収録社史一覧

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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
王子製紙(株)苫小牧工場 パルプ・紙 『五十年の歩み : 1910-1960』(1960.12) 王子製紙(株)は1904年(明37)新工場建設地を求めて北海道へ進出、支笏湖周辺に理想的な土地を発見。まず発電所を建設し、1909年(明42)に苫小牧工場建物落成、翌年から操業開始。近代設備で新聞用紙を生産する。50年史は工場施設、原木を切り出す原野、発電所、製品の積出港、工場の様々な出来事や従業員の生活などを写真で綴っている。巻末に年表付。
王子製紙(株)苫小牧工場 パルプ・紙 『王子製紙苫小牧工場創業100年のあゆみ : スエズ以東にかかる大工場なく、日本製紙界に一大改革を起こす』(2010.09) 洋紙の国内自給を目指して1910年(明43)操業開始した王子製紙苫小牧工場は、最新鋭の設備導入と技術革新で世界最大の新聞用紙工場として発展する。100年史は操業開始からの歩みを時代順に7章で綴り、多くの図版やエピソードを本文中に取り入れている。巻末に資料付。社史はこれまでに『五十年の歩み』(1960)が出ている。
王子電気軌道(株) 鉄道・バス 『王子電気軌道株式会社二十五年史』(1935.10) 東京の都市交通機関創設を目指した松本錬蔵らは1906年(明39)王子を中心に大塚~三輪間の軌道敷設・営業を出願。翌年特許を得るが、日露戦後の不況で資金難に会い渋沢栄一等の後援を得て漸く1910年(明43)王子電気軌道を創立。翌年開業し、沿線と隣接地域への電灯電力供給事業も開始。資金難が続くが事業は漸次進捗し、景気回復と共に増資も行い発展。関東大震災の被災は軽微に収まり、1929年(昭4)乗合自動車業を開始、翌年に電車は三輪早稲田間直通運転を開始する。25年史は創業準備時代からの沿革と、回顧、現状、附録の資料からなる。口絵に役員と停留場等の写真を掲載。[1942年(昭17)東京市営になる(現在の都電荒川線)]
王子油化合成紙(株) 化学工業 『王子油化合成紙30年史』(2000.03) 1968年(昭43)政府は森林資源確保を目的に合成紙産業の育成努力を勧告し、紙パルプ・繊維・石油化学業界等に合成紙ブームが起きる。政府勧告よりも前から合成紙開発を進めていた三菱油化樹脂研究所は、勧告に刺激を受けた王子製紙との提携を進め、1969年(昭44)王子油化合成紙研究所が誕生。開発と事業化を進め1970年(昭45)王子油化合成紙(株)を設立。工場を稼働させショッピングバッグやステッカー、地図など水に強い合成紙の特徴を活かした製品を次々生産し、海外にも進出する。30年史は本文用紙に自社製合成紙を使用し、写真・エピソードを随所に取り入れ沿革をまとめている。[2001(平13)ユポ・コーポレーションと社名変更]
近江絹糸紡績(株) 繊維 『オーミケンシ外史 : 五十年のあゆみ』(1967.10) 彦根の実業家夏川熊次郎らは琵琶湖の水を利用し郷土の繁栄のため1917年近江絹綿(株)設立。1920年近江絹糸紡績(株)と社名変更し、品質向上、人材育成に努める。戦時下飛行機製作に進出し1943年近江航空工業(株)発足、零式戦闘機を製作。戦後は綿糸紡績に進出、工場を次々新設する。社史は50年の歩みをコンパクトにまとめた小冊子。[1968年オーミケンシ(株)と改称]
(株)大分銀行 銀行 『大分銀行百年史』(1994.01) 農業県大分では明治以降繊維工業を中心に産業が発展、1877年(明10)第二十三国立銀行(後二十三銀行)が商業資本で設立される。商工業の更なる発展と円滑な資金供給のため、大分町の名士らが発起人となり1893年(明26)大分銀行を設立。1927年(昭2)二十三銀行を合併し、商号を大分合同銀行と変更。更に第二次大戦下の銀行合同施策のもと県内20余銀行を合併する。1953年(昭28)大分銀行と改称、現在に至る。100年史は沿革編、営業店小史、資料編からなり、沿革編では創立前史で明治政府の金融政策から記述。既刊の『大分合同銀行五十年史』『大分銀行七十年史』『八十年小史』の3史に諸資料を補足しつつ、最近20年間の動きを加筆している。[渋沢栄一は第二十三国立銀行の設立指導]
