収録社史一覧

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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
京阪電気鉄道(株) 鉄道・バス 『京阪百年のあゆみ. 資料編』(2011.03) 『京阪百年のあゆみ』(社史ID:11870)の資料編
京阪電気鉄道(株) 鉄道・バス 『京阪電車車両の100年 : 細密イラストで見る』(c2010)
京浜急行電鉄(株) 鉄道・バス 『京浜急行90年史 : 写真でつづる最近10年のあゆみ』(1988.06) 1872年(明5)東京横浜を結ぶ官営鉄道が開通。京浜間を結ぶ民営鉄道も要望され、1898年(明31)横浜・川崎の資本を主体に川崎大師へ参詣客を運ぶ大師電気鉄道が創立。翌年六郷橋~大師間を開業し京浜電気鉄道と改称。良好な営業成績で路線を延長し、1927年(昭2)自動車事業へも進出。1942年(昭17)戦時統制により同業他社と合併し東京急行電鉄となる。戦後1948年(昭23)統合解除により京浜急行電鉄として再出発。都心乗り入れを実現し、開発・不動産事業にも進出する。社史は50年史・60年史・70年史・80年史があり、90年史は80年史以降の10年を事業ごとに詳述。巻末に90年略史として創業からの沿革をまとめている。電車や沿線のカラー写真を多く掲載。
京浜急行電鉄(株) 鉄道・バス 『京浜急行100年の歩み : 1898-1998』(1998.06)
京浜急行電鉄(株) 鉄道・バス 『京浜急行百年史』(1999.03)
月桂冠(株) 食品 『月桂冠三五〇年の歩み』(1987.10) 1637年(寛永14)初代大倉治右衛門(おおくら・じえもん、1615-1684)が交通の要の京都伏見にて酒屋を創業、屋号を笠置屋、酒銘を「玉の泉」と称す。明治期に東京へ出荷、品質向上を図り、洋式簿記へいち早く移行。1905年(明38)銘酒中の勝者を願い「月桂冠」を商標登録、海外へも販路を広げる。1909年(明42)大倉酒造研究所を設置し、科学的な研究体制を導入。1910年(明43)には駅売用にコップ付小壜を新案。1927年(昭2)個人経営の大倉恒吉商店を株式会社へ改組。1944年(昭19)大倉酒造に社名変更。1987年(昭62)創業350年を機に社名を月桂冠とする。当該社史はハンディな体裁で350年の歩みを年表とコラムの形でまとめ、巻頭には口絵の他、沿革を概観した「月桂冠と伏見酒造業」と「酒の歴史と民俗」を掲載。[初代大倉治右衛門は、屋号を称する時は笠置屋六郎右衛門としていた]
(株)小糸製作所 自動車・自動車部品 『小糸製作所50年史』(1968.04) 明治末期に信号設備の国産化を図った鉄道院は、指定業者に試作研究を依頼。日本橋のガラス問屋勤務の小糸源六郎(こいと・げんろくろう、1883-1974)は、独立して鉄道院の試作研究を請負い、信号機用フレネル・レンズを開発。外国製品にも遜色ない製品を試作し、1915年(大4)小糸源六郎商店を設立、鉄道院指定商人として開業する。1930年(昭5)小糸製作所と改称、1936年(昭11)株式会社に改組、自動車や航空機用部品生産にも進出。戦後は民需転換し、特殊照明器具生産を推進する。50年史は本文5章と付録からなり、製品写真を多数掲載。付録資料には就業規則も載せている。
(株)小糸製作所 自動車・自動車部品 『小糸製作所70年史』(1985.11)
興亜火災海上保険(株) 保険 『興亜火災海上保険株式会社七十五年史』(1995.09) 関西を本拠地に海運業ほか手広く事業展開していた尼崎家の2代目尼崎伊三郎は、早くから損害保険に関心を持つ。第1次大戦後の経済成長期、1918(大正7年)大阪で中外海上保険(株)を創業する。その後辰馬海上、大北火災、神国海上が誕生し、4社は1944年に合併して興亜海上火災運送保険(株)となり、1954年に現在の社名に変更。
興亜石油(株) 石油 『興亜石油60年史』(1996.12) 昭和初期にソ連領北樺太で成功していた北樺太石油(株)の支配人野口栄三郎が、野口と共に三菱銀行から北樺太石油で仕事をしていた薄井久男と共に、1933年東京で東洋商工(株)を設立。横浜、麻里布(山口県)、大阪に製油所を建設し精製事業を行う。1936年に日本曹達(株)の傘下に入るが1942年日本曹達は資本を撤退。1941年に興亜石油(株)に社名変更。1936年に米国で創業したカルテックス社と1949年に提携。以降カルテックス・日石グループの中で「精製」の役割を担う。
