11)
蛇の目ミシン工業(株) 機械 『蛇の目ミシン創業五十年史』(1971.10) 大正初期に実業家穴水要七の元で小瀬与作はゴム業を営み、ゴム長の内側にメリヤス布を張るのにミシンを使用。当時市場を席捲していたシンガーに対し国産ミシンの製造を志し、1921年亀松茂・飛松謹一と共にパイン裁縫機械製作所を設立。月賦販売方式を採りいれ業績を伸ばし、1935年帝国ミシン(株)と改称。このときから商標名を蛇の目ミシンとし、1949年社名も蛇の目ミシン(株)に改称、1954年現社名となる。50年史は前史に英国の産業革命以来のミシン産業の発達を述べ、本編で沿革と現況を記す。
新キャタピラー三菱(株) 機械 『新キャタピラー三菱25年史』(1991.02) 新三菱重工業の主力事業所であった神戸造船所は1959年(昭34)建設機械事業へ進出、明石工場で油圧ショベルを製造開始する。1963年(昭38)米国キャタピラー社と合弁でトラクタ生産のキャタピラー三菱を設立。1964年(昭39)新三菱重工業は合併で三菱重工業となる。キャタピラー三菱は1987年(昭62)三菱重工業(株)明石製作所と合併し、総合建設機械製造の新キャタピラー三菱が誕生。25年史は「キャタピラー三菱の歩み」「三菱重工業明石製作所の歩み」「新キャタピラー三菱の誕生」の3編からなり、それぞれ沿革と部門別の概要を記述。本文中に製品写真等を多数掲載。[2008年(平20)キャタピラージャパンに社名変更]
新三菱重工業(株) 機械 『新三菱重工業株式会社史』(1967.06) 旧三菱重工業の解体により1950年発足した中日本重工業(株)は、神戸造船所・名古屋製作所・水島製作所・京都製作所・三原車輌製作所の事業を継承。1952年新三菱重工業(株)に社名変更、1964年3社の合併により再び三菱重工業(株)となる。この15年史は他2社の「三菱造船株式会社史」「三菱日本重工業株式会社史」と同じ監修者の元に同時に刊行された。第1編では総論と沿革、第2編では経営・製品・生産体制を詳述。詳細な図表目次と索引付。
住友精密工業(株) 機械 『住友精密工業五十年史 : 1961-2010』(2011.10)
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