(株)大垣共立銀行 銀行 『地域とともに歩んで : 大垣共立銀行九十年史』(1986.03)
大倉電気(株) 電気機器 『大倉電気五十年史』(1987.05)
(株)大倉博進 パルプ・紙 『創業90年年表』(1979.11) 日本橋の出版業者大倉孫兵衛(おおくら・まごべえ、1843-1921)は洋紙需要拡大を見抜き、1889年(明22)大倉孫兵衛洋紙店(後に大倉洋紙店)を開業。一方博文館勤務の山本留次(やまもと・とめじ、1872-1852)は叔父の社長大橋佐平の勧めで独立し、1897年(明30)洋紙販売の博進堂(後に博進社)を創業。両社は時勢に乗って躍進し、業容を広げる。大倉洋紙店は1962年(昭37)名古屋の愛知洋紙店を、1964年(昭和39)横浜の五輪堂洋紙店を合併。1971年(昭46)には業界安定を目指して博進社と合併し、(株)大倉博進が誕生。大倉洋紙店創業からの90年史は、見開き2ページ単位で上部に年表、下部に沿革をまとめ、随所に写真や図表を掲載。[1985年(昭60)大倉紙パルプ商事(株)と改称、その後合併を経て2005年(平17)新生紙パルプ商事(株)となる]
大阪瓦斯(株) ガス 『大阪瓦斯五十年史』(1955.10) 1871年大阪造幣局で、貨幣鋳造に使う金銀溶解用にガス発生炉が設けられ、余剰ガスを利用して局内外に我が国初のガス灯が点火された。扱いが不便な石油ランプや高価な電灯に対し、低廉安全なガスを供給しようと1897年に松田平八らにより大阪瓦斯(株)設立。大阪市内に白熱ガス灯が点じられた1905年から50年目を記念して刊行された社史。渋沢栄一は1901年2月から翌年7月まで監査役。1945年近畿の14社を併合し、それらの略史も掲載。社史は戦後のあゆみと現状の事業概要に重点が置かれている。
大阪瓦斯(株) ガス 『大阪ガス最近の10年 : 60周年を迎えて』(1966.10) 1955年刊行の50年史以降、1966年9月までの10年間に焦点を当てた社史。エネルギー源が石炭から石油へ転換し、需要の増大に伴って設備投資も営業も拡大していく時期が描かれている。
大阪瓦斯(株) ガス 『明日へ燃える : 大阪ガス80年』(1986.06) 1905年の創業から1985年までの80年の歩みを通史として編纂。第1部は創業から1965年までの60年間をエピソードを交えながら述べる。第2部は以降1985年までの20年間に、石油危機を乗り越え、都市ガス燃料としてLNGを選択し事業展開した歩みを詳述。
大阪瓦斯(株) ガス 『大阪ガス100年史 : 1905~2005』(2005.10) 1905年の創業からの100年史。後半では既刊の社史に継続して、1991年以降の出来事を詳述している。
(株)大阪株式取引所 その他金融業 『大株五十年史』(1928.11)
(社)大阪銀行協会 銀行 『大阪銀行協会史』(1967.11)
大阪穀物取引所 その他金融業 『10周年誌』(1963.10)
大阪穀物取引所 その他金融業 『20年史』(1973.11)
大阪穀物取引所 その他金融業 『30年史』(1983.03)
大阪穀物取引所 その他金融業 『40年史』(1995.03)
大阪小間物卸商同業組合 商社 『大阪小間物卸商同業組合沿革史』(1928..05)
大阪砂糖取引所 その他金融業 『大阪砂糖取引所沿革史 : 昭和27年~平成5年』(1994.02)
大阪証券取引所 その他金融業 『大阪証券取引所十年史. 統計』(1961.12) 『大阪証券取引所十年史』(社史ID:11180)の統計
大阪証券取引所 その他金融業 『大阪証券取引所十年史』(1964.12)
大阪証券取引所 その他金融業 『大阪証券取引所20年史 : 統計』(1969.12)
大阪証券取引所 その他金融業 『大阪証券取引所史. 第3巻 統計』(1980.01)
大阪商工会議所 経済団体 『大阪商工会議所史』(1941.07)