航空協会 空運 『日本航空史. 乾』(1936.04)
航空協会 空運 『日本航空史. 坤』(1936.04) 『日本航空史. 乾』(社史ID:12860)の下巻
(株)講談社 サービス業 『講談社の80年 : 1909~1989』(1990.07) 東京帝国大学法科主席書記の野間清治(のま・せいじ、1878-1938)は、1909年(明42)弁論部演説会の速記をとり、弁論雑誌出版を志す。大日本雄弁会を創業し弁論雑誌「雄弁」を始め「面白くて、為になる」編集方針で雑誌を次々創刊、1925年(大14)大日本雄弁会講談社と改称。1938年(昭13)には株式会社に改組、1958年(昭33)講談社となり書籍出版でも目覚ましく成長する。80年史は創業からの歩みを編年体で記述し、刊行した雑誌、書籍、当時の主要な出版界の事項等を写真を豊富に使用して掲載している。巻頭に「日本出版印刷の歴史」を研究者が執筆。
神戸海運業組合 海運 『神戸海運五十年史』(1923.04)
神戸生糸取引所 その他金融業 『神戸生糸取引所十五年史』(1966.12)
神戸生糸取引所 その他金融業 『神戸生糸取引所所史』(1997.11)
神戸生糸取引所 その他金融業 『神戸生糸取引所所史. 資料編』(1997.11) 『神戸生糸取引所所史』(社史ID:11260)の資料編
神戸穀物商品取引所 その他金融業 『兵庫穀肥物語 : 波瀾五十年』(1962.10)
神戸穀物商品取引所 その他金融業 『神戸穀物商品取引所十年史』(1963.09)
神戸穀物商品取引所 その他金融業 『神戸穀物商品取引所二十年史』(1975.12)
(株)神戸新聞社 サービス業 『神戸新聞五十五年史』(1953.07)
(株)神戸製鋼所 鉄鋼業 『神鋼三十年史』(1938.09)
(株)神戸製鋼所 鉄鋼業 『神鋼五十年史』(1954.09)
(株)神戸製鋼所 鉄鋼業 『神戸製鋼70年. [本編]』(1974.09) 神戸の貿易商社鈴木商店の番頭金子直吉(かねこ・なおきち、1866-1944)が「これからの日本は工業である」という先見性のもとに1905年(明38)小林製鋼所を買収し、神戸製鋼所と改称。1911年(明44)鈴木商店から分離・独立し株式会社となる。大恐慌による鈴木商店倒産後も機械、伸銅品などに生産品種を拡大し、大正後半には鋼材圧延に進出。鉄鋼需要増大に伴い鉄鋼大手メーカーとして発展する。1929年(昭4)に分離した播磨造船所は1960年(昭35)石川島重工業と合併し、石川島播磨重工業となる。70年史はカラー写真やエピソードを多く掲載し、年表を数年ごとに併載して時代との関連がわかりやすく読みやすい体裁。別冊資料編付。
(株)神戸製鋼所 鉄鋼業 『神戸製鋼70年. 資料編』(1974.09) 『神戸製鋼70年. [本編]』(社史ID:04550)の資料編
(株)神戸製鋼所 鉄鋼業 『神戸製鋼80年 : since 1905』(1986.09) 1905年(明38)の創業からの80年史。金子直吉による小林製鋼所買収から誕生した神戸製鋼所は、1927年(昭2)の親会社鈴木商店の倒産、1945年(昭20)の企業解体および海外資産没収などの数々の危機を乗り越え、ついに国際的企業へと大発展をとげる。構成は総合史・部門史・資料の3部から成る。
(株)神戸製鋼所 鉄鋼業 『神戸製鋼グループ100周年記念誌 : 一番星も一等星も』(2005.09)
(株)神戸製鋼所 鉄鋼業 『神戸製鋼100年 : 1905-2005』(2006.03)
(株)後楽園スタヂアム サービス業 『後楽園スタヂアム50年史』(1990.04)
興和紡績(株) 繊維 『興和のあゆみ : 写真集』(1988.12)
興和紡績(株) ; 興和(株) 繊維 『興和百年史』(1994.11)
国際興業(株) 陸運 『国際興業五十年史』(1990.05)
