収録社史一覧

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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
横浜正金銀行 銀行 『横浜正金銀行全史. 第1巻』(1980.09) 横浜正金銀行は貿易に係わる為替金融の商権を外国人の独占から取り戻すため、政府の強力な支援のもと国立銀行条例に準拠する外国為替、貿易金融専門銀行として1880年(明13)神奈川に設立。第一次大戦を経て国際金融取引が飛躍的に伸長し、1930年(昭5)の金解禁に当り国策遂行機関となる。第二次大戦では必然的に臨戦体制の中に組込まれ、戦後はGHQにより閉鎖清算を命ぜられる。正金の国内資産負債の新勘定と整理済旧勘定をもって1946年(昭21)東京銀行が新たに設立され、正金は営業を停止し1964年(昭39)清算事務結了。当該社史は全6巻7冊からなり、第1巻は諸資料・史料を含む概説、第2-5巻は創立から清算までの沿革、第6巻は年表、年表索引(事項・人名)、調査統計資料、史話。第2巻前半は『横浜正金銀行史』(1920年刊)を書き改めたもの。[東京銀行は1996年(平8)三菱銀行と合併し東京三菱銀行となる(現・三菱東京UFJ銀行)]
横浜正金銀行 銀行 『横浜正金銀行全史. 第2巻』(1981.04) 『横浜正金銀行全史. 第1巻』(社史ID:10100)の第2巻
横浜正金銀行 銀行 『横浜正金銀行全史. 第3巻』(1981.08) 『横浜正金銀行全史. 第1巻』(社史ID:10100)の第3巻
横浜正金銀行 銀行 『横浜正金銀行全史. 第4巻』(1982.03) 『横浜正金銀行全史. 第1巻』(社史ID:10100)の第4巻
横浜正金銀行 銀行 『横浜正金銀行全史. 第5巻 上』(1983.01) 『横浜正金銀行全史. 第1巻』(社史ID:10100)の第5巻上
横浜正金銀行 銀行 『横浜正金銀行全史. 第5巻 下』(1983.01) 『横浜正金銀行全史. 第1巻』(社史ID:10100)の第5巻下
横浜正金銀行 銀行 『横浜正金銀行全史. 第6巻』(1984.03) 『横浜正金銀行全史. 第1巻』(社史ID:10100)の第6巻
横浜商工会議所 経済団体 『横浜商工会議所百年史』(1981.02)
横浜倉庫(株) 倉庫・運輸関連 『横浜倉庫九十年史 : ハマ・ヒト・モノ』(1995.02) 明治後期八王子に集積された生糸を横浜へ運ぶため横浜財界人により横浜鉄道が設立され、運ばれた生糸の保管のため姉妹会社として1906年(明39)横浜倉庫が創立。役員の浅野総一郎の助言で土地事業にも進出し業績を伸ばす。戦時中は日本倉庫統制(株)に吸収され、戦後は米軍による施設接収のため休眠状態となる。1963年(昭38)東京へ進出し営業再開、倉庫業を拡大する。90年史は沿革の中に政財界著名人の談話コラムをはさみ、社長講演録・経営者列伝も含む親しみやすい構成。倉の文化史というコラムでは、日本史の中に登場する倉、倉庫という言葉や概念を紹介している。創業前の横浜倉庫業史の中で渋沢栄一の関わった倉庫会社・均融会社にも触れている。
吉沢石灰工業(株) 窯業 『100年のあゆみ』(1973.11)
吉田工業(株) 非鉄金属・金属製品 『YKK五十年史』(1984.05)
ヨシモトポール(株) その他製造業 『美しいくにづくりの半世紀』(2011.12)
(株)読売新聞社 サービス業 『読売新聞八十年史』(1955.12)
(株)読売新聞社 サービス業 『読売新聞百年史』(1976.11)
(株)読売新聞社 サービス業 『読売新聞百年史. 資料・年表』(1976.11) 『読売新聞百年史』(社史ID:15310)の資料・年表
(株)読売新聞社 サービス業 『読売新聞発展史』(1987.11)
