収録社史一覧

業種"繊維" 社史一覧 全107件中20件 21件〜40件目を表示

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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
蚕糸業同業組合中央会 繊維 『蚕糸業同業組合中央会史』(1932.12)
敷島紡績(株) 繊維 『敷島紡績七十五年史』(1968.12) 大阪財界の鈴木勝夫らは西成郡伝法村に1892年(明25)伝法紡績を創立、翌年福島区に移転し福島紡績と改称する。第一次大戦を契機に経営を確立し、積極経営で業容を拡大。1944年(昭19)企業統合政策で朝日紡績と合併し、敷島紡績と改称(敷島は大和の枕詞)。戦後復興をはかりコーンスターチ製造等新規事業や海外合弁事業へも進出する。創立からの75年史は沿革、現況、資料からなり、本文中に写真を多く掲載し、沿革の最後に事業場史も記載。50周年までは『福島紡績株式会社五十年記』(1942年刊)を要約し、以降の25年間を詳述している。[2002年(平14)シキボウ(株)に商号変更]
セーレン(株) 繊維 『セーレン百年史』(1990.11) 1889年(明22)福井に京越組として創業し、合同を経て1923年(大12)創立した福井精練加工(株)は、絹織物の精練染色加工で業績を伸ばす。時代の要請に応じて人絹加工や合成繊維加工の技術革新を進める。事業拡大に伴い1973年(昭48)セーレン(株)と改称。エレクトロニクスやメディカル部門等、繊維を含めた生活関連マーケットへ経営多角化を図り、海外との合弁事業も推進する。創業からの100年史は沿革史と現況・資料からなり、沿革史は創業前史を序章に、以降の歩みを11章にまとめている。エピソードを記したコラムや多くの図版を本文中に取り入れた編集。[2005年(平17)カネボウ(株)の繊維事業を譲受しKBセーレン(株)設立]
セーレン(株) 繊維 『希望の共有をめざして : セーレン経営史』(2015.03) 1889年(明22)福井に京越組として創業し、合同を経て1923年(大12)創立した福井精練加工(株)は、1973年(昭48)セーレン(株)と改称。委託染色加工企業として操業していたが、繊維産業の衰退とともに業績が悪化。1987年(昭和62)社長に就任した川田達男の下で企業変革を進め、新たな経営理念、経営戦略の推進によりグローバル企業として成長する。創業125年を機に編纂された社史は、東京大学社会科学研究所希望学プロジェクトの研究者による執筆で、序章と本文5章、資料編からなる。序章「企業は変われるか」では、セーレンの掲げる「夢」と希望学の関連を示し、川田達男による企業構造改革の概要を紹介。本文は時代順に第1-2章でセーレンの興隆と危機を、第3-5章で経営改革の詳細を記述。渋沢栄一が関わった鐘淵紡績(株)を継承するカネボウ(株)の繊維事業を、2005年(平成17)に買収した経緯も第4章で詳述している。
ダイニック(株) 繊維 『新しい流れのなかで : 日本クロス創立55周年-ダイニック元年』(1974.08) 1919年京都に創立された日本クロス工業(株)は、創立55周年の1974年にダイニック(株)と社名変更。55年史は図版を多用し、書籍クロスからインテリア関連製品等に広がる多彩な商品群を視覚的に描いている。[『渋沢栄一伝記資料』の表紙クロスも日本クロス工業製]
ダイニック(株) 繊維 『ダイニック60年史』(1980.08) 京都生まれの坂部三次は、渋沢栄一らが1887年設立した京都織物会社に1893年入社。当時書籍の洋式装幀が広まり、装幀用クロスの需要が高まる。絹織物で作るクロスの将来性を見抜いた坂部は製造法を研究し、退社して1919年日本クロス工業(株)の設立に加わる。国産クロスの製造に成功し、出版業界の発展と共に業績を伸ばす。戦後は衣料・生活産業などにも進出。海外にも展開し、1974年の創立55周年を期に社名をダイニック(株)に変更。60年史は創業からの歩みを10章に分けて記述している。