国際通運(株) 陸運 『国際通運株式会社史』(1938.12) 1639年(寛永16)起業の江戸定飛脚問屋は明治期に陸運元会社となり、政府の保護下に全国貨物運送を扱っていた。1875年(明8)内国通運会社と改称、1893年(明26)株式会社となる。鉄道が普及して各駅からの短距離輸送業者が乱立、その業者間競争を政府が裁定し大合同が実施され、内国通運は多くの業者と合併し1928年(昭3)国際通運と改称。全国に事業を営み海陸運送業の向上発展に努める。1937年(昭12)統制により解散し、政府出資の日本通運に引継がれる。当社史は江戸定飛脚問屋時代、陸運元会社時代、内国通運会社時代、内国通運株式会社時代、国際通運株式会社時代の区分で300年にわたる沿革を詳述。国際通運発足に至る運送大合同について、また日本通運設立の経緯に多くの頁を割いている。
国際電信電話(株) 通信 『国際電信電話株式会社二十五年史』(1979.02)
小西酒造(株) 食品 『白雪の明治・大正・昭和前期 : 11考・業茂、12考・業精の時代』(1995.09)
小林記録紙(株) パルプ・紙 『記録の記録 : 小林記録紙50周年記録誌』(1988.04) 工業計器や気象観測器用の輸入記録紙卸店に勤務していた小林日吉は、記録紙の国産化を目指し1937年(昭12)東京田端に小林商店を設立。高品質の記録紙を生産販売し、1939年(昭14)小林記録紙製造所と改名。戦後株式会社となり業容を拡大、1986年(昭61)販売会社を合併して小林記録紙となる。50年史は自社の沿革のほか、「ビジネス・からだ・気象・音・映像・生産・地球・交流・天災・移動・発明・ことば・真理・世相」それぞれの記録の歴史を記録している。「移動」の記録には渋沢栄一著『航西日記』も紹介。人名・事項・写真索引付。[2007年(平19)小林クリエイトと社名変更]
(株)小松製作所 機械 『小松製作所五十年の歩み : 略史』(1971.05) 土佐出身で佐賀の芳谷炭坑(後の竹内鉱業)を経営していた竹内明太郎(たけうち・めいたろう、1860-1928)は、1902年(明35)石川県小松町の銅山開発に進出。欧米視察や炭坑経営の経験から機械工業の重要性に着目し、1917年(大6)小松鉄工所を開設。工作機械と鉱山用機械生産を開始し、1921年(大10)竹内鉱業から分離独立して(株)小松製作所が誕生。プレス機、農業用トラクタ、ブルドーザ等の国産化を進め、建設機械を主軸とした総合機械メーカーとして発展する。50年史は創業からの歩みを5章にまとめ、工場や製品等の写真と図表で現況を紹介している。[登記社名とは別に会社表記をコマツとしている]
(株)埼玉銀行 銀行 『埼玉銀行史』(1968.10) 政府の一県一行主義の方針により、埼玉県内の武州銀行・第八十五銀行・忍商業銀行・飯能銀行の4行が合併し、1943年(株)埼玉銀行創立。社史は監修者土屋喬雄の意見により、第1部創立前史として明治初期以来県内に設立された銀行の略史と、それらが合同を続けていった経緯を記載。第2部で埼玉銀行の25年のあゆみをまとめている。渋沢栄一が関わった黒須銀行・熊谷銀行についても記載。[1991年協和銀行と合併し、(株)協和埼玉銀行となる]
(株)埼玉銀行 銀行 『埼玉銀行通史』(1993.12)
西部瓦斯(株) ガス 『西部瓦斯株式会社史』(1982.12)
西部瓦斯(株) ガス 『西部瓦斯株式会社史. [資料編]』(1982.12) 『西部瓦斯株式会社史』(社史ID:14130)の資料編
(株)酒井鉄工所 鉄鋼業 『酒井鉄工所65年の流れ』(1969.05)
(株)さくら銀行 銀行 『さくら銀行1992』(1992.07) 日本初の私立銀行として1876年(明9)設立の三井銀行は、第一銀行との合併と分離の後1954年(昭29)再び三井銀行となる。一方兵庫県下主要7行が合併して1936年(昭11)発足した神戸銀行と、東京の大日本無尽(株)を前身とする太陽銀行が1973年(昭48)合併し、太陽神戸銀行が発足。この三井銀行と太陽神戸銀行は1990年(平2)合併し太陽神戸三井銀行が誕生。1992年(平4)さくら銀行と商号変更した。当書は銀行法に基づいて毎年作成したディスクロージャー資料の1992年版で、太陽神戸三井銀行発足後の営業・業績・財務の状況と現況を図表を中心に記述している。巻末に簡略な沿革を付す。[2001年(平13)住友銀行と合併し三井住友銀行となる]
笹気出版印刷(株) サービス業 『妝匣の本質 : ひたむきに生きる、刷匠たちの念い』(2012.05)
