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会社名 | 業種 | 社史タイトル(出版年) | 会社沿革と社史メモ |
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(株)ヤナセ | 自動車・自動車部品 | 『轍 (わだち) : 日本自動車界のあゆみとヤナセ. 1』(1981.12) | |
(株)ヤナセ | 自動車・自動車部品 | 『轍 (わだち) : 日本自動車界のあゆみとヤナセ. 2』(1982.06) | 『轍 (わだち) : 日本自動車界のあゆみとヤナセ. 1』(社史ID:06800)の2巻 |
(株)ヤナセ | 自動車・自動車部品 | 『轍 (わだち) : 日本自動車界のあゆみとヤナセ. 3』(1984.01) | 『轍 (わだち) : 日本自動車界のあゆみとヤナセ. 1』(社史ID:06800)の3巻 |
(株)ヤナセ | 自動車・自動車部品 | 『轍 (わだち) : 日本自動車界のあゆみとヤナセ. 4』(1986.03) | 『轍 (わだち) : 日本自動車界のあゆみとヤナセ. 1』(社史ID:06800)の4巻 |
(株)ヤナセ | 自動車・自動車部品 | 『轍 (わだち) : 日本自動車界のあゆみとヤナセ. 5』(1987.10) | 『轍 (わだち) : 日本自動車界のあゆみとヤナセ. 1』(社史ID:06800)の5巻 |
八幡製鉄(株) | 鉄鋼業 | 『炎とともに : 八幡製鉄株式会社史』(1981.03) | 1950年過度経済力集中排除法の適用により日本製鉄(株)が解体され、富士製鉄(株)・日鉄汽船(株)・播磨耐火煉瓦(株)とともに八幡製鉄(株)が発足。以降日本経済の発展に沿って成長し、光・堺・君津にも製鉄所を建設。1970年富士製鉄(株)と合併、新日本製鉄(株)となる。社史は20年間の歩みを総合史と部門史に分けて記述。同時に刊行された「富士製鉄株式会社史」「新日本製鉄株式会社十年史」は「炎とともに」の共通タイトルを持つ。 |
八幡製鉄(株)八幡製鉄所 | 鉄鋼業 | 『八幡製鉄所五十年誌』(1950.11) | 明治初期に官民の鉄鋼業がいくつか起こったがいずれも不振であり、政府は新たな官営製鉄所の設置を図る。1896年製鉄所官制発布、福岡県遠賀郡八幡村に設置が決まり、和田維四郎が長官就任。外国人技師を雇い1901年に八幡製鉄所が作業開始、東洋一の操業を誇る。1934年法律に基づき民間の5社と合併、日本製鉄(株)となる。50年史は創業から1950年に日本製鉄が解体し民間の八幡製鉄(株)となるまでの歩みで、簡単な沿革の後に部門ごとの詳細を述べている。渋沢栄一の三男正雄が1940~1942年に所長を務めた。 |
山一証券(株) | 証券 | 『山一証券史』(1958.11) | 1897(明30)年株式売買の小池国三商店(後に小池(資))を創業した小池国三(こいけ・くにぞう、1866-1925)は、東京商業会議所議員となり1909年(明42)渡米実業団(渋沢栄一団長)の一員として渡米、株式仲買の新知識を得る。帰国後1911年(明44)商栄銀行を買収して経営にあたる(後に小池銀行と改称)。1927年(昭2)銀行法公布により銀行の公社債業務兼業廃止が決まり、証券業務を分離し1930年(昭5)小池証券を設立。一方解散した小池(資)関係者設立の山一(資)は1926年(大15)山一証券に組織変更。1943(昭18)年金融統制により小池、山一両証券が合併し、新たに山一証券が設立される。創業60周年を記念して出版された本社史は、前編が明治以来のわが国証券市場発達史、後編が小池国三商店創業から1957年(昭32)までの山一証券史。[1997年(平9)自主廃業、企業資料は東京大学経済学部図書館へ寄贈される] |
山一証券(株) | 証券 | 『山一証券100年史. 上』(2011.10) | |
山一証券(株) | 証券 | 『山一証券100年史. 下』(2011.10) | 『山一証券100年史. 上』(社史ID:10270)の下巻 |
(株)山口銀行 | 銀行 | 『山口銀行史』(1968.09) | |
(株)山口銀行 | 銀行 | 『山口銀行史』(1999.06) | 1878年設立の第百十国立銀行を母体に、1944年国策に従い山口県下の5行が合併して山口銀行となる。1977年に徳山東支店で起きた不祥事件についても記載あり。社史は索引は簡単だが目次は詳細。山口県の歴史文化を表した本店の壁面彫刻が絵引き付で掲載されている。 |
(株)山口銀行 | 銀行 | 『山口銀行史. 資料編』(1999.06) | 『山口銀行史』(社史ID:10030)の資料編 |
山下新日本汽船(株) | 海運 | 『社史 : 合併より十五年』(1980.06) | |
(株)山武 | 電気機器 | 『山武百年史 : 新たなる価値創造・オートメーションの拓く未来』(2007.06) | |
山種証券(株) | 証券 | 『山種証券50史話』(1984.02) | |
大和運輸(株) | 陸運 | 『大和運輸五十年史』(1971.03) | 東京数寄屋橋生まれの小倉康臣(おぐら・やすおみ、1889-1979)は、貨物輸送が荷車と牛馬車全盛の時代にトラック輸送専門の企業化に強く心をひかれ、1919年(大8)大和運輸を創業。三越呉服店等との配達契約を結び、1929年(昭4)には東京・横浜間の定期運輸を開始する。1940年(昭15)鉄道省の勧奨により全資本を日本通運が持つが、1948年(昭23)日通資本を離脱。1957年(昭32)米国アライドヴァン社からネコマークの使用承認を受け「親子猫」のマークを制定。サービス向上に努め海上コンテナや航空貨物の取扱いも開始する。50年史は社史編、創業者の自伝編、トラックの移り変わりや制服等の写真も含む資料編からなる。索引付。[1982年(昭57)ヤマト運輸と商号変更、2005年(平17)純粋持株会社ヤマトホールディングスへ移行] |
ヤマト運輸(株) | 陸運 | 『ヤマト運輸70年史』(1991.06) | |
(株)山梨中央銀行 | 銀行 | 『創業百年史』(1981.03) | 幕府直轄の山梨は維新後武士が四散し、士族授産事業に見るべきものはなかった。山梨県令らが殖産興業を目的に地元富農豪商の出資者を募り、1874年(明7)銀行類似会社興益社を設立、第一国立銀行とコルレス契約を結び体制を整備する。1877年(明10)第十国立銀行へ転換し、1897年(明30)国立銀行の営業満期により普通銀行の第十銀行に商号変更。産業経済の発展と共に業容を拡大する。1941年(昭16)一県一行の国の強力な要請に応えて有信銀行と合併、山梨中央銀行となる。100年史は創業前史、本誌、県内銀行史、資料からなり、創業前史で興益社を、本史で第十国立銀行創立から山梨中央銀行の沿革を詳述。県内銀行史には合併した有信銀行ほか80行もの略史を掲載している。 |
山本鋼業(株) | 鉄鋼業 | 『山本家創業八十周年小史』(1952.06) |