ダイニック(株) 繊維 『ダイニック70年史』(1990.08) クロス製造と絹織物染色加工の専業から出発したダイニック(株)は、ビニール・不織布・合成皮革などの新製品製造、海外進出などグループ経営による複合企業として発展。70年史は全体を「時代をみつめて70年」「日本クロスの時代」「ダイニックの時代」「専業から複合へ」の4つに分けて記述。
ダイニック(株) 繊維 『ダイニック創立75周年記念誌』(1995.08) 75年史は創立75周年に開催されたイベント「ダイニック・グループ総合展示会」を、多くの図版を使い紙上で再現。各種商品とグループ企業の現状を紹介している。
ダイニック(株) 繊維 『ダイニック80年史』(2000.08) 80年史は全体を「創立80周年、ダイニックの新世紀」「創社の時代」「拡大の時代」「変革の時代」の4つに分けて記述。60年史・70年史・80年史は同じ社員が執筆している。80年史はCD-ROMでも出版し、自社ウェブサイトからも本文全文を読むことができる(http://www.dynic.co.jp/company/80/d_index.html)。これまで出版した社史の表紙・箱クロスは全て自社製品。
ダイニック(株) 繊維 『ダイニック90年史』(2010.08)
ダイニック(株) 繊維 『ダイニック一〇〇年史』(2020.08) 京都織物株式会社を退職した坂部三次は、1919(大正8)年にブッククロスを製造する日本クロス工業株式会社を設立。1974(昭和49)年、事業の多角化に伴い社名をダイニック株式会社に変更。現在はクロス製品のほか不織布製品、自動車内装や住宅の壁紙、食品包材などの製造・販売を行う。本社史は創立百周年を記念したもの。序章と10章立ての本編と対談、資料・年表、索引から成る。
大日本織物協会 繊維 『染織五十年史 ; 大日本織物協会五十年業績史』(1935.06)
(社)大日本蚕糸会 繊維 『日本蚕糸業史. 第1巻』(1935.02) 古来連綿と続いてきた日本の蚕糸業は明治以降空前の発展を遂げた。1892年(明25)創設の業界団体である大日本蚕糸会は、昭和天皇即位記念に皇室の保護のもとに発展した蚕糸業史を5巻にまとめ編纂。各巻の内容は、第1巻「総論、宮中御養蚕史、生糸貿易史」、第2巻「生糸貿易史(続)、製糸史」、第3巻「養蚕史、蚕種史」、第4巻「栽桑史、政策史」、第5巻「学術史、年表」。本書第1巻は「総論」と「生糸貿易史」からなり、「総論」は神代から江戸時代までの蚕糸業史の概要をまとめた8章と、明治以降の皇室の養蚕と蚕糸業奨励のための行啓等を記載した「宮中御養蚕史」で構成される。「生糸貿易史」は江戸末期の開港を境に前半8章と後半7章からなり、前半は古代から開港までの中国から欧州にいたる生糸貿易史を簡潔にまとめ、後半は開港以降関東大震災ころまでの生糸貿易発展の歴史を6章40節に詳述している。それに続く第7章「第七期革釐時代は製本の便宜上」第2巻末尾に掲載。[渋沢栄一は大日本蚕糸会評議員、後に顧問。日本蚕糸業史刊行委員会の顧問もつとめた][(社)大日本蚕糸会は1942年(昭17)合併改組により(財)大日本蚕糸会となる]
(社)大日本蚕糸会 繊維 『日本蚕糸業史. 第2巻』(1985.08) 業界団体である大日本蚕糸会編纂『日本蚕糸業史』全5巻中の第2巻で、内容は「製糸史」と、第1巻掲載の「生糸貿易史」の続編。「製糸史」は製糸業発達の沿革、技術史、経営史の3編9章で構成され、古代からの生糸生産の歩みを多面的に記述している。巻末の「生糸貿易史(続編)」には1924-1933年(大13-昭8)の時期を扱った第7章が置かれ、関東大震災以降世界恐慌や人造絹糸(人絹)の発達等による生糸貿易の衰微の実態が記されている。第1-6章は第1巻に掲載。本書は初版(1935年刊)の再版(復刻版)。
(社)大日本蚕糸会 繊維 『日本蚕糸業史. 第3巻』(1936.02)