大阪商工会議所 経済団体 『大阪商工会議所八十五年史』(1965.07)
大阪商船(株) 海運 『大阪商船株式会社五十年史』(1934.06) 幕府が神戸・大阪を開港して以来、瀬戸内海の航路は次第に拡張。西南戦争後船舶が供給過剰となり、群小船主間の競争が激烈となる。住友家総理人広瀬宰平(ひろせ・さいへい、1828-1914)らは有志を糾合して1884年(明17)大阪商船会社を開業。日清・日露戦、第一次大戦を契機に世界各地へ航路を広げる。50年史は「沿革・航路・船舶・資本・事務組織・営業所・業績及財産・附録」からなり、渋沢栄一の関わった日清汽船にも触れる。
大阪商船(株) 海運 『大阪商船株式会社80年史』(1966.05) 1884年(明17)の創業から、1964年(昭39)に海運業の再建整備に関する法律により、三井船舶と合併して大阪商船三井船舶となるまでの80年史。構成は、沿革・航路・船舶・経営資本・組織及び制度・営業所・経理・関係会社・資料及び年表からなり、日本海運史、世界海運史との関連にも注目している。社史編纂のために収集した「航路別港別貨物品別統計表」など主な資料の一覧を編集後記に掲載。
大阪商船三井船舶(株) 海運 『創業百年史. [本編]』(1985.07) 1877(明治10)年、三井物産が三池炭の海外向け輸送を手がける。三井物産船舶部は不定期航路から定期航路へ進出、1942年三井船舶(株)として独立。一方1882年瀬戸内船主の大同団結によって大阪商船会社が設立、沿岸・近海から遠洋航路へ進出。両者は第2次大戦で大きな被害を受けるが、1964年に合併、大阪商船三井船舶(株)となる。別冊資料編あり。[1999年(平11)ナビックスラインと合併し、商船三井となる]
大阪商船三井船舶(株) 海運 『創業百年史. 資料』(1985.07) 『創業百年史. [本編]』(社史ID:12500)の資料編
大阪曹達(株) 化学工業 『大曹70年のあゆみ』(1986.05) 明治末期に関東州の豊富な塩を原料としたかせいソーダ製造を政府が計画し、水銀法電解ソーダの工業化が図られる。関西財界重鎮の中橋徳五郎(なかはし・とくごろう、1864-1934)を委員長に、かせいソーダの製造販売のため1915年(大4)大阪曹達が創立。第一次大戦中でソーダ類の輸入が不足、ソーダを使用する各種化学工業の急激な興隆もあり事業が発展する。第二次大戦後は水銀公害規制に対応し製法をイオン交換膜法へ転換、有機化学分野にも進出する。70年史は写真を多用し、第1編に近年の躍進、第2編に創業からの回顧、第3編に資料という構成。未完の50年史草稿を土台にしている。[1988年(昭63)ダイソーに社名変更]
大阪紡績(株) 繊維 『創業二十五年沿革略史』(1908.10) 明治以降各地に設立された紡績会社はいずれも小規模で、大規模な紡績会社設立の必要性を強く感じた渋沢栄一は有志と図り、英国留学中の山辺丈夫(やまのべ・たけお、1851-1920)に紡績業の実況研究を要請。紡績技術も学んだ山辺が帰国し、資本調達と工場建設の上1882年(明15)大阪に大阪紡績会社創立、栄一は相談役。中国・インドから棉花を輸入し綿布を輸出するまでに成長、日清日露戦争を経て発展する。25年史は沿革と現況を7区分で記述し、工場写真を多く掲載。[1914年(大3)三重紡績と合併し東洋紡績(株)となる]
大塚製靴(株) その他製造業 『大塚製靴百年史』(1976.01)
大塚製靴(株) その他製造業 『大塚製靴百年史. 資料』(1976.03) 『大塚製靴百年史』(社史ID:07020)の資料編
大塚製靴(株) その他製造業 『大塚製靴株式会社五十年 : 老舗の近代化』(2003.08) 1950年に個人商店大塚商店を株式会社に改組してからの50年史。創業からの沿革は1976年「大塚製靴百年史」として刊行している。「株式会社五十年」では、序章として1872年大塚岩次郎が開業した大塚商店の歴史を記述。本章は戦後の歩みを5章に分け、経営史を中心に述べている。多角経営せず技術を誇る製靴一筋に歩んだこと、同族による独立経営を維持したことが特徴。執筆は外部研究者に委託、索引付。