(株)読売新聞社 サービス業 『読売新聞百二十年史』(1994.11) 洋学と英語を学んだ子安峻、本野盛亨、柴田昌吉が1870年横浜で活版印刷所の日就社創設。1874年に読売新聞を創刊。その号から漢字にルビのごとく「傍訓」をふる。1917年読売新聞社に社名変更。警視庁出身の正力松太郎、報知新聞出身の務台光雄、そして渡辺恒雄が率いる。発行1000万部はギネス認定の世界最多。本社は銀座を経て大手町へ移転し、製版は1986年CTSに移行。読売巨人軍、日本テレビなどの関連会社の略史も含む。
ライオン(株) 化学工業 『いつも暮らしの中にLion : ライオン100年史』(1992.10) 埼玉の酒造業家に生まれた初代小林富次郎(こばやし・とみじろう、1852-1910)は、上京し石鹸製造業に携わる。1891年(明24)東京神田に石鹸とマッチ原料取次の小林富次郎商店を開設。キリスト教徒の富次郎は知人牧師の「ライオンなら牙も丈夫だ」との意見で、1896年(明29)「ライオン歯磨」を商標登録。1918年(大7)二代目富次郎(1872-1958)は歯磨事業に特化した小林商店を設立。1949年(昭24)ライオン歯磨に社名変更し、医薬品や食品にも事業多角化。また石鹸事業は1919年(大8)にライオン石鹸として分離独立、後にライオン油脂に改称。1980年(昭55)に両社が合併し、新会社ライオンが発足する。100年史はライオン歯磨、ライオン油脂、合併後のライオンの三本の流れを追っている。商品・ブランドや口腔衛生活動などテーマ別に12種類の年表を掲載。
(株)リーガルコーポレーション その他製造業 『Step with you : 100』([2002])
(特)理化学研究所 化学工業 『理研の研究活動』(1988.10) 1958年(昭33)設立された特殊法人理化学研究所の研究活動について、研究室ごとに発足の経緯、目的や方針、研究内容、研究成果、将来展望等をまとめたもの。対象は埼玉県和光市の本所にある41研究室と2研究グループ、茨城県つくば市のライフサイエンス筑波研究センターの6研究室等。別冊で理化学研究所発足からの沿革をまとめた『特殊法人理研30年』を出版している。[2003年(平15)独立行政法人となる]
(特)理化学研究所 化学工業 『特殊法人理研30年』(1988.10) 高峰譲吉(たかみね・じょうきち、1854-1922)は国民科学研究所設立案を提唱し渋沢栄一らが賛同、この案を継ぎ1917年(大6)国庫補助を得て(財)理化学研究所が設立。多数の優れた研究者が従事し成果を上げ、また同研究所の発明品を事業化する多くの会社は理研コンツェルンを形成した。第二次大戦の戦災で設備の大半を失い、終戦後1948年(昭23)(株)科学研究所が設立され財団の事業を継承。1958年(昭33)新技術開発という国家的事業遂行のため特殊法人理化学研究所が設立され、科学研究所の事業を継承した。30年史は第1章に財団法人と株式会社時代の沿革を置き、第2章に特殊法人発足からのあゆみを記載。巻末に資料付。別冊で特殊法人30年間の研究を研究室ごとにまとめた『理研の研究活動』を出版。[2003年(平15)独立行政法人となる]
(国研)理化学研究所 化学工業 『理化学研究所百年史. 第1編 歴史と精神』(2018.03)
(国研)理化学研究所 化学工業 『理化学研究所百年史. 第2編 研究と成果』(2018.03)
(国研)理化学研究所 化学工業 『理化学研究所百年史. 第3編 資料』(2018.03)
