収録社史一覧

業種"建設" 社史一覧 全70件中20件 21件〜40件目を表示

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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
清水建設(株) 建設 『清水建設百七十年』(1973.04) 1804年(文化元)創業の清水建設(株)の170年史で、本文5編と資料編からなる。本文は第1-4編が創業時代、個人経営時代、合資会社時代、株式会社時代と経営形態別に時代を区切ったもので、既刊の150年史を1/3に書き改めた内容。第5編は戦後の27年分を新たに書き起こしたもので、事業の発展と国際化の歩みを詳述している。全編各章末に、その時代の主要工事一覧を載せている。また第5編の前には、戦後の主な工事竣工写真が置かれている。
清水建設(株) 建設 『清水建設百八十年』(1984.06) 1804年(文化元)創業の清水建設(株)の180年史で、本文2編、施工作品集、資料編からなる。本文第1編は既刊の170年史を踏まえた「創業から170年まで」で、全体の1/3の量。第2編「最近10年の歩み」では1973-1983年(昭和48-58)の間の経営革新、多角化、海外展開について詳述している。続く施工作品集には、最近10年の国内外の施工写真をカラーで掲載。資料編の末尾に索引を置く。
清水建設(株) 建設 『清水建設二百年. 経営編』(2003.11) 1804年(文化元)創業の清水建設(株)の200年史。外部研究者の監修のもと、既刊の150年史、170年史、180年史のデータを洗いなおし、社内外の新たな資料も参照して編纂。『経営編』のほかに『生産編』と『作品編』があり、沿革を経営分野からの視点でまとめたこの『経営編』は、年代順に経営の節目で区切った9章からなる。創業期の第1-2章は初代清水喜助(しみず・きすけ、1783-1859)を始めとする経営者を軸に、事業の発展を記す。第3章以下は各章とも総論と各論の構成で経営の足跡を詳述している。本文に関連する資料や写真を欄外に収めるほか、関連事項をまとめたコラムを挟みこんでいる。巻末に資料、年表、索引付。
清水建設(株) 建設 『清水建設二百年. 生産編』(2003.11) 清水建設(株)200年史(社史ID:00500)の『生産編』で、ほかに『経営編』と『作品編』がある。沿革を建設生産分野からの視点でまとめたこの『生産編』は9章からなり、町場大工から総合建設業に至る建築組織と技術の変遷を詳述。第4章までの章区切りは『経営編』の区切りとは多少ずれているが、各章はそれぞれ「総合的記述」「国内外の動向」「生産組織の変遷」「生産技術の変遷」「特徴あるプロジェクト」の5節から構成されている。巻末に主要工事一覧、技術のあゆみ(年表)、主な受賞一覧、索引付。
清水建設(株) 建設 『清水建設二百年. 作品編』(2003.11) 清水建設(株)200年史(社史ID:00500)の『作品編』で、ほかに『経営編』と『生産編』がある。この『作品編』は1804年(文化元)の創業から2003年(平成15)までの建築竣工写真を、『生産編』の章構成に準じた7つの時代区分で掲載。収録写真は既刊社史および、社内資料と自社刊行物掲載写真、社外表彰作品の中から選定。各章の初めに作品画像の「Index」ページを置き、「業務・商業」「生活・文化」「生産・研究」「エネルギー・インフラ」の用途別に作品を概観できるようになっている。本文では用途分類によらず竣工年順に作品を配置し、それぞれ写真・名称・所在地・竣工年・発注者・設計者・主な受賞を載せている。巻末に索引付。
清水建設(株) 建設 『棟梁から総合建設業へ : 清水建設200年の歴史』(2003.11) 清水建設(株)200年史の普及版。1804年(文化元)の創業から2003年(平成15)までの歴史の中から、エポックとなった大きな出来事やプロジェクトとその技術を合わせて43件選び、年代順に掲載。一つのテーマを図版入りで見開き2ページにまとめている。また本文中に「建設文化とシミズの伝統」と題した9つのコラムをはさみ、建設にまつわる儀式や会社マークの変遷などを紹介。続く「200年の感謝に代えて」には、渋沢栄一や歴代役員等28人の言葉を抜粋して載せている。巻末の簡略な年表には該当記事のページを記し、索引も兼ねる。
清水建設(株)名古屋支店 建設 『清水建設株式会社名古屋支店100年の歩み : Discover 100』(1991.12)
清水建設兼喜会 建設 『清水建設兼喜会五十年』(1969.02)
清水建設名古屋兼喜会 建設 『清水建設名古屋兼喜会70年の歩み : Link 70』(1991.12)
住友林業(株) 建設 『住友林業社史. 上巻』(1999.02) 1691年住友家が四国別子銅山開坑、当初の事業は銅の精錬に欠かせない薪炭材や坑木の調達から始まる。1894年別子鉱業所支配人伊庭貞鋼が大造林計画を実行、以降鉱山備林から近代林業へ転換する。1921年住友合資会社設立、林業及び付帯する農業一切を管理する「林業所」が設置される。国内国外に事業展開するが、戦後の財閥解体で6社に分割。6社は1955年に住友林業(株)の商号のもとに再統合する。上巻は創業から敗戦まで、下巻は戦後の事業拡大から現在までの歩みを詳述。別巻は江戸時代からの文書も含めた資料編。
住友林業(株) 建設 『住友林業社史. 下巻』(1999.02) 『住友林業社史. 上巻』(社史ID:00570)の下巻