(株)大林組 建設 『大林組八十年史』(1972.10) 1864年大阪の商家に生まれた大林芳五郎が1883年に上京、宮内省出入りの請負業者の下で働く。皇居工事・鉄道工事・陸軍兵舎工事などに精勤した後、大阪に戻る。1892年製紙所工場工事を落札したのを機に独立、請負業を創業する。1903年大阪で開催された内国勧業博覧会の会場建設を請負い、また1970年大阪万博でも多くの施設を建設する。80年史は第1編創業と成長の時代、第2編発展の時代、第3編戦後の再建と新発展の時代、第4編最近10年の大林組、の4部構成、索引付。
(株)大林組 建設 『大林組百年史 : 1892-1991』(1993.06) 「百年史」は第1部創業から終戦まで、第2部戦後復興から高度経済成長まで、第3部東京本社設置から創業100年まで、の3部構成で、別冊資料編付。どの時代もあらゆる産業分野での建築工事に進出していった様子が描かれている。
(株)大林組 建設 『大林組百年史. 資料編』(1993.06) 『大林組百年史 : 1892-1991』(社史ID:00320)の資料編
大林道路(株) 建設 『大林道路五十年史』(1983.08)
オーベクス(株) その他製造業 『オーベクス100年史』(1993.03) 明治初期洋風化が鼓舞され、渡欧した益田孝が帽子の国産化を着想し、帰国後1889年渋沢栄一らと共に有限責任日本製帽会社設立。生産開始したものの業績不振により1892年解散し、新たに東京帽子(株)を設立して権利義務を継承、栄一は初代取締役会長。社史は戦前のフェルト帽製造の歴史と戦後の経営多角化、1985年にオーベクス(株)と社名変更して経営改革するまでの通史を4章に分けて記載。第5章部門史では、「帽子」「アパレル」「ヘルメット」「ペン先」の製品別に歴史と現状を記載している。
オーロラ(株) その他製造業 『The course of hundred years : 1896-1996』([1996])
岡谷鋼機(株) 鉄鋼業 『鉄一筋 : 岡谷鋼機三百年の歩み』(1968.11)
(株)岡山製紙 パルプ・紙 『岡山製紙100年史 : 1907-2007』(2008.02)
小川写真製版所 その他製造業 『創業紀念三十年誌』(1913.08)
沖電気工業(株) 電気機器 『沖電気100年のあゆみ』(1981.11)
沖電気工業(株) 電気機器 『進取の精神 : 沖電気120年のあゆみ』(2001.11) 広島出身の沖牙太郎は1874(明治7)年27歳で銀細工師の腕を資本に上京、工部省で電信技術に携わる。1881(明治14)年に電機製造・販売の明工社を創立、電話機を製造する。沖電機工場、沖商会と組織変更し、浅野総一郎(後に会長)・渋沢栄一らの出資を得、1912年沖電気株式会社となる。社史はこれまでに50年史、90年史、100年史が刊行されており、120年史ではコンピュータ・ネットワークが出現した1960年以降の40年間を詳述。
(株)沖縄海邦銀行 銀行 『沖縄海邦銀行55年史』(2006.12)
沖縄電力(株) 電力 『沖縄電力30年史』(2003.03) 沖縄の電気事業は1910年(明43)那覇市に設立の沖縄電気に始まり、大正から昭和にかけ名護電灯、宮古電灯、八重山電気が開業。戦時下配電統制令により1943年(昭18)沖縄の4社も九州配電に統合され、同社の沖縄支店および営業所となる。戦災で電気事業は全て崩壊。戦後沖縄が米軍施政権下に置かれる中、民間の群小電気供給業者が起こる。1954年(昭29)米国民政府は発送電を運営する琉球電力公社を設立、配電は民間が運営する方針をとる。1972年(昭47)本土復帰により、琉球電力公社を継承し発送配電を一体化した特殊法人沖縄電力(株)が設立される。1988年(昭63)民営に移行。30年史は既刊の15年史を要約した「15年のあらまし」、以降の歩みをまとめた通史と部門史、資料からなる。付属のCD-ROMには30年史全頁PDFと、映像にまとめた沿革等が入っている。