サッポロビール(株) 食品 『サッポロビール120年史 : Since 1876』(1996.03) 1876年札幌に開拓使麦酒醸造所が開業。大倉喜八郎に払い下げられ、渋沢栄一らの出資により1888年札幌麦酒会社が誕生。一方1887年設立の日本麦酒醸造会社は1890年に恵比寿ビールを発売、東京を代表する銘柄になる。販売競争の中で札幌麦酒、日本麦酒、大阪麦酒の3社が1906年に合同し、大日本麦酒(株)が成立。強固な販売網を形成して国内はもとよりアジア市場へも輸出拡大。敗戦により1949年日本麦酒と朝日麦酒の2社に分割。日本麦酒は1964年サッポロビール(株)に社名変更、1971年には「ヱビスビール」も復活。
佐藤工業(株) 建設 『110年のあゆみ』(1972.07) 川の氾濫が多発した富山藩では川除普請の技能者が全国に知られていた。佐藤助九郎(さとう・すけくろう、1847-1904)は技能を持つ村人を結束し1862年(文久2)佐藤組を設立。河川治水工事から橋梁・建築・鉄道・発電工事へと分野を広げ、富山から関東関西へ、又海外にも進出。1931年(昭6)佐藤工業(株)に改組。戦後は公共投資に支えられ躍進する。110年史は初代佐藤助九郎小伝、沿革編、躍進編、工事編からなり、本文中に多くの写真を織り込み欄外にエピソードを記載。工事編には創業からの工事経歴を種類別年代順に請負金額も含め掲載。[『百年の歩み』(1961年刊)は42pと簡素な造り]
佐藤鉄工(株) 鉄鋼業 『佐藤鉄工85年史』(1996.11)
(株)山陰合同銀行 銀行 『山陰合同銀行五十年史』(1992.06)
三機工業(株) 建設 『三機工業七十年史 : 1925-1994』(1995.04)
三共(株) 医薬品 『三共六十年史』(1960.12)
三共(株) 医薬品 『三共八十年史』(1979.12) 横浜の絹織物商塩原又策(しおばら・またさく、1877-1955)は業績不振の折、1898年(明31)渡米する友人西村庄太郎に新事業の探索を依頼。西村は胃腸消化薬タカヂアスターゼを創製した高峰譲吉を訪ね、委託販売契約を結ぶ。1899年(明32)に塩原、西村、福井源次郎の3名の共同出資による三共商店を設立。三共薬品、三共(資)と社名変更し業容拡大。1913年(大2)株式会社に改組し、社長に高峰譲吉が就任、新薬を次々と開発する。80年史は創業からの通史で、1960年(昭35)刊の60年史以降の20年を詳述した沿革と、現況・資料からなる。[高峰は渋沢栄一の信頼を得て援助を受けた]
三共(株) 医薬品 『三共百年史』(2000.05)
三共(株) 医薬品 『三共百年史. 資料編』(2000.05) 『三共百年史』(社史ID:03770)の資料編
蚕糸業同業組合中央会 繊維 『蚕糸業同業組合中央会史』(1932.12)
(株)三十八銀行 銀行 『三十八銀行五十年誌』(1928.07) 兵庫県姫路地方における金融の利便を図り、併せて廃藩後政府が士族其の他に交付した金禄公債を利用するため、1878年(明11)第三十八国立銀行が資本金23万円をもつて姫路に創立される。1898年(明31)国立銀行営業満期につき私立銀行となり、(株)三十八銀行と改称。支店・出張所を広げ、兵庫県や神戸市の公金事務も取扱うようになる。50年史は小冊子ながら国立銀行創立からの沿革と現況を簡潔にまとめ、役員・本支店営業所の写真も掲載している。[1936年(昭11)合併により神戸銀行(現・三井住友銀行)となる]
サントリー(株) 食品 『やってみなはれ』(1969.05) 大阪生まれの鳥井信治郎(とりい・しんじろう、1879-1962)は薬種問屋等に奉公の後、1899年(明32)葡萄酒製造販売の鳥井商店開業。1906年(明39)寿屋洋酒店と改称、翌年「赤玉ポートワイン」を発売。事業拡大し1921年(大10)(株)寿屋創立。京都に工場を建設しウィスキーの製造販売開始、海外へも輸出する。1963年(昭38)サントリー(株)に改称、サントリービール製造発売開始。70年史は本編「やってみなはれ」と資料編「みとくんなはれ」からなり、本編の沿革部分は元社員の作家山口瞳と開高健が執筆。資料編は製品開発、研究・生産設備、営業活動、宣伝活動等を写真中心にまとめている。[2009年(平21)サントリーホールディングス(株)を設立し、純粋持株会社制に移行]