レンゴー(株) パルプ・紙 『レンゴー株式会社八十年史 : 1909-1989』(1995.04) 兵庫出身の井上貞治郎(いのうえ・ていじろう、1882-1963)は奉公・流転の末、1909年(明42)東京で段ボール製作の三盛舎を起こす。設備を拡充し順調に発展、1920年(大9)には関係5社が合併し聯合紙器を創立。関東大震災で主力工場を失い、日本製紙を合併し大阪へ本社を移す。戦後も業容を拡大し総合包装企業へ転換、1972年(昭47)レンゴーと社名変更。80年史は沿革と資料編からなり、索引付。What is past is prologue (過ぎ去りし事は序幕なのである)というシェークスピアの台詞を引用した米国立公文書館入口の言葉で締め括られている。
碌々産業(株) 機械 『工作機械ひとすじ100年の歴史 : 小さな技術集団碌々産業(株)』(2003.06)
若築建設(株) 建設 『80年史若築建設株式会社』(1970.07)
若築建設(株) 建設 『若築建設百年史』(1990.05)
若築建設(株) 建設 『若築建設百三十年史』(2020.05) 1889(明治22)年、石炭をはじめ物資輸送の拠点として注目された洞海湾(若松港)の築港工事と運営を行うため、若松築港会社が設立。翌年、福岡県庁の許可を得て工事に着手した。1893(明治26)年、若松築港株式会社に改称。周辺地域の発展に伴い港の拡張工事、洞海湾の開発を進めていく。1938(昭和13)年に若松港の運営が県に移ると港湾建設会社として再出発。県外へも進出し、東京湾岸工事などを請け負う。1965(昭和40)年、総合建設業を目指し、若築建設株式会社に社名変更。港湾工事だけでなく、鉄道や道路、下水道など陸上土木工事にも参入し、全国に支店を展開している。本社史は2020(令和2)年の創業130周年を記念し刊行された。会社設立から太平洋戦争終結までの第一編、戦後から創業100周年までの第二編、最近20年の第三編と資料編で構成される。また同社設立初期にかかわった渋沢栄一についてコラムページを設けている。渋沢栄一は不況下で危機に瀕した同社の経営について助言している。のち同社の事業に賛同し株主となり、1893(明治26)年からは相談役に就任した。
若松築港(株) 建設 『若松築港株式会社五拾年史』(1941.06) 九州北端の洞海湾に面した若松港は、明治以降石炭積出港としての整備が計画された。筑豊興業鉄道が敷設工事を始めたのを機に、地元有志により1890年(明23)若松築港会社が設立。浚渫埋立工事準備を開始し渋沢栄一の援助を得て開業する。入港する船から港銭を徴収する免許を得て洞海湾の運営に当たり、1893年(明26)株式会社となる。1897年(明30)造成した八幡の埋立地に官営製鉄所が開業し、若松築港は洞海湾の施設を拡充、石炭港から大工業港へと発展。1938年(昭13)港銭徴収が廃止され、洞海湾の運営は県に移る。若松築港は定款を改訂し、港湾工事へ進出。50年史は1-3章が沿革、4-7章が現況・資料にあたり、8章に年表という構成。[1965年(昭40)若築建設(株)と改称]
和歌山紡織(株) 繊維 『和歌山紡織株式会社五十年史』(1942.10) 明治初期に洋式紡績業創業の動きが起こり、和歌山では紀州綿ネルの生産が始まる。旧田辺藩士赤木友次郎らは1887年(明20)和歌山紡績会社を設立し、機械紡績で綿ネル用の糸を生産。赤木らは一方で1893年(明26)和歌山織布(株)を設立。和歌山織布は1911年(明44)和歌山紡績を合併し、和歌山紡織(株)と改称。工場を増設して製品種類も増やし、第一次大戦期と関東大震災後の需要増で業績を伸ばす。戦時下1941年(昭16)日出紡織、出雲製織、錦華紡績と合併し、大和紡績(株)となる。和歌山紡績創立からの50年史は、前篇に創業前の紀州の綿業、中篇に和歌山紡績と和歌山織布の沿革、後篇に和歌山紡織設立から合併までの歩みという構成。各種資料と追想録を付している。[2009年(平21)持株会社ダイワボウホールディングス(株)の事業会社となる][綿ネル=綿フランネル。起毛を施した木綿生地のこと]
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