小田急電鉄(株) 鉄道・バス 『小田急五十年史』(1980.12) 大分出身の衆院議員利光鶴松(としみつ・つるまつ、1863-1945)は東京市街鉄道の設立に関わり実業界へ進出。鉄道の動力確保に1910年(明43)鬼怒川水力電気を創立。1923年(大13)には小田原急行電鉄を創立し沿線開発などの事業を進めるが、1941年(昭16)鬼怒川水力電気と合併して小田急電鉄と改称。業績向上を図り翌年東京横浜電鉄に合併して東京急行電鉄となる。戦後1948年(昭23)には分離し新たな小田急電鉄を設立。路線の拡張や経営多角化を図り発展する。50年史は沿革・現況・資料からなり、交通網と地域社会・産業の発展に貢献してきた経営努力の歩みを綴る。西武鉄道との間に起った“箱根山戦争”についても一節を割く。社史編纂の経緯をあとがきに詳述。
小田急電鉄(株) 鉄道・バス 『小田急75年史』(2003.03)
小野田セメント(株) 窯業 『回顧七十年』(1952.12) 1881年創業のセメント製造会社は1891年有限責任小野田セメント製造(株)と改称。内外に業容を拡大するが敗戦により海外の工場を失う。しかし積極経営で損失を克服、1951年小野田セメント(株)と社名変更する。70年史は前半が年代ごとの沿革、後半は工場・品質・福利厚生等の資料編。[1994年秩父セメントと合併し、秩父小野田セメント(株)となる]
小野田セメント(株) 窯業 『小野田セメント百年史』(1981.08)
小野田セメント製造(株) 窯業 『小野田セメント製造株式会社創業五十年史』(1931.09) 1881年山口藩の理財家笠井順八は士族救済と授産のために、わが国初の民間セメント会社として山口県原狭郡西須恵村(今の小野田市)にセメント製造会社を創設。1891年有限責任小野田セメント製造(株)と改称。輸出により外貨を獲得し、朝鮮・満州にも進出。50年史は前半で沿革を述べ、後半は支社・工場の現況と資料編。写真・図表目次と総索引付。
オリエンタル写真工業(株) その他製造業 『オリエンタル写真工業株式会社三十年史』(1950.05) 明治期から輸入に依存していた写真感光材料の国産化を志した菊池東陽(きくち・とうよう、1883-1939)は、米国で乳剤研究の後に感光乳剤製法を完成。帰国して会社設立準備にかかり渋沢栄一の紹介で植村澄三郎(うえむら・ちょうざぶろう、1862-1941)を会長に、1919年(大8)オリエンタル写真工業を設立。渋沢家の写真師江木写真店の五十嵐与七が役員に加わる。印画紙を発売し好評を得、輸出も開始する。業績を伸ばし工場を拡張し、写真の啓蒙雑誌『フォトタイムス』を発行、人材育成のためオリエンタル写真学校を創設。新製品を開発して業容を拡大する。渋沢栄一等の写真入り30年史は写真材料の解説や創業者の交友関係を含め、創業前後からの歩みを5章にわたり丁寧に記述。巻末に役員小伝、関係会社略史付。渋沢秀雄(しぶさわ・ひでお、1892-1984、栄一四男)は監査役。[2000年(平12)サイバーグラフィックス(株)と社名変更]
開城電気(株) 電力 『開城電気株式会社沿革史』(2003.07)
花王(株) 化学工業 『花王史100年 : 1890-1990年』(1993.03)
花王(株) 化学工業 『花王史100年 : 1890-1990年. 年表/資料』(1993.03) 『花王史100年 : 1890-1990年』(社史ID:03100)の年表/資料
花王(株) 化学工業 『花王史年表 : 1990-2000年』(2000.11)
花王(株) 化学工業 『暮らしを拓く : 花王を築いた商品たち : 社内報「花王ファミリー」連載』(2002.03)
花王石鹸(株) 化学工業 『花王石鹸五十年史』(1940.10) 岐阜出身の初代長瀬富郎(ながせ・とみろう、1863-1911)は1887年(明20)東京馬喰町に洋小間物の長瀬商店を開業、普及し始めた舶来石鹸を扱う。国産品優良石鹸の創製を決意し、石鹸職人や薬剤師らの協力を得て1890年(明23)「花王石鹸」を発売。1911年(明44)合資会社へ、1925年(大14)花王石鹸株式会社長瀬商会となる。油脂製品の多角製造をはかり1935年(昭10)吾嬬工場を独立させ大日本油脂を設立、化学工業分野へスタートを切る。石鹸発売から50年記念に編纂した社史は研究者の執筆で、欧米石鹸業発達史を序編とし、本編の日本石鹸業発達史の中に花王石鹸発達史を位置付けている。巻末索引付。[1946年(昭21)花王に改称、後に変遷を経て1985年(昭60)再び花王に改称]
