収録社史一覧

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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
三菱製紙(株) パルプ・紙 『三菱製紙七十年史』(1970.04) 60年史を圧縮して掲載した後に、10年間の歩みを工場ごとに詳述した70年史。1966年(昭41)には白河パルプ工業(株)と合併、パルプから紙に至る一貫生産体制を確立。
三菱製紙(株) パルプ・紙 『更上一層楼 : 三菱製紙90年のあゆみ』(1990.05) 創業からの歩みを90の章立てで記述した90年史。直近30年に重点をあて、読みやすくコンパクトに編集。書名は「さらに一段と高見に上がって千里の目を窮め、次への飛翔を果たしたい」という意を込めたもの。
三菱製紙(株) パルプ・紙 『三菱製紙百年史』(1999.06) 創業100周年を記念し、創業からの通史として編纂した百年史。巻末索引と別冊資料編付。
三菱製紙(株) パルプ・紙 『三菱製紙百年史. 資料編』(1999.06) 『三菱製紙百年史』(社史ID:02980)の資料編
三菱石油(株) 石油 『三菱石油五十年史』(1981.02) 第1次大戦後石油の重要性が高まり、石油事業に関心を寄せた三菱商事は原油を輸入し国内精製するために、三菱合資、三菱鉱業と共に米国アソシエーテッド石油会社の出資を得て1931年三菱石油(株)設立。戦後は再建整備の後1960年には水島製油所操業開始、激増するエネルギー需要に応える。50年史は石油業界の変遷の中に会社の沿革をとらえて記述している。[1999年日本石油(株)と合併し日石三菱(株)発足、2002年新日本石油(株)と改称]
三菱倉庫(株) 倉庫・運輸関連 『三菱倉庫百年史. [通史]』(1988.03) 岩崎弥太郎が1873年設立した三菱商会では、為替を扱う三菱為替店を1880年東京に設立。海運貨物の荷捌所を開設し、倉敷(倉庫)業務を1885年分離、1887年東京倉庫会社発足。港湾倉庫業へ進出し、三菱社の発展に伴い1918年三菱倉庫(株)と商号変更。第二次大戦後は総合物流業から不動産業へと業容を拡大する。100年史は索引付きの通史と、別冊の「編年誌・資料」からなる。
三菱倉庫(株) 倉庫・運輸関連 『三菱倉庫百年史. 編年誌・資料』(1988.03) 『三菱倉庫百年史. [通史]』(社史ID:13140)の資料編
三菱造船(株) 造船 『三菱造船株式会社史』(1967.06) 旧三菱重工業の解体により1950年発足した西日本重工業(株)は、長崎造船所・下関造船所・広島造船所・長崎精機製作所・広島精機製作所の事業を継承。1952年三菱造船(株)に社名変更、1964年3社の合併により再び三菱重工業(株)となる。この15年史は他2社の「新三菱重工業株式会社史」「三菱日本重工業株式会社史」と同じ監修者の元に同時に刊行された。第1部総論では15年間の沿革、第2部各論では部門・事業所ごとの歩みを詳述。詳細な図表目次と索引付。
三菱造船(株)長崎造船所 造船 『創業百年の長崎造船所』(1957.10) 1853年ペリーが来航し幕府は開国の方針を決め海軍創設を企図。外国への窓口であった長崎に1857年長崎鎔鉄所が建設され、後に官営長崎造船所となる。海運を営んでいた三菱社の岩崎弥太郎は1887年長崎造船所の払下を受け、三菱造船所と改称。1934年三菱重工業(株)に改組、戦後財閥解体により西日本重工業(株)を経て1952年三菱造船(株)長崎造船所となる。明治期から軍艦や舶用ボイラなどの造機の建造も手がけ、1956年には世界一の船舶建造量を誇る。百年史は写真を多くとりいれ目で見る社史として編纂。
