収録社史一覧

業種"建設" 社史一覧 全70件中20件 1件〜20件目を表示

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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
(株)浅沼組 建設 『浅沼組100年 : 100 years of growth』(1992.12)
尼崎築港(株) 建設 『尼崎築港70年史』(1999.03) 渋沢栄一の援助で実業家として活躍していた浅野総一郎(あさの・そういちろう、1843-1930)は、欧米視察から近代的港湾設備の整備を痛感し、鶴見・川崎に大規模な臨界工業地帯を造成。続いて大阪湾に面した尼崎に臨海工業地帯を造成することを目的として、1929年(昭4)尼崎築港を設立。これは一万トン級の外航船舶の停泊できる港を民間の力で建設し、わが国産業の発展に寄与しようとするものであった。第二次大戦後埋立事業は公営化されて事業全体を失ったが、埋立造成地の一部を所有し、土地・建物などの賃貸業を主な事業として再生した。70年史は創業者浅野総一郎の経歴と尼崎の沿革を「創立前史」として詳述し、創立以来の経営の軌道を時代の動向と共に記述している。[現在の英文社名: Amachiku Co., Ltd.]
(株)大林組 建設 『大林組八十年史』(1972.10) 1864年大阪の商家に生まれた大林芳五郎が1883年に上京、宮内省出入りの請負業者の下で働く。皇居工事・鉄道工事・陸軍兵舎工事などに精勤した後、大阪に戻る。1892年製紙所工場工事を落札したのを機に独立、請負業を創業する。1903年大阪で開催された内国勧業博覧会の会場建設を請負い、また1970年大阪万博でも多くの施設を建設する。80年史は第1編創業と成長の時代、第2編発展の時代、第3編戦後の再建と新発展の時代、第4編最近10年の大林組、の4部構成、索引付。
(株)大林組 建設 『大林組百年史 : 1892-1991』(1993.06) 「百年史」は第1部創業から終戦まで、第2部戦後復興から高度経済成長まで、第3部東京本社設置から創業100年まで、の3部構成で、別冊資料編付。どの時代もあらゆる産業分野での建築工事に進出していった様子が描かれている。
(株)大林組 建設 『大林組百年史. 資料編』(1993.06) 『大林組百年史 : 1892-1991』(社史ID:00320)の資料編
大林道路(株) 建設 『大林道路五十年史』(1983.08)
鹿島建設(株) 建設 『鹿島建設 : 百三十五年の歩み』(1974.03)
鹿島建設(株) 建設 『鹿島建設 : 百四十年の歩み』(1980.04)
鹿島建設(株) 建設 『鹿島建設の歩み : 人が事業であった頃』(1989.09)
鹿島建設(株) 建設 『Kajima Corporation 150 years in pictures』(1989.09)
鹿島建設(株) 建設 『鹿島建設社史 : 一九七〇年~二〇〇〇年』(2003.05)
鹿島建設(株) 建設 『鹿島建設社史 : 1970年~2000年. 付録・年表』(2003.05) 『鹿島建設社史 : 一九七〇年~二〇〇〇年』(社史ID:00380)の付録
鹿島建設(株) 建設 『鹿島の軌跡 : 歴史の中から見えてくるものがある』(2021.10) 1840(天保11)年、鹿島岩吉により創業。1880(明治13)年、鹿島岩蔵を初代組長として鹿島組が創立。江戸時代から続けていた建築業に加え鉄道工事を請け負うようになる。1909(明治42)年にはダム、発電所工事に進出。1930(昭和5)年、株式会社鹿島組設立。全国の建築・土木工事にかかわり、災害や戦災の復旧工事にも従事している。1947(昭和22)年、鹿島建設株式会社に改称。本社史は社内報『KAJIMA』に連載し、その後同社ホームページで公開しているコンテンツ『鹿島の軌跡 : 歴史の中から見えてくるものがある』をまとめて、加筆再編集したもの。本編は人、建築、鉄道などテーマ別の全6章構成。巻頭には「渋沢栄一と鹿島岩蔵」を掲載している。鹿島岩吉・岩蔵親子は、渋沢栄一が設立にかかわった抄紙会社の王子工場建設を請け負っている。岩蔵は工場の建設場所選定にもかかわり、のちに同社の監査役、取締役も務めた。栄一が朝鮮半島でかかわった京仁鉄道、京釜鉄道の工事では鹿島組が施工に加わっている。
金子架設工業(株) 建設 『百年史』(1990.07)
(株)関電工 建設 『関電工50年史 : 1944-1994』(1996.12)
(株)熊谷組 建設 『熊谷組社史』(1968.09)
(株)熊谷組 建設 『株式会社熊谷組四十年史』(1978.01)
佐藤工業(株) 建設 『110年のあゆみ』(1972.07) 川の氾濫が多発した富山藩では川除普請の技能者が全国に知られていた。佐藤助九郎(さとう・すけくろう、1847-1904)は技能を持つ村人を結束し1862年(文久2)佐藤組を設立。河川治水工事から橋梁・建築・鉄道・発電工事へと分野を広げ、富山から関東関西へ、又海外にも進出。1931年(昭6)佐藤工業(株)に改組。戦後は公共投資に支えられ躍進する。110年史は初代佐藤助九郎小伝、沿革編、躍進編、工事編からなり、本文中に多くの写真を織り込み欄外にエピソードを記載。工事編には創業からの工事経歴を種類別年代順に請負金額も含め掲載。[『百年の歩み』(1961年刊)は42pと簡素な造り]
三機工業(株) 建設 『三機工業七十年史 : 1925-1994』(1995.04)
清水建設(株) 建設 『清水建設百五十年』(1953.11) 越中国出身の初代清水喜助(しみず・きすけ、1783-1859)は1804年(文化元)江戸神田鍛冶町で大工を開業、清水屋と号す。清水屋は幕末明治期に築地ホテル館、三井組ハウスなど洋風建物を建築、渋沢栄一邸も手掛け栄一の信頼を得る。1887年(明治20)には栄一を相談役に迎え、日清日露戦争期を経て業容を拡大、1915年(大正4)合資会社清水組に改組。技術向上と経営合理化に努め、1937年(昭和12)株式会社となる。第二次大戦後1948年(昭和23)清水建設(株)と改称し、復興工事に邁進する。創業150年記念に刊行された本書は、歴史学者丸山二郎(1899-1972)に委嘱した「清水建設株式会社社史原本」を基に編纂されたもので、時代ごとの5篇と附録からなる。本文中に錦絵・図面・写真を多数使用し、各時代の施工写真とその他の主な施工リストを入れた「竣工写真集成」が本文と別のページ立てで挟み込まれている。巻頭の総目次のほか、各篇冒頭に詳細目次を置く。第1篇「江戸時代」には、初代清水喜助の足跡と幕末にかけての事業展開を記載。第2篇「明治時代」では維新後の時代における新たな事業の広がりと共に、渋沢栄一との関わりも詳しく触れている。第3-5篇はその後の躍進と戦後の展開について記載。第6篇附録には年表や各種資料がまとめられ、事項索引付。
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