花王石鹸(株) 化学工業 『花王石鹸七十年史』(1960.11)
花王石鹸(株) 化学工業 『花王石鹸八十年史』(1971.01)
花王石鹸(株) 化学工業 『日本清浄文化史』(1971.01)
花王石鹸(株) 化学工業 『四〇〇〇人の軌跡 : 花王石鹸90周年記念出版』(1980.10)
花王石鹸(株) 化学工業 『年表・花王90年のあゆみ』(1980.10)
花王石鹸(株) 化学工業 『花王広告史』(1989.04)
鹿島建設(株) 建設 『鹿島建設 : 百三十五年の歩み』(1974.03)
鹿島建設(株) 建設 『鹿島建設 : 百四十年の歩み』(1980.04)
鹿島建設(株) 建設 『鹿島建設の歩み : 人が事業であった頃』(1989.09)
鹿島建設(株) 建設 『Kajima Corporation 150 years in pictures』(1989.09)
鹿島建設(株) 建設 『鹿島建設社史 : 一九七〇年~二〇〇〇年』(2003.05)
鹿島建設(株) 建設 『鹿島建設社史 : 1970年~2000年. 付録・年表』(2003.05) 『鹿島建設社史 : 一九七〇年~二〇〇〇年』(社史ID:00380)の付録
柏井紙業(株) パルプ・紙 『清流永遠に : 柏井紙業株式会社・80年史』(1992.04) 明治以降貿易港として発展していた神戸は和紙の集積地でもあった。鈴木商店で商売を学んだ柏井慶治(1889?-1964)は紙の需要に着目し、1910年(明43)柏井紙店を開業。和紙販売を軌道に乗せ、1936年(昭11)には合名会社柏井商店を設立。戦争を経て1947年(昭22)設立の柏井紙業(株)に事業を移し、需要の変化に合わせ洋紙販売に転換。1971年(昭46)には東京支店を開設し、全国に営業拠点を広げる。王子製紙と上質紙の共同開発を進めるなど、洋紙専門商社として発展する。80年史は創業期からの歩みを時代順に13章にまとめ、14章は資料編。各章扉にその時期の年表を記載。[2007年(平19)国際紙パルプ商事(株)と合併]
片倉工業(株) 繊維 『片倉工業株式会社三十年誌』(1951.03) 長野で製糸業を営む初代片倉兼太郎(かたくら・かねたろう、1849-1917)は1895年(明28)片倉組を組織し、全国に事業網を展開。1920年(大9)片倉製糸紡績(株)に組織変更し、更に事業を拡大する。戦時中は製糸事業を日本蚕糸製造へ譲渡し航空機製造等へ事業転換、1943年(昭18)片倉工業と社名変更。戦後すぐに事業再転換し、製糸・蚕種・加工部門を再開する。30年史は『片倉製糸紡績株式会社二十年誌』(1941年刊)の形式を踏襲しその続編として編集、主に1941年(昭16)以降の10年を詳述している。発刊当時完成した自社製自動操糸機を記念して、自社で製織した布を装幀に使用。
片倉製糸紡績(株) 繊維 『片倉製糸紡績株式会社二十年誌』(1941.03) 信州諏訪の片倉市助は1873年(明6)座繰製糸を開始。1878(明11)年長男兼太郎(かねたろう、1849-1917)が天竜川畔に洋式機械製糸工場を開設、事業は軌道に乗り1895年(明28)片倉組を組織する。1920年(大9)片倉製糸紡績を設立し経営を刷新。1939年(昭14)には渋沢栄一に縁のある富岡製糸所を合併。紀元二千六百年を期に編纂された20年史は、4章までが設立までの沿革、5章から20章が現況、海外での蚕糸業経営、原料繭の購入、製糸技術の変遷、生糸の販売、関連会社の小史など。[1943年(昭18)片倉工業と社名変更]