三菱高島炭砿(株) 鉱業 『高島炭砿史』(1989.01) 長崎港外の高島(高島・横島・中ノ島・端島)では、佐賀藩がグラバー商会と共同で石炭採掘事業を始め、1881年岩崎弥太郎が経営を引き継ぐ。1918年三菱鉱業(株)設立、その1事業所となる。創業期に英国の最新技術を導入、その後も組織の合理化・近代化をはかり、当初炭量150万tと予想されたが、最終的には5,500万tもの出炭をみる。1966年、戦後のエネルギー転換期に三菱高島炭砿(株)として独立。石炭産業の不振により1986年閉山。[軍艦島と呼ばれる端島は世界遺産への登録運動が行なわれている]
三菱電機(株) 電気機器 『建業回顧』(1951.01)
三菱電機(株) 電気機器 『三菱電機社史』(1982.03)
三菱電機(株)開発本部 電気機器 『三菱電機研究所50年史』(1986.03)
三菱日本重工業(株) 機械 『三菱日本重工業株式会社史』(1967.06) 旧三菱重工業の解体により1950年発足した東日本重工業(株)は1952年三菱日本重工業(株)に社名変更、1964年3社の合併により再び三菱重工業(株)となるまでの15年史。他2社の「新三菱重工業株式会社史」「三菱造船株式会社史」と同じ監修者の元に同時に刊行された。第1部沿革、第2部資料編からなり、経済経営史の観点から外部研究者が執筆。
三菱油化(株) 化学工業 『三菱油化三十年史』(1988.03) 酒田出身の池田亀三郎は1909年東京帝大卒業後三菱合資に入社、石炭化学工業の創設をはかり1934年日本タール工業(後の三菱化成工業)設立。戦後基幹素材産業として発展が期待された石油化学製品を国産化するため、三菱グループとシェルが提携し1956年三菱油化(株)創立、池田が初代社長。30年史は創業前史としてわが国化学工業の成立と三菱の関わりを述べ、本編で創業からの躍進と激動の歩みを記す。[1994年三菱化成工業と合併し三菱化学(株)となる]
三菱レイヨン(株) 繊維 『30年史』(1964.08) 大阪・新興毛織の河崎助太郎と賀集盆蔵は人造繊維工業に関心を寄せ、1933年新興人絹(株)設立。レーヨンステープル生産を開始、繊維会社を持たなかった三菱が経営参加を申し入れ、1937年日本化成工業(株)の傘下に入る。1944年三菱化成工業(株)となるが、戦後財閥解体により繊維部門は1950年新光レイヨン(株)として新発足。1952年三菱レイヨン(株)と改称、総合化繊メーカーとして発展する。30年史は創業からの沿革と資料編からなる。[三菱レイヨン(株)沿革 http://www.mrc.co.jp/company/history.html]
南満洲鉄道(株) 鉄道・バス 『南満洲鉄道株式会社十年史』(1919.05(大正8))
南満洲鉄道(株) 鉄道・バス 『南満洲鉄道株式会社二十年略史』(1927.04) 20世紀初頭にロシアは満州里からウラジオストクを結ぶ東清鉄道とハルビンから旅順・大連へ南下する支線を建設経営してきた。1905年(明38)日露戦争後の日清満州善後条約並附属協定により、日本は長春以南の鉄道と炭抗経営権等について清国政府の承諾を得る。1906年(明39)南満州鉄道株式会社設立の勅令が公布され、政府により鉄道運輸業を行う特殊会社が発足、本社は大連。翌年鉄道施設と撫順・煙台炭抗を政府から引継ぎ営業開始する。20年史は会社の組織、事業、会計の3編からなり、事業には鉄道、海運、港湾、鉱山、製鉄、工業、産業施設(農業・商工業等)、地方施設(鉄道附属地)、および調査事業が挙げられている。市街や鉄道施設等の写真入り。[渋沢栄一は設立委員][1945年連合国により閉鎖機関に指定、1957年清算終了]
南満洲鉄道(株) 鉄道・バス 『南満洲鉄道株式会社三十年略史』(1937.04)
南満洲鉄道(株) 鉄道・バス 『満鉄四十年史』(2007.11)
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