収録社史一覧

業種"銀行" 社史一覧 全198件中20件 21件〜40件目を表示

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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
(株)協和銀行 銀行 『この10年のあゆみ : 1968-1978』(1978.05) 創立30周年を期に、1968年から最近10年のあゆみを物語風の小冊子にまとめたもの。6つのテーマごとの話題を中心に記述。[協和埼玉銀行、あさひ銀行を経て、2003年りそな銀行及び埼玉りそな銀行となる]
(株)協和銀行 銀行 『協和銀行史. 続』(1979.06)
(株)協和銀行 銀行 『協和銀行通史』(1996.06)
(株)黒須銀行 銀行 『黒須銀行史』(1920.03)
(株)群馬銀行 銀行 『群馬銀行五十年史』(1983.06) 明治初期群馬県では士族授産事業の一つとして国立銀行設立が企図され、渋沢栄一の指導を仰いでいた。1878年(明11)前橋の士族有志により第三十九国立銀行が設立。農業と生糸生産の増大で県内に銀行も数多く設立発展する。1932年(昭7)金融統制により群馬大同銀行が県出資により設立され、県内各行を合同。1955年(昭30)群馬銀行と改称する。50年史は研究者執筆の前史で明治以降の経済史および群馬県金融史を記述。本史では合同以降の沿革を詳述し、県内銀行小史には合併した40行以上の銀行史をまとめている。また巻末資料には廃止した店舗も含め支店の沿革を載せている。『群馬銀行の30年』(1964年刊)に続く社史で土屋喬雄監修。
(株)埼玉銀行 銀行 『埼玉銀行史』(1968.10) 政府の一県一行主義の方針により、埼玉県内の武州銀行・第八十五銀行・忍商業銀行・飯能銀行の4行が合併し、1943年(株)埼玉銀行創立。社史は監修者土屋喬雄の意見により、第1部創立前史として明治初期以来県内に設立された銀行の略史と、それらが合同を続けていった経緯を記載。第2部で埼玉銀行の25年のあゆみをまとめている。渋沢栄一が関わった黒須銀行・熊谷銀行についても記載。[1991年協和銀行と合併し、(株)協和埼玉銀行となる]
(株)埼玉銀行 銀行 『埼玉銀行通史』(1993.12)
(株)さくら銀行 銀行 『さくら銀行1992』(1992.07) 日本初の私立銀行として1876年(明9)設立の三井銀行は、第一銀行との合併と分離の後1954年(昭29)再び三井銀行となる。一方兵庫県下主要7行が合併して1936年(昭11)発足した神戸銀行と、東京の大日本無尽(株)を前身とする太陽銀行が1973年(昭48)合併し、太陽神戸銀行が発足。この三井銀行と太陽神戸銀行は1990年(平2)合併し太陽神戸三井銀行が誕生。1992年(平4)さくら銀行と商号変更した。当書は銀行法に基づいて毎年作成したディスクロージャー資料の1992年版で、太陽神戸三井銀行発足後の営業・業績・財務の状況と現況を図表を中心に記述している。巻末に簡略な沿革を付す。[2001年(平13)住友銀行と合併し三井住友銀行となる]
(株)山陰合同銀行 銀行 『山陰合同銀行五十年史』(1992.06)
(株)三十八銀行 銀行 『三十八銀行五十年誌』(1928.07) 兵庫県姫路地方における金融の利便を図り、併せて廃藩後政府が士族其の他に交付した金禄公債を利用するため、1878年(明11)第三十八国立銀行が資本金23万円をもつて姫路に創立される。1898年(明31)国立銀行営業満期につき私立銀行となり、(株)三十八銀行と改称。支店・出張所を広げ、兵庫県や神戸市の公金事務も取扱うようになる。50年史は小冊子ながら国立銀行創立からの沿革と現況を簡潔にまとめ、役員・本支店営業所の写真も掲載している。[1936年(昭11)合併により神戸銀行(現・三井住友銀行)となる]
(株)三和銀行 銀行 『写真でみる三和銀行の歴史』(1973.06)
(株)三和銀行 銀行 『三和銀行の歴史』(1974.12)