片倉チッカリン(株) 化学工業 『八十年史』(2000.10) 大分の蚕種製造家古椎文夫と片倉合名会社大分製糸所長の片倉耕介(片倉合名社長2代片倉兼太郎の三男)は、1920年(大9)桑園用専用肥料製造販売会社の日支肥料を創業。しかし第一次大戦後恐慌の影響を受け、創業後わずか3年で会社は解散寸前となる。片倉合名会社の経営参加によって会社は存続し、1924年(大13)片倉米穀肥料と改称。養蚕業の発展に伴い事業を拡張するが、戦時下の統制で1943年(昭18)片倉化学工業と改称。戦後八洲産業、片倉肥料と改称の後、1957年(昭32)日本チッカリン肥料、昭和肥料工業との合併により商号を片倉チッカリンとする。80年史は既刊の40年史・60年史を踏まえ、1980年(昭55)以降の事業展開を詳述している。
神奈川電気(株) 電気機器 『神奈川電気社史 : 創立75周年』(1982.12)
神奈川トヨタ自動車(株) 自動車・自動車部品 『モビリティライフの創造 : 神奈川トヨタ50年の軌跡』(1998.02) 渋沢栄一の下で帝国劇場の創設に参画した上野芳太郎の息子上野建は、財界人との交流の中で日本GMの神谷正太郎と出会う。神谷は豊田喜一郎からトヨタ車の販売をまかされ、神奈川地区の販売を上野建に依頼、1939年神奈川トヨタ販売(株)設立。戦後販売会社が再編成され、1946年神奈川トヨタ販売(株)再設立、1948年神奈川トヨタ自動車(株)に社名変更。50年史は創業からの歩みを経営者の人物像を織り込みながら記述。
鐘淵化学工業(株) 化学工業 『化学を超えて : カネカ40年の技術水脈』(1990.10)
鐘淵紡績(株) 繊維 『鐘紡製糸四十年史』(1965.09) 1887年(明20)創業の鐘淵紡績(株)は綿糸だけでなく絹糸製造へ進出を企図。社長武藤山治(むとう・さんじ、1867-1934)は従来の家内工業的絹糸業から近代的な大規模絹糸工場経営を目指し、1921年(大10)群馬県の新町工場が操業を開始。その後次々と業容を拡大するが、戦後の経営合理化の一環で1958年(昭33)蚕糸部門を分離し鐘淵蚕糸(株)が設立。婦人靴下等新規事業に進出して発展する。新町工場操業からの絹糸事業の40年史は、前篇・総史と後篇・事業場史からなり千頁を超える大作。鐘紡の沿革から書き起こした総史は時代順に日本の蚕糸業の動向と会社の歩みを記述。事業場史は製糸工場、蚕種試験所、乾繭場等を扱い、附録に従業員111人の回顧録を掲載。[1965年(昭40)鐘紡繊維と改称。更に合併改称の後1998年(平10)カネボウ(株)に吸収合併。カネボウは繊維事業を2005年(平17)KBセーレン(株)に譲渡]
金子架設工業(株) 建設 『百年史』(1990.07)
鐘紡(株) 繊維 『鐘紡百年史』(1988.10) 東京の繰綿問屋5店は1886年東京綿商社の設立を決議。翌1887年認可され隅田川の鐘淵に紡績所を建設、1888年鐘淵紡績会社となる(渋沢栄一は顧問)。苦境期に三井の支援を受け、多くの紡績会社を吸収し、重化学工業へも進出。繊維以外の事業を行なっていた鐘淵実業と1944年合併し、鐘淵工業(株)発足。第二次大戦後は繊維事業中心に転換し、1946年鐘淵紡績(株)と社名復帰。化粧品・食品等の事業にも次々進出、1971年鐘紡(株)となる。百年史は武藤山治・津田信吾・武藤糸治ら歴代経営者の時代を軸に編集され、千頁を越す大作。
兼松(株) 商社 『兼松回顧六十年』(1950.05)
兼松(株) 商社 『兼松六十年の歩み』(1955.04)
兼松江商(株) 商社 『KG物語 : 1889-1969 兼松江商80周年記念』(1970.08) 大阪商船の設立に参加した兼松房次郎(かねまつ・ふさじろう、1845-1913)は豪州との直貿易を志し、1889年(明22)大阪に豪州貿易兼松房次郎商店設立。取扱商品は当初からの羊毛・牛皮に加え小麦・木材と広げ中国大陸にも進出、1943年(昭18)に兼松(株)となる。一方滋賀県生まれの綿花商北川商店の北川与平(きたがわ・よへい、1855-1929)は江州(近江)の有志と1905年(明38)大阪に江商(資)設立。1917年(大6)株式会社に改組し、繊維商社として発展する。両社は1967年(昭42)合併し兼松江商誕生。80年史は簡潔な沿革の後に全社員の写真と名簿入りの現況が綴られている。[1990年(平2)兼松に商号変更]
(株)歌舞伎座 サービス業 『歌舞伎座百年史. 本文篇 上巻』(1993.07)