サントリー(株) 食品 『みとくんなはれ』(1969.06) 『やってみなはれ』(社史ID:01130)の資料編
山陽色素(株) 化学工業 『虹のあゆみ : 山陽色素六十年史』(1992.05)
山陽パルプ(株) パルプ・紙 『20年誌』(1966.11) 王子製紙の傍系会社として1937年(昭12)発足した山陽パルプ工業は、工場を山口県岩国に建設し人絹パルプを製造。戦時中は軍需転換したが、戦後に紙・パルプの需給が逼迫し、立地条件の優れた岩国工場の再建が強く要望された。1946年(昭21)大川鉄雄(おおかわ・てつお、1897-1975)らが発起人となり山陽パルプを創立、岩国工場の設備を復旧して製紙パルプ生産を開始。20年史はハンディな体裁ながら多くの図表と写真を取り入れている。社史は『十年誌』(1956)が出ている。[1972年(昭47)国策パルプと合併し山陽国策パルプとなる(現・日本製紙)]
(株)三和銀行 銀行 『写真でみる三和銀行の歴史』(1973.06)
(株)三和銀行 銀行 『三和銀行の歴史』(1974.12)
(株)三和銀行 銀行 『サンワのあゆみ : 三和銀行創立五十周年誌』(1983.10)
三和鉄軌工業(株) 非鉄金属・金属製品 『三和鉄軌工業 : よりよい社会づくりに貢献する』(1969.03)
(株)ジェイアール西日本メンテック サービス業 『40年のあゆみ : West Japan Railway Maintec Co., Ltd 1958-1998』(1999.02)
JFEスチール(株) 鉄鋼業 『JFE Steel : JFEスチール株式会社 : JFE 東日本製鉄所 (京浜地区)』([2003])
JFEホールディングス(株) 鉄鋼業 『JFEグループtoday : 創立10周年記念号. 2013』([2013])
塩野義製薬(株) 医薬品 『シオノギ100年』([1978]) 薬種問屋の三男初代塩野義三郎(しおの・ぎさぶろう、1854-1931)は、1878年(明11)大阪道修町に塩野義三郎商店を開業、和漢薬の販売を開始。西洋医薬の普及に伴い取扱いを洋薬に切り替える。製薬の試製を始め、1909年(明42)塩野義新薬第1号(制酸剤アンタチヂン)を発売、翌年大阪海老江に塩野製薬所を建設。1918年(大7)塩野義三郎商店と塩野製薬所が合併し、(株)塩野義商店を設立。1943年(昭18)塩野義製薬に社名変更し、戦後は近代化を進め海外にも進出する。100年史は小冊子ながら写真を多用し、創業からの歩みを簡潔な年表の形で再現している。[物語風に沿革をまとめた『シオノギ百年』(塩野義製薬、1978年、533p)の普及版と考えられる]
敷島紡績(株) 繊維 『敷島紡績七十五年史』(1968.12) 大阪財界の鈴木勝夫らは西成郡伝法村に1892年(明25)伝法紡績を創立、翌年福島区に移転し福島紡績と改称する。第一次大戦を契機に経営を確立し、積極経営で業容を拡大。1944年(昭19)企業統合政策で朝日紡績と合併し、敷島紡績と改称(敷島は大和の枕詞)。戦後復興をはかりコーンスターチ製造等新規事業や海外合弁事業へも進出する。創立からの75年史は沿革、現況、資料からなり、本文中に写真を多く掲載し、沿革の最後に事業場史も記載。50周年までは『福島紡績株式会社五十年記』(1942年刊)を要約し、以降の25年間を詳述している。[2002年(平14)シキボウ(株)に商号変更]
四国化成工業(株) 化学工業 『四国化成五十年史』(1997.10) 香川県丸亀の技術者多津白年(あきとし)と横山良一は、第二次大戦後の混乱期に事業を興すに当たり衣食住のうち「衣」に着目。化学繊維のうちビスコースレーヨンは入手の容易な硫黄と木炭から生成される二硫化炭素が原料であること、四国・中国地方にはレーヨン工場が数多くあり需要先が確保されていることから、新製法による二硫化炭素の工業化を図り、地元有力者の出資を得て1947年(昭22)四国化成工業を創立。1949年(昭24)には渋沢栄一に縁のある東邦レーヨンの出資を得る。人材を結集し時機を得た経営で事業を多角化し発展する。50年史はジャーナリストの執筆で会社の歩みを読みやすくまとめている。索引付。