(株)三和銀行 銀行 『サンワのあゆみ : 三和銀行創立五十周年誌』(1983.10)
(株)四国銀行 銀行 『四国銀行百年史』(1980.07) 四国土佐藩は明治に高知県となり、第七、第三十七、第八十の3国立銀行が設立された。1878年(明11)設立の第三十七国立銀行は役員5人中4人が士族で、士族救済を大きな目的の一つとした典型的な国立銀行の姿であった。1896年(明29)高知第三十七国立銀行と改称した後に、丸亀から移った高知第百二十七国立銀行と合併、翌年高知銀行と改称。日露戦後の不況や自由民権運動の煽りで苦境に陥り、経営強化のため1907年(明40)安田家に経営を委託。第七・第八十銀行が合併してできた土佐銀行を1923年(大12)に合併し、四国銀行となる。第二次大戦後は安田家から離れ、地域経済の発展と共に成長する。100年史は沿革と資料からなり、服務に厳しい士族気質を表す創立当時の誓約書として、金銭を扱う役職員全員が一死をもって自戒の決意を表明した血判書を巻頭に掲載。
(株)静岡銀行 銀行 『静岡銀行史』(1960.05) 静岡銀行は静岡市に本店を置く静岡三十五銀行と浜松市に本店を持つ遠州銀行とが、銀行合同政策により1943年(昭18)合併して発足。静岡三十五銀行は1877年(明10)設立の静岡第三十五国立銀行、遠州銀行は1880年(明13)創立の西遠商会をそれぞれ母体としつつ、各々30~40有余の本店銀行の集合体である。静岡銀行発足後も多くの銀行を合併し発展する。創立15周年記念に編纂された当該社史は本文を4篇に分け、総説篇として維新前後のわが国の金融機関と幣制並びに静岡県の銀行と重要産業について記述、続いて静岡三十五銀行篇、遠州銀行篇、現在の静岡銀行篇となっている。総説編では渋沢栄一の提唱で設立された静岡の商法会所にも10頁にわたり触れている。
(株)静岡銀行 銀行 『静岡銀行史 : 創業百十五年の歩み』(1993.03)
(株)七十七銀行 銀行 『七十七年史』(1954.05) 宮城県の士族が金禄公債を集めて資本金とし、第一国立銀行頭取渋沢栄一に相談の上、1878年仙台に第七十七国立銀行を創立。1898年営業満期により(株)七十七銀行となる。1932年東北実業銀行、五城銀行と合併、新立の(株)七十七銀行が発足。77年史は国立銀行時代、旧株式会社時代、新立株式会社時代、戦後の現況、合併銀行小史の5編および巻末資料編からなる。
(株)七十七銀行 銀行 『七十七銀行小史』(1954.05) 「七十七年史」と章立てはほぼ同じで、読みやすいハンディな形にして同時期に出版したもの。執筆は外部研究者に委嘱。
(株)七十七銀行 銀行 『七十七銀行百年史』(1979.04)
(株)七十七銀行 銀行 『東京証券取引所と七十七銀行 : 九十年にわたるその歩み』(1984.12) 1878(明治11)年、宮城県内の士族たちにより第七十七国立銀行が創立。1882(明治15)年、日本橋区南茅場町に東京支店を開設。1898(明治31)年、株式会社七十七銀行に改組。1932(昭和7)年、同行と株式会社東北実業銀行、株式会社五城銀行が合併し、新たに株式会社七十七銀行となる。2編4章からなる本社史は、第七十七国立銀行が1894(明治27)年に東京株式取引所から株式売買の清算にかかわる出納業務、いわゆる場勘業務を受託してから90年の節目に接し、その史実を記録に留め、直面する証券・金融の新しい時代に処する糧とすべく刊行された。第1編は同行東京支店(のちの株式会社七十七銀行日本橋支店)を通じた東京株式取引所(株式会社東京証券取引所)の場勘業務の引き受けの歴史について、第2編は同行に深くかかわった渋沢栄一の足跡および同行と栄一の由縁についてまとめられている。東北地方の振興を主張した渋沢栄一は第七十七国立銀行の創立に対し指導、株主として資金面からも支援した。同行が株式会社になると相談役として引き続き経営を支えた。東京支店の開設に際しても場所の選定に口添えしている。
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