収録社史一覧

業種"繊維" 社史一覧 全107件中20件 41件〜60件目を表示

並び替え
表示切替
表示件数
会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
大和紡績(株) 繊維 『ダイワボウ60年史』(2001.09) 日出紡織株式会社など紡績会社4社が合併し、1941(昭和16)年、大和紡績株式会社を創立。1944(昭和19)年、戦時下における事業追加に合わせ商号を大和工業株式会社に変更。1946(昭和21)年、再び大和紡績株式会社に商号を戻す。繊維産業のほか、産業機械、情報関連産業に進出。本社史は、創立60周年記念事業の一環として制作された、創立前史から2001年初頭までを記述。沿革編は約10年毎の6章からなり、既刊『大和紡績30年史』後の30年間により多くのページを割く。各事業所や関連会社の変遷、概要まで丁寧に記載されている。[2009(平成21)年、ダイワボウホールディングス株式会社に商号変更。]
朝鮮棉業(株) 繊維 『朝鮮棉業株式会社沿革史』(1917.07) 明治後期に大日本紡績聯合会は朝鮮半島での紡績原料綿栽培を企図し、現地での綿試作を経て1905年(明治38)棉花栽培協会を設立、韓国政府の同意と予算を得て栽培の普及拡大をはかる。聯合会書記長庄司乙吉(しょうじ・おときち、1873-1944)らは綿花栽培の拡充をめざし、1906年(明治39)韓国棉花(株)を設立、棉花栽培協会の事業を補佐し、栽培人への貸金や綿花の買収などの任務を行う。1911年(明治44)韓国併合により社名を朝鮮棉業(株)と改称。1912年(明治43)綿売買が自由解放され、協会は解散し所管は各道庁に移され、朝鮮棉業は一般の営利会社として営業を継続する。多くの同業者が勃興する中に創立趣旨の達成をみて、1916年(大正5)世界各国の綿花を扱っていた日本綿花(株)に事業を譲渡して解散。8章からなる沿革史は第1~3章で朝鮮における綿花栽培の沿革、当社の創立と営業を概観し、第4章に創立から棉花栽培協会解散までの営業、第5章に以降会社解散までの営業、第6~7章に工場経営と営業成績、第8章に解散経緯を記載。小冊子ながら朝鮮半島での20世紀初期の綿花栽培の実態が克明に綴られている。[渋沢栄一は棉花栽培協会の評議員を務めた]
帝国蚕糸(株) 繊維 『大正九、十年第二次蚕糸業救済の顛末』(1924.12)
帝国人造絹糸(株) 繊維 『当社の沿革と化学繊維工業の概観 : 創立三十周年記念』(1949.06) 東京帝大に学んだ久村清太(くむら・せいた、1880-1951)と秦逸三(はた・いつぞう、1880-1944)は鈴木商店子会社の東工業(株)で人造絹糸製造の研究を進め、1915年(大4)分工場の米沢人造絹糸製造所が発足。第一次大戦景気で生産が伸び、1918年(大7)東工業から分離して帝国人造絹糸(株)が創立。広島、岩国、三原にも工場を建設して設備を増強し、昭和期には需要の変化に対応しスフの生産を拡大する。戦災を蒙るが、占領期GHQの承認を得た政府の繊維産業再建計画により戦後復興を果たす。30年史は会社史、国内外の化学繊維工業史、各種資料、回顧録等からなり、会社史では会社と各工場、研究所、調査課それぞれの沿革の後に、鈴木商店の破綻や関係会社、労働組合等の状況に触れている。巻末統計表の多くは英文併記。[1962年(昭37)帝人(株)と改称][スフ(ステープル・ファイバー=staple fiber):人造絹糸(人絹)を短く裁断したもの。人絹製造の際大量に発生する屑糸であったが、羊毛や綿と混紡することで従来の織物に種々の変化を与え、かつ安価で提供できたので、広く需要が伸びた]
帝国製麻(株) 繊維 『帝国製麻株式会社写真帖 : 東宮殿下行啓紀念』(1911.07)
帝国製麻(株) 繊維 『日本の製麻業』(1936.08)
帝国製麻(株) 繊維 『帝国製麻株式会社三十年史』(1937.10) 内務省技師吉田健作(よしだ・けんさく、1852-1892)はフランスで亜麻紡績を学び、1881年(明14)帰国して製麻業創立を各地に企画。1884年(明17)近江麻糸紡績、1887年(明20)北海道製麻会社、下野麻紡織会社の創立に関わる。日清戦後の不況を乗り切るため近江、下野の両社と大阪麻糸が合同し1903年(明36)日本製麻設立。1907年(明40)には北海道製麻も合併し帝国製麻が誕生、朝鮮や満州にも工場を作り業容を拡大する。(渋沢栄一は北海道、下野、帝国各製麻会社に関わる。)30年史は創立以前の沿革も含み、軍需品や衣服・蚊帳など各種麻製品の写真を巻頭に掲載。巻末に古代中世西洋の亜麻業の解説を図入りで載せている。[1941年(昭16)太陽レーヨンを合併して帝国繊維と改称し、その後も変遷している]
帝国製麻(株) 繊維 『五十年史』(1959.10)
帝人(株) 繊維 『帝人の歩み. 1』(1968.05) 貿易商鈴木商店の金子直吉(かねこ・なおきち、1866-1944)は人造絹糸(人絹)の将来性に目をつけ、1915年(大4)子会社の東工業(株)に分工場米沢人造絹糸製造所を設立。第一次大戦景気で生産が伸び、1918年(大7)東工業から分離して帝国人造絹糸(株)が創立(本社は大阪)。工場を次々と建設し、人絹およびスフの製造で躍進。戦後は種々の合成繊維製造に業容を拡大し、1957年(昭32)本社を東京へ移す。1962年(昭37)帝人(株)と改称。1968年(昭43)の50周年を機に編纂を開始した社史『帝人の歩み』は、時代順のトピックごとに沿革をまとめた編集で、1977年(昭52)までに11巻を刊行している(内容は創業時から1961年(昭36)頃まで)。
帝人(株) 繊維 『帝人の歩み. 2』(1968.10) 『帝人の歩み. 1』(社史ID:02000)の2巻
帝人(株) 繊維 『帝人の歩み. 3』(1969.06) 『帝人の歩み. 1』(社史ID:02000)の3巻
帝人(株) 繊維 『帝人の歩み. 4』(1969.11) 『帝人の歩み. 1』(社史ID:02000)の4巻
帝人(株) 繊維 『帝人の歩み. 5』(1970.09) 『帝人の歩み. 1』(社史ID:02000)の5巻
帝人(株) 繊維 『帝人の歩み. 6』(1971.09) 『帝人の歩み. 1』(社史ID:02000)の6巻
帝人(株) 繊維 『帝人の歩み. 7』(1972.10) 『帝人の歩み. 1』(社史ID:02000)の7巻
帝人(株) 繊維 『帝人の歩み. 8』(1973.11) 『帝人の歩み. 1』(社史ID:02000)の8巻
帝人(株) 繊維 『帝人の歩み. 9』(1974.11) 『帝人の歩み. 1』(社史ID:02000)の9巻
帝人(株) 繊維 『帝人の歩み. 10』(1975.12) 『帝人の歩み. 1』(社史ID:02000)の10巻
帝人(株) 繊維 『帝人の歩み. 11』(1977.06) 『帝人の歩み. 1』(社史ID:02000)の11巻
帝人(株) 繊維 『人と化学と100年 : 帝人のあゆみ : 1918-2018』(2021.04)
表示件数
PAGE TOP