(株)四国銀行 銀行 『四国銀行百年史』(1980.07) 四国土佐藩は明治に高知県となり、第七、第三十七、第八十の3国立銀行が設立された。1878年(明11)設立の第三十七国立銀行は役員5人中4人が士族で、士族救済を大きな目的の一つとした典型的な国立銀行の姿であった。1896年(明29)高知第三十七国立銀行と改称した後に、丸亀から移った高知第百二十七国立銀行と合併、翌年高知銀行と改称。日露戦後の不況や自由民権運動の煽りで苦境に陥り、経営強化のため1907年(明40)安田家に経営を委託。第七・第八十銀行が合併してできた土佐銀行を1923年(大12)に合併し、四国銀行となる。第二次大戦後は安田家から離れ、地域経済の発展と共に成長する。100年史は沿革と資料からなり、服務に厳しい士族気質を表す創立当時の誓約書として、金銭を扱う役職員全員が一死をもって自戒の決意を表明した血判書を巻頭に掲載。
四国電力(株) 電力 『四国電力20年のあゆみ』(1972.03) 四国地方では1895年(明28)ころから各地で電気事業が開始された。事業者間競争の弊害から東邦電力徳島支店、高知県営電気、土佐電気、伊予鉄道電気、四国水力電気の5社は1928年(昭3)四国電気事業統制協議会を結成。日華事変後1939年(昭14)電力国家管理政策により日本発送電が発足、1942年(昭17)四国配電が設立され、順次事業者が統合される。戦後電気事業再編成により1951年(昭26)四国電力が発足。経済開発の進展に伴い業容を拡大する。四国電力発足からの20年史は、今日のすがた、20年のあゆみ、将来の展望から構成され、年表の冒頭に創業前史を掲載。10年史(1961年刊)以降の10年に重点を置いている。
四国電力(株) 電力 『四国地方電気事業史 : 経済社会の発展を通じて』(1984.09) 明治以降農林水産業に加え製紙業や製塩業なども発展していた四国には、1895年(明28)徳島県で最初に電灯が灯り、以降4県それぞれに電気事業が普及していった。大正期に徳島県は三重合同電気(のち東邦電力徳島支店)、香川県は四国水力電気、愛媛県は伊予鉄道電気、高知県は県営電気と土佐電気、そして新居浜の住友共同電力が電気事業を集中して行うようになる。それらは戦時下の電力国家管理により日本発送電と四国配電に統合される。戦後1951年(昭26)に再編成で四国電力が発足し、経済成長と共に電気事業も発展する。この電気事業史は研究者の執筆で、まず電気事業の「再編成以降」を置き、その後「再編成以前」という構成。四国電力発足以降の年表と主要参考文献を付している。
四国配電(株) 電力 『四国配電十年史』(1953.05) 1941年(昭16)配電統制令により、高知県、土佐電気、伊予鉄道電気、四国水力電気、東邦電力が電気供給事業設備を出資して四国配電が設立。本店は新居浜、後松山に移る。戦災により設備に多くの被害を受けるが全社をあげて復旧に努める。戦後復興事業に邁進するも電気事業再編成により1951年(昭26)解散、事業は同年発足の四国電力に引き継がれる。10年史は総説、経理、営業、工務、労務、四国の電気事業の各編からなり、附録に年表ほかの資料を収載。巻頭には60頁に及ぶ写真を載せている。
四国旅客鉄道(株) 鉄道・バス 『JR四国20年のあゆみ : 皆様とともに20年』([2007])
(株)時事通信社 サービス業 『建業弐十年』(1965.11) 戦前の国家代表通信社であった同盟通信社が解散し、新聞・放送に対する通信事業は共同通信社として分離、個人に対する通信事業が時事通信社として1945年(昭20)創立された。時事通信では当初、速報通信、出版、写真通信に注力し、1946年(昭21)からUP、ロイター、AFP各通信社と順次通信契約を締結。1950年台に最初の海外特派員派遣、「官庁速報」創刊、海外向け英文放送と超短波ボイス同報開始、ホーガン式ファクス同報開始、1960年台には旧西独DMT通信社とニュース交換契約発効、マスメディア・サービス開始、東京・ニューヨーク・ロンドンに専用電信回線開通、と事業拡大している。20年史は5章までが全社の沿革、6-14章が事業ごとの歩み。前身の一つで渋沢栄一が関わった国際通信社にも触れている。人名索引付。先行社史は『建業十有五年』(1960年刊)がある。
(株)時事通信社 サービス業 『時事通信社50年史』(1995.11)