(社)大日本蚕糸会 繊維 『日本蚕糸業史. 第4巻』(1935.06) 業界団体である大日本蚕糸会編纂『日本蚕糸業史』全5巻中の第4巻で、「栽桑史」と「政策史」からなる。8章からなる「栽桑史」では蚕の餌となる桑の栽培法発達概要を述べた後に、桑樹の品種、繁殖法、栽植法、培養法それぞれの変遷を記載。更に桑樹の病害と桑園経営法の変遷にも触れている。「政策史」は3章からなり、第1章「奨励及取締施設」では、徳川時代及び明治以降の養蚕奨励策や調査試験機関、税金等について記述。第2章「政策の樹立及実施に関する諮問」では、明治以降の各種諮問機関20を挙げ、答申項目や会員名を記している。第3章「行政、教育、研究及検査機関」には、種類ごとに種々の機関の概要をまとめている。
(社)大日本蚕糸会 繊維 『日本蚕糸業史. 第5巻』(1985.08) 業界団体である大日本蚕糸会編纂『日本蚕糸業史』全5巻中の第5巻で、「学術史」として主題ごとの研究成果の抄録集。「桑」「蚕」「生糸」の3編17章からなり、本文は膨大な数の研究成果の論考を主題ごとにまとめ、各々のタイトル、著者、掲載誌、抄録を記載している。巻末に紀元前から1935年(昭10)までの蚕糸業の54ページに渡る年表と、1~4巻の本文中に引用した資料をまとめた「引用書目」を掲載。更に1926年(大15)から準備を開始した『日本蚕糸業史』の刊行顛末と、刊行事務概要を付している。本書は初版(1936年刊)の再版(復刻版)。
(財)大日本蚕糸会 繊維 『大日本蚕糸会百年史』(1992.03) 明治初期に産業振興の中心にあった蚕糸業の改良進歩をはかることを目的に、農商務省蚕業試験場出身技術者らの提唱で1892年(明25)大日本蚕糸会が設立され、蚕糸業の調査や技術指導に貢献する。1905年(明38)社団法人に改組。不況対策や政策提言にも重要な役割を果たすと共に、全5巻の『日本蚕糸業史』(1935-36)を刊行。1942年(昭17)蚕糸科学研究所と合併し財団法人となる。戦後は蚕糸業の研究推進に力を注ぐ。渋沢栄一は社団法人時代に顧問、評議員を務めた。100年史は時代順の3編からなり、技術改良が中心であった戦前と、研究開発に重点を移した戦後の足跡をまとめている。なお戦前の主な蚕糸業団体としては、他に蚕糸業同業組合中央会、帝国蚕糸組合、日本中央蚕糸会等がある。
大日本紡績(株) 繊維 『大日本紡績株式会社五十年記要』(1941.03) 上質の綿花産地尼崎では、明治初期に産業振興と士族救済のため綿花商らが紡績工場設立を発起。1889年尼崎紡績会社創立認可、工場を建設し1891年営業開始。東洋紡織、東京紡績、日本紡績、摂津紡績を合併し、1918年大日本紡績(株)と社名変更、業容を拡大する。50年史は沿革と、合併会社を含む各工場の略史、各種資料から成る。見返しには河内木綿の生産と販売を描いた大日本物産図会が使われている。[1964年ニチボー(株)に社名変更]
大和紡績(株) 繊維 『大和紡績30年史』(1971.04) 1887年(明20)旧田辺藩士赤城友次郎は、地元和歌山の産業振興のために和歌山紡績を起こす(後の和歌山紡織)。1912年(明45)和歌山県日高郡に大阪紡績取締役大川英太郎(おおかわ・えいたろう、1856-1933)が日出紡織を創立(渋沢栄一は発起人)。1917年(大6)三井財閥の重鎮早川千吉郎(はやかわ・せんきちろう、1863-1922)が出身地金沢に金沢紡績を設立(後の錦華紡績)。1920年(大9)出雲出身の宍道政一郎(しんじ・まさいちろう、1876-1938)が出雲製織を設立。4社はそれぞれに業績を伸ばしていたが日華事変後の戦時体制下、1941年(昭16)に合併し大阪に大和紡績を設立。4社合同の真髄を表現しようと、社名の「大和(だいわ)」は“和を以て貴しと為す”からとられた。30年史は最近3年間の躍進を記述した「現況編」と、合併前の4社の小史も含む「沿革編」からなる。
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