収録社史一覧

業種"パルプ・紙" 社史一覧 全47件中20件 1件〜20件目を表示

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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙株式会社案内』(1926.03) 渋沢栄一らの企図で洋紙製造を目的に1972年(明5)会社設立願書提出、翌年認可され抄紙会社が創立。1876年(明9)製紙会社、1893年(明26)王子製紙(株)と改称。近代技術を導入し全国に13工場を擁するまでに発展する。この会社案内は沿革に続き、各工場や事業の概要を簡潔にまとめたもの。後半は工場や設備を写真で紹介し、最後に自社製品の使用用紙7種類の明細を記載している。[会社案内は1910年以降ほぼ隔年で7冊が刊行されている]
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙株式会社案内』(1936.09) 1872年(明5)創立の王子製紙(株)は1933年(昭8)富士製紙、樺太工業と合併し、全国に34工場、資本金3億円の大企業となる。この会社案内は絹表紙の立派な装丁で本文は神崎工場製のアート紙を使い、1926年版の2倍の大きさ。沿革13頁に続き各工場や設備を大判写真83枚で解説している。
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史. 第1巻』(1956.06) 渋沢栄一らの尽力で1872年(明5)設立出願、翌年創業した抄紙会社は後に王子製紙となり、当初より近代製紙技術を採り入れ発展。1933年(昭8)富士製紙、樺太工業を合併し、生産量は国全体の8割を占めるまでに成長する。戦後1949年(昭24)過度経済力集中排除法の適用により苫小牧製紙、十条製紙、本州製紙の3社に分割される。創業から分割までの歩みを記した社史は全4巻と附録篇からなる。第1巻は創業から日清戦争まで、第2巻は日露戦争前後、第3巻は大正期から昭和前期、第4巻は太平洋戦争前後、附録篇には明治期創業の製紙会社21社の小史、紙業年表、紙業統計を掲載。各巻に詳細な写真目録と人名索引付。[著者成田潔英(なりた・きよふさ、1884-1979)は王子製紙元社員で紙の博物館初代館長]
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史. 第2巻』(1957.05) 『王子製紙社史. 第1巻』(社史ID:02570)の第2巻
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史. 第3巻』(1958.04) 『王子製紙社史. 第1巻』(社史ID:02570)の第3巻
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史. 第4巻』(1959.10) 『王子製紙社史. 第1巻』(社史ID:02570)の第4巻
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史. 附録篇』(1959.10) 『王子製紙社史. 第1巻』(社史ID:02570)の付録篇
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙解体余聞』(1958.03) 第二次大戦後1949年(昭24)王子製紙が解体された経緯を、同社社長中島慶次(なかじま・けいじ、1894-1973)らに経済誌記者薬袋進(みない・すすむ)が取材してまとめた著作。トピックごとの25章からなり、当初GHQが要求した9分割案を最終的に3分割にとどめた会社首脳陣の働きを記録した。『日刊東洋経済』での連載を本にしたもので、王子製紙元社長藤原銀次郎(ふじわら・ぎんじろう、1869-1960)と前首相で東洋経済新報社元社長石橋湛山(いしばし・たんざん、1884-1973)が序文を寄せている。巻末追録に解体経緯を記した王子製紙文献管理委員会記録と、抄紙会社から解体に至る王子製紙の系譜概要と図を掲載。
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙南方事業史』(1964.06) 1933年(昭8)の合併で国内最大の製紙会社となった王子製紙は、1941年(昭16)太平洋戦争勃発後に軍部の要請で南方地域へ進出。マレー半島、スマトラ、ジャワ、フィリピン、ニューギニア等の地域に工場を建設し、抄紙機械と技術者・工員計400名以上を送り込む。現地人も採用し現地の木材で生産開始するが、1945年(昭20)の敗戦で全ての工場を喪失する。南方事業史は各地に派遣された社員約40名から原稿を集め、7つの地域ごとに工場建設から帰還までの状況をまとめたもの。本文中に派遣された人々や現地の写真を取り込み、巻末に人名索引付。
王子製紙(株) ; 十条製紙(株) ; 本州製紙(株) パルプ・紙 『製紙業の100年 : 紙の文化と産業』(1973.06) 紙幣類や新聞・書籍用の国産洋紙製造のため、渋沢栄一らの尽力で1873年(明6)抄紙会社が誕生。後に王子製紙と改称し近代技術を導入して発展する。本書は創業100年記念に、旧王子製紙が戦後3分割されて誕生した王子製紙(当初は苫小牧製紙)、十条製紙、本州製紙の3社が共同出版したもので、4つの部分からなる。「紙と文化」では紙の役割を歴史的にたどり、「製紙業100年のあゆみ」では明治以降の近代的製紙業の発達と変遷を記述。「製紙業をになった人びと」では製紙業の発展に関わった40人を取り上げ、写真と共に業績を紹介。「現状と将来の展望」と題した座談会では3社社長が忌憚なく論じあっている。巻末に資料付。[王子製紙は新王子製紙と改称後、1996年(平8)本州製紙と合併し再び王子製紙と改称(現・王子ホールディングス)。十条製紙は合併により1993年(平5)日本製紙となる]