(株)静岡銀行 銀行 『静岡銀行史』(1960.05) 静岡銀行は静岡市に本店を置く静岡三十五銀行と浜松市に本店を持つ遠州銀行とが、銀行合同政策により1943年(昭18)合併して発足。静岡三十五銀行は1877年(明10)設立の静岡第三十五国立銀行、遠州銀行は1880年(明13)創立の西遠商会をそれぞれ母体としつつ、各々30~40有余の本店銀行の集合体である。静岡銀行発足後も多くの銀行を合併し発展する。創立15周年記念に編纂された当該社史は本文を4篇に分け、総説篇として維新前後のわが国の金融機関と幣制並びに静岡県の銀行と重要産業について記述、続いて静岡三十五銀行篇、遠州銀行篇、現在の静岡銀行篇となっている。総説編では渋沢栄一の提唱で設立された静岡の商法会所にも10頁にわたり触れている。
(株)静岡銀行 銀行 『静岡銀行史 : 創業百十五年の歩み』(1993.03)
(株)資生堂 化学工業 『資生堂社史 : 資生堂と銀座のあゆみ八十五年』(1957.11) 千葉出身で薬学を修めた福原有信(ふくはら・ありのぶ、1848-1924)は、海軍薬剤監を辞して1872年(明5)三田田町で薬局開業、火事のため銀座出雲町に移る。一方友人らと三精社を興し、西洋薬舗会社資生堂を設立、個人の薬舗にも資生堂を号した。出雲町の資生堂薬局二階に回陽医院を設けるも医薬分業を実践し、製薬事業に尽力。1887年(明20)日本初の煉歯磨、1897年(明30)化粧品の製造販売にも乗り出す。欧米に学んだ三男福原信三(ふくはら・しんぞう、1883-1948)が化粧品を充実させ、1921年(大10)合資会社資生堂となる。1927年(昭2)株式会社に改組し、戦禍を乗り越え業容拡大する。85年史は銀座と共に歩んだ資生堂の変遷を、製品・広告・風俗など多くの写真図版や寄稿文を取り入れ多面的に描いている。
(株)資生堂 化学工業 『資生堂百年史』(1972.06) 1872年(明5)東京銀座に洋薬薬局として創業し、1897年(明30)から化粧品製造販売を始めた資生堂は、福原信三(ふくはら・しんぞう、1883-1948)社長の元で1915年(大4)経営の主体を薬品から化粧品に転換。合資会社を経て1927年(昭2)株式会社に改組、販売組織を整え内外に発展する。戦後は経営近代化を進め、常に最高の品質を追求するとともに消費者との共存共栄を目指している。85年史に続くこの100年史は、巻頭に5項目の経営理念と西欧文化吸収の窓口である銀座の写真を配置。本文は沿革を10章にまとめ、製品や広告宣伝物のカラー写真をふんだんに取り入れた編集。巻末資料も各項目を視覚的にわかりやすく表現している。
(株)資生堂 化学工業 『資生堂宣伝史. 1』(1979.07) 化粧品制作に独特の美を追求してきた資生堂の、宣伝部門の発展史を3冊にまとめたもの。1「歴史」では1872年(明5)の創業から1960年(昭35)までを時代順に追い、意匠部が発足した1916年(大5)以降を詳細に記述。宣伝表現の基本に使用した「女性像」と「唐草」は特に章を立てている。巻末に人名索引付。2「現代」ではキャンペイン方式の宣伝を始めた1961年(昭36)以降の、新聞雑誌広告や製品デザイン等の制作物写真を掲載。3年ごとにまとめた略史を間に挟む。担当した歴代宣伝部員28名の寄稿と、コミュニケーションの研究者4名の座談会も載せ、巻末に制作者や催事等の一覧付。3「花椿抄」は、1924年(大13)に『資生堂月報』として創刊され『資生堂グラフ』を経て『花椿』と改称したPR誌からの抜粋記事。500冊以上の中から約120の寄稿を選び、挿絵やグラビア写真と共に年代順に再録している。既刊の85年史と100年史に対し、この宣伝史は部門史の位置づけ。
(株)資生堂 化学工業 『資生堂宣伝史. 2』(1979.07) 『資生堂宣伝史. 1』(社史ID:03310)の2巻
(株)資生堂 化学工業 『資生堂宣伝史. 3』(1979.07) 『資生堂宣伝史. 1』(社史ID:03310)の3巻
(株)七十七銀行 銀行 『七十七年史』(1954.05) 宮城県の士族が金禄公債を集めて資本金とし、第一国立銀行頭取渋沢栄一に相談の上、1878年仙台に第七十七国立銀行を創立。1898年営業満期により(株)七十七銀行となる。1932年東北実業銀行、五城銀行と合併、新立の(株)七十七銀行が発足。77年史は国立銀行時代、旧株式会社時代、新立株式会社時代、戦後の現況、合併銀行小史の5編および巻末資料編からなる。