住友林業(株) 建設 『住友林業社史. 別巻』(1999.02) 『住友林業社史. 上巻』(社史ID:00570)の資料編
(株)銭高組 建設 『銭高組社史』(1972.10) 大阪出身の大工銭高善造(ぜにたか・ぜんぞう、1860-1932)は、東京で洋風建築の技法を学んだ後、1887年(明20)大阪で銭高組を創業。東京の大倉土木組や大阪の藤田組の下請として、当時の新興産業であった紡績工場、東北地方の鉱業関係の工場を数多く施工。また旭川師団や対馬要塞など軍関係及び公共施設工事も多く請負い順調に業績を伸ばした。1912年(大1)合資会社、1931年(昭6)株式会社に改組。第二次大戦後の高度成長期には東京オリンピック、大阪万博などの国家的イベントや新幹線、高速道路工事も数多く手がける。当社史は巻頭に創業者らの略歴を記載し、沿革に続く後半180頁は施工作品写真が占めている。
(株)銭高組 建設 『銭高組百年史』(1990.02)
(株)大気社 建設 『大気社80年史 : 環境づくりの記録』(1994.10) 機械輸入のレイボルト商館社長クルト・マイスナー(Kurt Meisner, 1885-1976)は、販売に携わっていた上西威(うえにし・たけし、1883-1948)を経営者に、ドイツから建材を輸入する合資会社建材社を1913年(大2)設立。当時の日本には西欧近代建築に対応する建材や設備の生産技術が未熟だったので、暖房機材やエレベーターを扱い販路を伸ばす。空調が暖房から冷房に発展すると冷凍機の国産化を図り、更に産業の発展に伴い多くの工場の空調を手掛け成長する。戦後株式会社に改組、1973年(昭48)創業60周年を機に大気社と社名変更する。80年史は沿革と資料編からなり、多くの写真やエピソードを、脚注と共に欄外に記載している。索引付。
大成建設(株) 建設 『大成建設社史』(1963.01) 1873(明治6)年、大倉喜八郎により大倉組商会として創立。1887年(明治20)年、土木業務を分離し、日本初の法人建設企業である日本土木会社を設立したが、1893(明治26)年に解散。同年同社事業を継承し、大倉土木組として再出発する。1911(明治44)年、(名)大倉組の商業・鉱業部門と合併し、(株)大倉組の土木部となる。1917(大正6)年、同社の改組に伴い、土木部を再び分離し、株式会社大倉土木組となる。1920(大正9)年に日本土木株式会社に改称。さらに1924(大正13)年、大倉土木株式会社に改称した。1946(昭和21)年、大成建設株式会社へ名称変更。「大成」の二字は、大倉喜八郎の戒名「大成院」にちなんでいる。大成建設株式会社時代だけでなく、大倉組商会創業から本社史刊行までの約90年間を網羅した通史。序章含め全14章からなり、会社の名称変遷に合わせて章分けされている。受注した主要な工事・建設事業を取り上げているほか、創業者の大倉喜八郎個人の生涯と事績についても記述。編纂にあたり史料が不足した年代については、当時の関係者から集めた回想記によって補っている。
大成建設(株) 建設 『大成建設のあゆみ』(1969.05) 越後出身の大倉喜八郎は維新期の江戸で海外貿易に着目、1873年大倉組商会を創立。建設業も行い1887年日本土木会社設立(渋沢栄一は委員長。92年解散)、1893年には大倉土木組を設立し時代の要請に応え鉄道・港湾工事等行なう。(株)大倉土木組、日本土木(株)と社名変遷の後1924年大倉土木(株)となるが、第二次大戦後財閥解体で1946年大成建設(株)と社名変更。社史前編は創業からのあゆみを通史として記述、後編は海外進出、建設技術の変遷、新技術の開発の歴史をまとめた構成。
大成建設(株)名古屋支店 建設 『街の響山河の譜』(1993.03) 大倉組は1886年名古屋鎮台(司令部)施工、以来名古屋地域の工事を数多く手がける。1931年大倉土木(株)は従来の大阪支店から独立して名古屋出張所を開設、名古屋市庁舎、国鉄名古屋駅などを施工。戦後大成建設(株)名古屋支店となり、中部経済の伸張と共に多くの工事を受注。名古屋支店史は写真入りの実績編を中心に構成。
大成建設(株)横浜支店 建設 『光は横浜から』(1990.07) 関東大震災直後の1923年11月、日本土木(株)は横浜出張所開設、震災復興工事を手がける。1924年大倉土木(株)と改名、麒麟麦酒横浜工場、国鉄横浜駅の新築などを施工、静岡県の工事も請け負う。戦後は大成建設(株)横浜支店となる。横浜支店史は文化・伝統・作品・未来という章立てで、横浜の歴史にも頁を割き、斬新なデザインの装丁。
高砂熱学工業(株) 建設 『高砂熱学工業70年の歩み』(1994.03) 実業家原六郎(はら・ろくろう、1842-1933)養子で大阪出身の原邦造(はら・くにぞう、1883-1958)は、1916年(大5)マッチ原料製造の高砂工業を設立。社名の高砂は謡曲に親しんだ邦造が命名した。暖房放熱機製造の高砂鉄工所を合併した後、暖房工事部を独立させ1923年(大12)高砂煖房工事が誕生。当時は日本の空調業界が輸入機器と外国人技師からの自立を始めた時期であった。冷凍機やヒートポンプを開発し経営基盤を確立。1943年(昭18)高砂熱学工業と改称、戦後は省エネルギ―システムなど新規事業にも進出する。70年史は本史と資料編からなり、本史第1編は既刊の50年史のダイジェスト。第2-3編で以降20年間の発展を詳述し、1979年(昭54)に起きた株式取得を巡るナミレイ事件にも触れている。
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