(株)歌舞伎座 サービス業 『歌舞伎座百年史. 本文篇 下巻』(1998.11) 『歌舞伎座百年史. 本文篇 上巻』(社史ID:14370)の下巻
(株)歌舞伎座 サービス業 『歌舞伎座百年史. 資料篇』(1995.04) 『歌舞伎座百年史. 本文篇 上巻』(社史ID:14370)の資料編
神岡鉱業(株) 鉱業 『第1期営業報告』(1950.11)
(株)亀井商店 小売業 『風調雨順 : 亀井商店の八十年』(1984.03)
かもめプロペラ(株) 非鉄金属・金属製品 『かもめプロペラ五十年史』(1973.05)
樺太工業(株) パルプ・紙 『真岡工場要覧』([1925]) 輸入に頼っていたパルプの国産化を目指し、大川平三郎(おおかわ・へいざぶろう、1860-1936)は原料木材と燃料石炭の豊富な樺太に1913年(大2)樺太工業(株)を創立。泊居(とまりおる)工場に続いて1924年(大13)恵須取(えすとる)工場も操業し、両工場合わせ年間8万トンのパルプを生産する。一方で上質洋紙生産を目指し1919年(大8)真岡工場を操業。模造紙、印刷用紙、半紙など年間4千万ポンド(約2万トン)を生産し国内やアジア各地で販売。行啓記念として刊行された真岡工場要覧は、小冊子ながら沿革と現況を写真・図表入りでわかりやすく記述している。[1933年(昭8)王子製紙(株)に合併(現・王子ホールディングス(株))]
樺太電気(株) 電力 『樺太電気株式会社十五年史 : 電気事業より見たる(旧)王子製紙株式会社樺太開拓史』(1976.12)
カルピス食品工業(株) 食品 『70年のあゆみ』(1989.07) 大阪の寺に生まれた三島海雲(みしま・かいうん、1878-1974)は仏教大学に学び、大志を抱いて1902年(明35)中国大陸に渡る。蒙古の地で緬羊事業に携わり、蒙古民族の活力源である酸乳に出会い、1915年(大4)帰国。翌年醍醐味(資)を設立し滋養料「醍醐味」を生産、販売。その事業を継承して1917年(大6)ラクトーを創立、1919年(大8)に酸乳をベースにした日本初めての乳酸菌飲料「カルピス」を発売。「カル」はカルシウム、「ピス」は味覚を表すサンスクリット語から三島が命名。1923年(大12)カルピス製造に商号変更、1948年(昭23)、第2会社としてカルピス食品工業を設立。53年間にわたって経営の第一線にあった三島海雲は、1970年(昭45)93歳で取締役社長を勇退。70年史は全8章のうち6章が三島海雲に関わる記述で、学術振興に私財を投じた三島海雲記念財団についても触れている。[1997年(平9)カルピス(株)に商号変更。2007年(平19)味の素(株)の完全子会社になる]
川崎汽船(株) 海運 『川崎汽船五十年史』(1969.08) 1886年(明19)発足の川崎造船所では船舶部を設置し海運を行っていた。社長の松方幸次郎(まつかた・こうじろう、1865-1950)は1916年(大5)からの欧米滞在中に米英の海運事情の底力を知り、わが国の発展のためには国内に新造船を温存し、日本郵船・大阪商船に伍して活躍し得る程度の大規模な海運会社を新設して船舶を運航する事業を興さねばならぬ、と決断。1919年(大8)に川崎造船所の船舶部門を分離独立し、川崎汽船を設立。世界各地へ航路を広げ発展する。50年史は沿革・航路・船舶・組織および制度・業績・収支・関係会社・資料および年表からなる。
川崎汽船(株) 海運 『Kライン物語 : 川崎汽船75年史』(1994.04)
川崎重工業(株) 造船 『川崎重工業株式会社社史. 年表・諸表』(1959.10) 『川崎重工業株式会社社史. 本史』(社史ID:06240)の年表・諸表
川崎重工業(株) 造船 『川崎重工業株式会社社史. 本史』(1959.12)
川崎重工業(株) 造船 『九十年の歩み : 川崎重工業小史』(1986.10) 1896年(株)川崎造船所として創立以来、1986年までの内容。従業員向けのハンディな略史として刊行。
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