(株)七十七銀行 銀行 『七十七銀行小史』(1954.05) 「七十七年史」と章立てはほぼ同じで、読みやすいハンディな形にして同時期に出版したもの。執筆は外部研究者に委嘱。
(株)七十七銀行 銀行 『七十七銀行百年史』(1979.04)
(株)七十七銀行 銀行 『七十七銀行120年史』(1999.03)
(株)実業之日本社 サービス業 『『実業之日本』の六十年と創立者増田義一』([1957])
(株)実業之日本社 サービス業 『実業之日本社七十年史』(1967.06)
(株)実業之日本社 サービス業 『実業之日本社百年史』(1997.12) 1895(明治28)年、東京専門学校出身の光岡威一郎が帝国実業の発達振興を図るために大日本実業学会を創立。1897年に雑誌「実業之日本」を創刊。その後光岡は健康を害し、発行権と経営権を同窓の増田義一に譲り、増田は1900年実業之日本社を設立。「実業之日本」誌は経済雑誌として成長していく。別冊「百年図書総目録」には、書籍、ムック、コミックス、ビデオ、教育関係図書等の出版物を刊行年順に記載、書名・著訳者名索引つき。
(株)実業之日本社 サービス業 『実業之日本社百年図書総目録』(1997.12) 『実業之日本社百年史』(社史ID:14570)の別冊
品川白煉瓦(株) 窯業 『創業100年史』(1976.12) 1836年江戸生まれの武士西村勝三は維新後東京会議所委員となる。国産煉瓦製造をめざし1875年渋沢栄一らの協力を得て東京会議所瓦斯製造所内に工場を作り、ガス発生炉用の耐火煉瓦(白煉瓦)の製造を始める。1884年工部省所管の白煉化石製造所の払下げを受け、伊勢勝白煉瓦製造所を設立。1887年品川へ移転し、品川白煉瓦製造所と改称。1903年品川白煉瓦(株)へ改組。栄一は相談役(1907-09)。100年史は総合史、部門史・現況、資料から成り、千ページを超える大作。
(株)芝浦製作所 電気機器 『株式会社芝浦製作所』([1936.02])
渋沢倉庫(株) 倉庫・運輸関連 『渋沢倉庫株式会社三十年小史』(1931.09) 深川の渋沢家に沢山の土蔵があり、渋沢作太郎の廻米店渋沢商店が使っていた。栄一は長男篤二に実業界の仕事をさせるため、第一銀行取締役佐々木勇之助の指導の下、1897年(明治30)倉庫部開業。多くの書類は1923年(大正12)関東大震災で失われたが、参与利倉久吉が30年史を編纂(以上篤二の序文より抜粋編集)。1909(明治42)年株式会社となる。B6判240ページ。
渋沢倉庫(株) 倉庫・運輸関連 『渋沢倉庫株式会社創立三十周年記念小史』(1939.08)
渋沢倉庫(株) 倉庫・運輸関連 『渋沢倉庫六十年史』(1959.08) 1876(明治9)渋沢栄一が深川区福住町の近江屋喜左衛門の寮を譲り受け改築し本拠とする。敬三はここで生まれ育ち、倉庫の間で遊んでいた(以上敬三序文より)。1897年渋沢倉庫部発足、1909年渋沢倉庫株式会社。1933年大阪を本拠とする浪華倉庫を合併し、我が国の主要港湾を結ぶ本支店網を完成。社史は三十年史の後を受けて1957年3月までの内容。B5判479ページ。
渋沢倉庫(株) 倉庫・運輸関連 『渋沢倉庫の80年. 1』(1977.03) 1897(明治30)年渋沢倉庫部開業、営業主渋沢栄一、倉庫部長渋沢篤二。1909年渋沢倉庫株式会社創立、会長渋沢篤二、専務八十島親徳。第1巻は栄一の略歴に始まり、戦後復興期の1955年まで。第2巻は1977年までの飛躍展開を記述、株式買占め事件などにもふれる。読みやすい文体で物語風に綴っている。2巻合わせて755ページ(A5判)。
渋沢倉庫(株) 倉庫・運輸関連 『渋沢倉庫の80年. 2』(1977.03) 『渋沢倉庫の80年. 1』(社史ID:13000)の2巻
渋沢倉庫(株) 倉庫・運輸関連 『渋沢倉庫百年史』(1999.03) 創業から1997年までの100年の歩みを通史で記述。本文・資料編・年表からなり、B5判662ページ。三十年小史から百年史まで執筆はすべて社内スタッフが行っている。
(株)島津製作所 機械 『改組二十年記念帖』(1937.09)
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