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙山林事業史』(1976.06) 明治初頭より製紙業を経営した旧王子製紙の山林事業を体系的にまとめたもの。原料の調達と製造からなる製紙事業のうち、森林資源を原料として供給していく山林事業の発展が、安定経営に不可欠であった。本書は第1部総説で本州から北海道、樺太はじめ海外に広がった旧王子製紙の山林事業を地域ごとに概観した上で、業務機構の変遷を記述。第2部各説では会社の創設期、成立期、発展期、合併期、戦後の1949年(昭24)旧王子製紙解体までと時代順に事業の推移を記述し、最後に伐採と並行して行ってきた造林事業に触れる。戦後の解体で発足した王子製紙、十条製紙、本州製紙3社の共同編集で、巻末に編集委員会、共同執筆者、資料提供者・協力者名を掲載。
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史 : 戦後三十年の歩み』(1982.02) 敗戦後占領政策により1949年(昭24)旧王子製紙は3社に分割される。その中の苫小牧製紙は、新聞用紙の単一品種生産ながら最大規模であった苫小牧工場を引き継ぎ発足。旧王子製紙の伝統を継承し、1952年(昭27)王子製紙工業、1960年(昭35)王子製紙と改称。外地引揚者の受入や大規模労働争議等の問題を克服し、全国に工場を建設。海外にも進出して業界首位の製紙会社に発展する。苫小牧製紙発足からの30年史は6編に渡って沿革を詳述し、巻末に資料編を付す。『王子製紙社史』(1956-59)と同様の装丁。[1993年(平5)神崎製紙を合併し、新王子製紙(株)となる]
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史 : 1873-2000. 本編』(2001.08) 1873年(明6)創立の王子製紙は戦後3分割される。苫小牧工場を引き継いで1949年(昭24)発足した苫小牧製紙は、近代化を進め経営環境の変化に対応して発展。王子製紙工業、王子製紙、新王子製紙と変遷後、本州製紙との合併により1996年(平8)三たび王子製紙となる。苫小牧製紙発足から50年を記念して発刊された社史は、本編・合併各社編・資料編の3冊からなる。本編は30年史(1982)以降の20年に重点を置きつつも、創立からの足跡を通史として記述。合併会社編には北日本製紙、日本パルプ工業、東洋パルプ、神崎製紙、本州製紙の各社史及び、本州製紙に合併した5社の社史を収録。資料編には業界統計も含めた各種資料を掲載。[2012年(平24)持株会社制に移行し王子ホールディングス(株)と改称][社史本編は全文がDNP「社史の杜」サイトで公開されている]
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史. 資料編』(2001.08) 『王子製紙社史 : 1873-2000. 本編』(社史ID:02670)の資料編
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙社史. 合併各社編』(2001.08) 『王子製紙社史 : 1873-2000. 本編』(社史ID:02670)の合併会社編。北日本製紙、日本パルプ工業、東洋パルプ、神埼製紙、本州製紙、福岡製紙、東信製紙、佐賀板紙、本州ダンボール工業、鶴崎パルプ各社の社史、資料集、年表、索引を収録。
王子製紙(株) パルプ・紙 『王子製紙の軌跡 : Kami, 紙, paper』(2004.08) 1873年(明6)創業の王子製紙の歩みを左ページに、明治以降の日本の紙と文化の関わりを右ページに配した写真集。左ページには工場、原料木の山林、関わった人々等の写真を置き、右ページには新聞、教科書、広告、包装紙等の各種紙製品の写真を置いている。2003年(平15)の創業130周年記念事業の一環として編集されたもので、中国を始め海外への事業展開にも触れている。本文は日本語・中国語・英語併記。巻末の「東洋に咲いた“華”」で自社の沿革を概観している。
王子製紙(株)苫小牧工場 パルプ・紙 『五十年の歩み : 1910-1960』(1960.12) 王子製紙(株)は1904年(明37)新工場建設地を求めて北海道へ進出、支笏湖周辺に理想的な土地を発見。まず発電所を建設し、1909年(明42)に苫小牧工場建物落成、翌年から操業開始。近代設備で新聞用紙を生産する。50年史は工場施設、原木を切り出す原野、発電所、製品の積出港、工場の様々な出来事や従業員の生活などを写真で綴っている。巻末に年表付。
王子製紙(株)苫小牧工場 パルプ・紙 『王子製紙苫小牧工場創業100年のあゆみ : スエズ以東にかかる大工場なく、日本製紙界に一大改革を起こす』(2010.09) 洋紙の国内自給を目指して1910年(明43)操業開始した王子製紙苫小牧工場は、最新鋭の設備導入と技術革新で世界最大の新聞用紙工場として発展する。100年史は操業開始からの歩みを時代順に7章で綴り、多くの図版やエピソードを本文中に取り入れている。巻末に資料付。社史はこれまでに『五十年の歩み』(1960)が出ている。
(株)大倉博進 パルプ・紙 『創業90年年表』(1979.11) 日本橋の出版業者大倉孫兵衛(おおくら・まごべえ、1843-1921)は洋紙需要拡大を見抜き、1889年(明22)大倉孫兵衛洋紙店(後に大倉洋紙店)を開業。一方博文館勤務の山本留次(やまもと・とめじ、1872-1852)は叔父の社長大橋佐平の勧めで独立し、1897年(明30)洋紙販売の博進堂(後に博進社)を創業。両社は時勢に乗って躍進し、業容を広げる。大倉洋紙店は1962年(昭37)名古屋の愛知洋紙店を、1964年(昭和39)横浜の五輪堂洋紙店を合併。1971年(昭46)には業界安定を目指して博進社と合併し、(株)大倉博進が誕生。大倉洋紙店創業からの90年史は、見開き2ページ単位で上部に年表、下部に沿革をまとめ、随所に写真や図表を掲載。[1985年(昭60)大倉紙パルプ商事(株)と改称、その後合併を経て2005年(平17)新生紙パルプ商事(株)となる]
(株)岡山製紙 パルプ・紙 『岡山製紙100年史 : 1907-2007』(2008.02)
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